第3話 王位継承神器

 アクアフリーズ国は前述のように、立憲君主の国であり、国家元首は大統領だった。

 大統領の権力は、他の国の大統領よりもかなり広めにあったが、それは憲法によるもので、国民の自由を脅かすような法令を作ることは禁止されていた。

 何よりも、

「権力はあるが、権威はない」

 と言われる通り、王国のように君主としての権威はさほどなかった。

 だが、初代の大統領は、そのことに満足していなかった。同じ立憲君主の国として生まれ変わったアレキサンダー国を手本としていたが、

「あの国の大統領も私と同じくらいの権威しかないはずなのに、よく満足できているな」

 と感じていた。

 実際にアレキサンダー国と同盟を結び、首脳会談を何度も重ねてきたが、相手国の大統領が何を考えているのか分からなかった。お互いにプライベートで会うこともあるくらいの蜜月状態になったこともあったが、その時も大統領の真意がどこにあるのか分かりかねていた。

「大統領も権力のわりに、権威という面でそれほど強くないことに不満のようなものはないんですか?」

 と訊ねたことがあったが、

「私にはありません。元々私は大統領なんて器ではないんですよ。国が体制を整えるまでのつなぎの大統領だということを自覚していますからね」

 と言われた。

「元々は何をされていたんですか?」

 と聞くと、

「私は軍の中の司令官クラスでした。軍一筋でやってきて、まさか大統領になるなんて思ってもみませんでした」

 アレキサンダー国の初代大統領は、選挙で選ばれたものではない。クーデター後の混乱に乗じて、革命政府側が作った臨時政府の代表に担ぎ上げられたのが今の大統領である。いわゆる、

「臨時政府の臨時大統領」

 と言ったところであろうか?

 それを笑って言える彼をアクアフリーズ国の大統領は訝しく思ったが、自分にないものを持っていると感じることで尊敬もしていた。

「大丈夫ですか?」

 彼から見ると、アクアフリーズ国の大統領は不安に満ちているように見えたようだ。

「大丈夫です。私は選挙で選ばれたんですが、どうしても臨時大統領という意識しかないんですよ」

「それはネガティブに考えすぎですよ。少なくとも選挙ということは国民の民意ですからね」

 と言われて、

「でも、それって民主国家がいうところの多数決ということですよね? 私はそもそも民主国家を信じることができず、多数決なるものは大嫌いなんですよ」

「なるほど、その思いがジレンマとなって、そんな無用な心配をしてしまうんですね?」

「ええ、そうかも知れません」

「それでは、せっかく大統領という立場と権力があるんですから、それをフルに使って、不安を取り除けばいいんじゃないですか? 我々で協力できることは、協力いたしますよ」

「そうですか? それはありがたい」

 同じ大統領という立場、国内には一人しかいないので、同じ立場に立って相談できる人は誰もいない。そういう意味で他国ではありながら同じ大統領という立場の人から協力すると言われただけで、それまでのジレンマや不安が払しょくされそうな気がした。

 そんな中で、ここでいちいち著すだけの意味もないほどの他愛のない会話がお互いに続いた。しばらくすると、相手の大統領が政治的な話を始めた。

「ところで、アクアフリーズ国にとっての目の上のたんこぶであるチャーリア国を、大統領はどう思っておられますか?」

 と聞かれた。

「どう思ってると言っても、元々の君主が亡命して建国した国ですよね。主義も違うので、あまり意識していなかったんですが」

 というと、

「主義が違うのは仕方がないでしょうね。何しろ相手は元々絶対君主の国の国王なんですからね。でも、近い将来、アクアフリーズ国にとって脅威となる可能性ってないんでしょうかね?」

「何が言いたいんですか?」

 と聞くと、

「我々は、チャーリア国に近く侵攻しようと考えています。たぶん、まもなく私たちの国から正式にアクアフリーズ国に対して軍事同盟としての条約締結の話が出てくると思います。まだまだ荒削りな状態なんですが、協議を重ねるうちに添削されて、精鋭と言える条約ができると私は信じています」

