傷モノ令嬢、暇が上手につぶせない
「結婚してもう三ヶ月になるのね」
時がたつのは早い。
気づけば季節がひとつ進んでいた。
「若奥様は毎日忙しくしていらっしゃいましたから」
紅茶をいれてくれた侍女の言葉にルシールは悩んで手元に視線をおとす。
のんびりお茶を飲みながら読書する今の姿は全く忙しそうではない。
「若奥様の手際がよろしいから、仕事がたまるのを待たなければね、と奥様も大奥様も今日はのんびりお過ごしですよ」
その二人は「うちの嫁は優秀ね」と高笑いしながらお茶を楽しんでいる。
このあとはそれぞれお茶会で嫁、孫の嫁自慢をしてくるらしい。
ルシールには『暇つぶし』の概念がない。
物心ついたときからフレデリックの妃となるための教育三昧だったため、婚約が白紙になってようやく自由な時間をもったほどだった。
侍女たちはルシールが刺繍を趣味にしていると思っているが、刺繍は淑女の嗜みなのでルシールにとっては趣味というより仕事に近い。
好きなことをして過ごす。
一番最初に思いついたのは『本を読もう』、ロークの読書する姿を思い出したからだった。
ロークはよく読書をしている。
楽しそうに口角を緩めて本を読むその姿は、普段は怜悧な美貌が崩れて一気に親しみが増す。
どんな本を読んでいるのか。
背表紙を見ると冒険譚で、ルシール自身の読書といえば周辺各国の歴史や経済、伝統工芸品の成り立ちなど外交関連の書籍が多かったから意外だった。
それが表情に出てしまっていたのか。
視線に気づいたロークが「ルシールも読むかい?」と言ったので、ほぼ反射的にうなずいた。
もう少しで読み終わるので。
その言葉通り、三日くらいあとにルシールはその本を渡された。
いままで情操教育のために読んだ本とは違う、ドキドキやワクワクが止まらない冒険譚。
テンポのよさに誘われて、うっかり徹夜して読破してしまった。
徹夜で疲れた顔を『つまらなかった』と誤解される一幕もあったが、「徹夜するほど面白かったなら」とロークは同じ作家の別の本を貸してくれた。
「今度は徹夜はしないでくださいね」とロークは珍しく声をあげて笑っていた。
ロークが声を出して笑うのは珍しいのだろう。
ルシールがロークから勧められた本を読んだという話を聞いた義母セラフィーナが、負けじと自分の好きな本をルシールにすすめた。
ルシールの負担になるのではとロークは懸念したが、杞憂だった。
ルシールの読書スピードは速く、セラフィーナのおすすめをあっという間に読み終えるルシールの姿に公爵家の使用人たちも「これも」とすすめるようになった。
結果、ルシールの部屋にはたくさんの「おすすめ本」が積み重なったが、ルシールはロークのおすすめをいつもこっそり一番上に置いていた。
侍女たちはそんなルシールの無意識の行動に気づいて、気づかない振りをしている。
***
「どうかしら」
改装された書斎をセラフィーナに見せられたルシールは唖然とした。
きっかけは些細なこと。
おススメの本がどんどん上に積み重なって危ないから、飾り棚の一部を書棚にしたいとセラフィーナに申し出たことだった。
そんな自室のプチリフォームが、ルシールの書斎の大改装になった。
まず、壁をとって隣の部屋を繋げたため、ルシールの書斎は以前の約二倍の広さになった。
多くの書棚がいくつも入り、そこは図書室のようになったが、
「なぜ、ここにベッドが?」
書棚と書棚の影。
のぞき込まないと分からないような造りになっているが、そこにはベッドとドレッサーなど自室をコンパクトにしたようなスペースになっていた。
「ここから鍵がかかるし、ロークとケンカしたら籠城できるでしょ?」
「部屋も鍵はかかりますが?」
「あれは内扉で夫婦の寝室とつながっているじゃない。あの扉って昔の当主の意向で鍵がかからない扉じゃない。ああ、ついでにあの扉も鍵がかかるようにしておきましょうか?」
「そこまでは、やりすぎだろう」
「はい、あの扉はいまのままで」
鍵を開けておくと言うことはそういう意味となる。
それの方がかえって恥ずかしいと思ったルシールは、一緒に書斎を見学しているウィリアムの言葉にのっかる。
