第5話 小手先だけは憐れなぐらい手軽に転がる



 ◇


「このっ、たわけものどもがっ!」

 珍しく、狐の大音声だいおんじょうが岩屋にこだました。

 狐の前にいるのは、ぶすくれた狸と唇を尖らせた青年。狐耳を苛立たしげに動かしながら、彼はふたりを凄みを携え、睨み据える。


「お前ら……己の失態を理解していてその態度か?」

 事の起こりは数時間前。死体の第一発見者として、青年が警察へ通報をしたところから始まった。


 なんとなく心配だったので、狐もキャンプ場の管理者として先に連絡を受け、かけつけたていで様子を見ていたのだが、警察が到着したのち、青年がとんでもないことを言ったのだ。


 ちょうど狐が死体を遺棄し、青年に「ここにあるからな」と確認させた場所があったのだが、昨日の雨の影響で死体がぬかるみに滑り、やや移動してしまっていた。それに気づかず青年は、死体を見つけたことになっている場所に警察を先導していったのだが、当然その場に遺体はない。そこで飛び出てきたのが――


『アッレ~? 確かにここに置いたハズなのになぁ』

 よりにもよっての言葉選びである。


「いっきにお前に疑惑の目が向けられたわ! もう少し言い様があるだろうが!」

「ボク日本語、ヨク分からないヨ~。そんな言い回しだけで犯人扱いされたら堪らないヨ~」

「推理ものによくいる、探偵へ盾突く犯人の悪あがきのような発言をするな!」

「たいてい、そういうこと言うやつ、ってるしね」

「狸、お前もそんな呑気な横やりを入れられる身分ではないからな……? 事態を悪化させたのはほかならぬお前だ」


 ひたりと剣呑なたれ目が、一応彼の前に正座している狸をねめつけた。その丸耳が一瞬、ぴくりと嬉しげに揺れたのは、情けと面倒さで見なかったことにしてやる。


 青年の大失言によって、警察が「ちょっと詳しくお話を……」モードになり、彼が任意同行という名の連行をされかけた時だ。

 パトカー後部座席に青年は渋々ながらも、狐の無言の圧によって、大人しく乗り込もうとしていたのである。が、その姿が一瞬の隙に、忽然と消えたのだ。

 狸の仕業であった。


「なんであのタイミングで術を行使してこいつを手元に呼び戻した! 状況的に逃走とみなされて、あっという間にこいつがほぼ犯人扱いの重要参考人として、警察から追われる身になっただろうが!」


「だって! 推しのフィギュアが先着順販売だったんだもん! 勝たなきゃならないだろ! このいくさ! サイトにアクセスする人手が必要だったんだよ! そっちの状況なんか考えてられるか!」


「開き直るな! 考えろ! 欲望のままに動くな! 結局その通販戦争にも敗れたんだろうが! いいところなしか!」


「ううっ……、くそ……クレカ情報入れるところまではいったのに……カートには、カートには入ってたと思うんだ……」

「ダイジョブ? ボクの顔見て元気出す?」

 つっぷしてさめざめと泣きだした狸の情けない背を撫でてやりながら、青年が微塵も謙遜のない、自負に満ち満ちた笑顔で提案する。


「ちくしょう、顔面への揺ぎ無い自信が頭にくる。ああ、でもそのたれ目の角度、最高。癒される。もっと下さい」

「誇りを捨てたか、この狸」

 覗き込む青年のたれた双眸を、ごろりとだらしなく横になって見上げる狸に、狐が言い捨てる。


「狐もなんか俺に供給してくれていいんだよ?」

「お前、この状況で私に物を頼めるとはくそ度胸だな」

「俺、傷が深いから、いまなら逆に君にどれだけ無慈悲な言葉で切り込まれようといける気がす、」


 言い切る前に、狐の腕が狸の胸ぐらを掴んでその身を持ち上げた。背後の壁に背を押しつけ、ドンっとその顔のわきに腕をつく。かと思うと、もう片方の手は顎をクイッと持ち上げた。たれ目の角度はやや見下ろした斜度三〇度だ。


「――これでどうだ?」

 口端には心得た笑み。見下ろすせいで顔とたれ目に差す、影のいり方も理想的だ。狸は息を一瞬飲んだのち、絶叫とともに頭をかきむしった。


「ちくしょう! ちくしょう! こんなベタなことで! こんなベタ供給で! 顔がいいことを知り尽くしてる角度が素直にむかつく! でもたれ目さいこう! その角度と視線が欲しかった! くそ! ごちそうさまです! ありがとうございました!」


狸生たぬきせい、楽しそうだよね、狸」

「本当に、小手先だけは憐れなぐらい手軽に転がるな」

 通販戦争敗北の傷心を癒やすたれ目の波状供給に、狸が奇声をあげながらなにかを嚙みしめているのを、心の距離をとって見守りながら、青年と狐は淡々と言葉を交わした。


 それを、ふいに冷静さを取り戻した狸が、思案しつつ振り返る。

「いや、でもさ……君たちだって、日々俺の顔を拝ませてもらいながら過ごしてるわけでしょ? というか、君らが俺んちにいるの、普通に俺目当てだよね? これぐらいの要求、家賃代わりとして日々受け取っても順当な対価じゃない?」