「それを今私に言っていいんですか?」

「ええ、私は大統領を信用していますからね。同盟国の大統領として、そして同じ立場の人間としてですね」

 と言われて、アクアフリーズ国の大統領は感無量になっていた。

 涙が流れるのではないかと思うほどに感動していたが、それは最近までの自分への不安がウソのように思える瞬間で、しかも大統領から、

「この戦争でアクアフリーズ国が参戦していただけるなら、大統領の権威はぐっと増えるんじゃないですか? ここで軍部や政府をしっかり掌握した形でその力を国民に見せつけることで、大統領はこの戦争を行う意義がそれだけでもあるというものですよ」

 と言った。

「でも、それだけでは私の自己満足にしかならないような気がするんですよ」

「では、もう一つの大義名分があれば、戦争を行う意義は十分にあると思いますが?」

 と、耳元で囁いた。

 それは、ここからが本番であるということを示しているもので、人に聞かれてはいけないことのようだった。アクアフリーズ国の大統領は喉を鳴らして、緊張しながら、聞き耳を立てた。

 相手の大統領は続ける。

「アクアフリーズ国に、王位継承神器というものが存在するのをご存じですか?」

「ええ、知っています。でもそれは国王が王位継承の時に使うもので、大統領である私がそれを持っていてもしょうがないでしょう?」

「そうでしょうか? その神器を取り返すのは、元々あった場所に戻してあげるという意味で、十分に戦争の大義名分としては成り立つものではないでしょうか? しかも、神器を取り戻せば、あなたの権威を国民に示すことができます。権力と同時に権威も手に入れる絶好のチャンスではないですか? 大義名分と権威の回復、この二つがアクアフリーズ国の戦争を行う意義なんです」

 それを聞いた大統領は、少し考えていたが、意を決したかのように頷いた。

「そうそう、そのお顔です。その決意の表情が国民に対しての権威になるんですよ。私もいつも決意を心掛けています。それが大統領としての権勢というものですよ」

「なんとなく分かる気がします。権勢というのは目に見えるものではないので、権勢が表に出てきたものが権威になるという考えですね?」

「その通りです。私は、今のあなたのその表情が本当のあなただと思っています。その丘になるのを、私は待っていました」

 キラキラした目で見つめられると、大統領は歓喜に満ちた表情に変わった。

「分かりました。私は今一度大統領として、国民にその権威を示すことで、私も国家も先に進めるのだと思います。教えてくれてありがとうございます」

 大統領は完全に相手国の大統領を崇拝しているようだった。

――ふふふ、うまく行った――

 と、相手国の大統領はほくそ笑んでいた。

 元々、大統領がプライベートで同盟国とはいえ、他の国の国家元首と会うということはタブーだったはずだ。そんなことも知らないアクアフリーズ国の大統領は、権力だけはあるが、権威に関しては、その片鱗すら見ることのできない人だった。

 確かに自国民からすれば、一番安心できる大統領だったが、彼を選んだ理由のほとんどは、

「他に誰もいなかったから」

 という理由が六十パーセントを超えていた。

 しかも投票率は最低クラスで、これでは組織票が存在しても、誰も不思議には思わない。彼を大統領にするということは軍としても政府としても、共通の意見であった。その最大の理由は、

「利用しやすい」

 というもので、軍や政府からすれば、評価は最低だったのだ。

 そういう意味では、アレキサンダー国の臨時大統領よりもたちが悪い。自覚がまったくないからだ。

 他国の大統領でも、彼を見ているだけで、

――こいつは、傀儡君主だ――

 と思えてくるくらいだった。

――友達にはなれるかも知れないな――

 と感じたこともあって、彼を利用するのは気が引けるようだった。

 それでもアレキサンダー国の決定として、

「アクアフリーズ国を先鋒としてチャーリア国に侵攻させること」

 というのが、チャーリア国に侵攻するための大前提だった。

 アクアフリーズ国に侵攻させて、あとから侵攻する。その名分として、

「同盟国との協約に基づいての宣戦布告」

 ということにすれば、アレキサンダー国の対面も保たれるというものだ。

 だが、現在のアクアフリーズ国の軍と、チャーリア国の軍とを比較すれば、いくら奇襲であったとしても、緒戦はそれなりの戦果を得られるだろうが、すぐに形勢は逆転するだろう。それだけチャーリア国の軍は急速に整備されている。

