芙二宮精肉店 4話


「千草君、便所を借りるぞ」

「勝手に使え」

「千草君、風呂を借りるぞ」

「お好きにどうぞ」

「ああ、そうそう」

にゅっと顔を覗かせた男は、事もなげに言った。

「今月の水道代は高くなる。それは申し訳無い。」

「は?」


「……………千草君。台所を借りるぞ」




「………………………」

全部、店先から適当に答えていたのだが。その声色がどんどん変わっていき、台所に向かったであろう彼は呼吸も荒く、誰がどう聞いても異常事態を訴える声だった。けれど俺は、それに対して「はい」と言う以外の胆力を持ち合わせていなかった。当然だろう、どう考えても風呂場で「やってる」。理由は簡単だ、俺に自分の肉を食わせるためだ。どこを切ったのかとか、痛かったかとか、そういうことを聞く勇気がない。むしろ、今台所にいるであろう彼の姿を見に行くことが出来ない。理由は簡単、怖いから。

正直、朝だって昼だって心の底ではそれが常にあった。俺は数時間後には、人肉を食うのだと。本人が生きている、本人が良いと言っているとはいえ俺の意思も倫理観という意味でも駄目だと思う。けれど、「約束を違えてはいけない」という一点だけで俺は逃げずにここにいる。正直反故にしても許される気がするのだが。

「―――――――――」

朝ごはんは、美味しかった。俺の作ったおにぎりを美味そうに食う表情を見るのは、嬉しかった。よく食べると言われた時も、なんだか心がそわそわと落ち着かなかった。何よりあの人懐こい笑顔が、彼の人が化け物と言うことを忘れさせる。ただの親しみやすい年上の男に見えてしまうのだ。


だから今、俺は恐怖と空腹のせめぎ合いになっている。


くぅ。


腹の音が、鳴った。



店じまいをし、シャッターを下ろす。そうして居間に向かえば、大層良い香りが鼻腔を擽る。それに対して「良い」と思えてしまうことが、なんだか嫌だ。襖を開けてみれば、ちょうどおかずを運んでいた藤宮蘇芳と目が合った。

「やあ、お疲れ。ちょうど俺の特製夕餉が出来た所だ。存分に食い給え」

「……………………う、」

ごくり、と唾を飲む。机には夕飯が広がっている。あれは確実に、俺が今まで食べたことの無いものであり、食べてはいけないものだ。

「どうした?ここまで来て『食わない』は無いよな?青年」

「いや、あの、それはそうなんだが、あー、なんかこう思う時点で俺が一番嫌だって言うか」

「何をもごもご言っている。つまり何が言いたいんだ?」



「――――――――――うまそう、だと思って。」


俺の目の前には揚げたての竜田揚げがあった。どう見てもサクサクしていそうなその肉の上にたっぷりと大根おろしと葱が乗せられている。傍には千切りキャベツ、味噌汁は豚汁とおぼしき汁。

率直に言えば俺は、腹が減っていた。ごくりと唾を飲む。腹の虫が鳴く。ちらりと藤宮蘇芳を見れば、見えるところに欠損がある―――――わけでは無かった。

じゃあ、どこだろう。ちゃんと歩けていたみたいだから太腿の肉とかではなさそうだ。じゃあ、腹?胸?尻?それとも二の腕?いやでも、何かを持つという動作に対して違和感は無かった。じゃあ、きっと今彼の服の下は―――――どういうことになってしまっているのだろう。骨が剥き出しなのだろうか、そもそもこれは本当に、彼の肉なんだろうか。彼はほんとうに朝と昼と変わりない、人懐こい笑みを浮かべて―――――――箸を、手に取った。

「あ」

「そうだな、矢張り自分ではなかなか食べ辛かろう。なら最初の一口ぐらいは手伝ってやろうじゃないか」

そうして小さな竜田揚げをひとつ取り。


「あーん」


促した。腹は減っていた。俺は、口を開き――――――それを受け入れた。



美味しい。美味しい。美味しい。

「そりゃあ、良かった。」

美味しい。美味しい。美味しい。

「そんなに美味しいと言って貰えるのは嬉しいな。なんなら毎日食べさせてやろうか。ああいや、それは本来の目的からズレてるもんな。うん」

美味しい。美味しい。美味しい。美味しい。

「――――――――いや、本来の目的なんて無かったのかもな、俺は」

美味しい。美味しい。美味しい。美味しい。美味しい。

「―――――なあ。聞いているか?ああ、聞いていないな。良し。それで良い」

美味しい。美味しい。美味しい。美味しい。美味しい。

「不死身になったと同時に俺の肉はどうも、おかしな力を持ってしまったようでね。催眠効果と言うのかな?いや、オカルトにはあまり詳しくなかったのだがね。自分がオカルトじみた存在になってしまうとは思わなかったな」

美味しい。美味しい。美味しい。美味しい。美味しい。美味しい。美味しい。美味しい。美味しい。美味しい。

「―――――――――俺は。キミが俺の肉を食べた瞬間の顔が忘れられなくてここに来たんだ。歓喜と絶望の入り混じった目。こんなものを食べてまで生き永らえなければいけないのか?…………………そんな目だったな。」

美味しい。美味しい。美味しい。美味しい。美味しい。美味しい。美味しい。美味しい。美味しい。美味しい。

「―――――――――なあ、フジミヤ」


「おいしいかい?」


――――――――――おいしい。


「そうか、良かった。―――――なあ、君。どうせ俺は何をしたとて生き残ってしまう。皆皆俺を置いて死んでしまう。そんなものは寂しいと思わないかい?……………だから、さ。俺は誰かのなかに残りたいのだ。記憶じゃ駄目なのかって?駄目だね。絶対に年を取るし、絶対に忘れてしまう。そんな不確かなものに残るわけが無い。確かなのは、『俺を食べた』という事実だ。咀嚼され呑み込まれ消化され排泄されようが、食べたという事実だけは残り続ける。君を動かす血の一部は、俺だ。『そこ』に俺がいた事実は変わることがない」

フジミヤスオウは俺の両頬に手を当て、目を覗き込みながら滑らかに、しかしどこか必死そうに言葉を紡ぐ。ごくんと飲み込んで、俺はようやく口を開いた。


―――――――――そんなの、―――――――おかしいんじゃ、ないのか。


「おかしい?」


――――――矛盾してる、んだよ、あんた。俺の親父に、忘れればよかったって言ったり、忘れないでほしいって言ったり。


「ああ、そうか。それもそうだね。うん、俺はどうやら二律背反めいた感情があるらしい。君の父上に対して、罪なんか忘れて、生き残ったという事実だけに目をやって欲しかった。うん。その気持ちは本当だ。けれどね、同時にこうも思うのだよ」


―――――――なんだ、


「……………そんなに絶望するほど俺の記憶が刻み付けられたのは、悪い気はしないってね」


―――――――ばけもの。


「…………なんとでも言い給え。俺は、最早そういう風にしか生きられない。なあ、千草くん。不死身の人間は、化け物かい?人間かい?」


「――――――――そんなの、わからない…………」

「だろう?俺にだってわからない。だから、化け物寄りの思考に、行動に依った方が楽なんじゃないかと思っただけさ。なあ、千草くん。――――――ああ、目の焦点が合っていないね。……………ほら、もうひとつ食べ給え。」


おいしい。


「だろう。千草くん。なあ。夕方あたりにぼやいていたろう、売り上げがどうとか。―――――――あれ、解決策があるんだ。どうだい、乗ってみるかい?」


おいしい。おいしい。


「なあに、簡単なことさ。俺を―――――――――」


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