傷モノ令嬢、「悪役令嬢」といわれる

「ど、どうしたんだ?」


 ロークの戸惑う声にルシールも理由がわからず首を横に振った。


 義祖母が来ているということでロークも今日は早く帰宅しているのだが、


「母上、どうなさったのです?」

「王都で人気のある話だと聞いたので読んでみたのだけれど」


 義父の言葉に義祖母はそれだけ言うと、持っていた本を義母セラフィーナに渡した。

 表紙をみたセラフィーナの顔が、ピキッと音がしそうなほど引きつる。


(おばあ様に続いて、お義母様までこんなに機嫌を悪くなさるなんて)


 ミシッ


 音のしたほうをみれば、上座に座る義祖母とセラフィーナの扇子が見事なカーブを描いていた。

 真っ直ぐでなければいけないのに、へし折れそうだ。


「ローク様」

「と、とにかく安心しろ。君が原因ということはまずない、あるとすれば俺だが、俺にも心あたりはない」


 ルシールではなく、ロークにも心当たりがないという。

 消去法でいくと、原因になるのは一人。


 思わず二人の目がそちらに向き、義父ウィリアムと目が合う。

 彼は首が飛んでいくのではないかと思える勢いで首をヨコに振った。


(原因は結局分かりませんが、まずは食事を始めましょう。給仕係も気まずそうですし)


 自分が原因ではないというロークの確信に満ちた言葉に勇気を得て、



「お義母様、おばあ様、どうかなさったのですか?」


 男二人から尊敬に満ちた視線を浴びながらルシールが返事を待っていると、


「ルシール、あなた『悪役令嬢ルシア』という恋物語を知っていて?」


 小説?


「悪役令嬢と聞くと、流行の恋物語のタイトルのようですが」


 思いがけない話題に戸惑ったため、反射的に隣のロークを見ると青い顔をしていた。

 どうやら彼には心あたりがあるらしいのだが、


「ルシール、最近社交場には顔を出していないのかしら?」

「は、はい。申しわけありません、兄の結婚のためにカールトン侯爵家での仕事がことのほか多くて」


 親戚のご夫人たちとの話でお腹いっぱいだったから社交はご無沙汰だった。

 気づけば一ヶ月くらい流行から遅れている。


「いいの、かえって良かったわ。ねえ、セラフィーナ」

「申しわけありません。私とカールトン侯爵夫人とで対処できていると思ったのですが、庶民のほうまで手が回っておらず」


 どうやら母イザベラまでこの件に関わっているらしい。


 自分だけ蚊帳の外な気持ちになる。

 そんな自分の隣で、ロークの「ただ守りたかっただけなんだ」と呟く声が聞こえた。


 ロークがそう言うということは、ティファニーが関わっているのだろう。

 ルシールは胸がグッと苦しくなった。



「お前の気持ちは分かりました。ただ、ここまで蔓延した以上、ルシールが知らないことはよくありません。ローク、いいわね」


 ロークが頷くと同時に、執事長のセバスチャンが当主であるウィリアムに本を渡した。


「最近王都を中心に流行している小説『悪役令嬢ルシア』だ」

「先ほどの」


 薄い本と言いそうになったルシールは口をつぐむ。

 薄い本というと文字を覚えたての子どもに向けた教本のイメージが強く、これを読んだという祖母に不快な思いをさせると思ったからだ。


「これは庶民向けに作られた文字を覚えるための教本なの。学習用とはいい着眼点だと思うけれど、ローク、あなたの入れ知恵かしら?」

「違います」


 否定したロークは枢機卿の次男の名前をあげた。

 彼の家は擁護院などの運営に積極的で、子どもの教育にも力を入れていて何年か前から教本作りのために国から予算が下りていることをルシールは思い出した。


「ある日学院に転入した貴族の令嬢が主人公ヒロイン。家族から虐げられてきた彼女は逃げこむように入学した学院で友だちを作り、持ち前の明るさと素直さで学院の人気者になる話。子ども向けじゃなくても、分かりやすい素敵なお話ね」