 そうなってくると、アクアフリーズ国にとって難しいのは、

「侵攻のタイミング」

 であった。

 アクアフリーズ国が侵攻してすぐに侵攻すれば、こちらの被害も甚大になるに違いない。確かに緒戦はアクアフリーズ軍が優勢であろうが、あくまでも相手は我が国に対しての侵攻には備えているのだ。簡単には侵攻を許すはずがない。

 そうなると、せっかくアクアフリーズ国を侵攻させる意味がない。挟撃して、相手を殲滅できるのであれば、それが一番いいのだが、さすがにそこまではない。そもそもアレキサンダー国としては、相手の軍を殲滅させる必要などない。相手国に混乱を招いて、内乱でも起こってくれれば、こちらが深入りすることもなく、勝手に滅んでくれると思っているからだ。

 まずアクアフリーズ国に、神器奪還という大義名分のもとに侵攻してもらい、ある程度消耗したところで侵攻するのが一番だと思われた。

「いくらクーデターでできた政権とはいえ、元々神器によっての権威の継承だったのだから、国民が納得しないかも知れません。それに国民が神器というものを国の象徴であり、宝のように思っているとすれば、奪還は国家を挙げての義務になるんじゃないでしょうか? まずは国民を納得させるにはどうしたらいいかをお考えになる必要があると存じますが」

 と、アレキサンダー国の大統領が囁いた。

「それが戦争をする大義名分」

「ええ、我々もあなたがたに全面的に協力いたします。最後には笑ってあなたが神器を持って自国に凱旋している姿が目に見えてきそうです」

 そう言って目を瞑った相手を見ていると、自分も目を瞑って瞑想に耽ってしまいそうになっていた。

「これで、もう迷うことはありませんよね?」

 と言われて、

「大丈夫です」

 と胸を張った姿は、相手から見ると、さぞや滑稽に見えただろう。

――こんなにも簡単にプロパガンダが成功するなんて。国家元首同志のプライベートな話というのは、結構有効なのかも知れないな――

 と感じていた。

 アクアフリーズ国の大統領は、あやかしの自信を胸に抱いて帰国した。そこに待っていたのは、御前会議であり、それはすでに分かっていたことだけに驚きはしなかったが、本当であれば、

「何の会議なんだ?」

 と会議の意味が分からなかったことだろう。

 御前会議というのはそもそもそういうもので、すでに閣議決定していることを君主に事後報告することがほとんどで、その時の元首は発言しないというのが憲法で禁じられているわけではないが、慣例になっていた。

 この御前会議が戦争への最終決定になったようで、何事もなくすぐに終わった御前会議の次の日から、国は完全に臨戦態勢に入っていた。戦時体制と言ってもいいだろう。

 新生アクアフリーズ国にとっての初めての戦争。今までは国王のためだったが、今度は誰のために戦えばいいのか、軍は混乱していた。

 しかし、大統領のテレビ演説で、神器を取り戻すという大義名分が語られた時、国民は納得した。それだけ国民には神器の大切さが分かっていたようだ。

 大統領の裏の考えを国民の中で分かっている人がいただろうか? 官僚の中には分かっている人もいただろうが、何しろ君主制の国で主権は大統領にある。官僚の罷免は大統領の権限でもできたのだ。

 それを思うとおおっぴらに逆らう人はいなかった。しかし、今大統領がやろうとしていることが本当にアクアフリーズ国にとっていいことなのか疑問であった。少し考えれば、この戦争がアレキサンダー国の言いなりになっている姿を思い浮かべてしまうだろう。どうしてアレキサンダー国に味方をしなければいけないのか、疑問だった。

 確かに同じ立憲君主の国ではあるが、国家の体制は違っていた。アレキサンダー国は積極的にまわりの国に働きかけ、外交活動でうまくいかない場合は戦争を仕掛けるような危険な国ではあった。そういう意味ではWPCから目をつけられてもいた。それに比べてアクアフリーズ国は、クーデターこそ成功し、立憲君主の国に生まれ変わったが、現在は内政を固める段階で、他国とのかかわりに力を注ぐ時期ではなかった。同盟国はアレキサンダー国だけで、条約を結んでいる国も数少なかった。そんなアクアフリーズ国としては、国防という意味で、アレキサンダー国にすがるしかないのも事実だった。