「何か言いだしたぞ、この狸」

「でも実際ソウ~。狸の顔、ボクすごく好きダヨ~。中身はわりとどうかと思うケド~」

「私は別に中身もそれで構わないと思っているが? 怠惰なくせに負けん気だけはあるせいで、勝てもしないことで反発してくるから、苦渋を飲む様が眺めやすい」

「歪んで陰湿な趣味趣向! いっそ顔面だけと言い切る方が清々しいわ!」

 美しくも陰惨に微笑する狐に噛みついて、狸は叫んだ。


「そんなねじ曲がった根性してるから、こっちの山も、あっちの山も、化け物的にも人間的にも、明るみに出たらマズイ案件が山積みに隠されてるんだろ! ……――って、え? 狐が怒ってたの、だから?」

「ようやく思い至ったか、たわけ」

「え~、どういうコトかボク全然わかんないヨ! 教えて~!」

 甘えて縋りつく筋肉質な青年の腕を引っぺがしながら、苦い顔で狸は言った。


「要は狐のやつ、藪蛇になりたくないってことだよ。別に君が警察に指名手配されようが、殺人の冤罪で捕まろうが、こいつにとってはどうでもいいことのはずなのに、なんでそんなに怒るのか不思議だったんだけどさ。事がスムーズに運んで、『遺体を遺棄された山』ってだけならつつかれなかっただろうことが、重要参考人が消えて、そいつの身元も分からないってなると、つつかれ出す可能性があるわけだよ。君がなんでキャンプ場にいたのか、とか、君とつながりのある人物が他にキャンプ場に来てなかったか、とかさ。そうするとキャンプ場から、はては経営、管理者にまで捜査の手が伸びた場合、ロンダリングしたマネーの問題なんかがばれちゃうかもしれないじゃん。それを嫌がってんだよ、こいつ」


「そいつを呼び戻す前に、そこに気づいておいてもらいたかったがな」

「狐、ボクが捕まってもどうでもいいと思ってたのカイ! ショックだよ!」

「お前にかける同情はない。なんなら、いますぐ差し出してやってもいいぐらいだが……そうもいくまい」


「ワァオ、命拾い。でも、なんでダイ? キミ、優しさないダロ?」

「狸の管理下だからだ」

 ずけずけと遠慮なく薄情扱いする青年に、異論は挟めないため舌打ちしつつ、狐は答えた。


「他の物の怪の管理下のモノを勝手に異界の外に連れ出すのは、越権行為になる。まあ、やってやれないわけではないが……」

「そうなると俺に、狐に力で屈したっていう敗北者の烙印が押されるんだよ。越権を許したことになるから。それは、やだ!」

「だろうな。別に勝てなくはないが、こいつと本気でりあうのは、そこそこ面倒だ」


「……そんなこと言って実際にったら、君のほえ面拝めたりして」

「ほぉ……たいした自信だな」

「ワァオ、ばちばちダヨ」

 譲れないプライドが刺激されたらしく、微笑みながら睨みあう狐狸こりせいたちに、青年はわくわくと目を輝かせた。


「だけど、自分で言うのもなんだけど、だったら狸がボクを警察に突き出せば解決するんじゃないカイ? 管理下なんだから、問題ないんダロ?」

「お前、たまに自分の立場を度外視して合理的な結論を導き出すな。褒めてやろう。だが、それも出来ないだろうな……」

「キミに褒められても嬉しくないケド、アリガト。でもなんでダイ?」


「君を処分待ちリストに登録しちゃったから。殺さず逃がしたってなると、化け物的威信が傷つくんだよ……」

「『神に二言はない』――の縛りが、神霊ほど強力ではないが、化け物界隈にも緩く薄く存在するんでな。正式に発言、登録した事案の撤回は、それなりに不名誉なことになる」


「うっかり前言撤回、朝令暮改すると、魑魅魍魎レベルにまでひそひそ陰口叩かれるんだよ。化け物界は、力とそれに伴う名声がヒエラルキーのすべてだから、それは避けたい。積もり積もった言霊で、俺の妖力の質が落ちるかもだし」

「ウ~ン、化け物界、意外と生きづらいヨォ」

 ため息交じりの狐と狸の説明に、青年は八の字に太い眉を寄せた。


「でも、狐、どうするの? こいつは差し出せない。かといって、警察にうろつかれて、山周りのこと探られるのは俺も嫌だし、兎もなんか言ってきそうだし。なんとかしないとじゃない?」

「お前が呼び戻しさえしなければな……。あのまま自然な流れで逮捕されていれば、お前の責ではないところで、こいつを警察に差し出せただろうに……」

「過ぎたことをいつまでもネチネチと引きずるなよ、陰険」

「あ! 分かったヨ!」


 また狸と狐の間で険悪な火花が散り出しかけたのを、ぽんと手を打った青年の威勢のいい声が押しとどめた。

「つまりはこの殺人事件が解決すれば、山も詮索されないし、ボクも捕まることはないわけだから。ボクらで犯人探せばイイじゃない!」

 にっこりと満面の爽やかな笑顔で――事もなげに青年は言ってのけたのだった。





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