 素敵なお話、という声の冷たさにルシールは反射的に背筋を伸ばす。


「そんな素敵な主人公ヒロインに有力貴族の息子たちが恋をする。国王の息子とか、宰相の息子とか、騎士団長の息子とか、どこかで聞いたような話ね」

「よくある話なのでしょう」


 ロークのかたい声を流して、話は続く。


 主人公は国王の息子であり、その国の王太子と恋に落ちた。

 王太子も主人公を愛したが、王太子には幼い頃に決められた婚約者がいた。


 紺色の瞳に銀色の髪の婚約者『ルシア』。

 この国では珍しい色合いに、評判だとすすめられて読んだ貴族たちは一人の女性を思い浮かべる。


 婚約者とその取り巻きの令嬢たちは「生意気」といって主人公ヒロインを虐めた。


 そして子ども向けの教本らしく虐めるたびに王子や他の貴族に「虐めはいけない」と諭され、ぎゃふんという状況に陥る。


 王太子妃に相応しいのは血筋ではなく、心優しい令嬢である。

 悪役令嬢ルシアは王太子妃に相応しくないという風潮が生まれ、最終的には、


「王太子は主人公と真実の愛によって結ばれ、『二人は結婚して幸せに暮らしましたとさ』だそうよ」

「おばあ様の大好きなハッピーエンドでよかったではありませんか」


「下手なごまかしはお止めなさい。ローク、いつこの本のことを知ったの?」


 隣を見たらロークと目があった。

 気まずそうな表情に、しばらく前から知っていたのだと分かる。


「発売直前、本の出版に関わる者のひとりが知り合いから聞きました」

「知っていて黙っていた件については不問にしましょう。いまのお前の顔は、拾ってきた子犬を公爵邸うちの庭でコッソリ飼っていたのがバレてしまったときの顔だわ」


 自分の黒歴史を一から十まで知り尽くしている親戚にたてつくほどの無謀はない。

 ロークはそうそうに白旗をあげた。


「出版を取りやめさせることができない以上、沈黙して騒ぎがおさまるのを待つべきと思いました」

「お前のその判断に間違いはないでしょう、騒ぐほど周囲は喜ぶものですからね。取るに足らないと判断してルシールに知らせなかったルシールの友人たちも同じ意見かと」




 食事を終えて寝支度を整えたルシールは、夫婦の寝室にあるソファで例の本を読んだ。

 薄くて字の大きな本なので簡単に読み終わる。


 ふうっとため息を吐いて顔をあげると、ロークと目があった。

 反応が気になって、自分の読書はできていなかったようだ。


「出版を差し止めることもできる」

「ありがとうございます、でも王太子殿下の事業に手を出すのはよくありません。それに本の話ですし、悪役のモデルになること自体も初めてではありませんし」


 このきつめの顔立ちと表情のなさ、そして冷たい色合いは悪役になりやすいらしい。


「え、そうなのか?」

「『氷の魔竜レクザムと魔女』はご存知ですか?」


「ああ、俺の好きだった絵本だ。ああ、それじゃああの魔女のモデルがルシールなのか」


 ロークにジッと見られて、少しだけそわっとする。


「レクザムが惹かれずにはいられない美貌の魔女、うん、なるほど」


 惹かれずにはいられない。

 物語の話なのに、目元が熱くなるのを止められない。


 自分を見るロークの目も少しだけ熱く感じて視線を外す。


「お茶の準備をしますね」

「ありがとう、もう少し仕事をしても構わないかな?」


 少し前からロークは次期ソニック公爵としての仕事を夫婦の寝室でするようになった。

 公爵家のことだから自分だけではなくルシールの意見も聞きたいというロークの言葉がとても嬉しかった。


「おばあ様からのお土産の焼き菓子があります。せっかくのお土産ですし、少し召し上がりませんか?」

「そうだな、折角だからもらうよ」


 理由をつけて甘いものをすすめるが、ロークは甘いものが好きだ。


 好きだが隠している。

 「甘いものが好きな男性は子どものようでかっこうが悪い」という風潮があるからだ。


 貴族の男性は紅茶ではなくコーヒーを嗜むのも、そう言った理由である。


「どうですか?」

「かなり甘いな、君好みの甘さだ。おばあ様は君が可愛くて堪らないのだな」


 そう言われて嬉しくなる。

 ソニック公爵家の一員といて認めてもらえたことと、ロークも嬉しそうに顔を緩めているから。


 これは甘いものを食べているからか。

 それとも自分を褒められたことをロークも喜んでくれているのか。


(意外と笑う方よね)


 ロークの穏やかな表情は学院時代には見たことがない。

 セラフィーナに似た美しい顔立ちと相まって『クールビューティー』と学院の女生徒たちに人気があった。


 そんなロークが、少年のように笑うのを見たときルシールは驚いた。

 「まるで人間みたい」と思って、


(人間みたいなんて、人間なんだからそりゃそうですわよね)


 面白い思い違いをしていたと思いながら、男爵令嬢はこんなロークを知っているのかと思った。

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