 アクアフリーズ国との同盟にしても、閣議ではかなり論議が紛糾した。軍部はアレキサンダー国を推していたが、政府はアレキサンダー国と同盟を結ぶことは、諸外国の反感を買うとして反対だった。

 政府としては、少しでも外交交渉に訴えたかったが、軍部はそんな回りくどいやり方では国内もまとまっていないのに国防体制に時間をかけているようでは先に進まないとして早期のアレキサンダー国との同盟を望んだ。

 閣議ではハッキリと決定したわけではないことを御前会議に持っていき、裁断を仰ぐということはそれまでにはなかったが、アレキサンダー国との同盟の時、初めて閣議決定していないままの御前会議となった。

 御前会議の日程は最初から決まっている。いわゆる憲法にも明文化されていて、閣議で四十日間の猶予を持って話し合われ、もしそれまでに決まれば、閣議を閉幕して、四十日後を待つというものだった。ほとんどの案件は二十日くらいまでに決定していたが、この時だけは四十日が経過しても、決定する気配もなかった。

「これじゃあ、いくらやっても決まるわけはない」

 ということで、憲法にのっとって、御前会議となった。

「陛下。申し訳ありません。閣議では意見が堂々巡りを繰り返してしまい、決定することができませんでした。どうか、ご裁可のほど、よろしくお願いいたします」

 この国では対面的には大統領と呼んでいるが、御前会議では元首のことを陛下と呼ぶ。これは別にどこにも明文化されているわけではないが、慣習としてそういうことになったのだ。

「分かりました。私も閣議で紛糾していたのは知っていましたので、私なりに考えていました。私の考えを述べます」

 本来であれば、御前会議では元首の発言は禁止なのだが、特例として裁可を仰ぐ案件の場合はその限りではない。まさにこの時が立憲君主になって初めての事例となった。

「どうぞ、よろしくお願いいたします」

「私の考えとしては、アレキサンダー国との同盟を望みます。理由としては、我が国の内政がまとまっていないにも関わらず、この状態で他国から侵攻されれば、防ぎようがないからです」

 それを聞いて、軍部は少し複雑な気分になった。

 元々、アレキサンダー国との同盟を望んでいた軍部だったが、それは彼らと同盟を結ぶことで彼らが有している新兵器や戦術を学ぶことができると考えていたからだ。アレキサンダー国の特徴はクーデターを成功させた事例もあるが、電光石火作戦ともいうべき、綿密に練った計画を、一糸乱れぬ軍勢を用いて、相手に反撃の暇を与えることもなく殲滅してしまうという圧倒的な強さにあった。

 それでいて、新兵器も豊富で、世界有数の兵器を有しているとも言われていることからか、

「アレキサンダー国を敵に回すと厄介だ」

 と言われるようになっていた。

 そんなアレキサンダー国と同盟を結ぶことで、相互演習の機会や戦術のノウハウを得ることができると考えていた。

 だが、大統領の話を聞く限り、そんな発想ではない。あくまでも国内を纏めるための時間稼ぎにアレキサンダー国の軍事力を利用しようとしか考えていなかったからだ。

――これでは、同盟の意味がない――

 と考えた。

 さらに軍部の幕僚としては。このままアレキサンダー国と同盟を結んだ場合、相手の言いなりになってしまい、アレキサンダー国のように血気盛んな国の手先になって、言われのない戦争に巻き込まれないとも限らないと考えたのだ。

 アレキサンダー国は諜報活動も活発なことは分かっていたので、アクアフリーズ国の内情は分かっていることだろう。こちらの手の内など、丸裸にされているに違いない。このまま同盟を簡単に結んでしまうと、相手の思うつぼ。いわゆる飛んで火にいる夏の虫状態になってしまうことだろう。