「まあ、ロークはそんなに押しが強いほうじゃないから大丈夫かしら。でも、イヤなときはきちんと拒絶しなきゃだめよ?」
ルシールの想像以上にロークは夫婦として夜を過ごすことに前向きだが、落ち着いた物腰にたがわずルシールの気分や体調を慮ってくれる。
「大丈夫です、そんな方ではありませんから」
男の意地とやせ我慢だな。
義両親の呟きは小さすぎてルシールには聞こえなかった。
(嫁いだ先でお姑様と仲良くできずに困るという話もよく聞きますが、私は幸せですわね)
最近、兄の結婚のために実家に帰ることが増え、親族の女性の世間話に付き合わされている。
世間話といっても七割は嫁いだ先の愚痴、愚痴の九割九分九厘が姑への文句だ。
年長者の愚痴を聞くのは若者の義務。
また三日後に聞くことになると思うとルシールはため息を吐きたくなる。
「ルシールはいまどんな本を読んでいるのだ?」
ウィリアムの答えにルシールはふとロークと最近あまり会えていないことを思い出す。
(もう少しすれば仕事が忙しくなくなると聞いていましたのに)
今日もウィリアムはいるのに補佐役のロークは出仕している。
どんな仕事なのだろうとルシールはふと気になり、思い浮かんだティファニーの姿を頭を振って消す。
「恋物語が多いですわ。最近読んだのでは、夫に邪険にされて使用人にもバカにされる妻が一念発起して復讐する話です」
「えっと……その前に読んでいたのは?」
「結婚した夫が愛人を家に招き入れ、同居を嫌がった妻を屋根裏で生活させた話ですわね」
「その話でも、妻が一念発起して復讐するのかな?」
「はい、この屋根裏に追いやられた妻の復讐劇は痛快でした。似た話で妻が別棟に追いやられた話もありましたが復讐の仕方が少々ぬるいというか」
聞いてはいけないことを聞いた気がする。
『そういえば』とウィリアムは話を変えることにした。
「来月、領地にいる私の母がこっちに遊びにきたいといっているのだがいいかな」
「ええ、全く構いませんわ」
ソニック公爵家は主家一強なので親戚付き合いもカールトン侯爵家に比べて比較的穏やか。
フレデリックの婚約者としての丁々発止のやり取りに比べれば春の草原を散歩しているようなソニック家の親戚づきあいだった。
(命もとられませんしね)
王家は家族ですら命の取り合い。
妃とその子どもたちが同席する茶会は始まりから終わりまでギスギスとしていた。
特に、正妃とフレデリックの生母のソリア妃はとても仲が悪い。
自作自演を含めてシーズンごとに一回くらいの頻度で暗殺騒ぎが起きている。
(命、といえばおばあ様ですよね)
ルシールもロークの祖母、先代のソニック公爵夫人に会うときは緊張した。
夫の亡きあと領地で暮らす老婦人だが、社交界での影響力はいまだ高い。
結婚する気がないロークに自刃騒ぎを起こして結婚を承知させた人。
ソニック公爵家に誇りをもつ夫人のため、傷モノ令嬢といわれる自分では公爵家に相応しくないと冷遇されるかもしれない。
(杞憂でしたけど)
「あら、そんなに楽しそうな顔をして。どうしたの、ルシール」
「初めておばあ様にお会いするとき、ローク様が『気難しい偏屈婆』と仰ったことを思い出しまして」
「偏屈とは、あいつめ」
そういうウィリアムの目には息子であるロークへの愛情があった。
偏屈婆と言われる彼女もロークをとても愛している。
そして一度うちに入れた者には深く愛情を注ぐ彼女は、自分の目でルシールをソニック公爵家の嫁に相応しいと見定めたあとはロークと同じくらいの愛情を注いでくれている。
「ローク様があのような乱暴な言葉遣いをするとは思いませんでしたわ」
「ソニック公子としての品格を保つように厳しく教育したけれど、やっぱり家の中や身内に対してはね」
「あのようなローク様も素敵だと思いますわ。侍女に聞きましたが、ああいうのを『ギャップ萌え』というらしいですわ」
「あら、まあ」
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