 だが、大統領の裁可は降りてしまった。嫌な予感はしていたが、まだ軍部には大統領の真の意味が分かっていなかったようだ。

 この時から、大統領は戦争を欲していた。特に相手がチャーリア国であれば、これに越したことはない。ただ、今の状態で単独侵攻などありえない。そう思うと、アクアフリーズ国との同盟は、大統領にとっては渡りに船だったのだ。

 しかも、大統領には大義名分があった。それが、

「神器の奪還」

 だったのだ。

 王位継承の神器は、立憲君主であっても、その権威は絶対だった。立憲君主では大統領就任には神器を必要としない。だから初代大統領を選挙で選ぶことができたのだが、そこに神器が加われば、鬼に金棒だったはずだ。

 国民の間にも神器は浸透していた。

「国の宝」

 という意識が皆にあった。

 その神器を亡命したチャールズとシュルツが持って行ったということは、アクアフリーズの国民を激怒させた。

「チャーリア国は敵だ」

 という意識が国民に芽生えたのだ。

 シュルツもそのことは百も承知だった。

「神器を持ってきて、本当によかったんだろうか?」

 と、心配をしているのはむしろチャールズの方だった。

「何を言っているんですか。あの神器は代々の国王が継承されてきたものです。いくら亡命しているとはいえ、チャールズ様が王家であることには変わりがありません。だから胸を張ってもいいんですよ」

 と言われて、チャールズもその気になった。

 亡命を始めてから、ネガティブにしか考えられなり、鬱状態に陥りかけていたチャールズにその言葉は何よりの励ましだった。余計にポジティブになれそうな気がしていたのは、陥りかけていた鬱状態が浅いことを示していた。

「今でこそ国王ではなく、大統領という地位にありますが、アクアフリーズ国の大統領とはまったく違った権威を持っていると言ってもいい。その象徴が王位継承の神器なんですよ」

 と言って、チャールズを元気づけた。

「これを取り返しにアクアフリーズ国が侵攻してこないかい?」

 とチャールズが心配すると、

「大丈夫です。あの国の軍事は私が掌握しています。我々が抜けた後の軍部はさほど脅威ではありません。向こうもまさか私を相手に牙をむいてくることはないでしょう。だから安心していただいて結構ですよ」

 まったく侵攻が頭の中になかったわけではないが、そうやって慰めていると、本当に侵攻はないと思えてきた。それが次第に油断となって、アクアフリーズ国への監視がおろそかになっていたのだろう。

 そんな思いは敏感に部下には伝わるもので、軍部の首脳も、

「アクアフリーズ国の単独侵攻はない。まずはアレキサンダー国が侵攻してきて、その後方支援にアクアフリーズ国がいるという形であろう」

 と考えていた。

「アクアフリーズ国が単独で侵攻してきても、撃退されることはアレキサンダー国もアクアフリーズ国自身も分かっていることだろう。まずはアレキサンダー国の情報をなるべくたくさん集めることが大切だ」

 と、諜報部員を数多く、アレキサンダー国へと侵入させていた。

 だが、次第に諜報部員の情報が、信憑性に欠けてきた。なぜなら、情報が錯綜していて、一貫性がなかったからだ。

「一か月以内に、我が国に侵攻する準備ができている」

 という情報もあれば、

「まだまだ兵器調達に不十分で、数か月は侵攻計画を立てられない状況にある」

 という情報もあった。

 ただ、侵攻予定であるということに変わりはなく、臨戦態勢を崩すわけにもいかなかったが、そのために、緊張感を持ち続けなければならず、最後には神経が消耗してしまっているのではないかと思わせた。

 そんな状態の中、ノーマークであったアクアフリーズ国が水面下で侵攻計画を進めていた。一度、警戒の目を緩めれば、再度引き締めなおすのは至難の業である。

「推理小説などで、凶器を隠す場合、一度警察が捜査したところに入れるのが一番の隠し場所だ」

 というのと同じ理論である。

 この思いはシュルツには昔からあった。綿密な計画を立てたり、カリスマ性に長けているシュルツだったが、油断という意味では時々起こしてしまうことを自覚していないことが彼の最大の弱点だったのだ。

 シュルツは、アクアフリーズ国の大統領の気持ちは分かるつもりでいた。

――彼は今不安に喘いでいるのではないか。なぜなら自分が大統領に選出されたのだが、中途半端な君主であり、主権を持ってはいるが、どこまで行使すればいいのかが分かっていない。下手をすれば自分がクーデターに遭うかも知れないと危惧しているに違いない――

 と考えていた。

 そこに神器が関わっているとは、なぜか考えなかった。あくまでも神器はチャールズのものであり、体制が変わって立憲君主の国になったのだから、もう神器の有無は関係ないと思っていたのだ。

 ただ、シュルツは国民感情を甘く見ていた。クーデターが成功したことを国民は歓迎ムードだったことで、王家に対して恨みを抱いていたと感じていたのだ。それだけにまさか神器を国家の宝のように国民自体が思っていたなど、想像もしていなかった。国民感情としては、クーデターで新しい体制になったことを嫌ってはいないが、王家も嫌いではなかったということだ。そのあたりの勘違いが、シュルツを母国への軽視する目を持たせるにいたったのかも知れない。

 アクアフリーズ国の大統領は、不安だった。国民が神器を気にしていているということは、かつての国王のことを嫌っているわけではないと感じたからだ。

 クーデターが成功したのであれば、クーデターで追い出した相手を憎んでいなければ、クーデターを起こした方は成功だったとは言えないだろう。体制が立憲君主に変わったことを国民は受け入れてくれたが、決して全面的に今の政府や軍部を信任しているというわけではないからだ。

「起死回生の何かがなければ」

 と感じたのが、アレキサンダー国との間の同盟によって生じる、

「チャーリア国への先制攻撃」

 だったのだ。

 大統領の中には、チャーリア国の滅亡を望んでいるわけではない。とりあえずわが同盟軍相手に負けてもらって、神器を受け渡してもらう。そして、こちらに有利な講和を結ぶことができれば、それが最高の結末だった。

 だが、アレキサンダー国はそんなに甘くはない。

「チャーリア国の滅亡」

 を目論んでいた。

 元々、最近できた新興国ではないか。それはアレキサンダー国も同じなのだが、同じ時代に二つの新興国はいらない。一つでなければ十分歴史に名を残すことはできないと考えたアレキサンダー国は、チャーリア国の滅亡を切に望んだのだ。

 ここでアクアフリーズ国とアレキサンダー国の間での温度差が生じていた。

 そもそも戦争を仕掛ける意図はあって、その意味では利害が一致していたが、それ以外のところではまったく主旨が違っていた。そのことを両国で理解していなかったことが、戦争が始まってからの両国への影響があらわになった。

 アクアフリーズ国は、いよいよ戦闘準備を整え、侵攻前夜という時期に差し掛かっていた。

 シュルツはそれでも、アクアフリーズ国を意識していない。甘く見ていたと言われればそれまでだが、アクアフリーズ国も、まさかシュルツがそこまで自分たちを意識していなかったなどとは思ってもいなかった。最初の作戦は手さぐり状態のもので、先制攻撃するのであれば電光石火が必至なのに、手さぐりの状態での先制攻撃、相手が油断していた分大きな失敗とはならなかったが、お互いに痛み分けというところであろうか。

 被害はチャーリア国の方が圧倒的に多かった。そういう意味では先制攻撃は成功したのだろうが、その後で出ていくアレキサンダー国には戸惑いを生じさせた。それがそのまま混乱となり、しかも、まわりはチャーリア国に囲まれる形になっていた。迂闊に出ていってしまっては、蜘蛛の巣に引っかかってしまう。まずはそれを取り除くために、さらにまわりをアクアフリーズ国に攻撃させて、内と外から挟撃しようと考えた。

 ただこれは最初から決まっていた作戦ではなく、たまたまできた作戦だった。急ごしらえの作戦だったこともあって、その効果は抜群に得られたというわけにはいかなかった。アレキサンダー国側の被害も甚大だったからだ。

 ただ、チャーリア国が専守防衛の国で助かった。まわりを固めたアクアフリーズ軍をさらにまわりから攻められて、アクアフリーズ軍を孤立させることも十分に考えられる場面だったからだ。

 だから、アレキサンダー国側の被害も甚大だったのだ。

 完全な消耗戦となったことで、シュルツは例の新兵器を使用しようか、考えていた。ニコライにまずは相談するべきだと思い、ニコライの研究室を訪れた。

「現在の戦況としては、こう着状態と見ていいんでしょうか?」

 とニコライが訊ねる。

「そうだな。こう着状態になってしまったことで、それぞれ引くに引くことができず、被害だけが膨れ上がっている。こちらも苦しいが、相手も苦しいと思うんだ」

「この機会に和解を申し入れるというのはいかがなんですか?」

「お互いに決めてがない以上、先に講和を持ちかけた方が不利だ。足元を見られる可能性がある」

「それでもこれ以上の被害が出ないと思えば、それも致し方ないのでは?」

「講和を持ちかけるには、遅すぎる。ここまでこう着してしまうと、与論も納得しないだろうし、これだけの被害を出して、それに似合う戦果を得られないと、戦争をした意味がないんだ」

「それは分かりますが。それではどうするおつもりなんですか?」

「例の新兵器を使ってみようかと思うんだが、どうだろう?」

 とシュルツが持ちかけると、ニコライは少し考えていたが、

「それは無理だと思います」

 と、アッサリシュルツの意見を蹴った。

「あの兵器は、少なくともこちらが優勢に立っていないと効果がないんです。相手を追い詰めるための兵器ですので、こちらが劣勢であったり、こう着状態で使うことはタブーだと思っています」

「どうしてなんだい?」

「こちらが優勢な時に使えば、相手に精神的なダメージを与えることができると同時に、相手はその兵器が使われた事実を隠そうとするでしょう」

「どうしてそう思うんだい?」

「相手とすれば、最後に追い詰められた事実をなるべく他国には知られたくないものです。しかもそれが見たこともない新兵器であれば当然のこと。だけど逆に起死回生を狙ったものであれば、相手はこの事実を公表し、世間の声に訴えようとするに違いない。そのために兵器の効力を調べあげ、放射性のあることに気付くと、これ幸いにと、国際社会に訴えることでしょう。何といっても核兵器であることには変わりはないんです。それが分かると世間の我が国を見る目は極寒になることでしょう。そうなると、戦争どころではありません。経済制裁を受けたりして、国家としての存続すら怪しくなってしまうかも知れません」

「じゃあ、あの兵器は最後の一手でなければいけないということなのか?」

「そういうことになります。だから使用するにはタイミングが問題なんです」

「なるほど、よく分かった」

「しかも、相手は王位継承の神器を取り戻すというスローガンを掲げている。向こうには大義名分があるんです。そんな相手にあの兵器を使用することは非常に危険だと思います」

「じゃあ、どうすればいいんだ?」

「相手は我が国が新兵器を開発しているということは知っているんですよね?」

「ああ、うちの諜報部員が相手の国の政府に入り込んでそこまでは掴んでいる。しかし、その兵器がどんなものなのか具体的には分かっていないようだ」

「だったら、相手を疑心暗鬼にさせてしまえばいかがですか? 新兵器を使うぞと思わせて、その新兵器の準備まではしておくんです。相手は臨戦態勢に入るでしょうから、ひょっとすると今のこう着状態を崩すこともできるかも知れませんよ」

「なるほど、その手があったな。君に相談してみてよかった。ありがとう」

「いいえ、シュルツ長官。でも、我が国は専守防衛の国だということを忘れないでくださいね。今世界が我が国に同情的な目を持っていてくれているのは、専守防衛があるからです。相手国のように我が国には大義名分がない。攻められたから防衛しているという大義しかありませんからね」

「分かった。だが、もし相手が我が国の領土に侵攻し、制空権もすべて掌握しそうになった時は、例の兵器を使用するかも知れない」

「それは致し方のないことだと思いますが、それも大きな掛けであることには違いありませんよ。そのあたりはしっかりとわきまえておかないといけないと思います」

「分かった。君の言う通りだと私も思う」

 シュルツは、ニコライの研究室を後にした。

 ニコライはこの時、軍に対しての発言力も持っていたが、彼の方から発言することはなかった。ニコライの発言力はシュルツが与えたもので、ニコライが望んだものではない。もっとも、

――彼なら、自分から発言するようなことはないだろうな――

 とは思っていたが、それでもこの時のように、自分から想像に行くこともあるのを見越して、相談しやすい環境を作っておく必要もあったのだ。

 ニコライもシュルツが訊ねてきたと聞いた時、

――やっと来たか――

 と感じたようだ。

 戦争がこう着状態に入ったことは分かっていたし、そのことで二進も三進もいかず、シュルツが悩んでいることも分かっていた。

 例の新兵器を使う時は、まずニコライに相談するという最初の決め事があっただけに、本当はシュルツがやってきたと言われた時、ニコライには緊張が走った。

 確かに新兵器を開発したのはニコライだった。シュルツの要望に応えるには、どうしても核兵器でなければいけなかった。しかも、史上最少の兵器で、放射能も調べなければ分からないほどの微量なもので、ただ効果は抜群であるというもの。

――よくもこんなむちゃくちゃのものをよく依頼したものだ――

 とニコライが感じれば、

――よく、こんな無茶ブリに答えてくれたものだ――

 とシュルツも感じていた。

 チャーリア国というのは、まだまだできたばかりの新興国家である。しかもクーデターから逃れた亡命国家である。世間的には劣等感で見られても仕方がないのだろうが、シュルツがいることと、専守防衛という世界に迷惑を掛けない考え方を持っていることで、国際社会の仲間入りができたと言っても過言ではないだろう。

「アレキサンダー国とは我々は違うんだ」

 というのが、スローガンだった。

 アレキサンダー国は、クーデター国家である。同じ新興国家でありながら、相手は世界的にも認められた革命を成功させた国家であった。

 やはり世界的に独立機運が高まっていた時代背景がアレキサンダー建国を後押ししたのかも知れない。そんな彼らがチャーリア国への侵攻を、王位継承神器奪還をその一つにしているというのはビックリだった。

 しかも、宣戦布告までその大義名分をひた隠しにしていた。なぜなら、アクアフリーズ国がチャーリア国に侵攻する先陣となるということをチャーリア国に悟られてはいけなかったからである。

 アクアフリーズ国は先制攻撃を加えたが、その効果は戦果としてさほどのものではなかったが、チャーリア国にとっては、精神的な打撃は大きかった。

「どうしてアクアフリーズ国が侵入してくるんだ?」

 ありえないと思っていたことが起こってしまったことで、最初からつまずいた気持ちになった政府は浮き足立ちかけていた。

 それを必死にシュルツはなだめて、なんとか戦争をこう着状態にまで持ってきたのだ。

 浮き足立った時に、まさにこの時とばかり、アレキサンダー国が侵攻してきた。浮き足立った軍は、アレキサンダー国を包囲していた完璧な陣形を崩して、アクアフリーズ国を撃退するために動いたのだ。

 これがアレキサンダー国にとっての狙いだった。

「敵に後ろを見せることがどれほど危険か、思い知らせてやる」

 動いた軍は、前からアクアフリーズ国、そして後ろからアレキサンダー国の軍から挟撃を受けた。

 浮き足立っている上に挟撃を受けたのだから、どうしようもない。総崩れになっても仕方のない状況に陥っていた。

 それでもがんばって盛り返した軍だったが、それはアクアフリーズ国があまりにも簡単に崩れたからだった。

「弱体な軍であることは分かっていたが、ここまでひ弱いとは思わなかった」

 とアレキサンダー国も予想以上に早くアクアフリーズ軍が崩れたことは計算外だっただろう。お互いに計算外が続いたことでのこう着状態に突入したのだった。

 お互いこのまま半年が経過し、精神的にも消耗してしまった双方に、WPCから休戦の勧告があるのも、無理もないことだった。

 第三国からの仲介があれば、休戦などは簡単に成立する。お互いに落としどころをわきまえたうえでの勧告だったので、双方とも異論はない。

「とりあえずの休戦だ」

 と、ここで戦闘はいったん終了した。

 これが第二次戦争だと言ってもいいだろう。


                  (  続  )

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ジャスティスへのレクイエム(第2部) 森本 晃次 @kakku

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