第6話 チョコレートパフェ、美味しかっただろう?





 カラン、と、ずれ動いた氷とともにストローが揺れた。汗をかいたアイスコーヒーに、銀色の髪の美青年が、優雅に口をつける。


「食べ物の幅が格段に広がったのは、この姿を得た利点のひとつだな」

 小さく、周囲に聞こえないようささやくその言葉に、隣で相槌が入った。蜜色の髪のこれまた端正な顔が、チョコパフェをつついている。


「人間、食べられる毒が多いんだよね。玉ねぎとか、こんにゃくとか」

「こんにゃくは人類全体じゃなくて、一定地域の人間の執念だと思うヨ」


 そう横やりを入れたのは、ふたりの向かいに腰かける赤毛。その顔には、丸いサングラスがかかっている。緑のたれ目が覗く時は幼げな印象の好青年であるのに、それが黒いレンズに覆われただけで、ガタイの良さから、そのスジの輩のように見える。


 狐、狸、そして狸がうっかりヨモツヘグイした青年の三人だ。彼らがいるのは、街の老舗喫茶店。狐と狸は耳と尾を消した姿だ。普段の着物も洋装に改めているが、髪の色や長さは、今時いろんな頭髪の奴がいる、と、面倒がってそのままであった。そのためか、はたまた彼らの顔かたちの化け物じみた整い方のせいか――絶え間なく、どこかからチラチラと伺う視線が投げてよこされていた。


 狐も狸も、青年も、それには慣れた様子ではあったが、ふわふわと浮ついたにぎにぎしい眼差したちには、悪意とは違う鬱陶しさがある。それでも彼らがその視線を流しながら、人間界にいるのは、なにもコーヒーやチョコパフェのためではなかった。


 青年が提案した殺人事件の解決。そのために、少しばかり人里に下りてきたのだ。先まで彼らは一応それなりに、捜査らしきことをしていたのである。が、その直後、狸が暑い、疲れたと苦情を申し立ててきたので、喫茶店で一息入れることになったのだ。


 彼らが普段いる異界は、四季が入り乱れた別世界。ちょうど春の心地よい頃合いで過ごしていたところを、下りて来てみれば人間界は初夏。そもそも自分で犯人探しをすることに不満たっぷりだった狸が、早々に音を上げたのである。


「人間は別にどうでもいいけど、人間の文化とたれ目は好き。チョコとバナナの組み合わせを最初に考えた奴は、たれ目じゃなくても褒めてやりたい」


 溶けかけたチョコアイスをからめつつ、すくい上げたバナナをほおばって、偉そうに狸は言う。狸は狐の財布で皮算用し、一等スペシャルなパフェを頼んでいた。借りを作るのを嫌がるわりに、こういうところですっぽ抜ける――と、狐がそろばんを弾いていることに、狸はまだ思い至っていない。


「それをいうならプリンとチェリーもだよネ~。とってもキュート。最初に考えたヤツはカワイイをよく理解しているヨ!」


 そう大きな口で青年がもぐもぐやっているプリンアラモードも、会計は狐持ちになっているらしい。誰の保護管轄下だったかと、狐の脳内そろばんもより軽快な音で弾かれるというものだ。どんな対価を突き付け、どれだけ嫌がるか見物である。


「それにしてもキミら、化けるっていうのはもっと簡単なモノだと思ってたヨ! 意外と使い勝手が悪いヨネ」

「術のいろはも知らぬ人間がほざくな」

「人の姿に化けるのと誰かに化けるのじゃ、大違いなんだよ。俺たちが優秀な化生であったことを感謝しろ、役立たず」

「ワァオ、ちゃんとボク、狸のこと助けたのにヒドイよ~」

「助けたも何も、君のせいで危うくなったんだよ、この唐変木」


 悲しげな声とともに、青年の口がへの字に歪む。それに、口汚くもどこかおざなりに投げ返して、狸が倒れ込むようにべたりと机に頬を寄せた。サングラスの下で緑のたれ目がウルウルしだした気配を感じ取ったのだ。隙間からのぞきこもうというその無駄な努力をわき目に、狐は虚無の顔でただコーヒーをすすった。


 今回の死体遺棄。そもそもホトケがどこの誰なのかも彼らは知らなかった。なのでまず手始めに、事件の概要を掴もうと、警察署での情報収集を行ってきたのだ。


(それだけでこれほど労を要するとは思わなかったがな……)

 やはり安易に青年の提案にのるものではなかったかと、狐は昨日の己の判断をやや呪った。



 +



「え? 警察署にわざわざ行かないと、なにひとつ分からないままなのカイ? 狸のうちを盗聴してた狐のストーカー妖術で、パパっとなんとかできないノ?」


 そう青年が驚き半分に唇を尖らせたのは、彼の『ボクらで犯人探せばイイじゃない!』発言のすぐあとのことだった。彼が華麗な妖術任せの事件解決案を披露している途中、狐が無理だと苦言を呈したからだ。


「君ら、なんのための妖術使いなんダイ!」

「規制が厳しい」

 一言、ばっさりと狐は言って捨てた。その口調は非常に忌々しげだ。


「人間界は異界と違って、お偉い神様方の共同管轄地なんだよ」

 代わって、ごろごろと漫画のページをめくりながら狸が口を挟んできた。


「こっちが人間にちょっかいかけるのは禁止されてはいないけど、神様方のお気に触らないよう、術の効果や範囲、手順の踏み方なんかが、規則で決められてるんだよ。ここまでなら許すってね。俺たち化生が夜や境界で動くのはそのせい。妖怪が問答を仕掛けるのが多いのもだからだね。そこすっ飛ばすと、下手するとお天道様に目をつけられるからやだってこと」


「異界に一度引き込んでしまえば、こっちのものなんだがな。情報収集となると、人間の世界のうちでの行動だ。思うようにはできん」


「警官をひとりふたり、こっちに引き込んでもいいけど、後始末が大変だしね。これ以上厄介抱え込みたくないし」

 怠惰に物騒な提案を狸はぼやく。そのうつ伏せになった腰元で、尻尾がふわんふわんと揺れていた。


「じゃあ、どうやってあのデュラハンの正体を知るんダイ? 犯人どころか被害者もわからないんじゃ、探偵ごっこもできないヨ!」

「遊び気分か、貴様」

「どうせそんなことだろうと思ったよ」


 睨む狐の背後でばりっと煎餅をかじる音が響いた。こちらもやる気が微塵もない。ちらっと横目に狐のたれ目が向いたのを、狸が物憂げに見上げる。その口元がふと微笑みにほころび、彼の顔が傾いだ。蜜色の髪が白いうなじを滑る。彼の思考が読めなければ、なかなかにそそられる艶っぽいしぐさなのだが、いかんせんその頭の中はきっとこうだ。『あ、いい角度のたれ目』。


 狐は深いため息をついた。

 別に彼も事件解決にのり気なわけではないのだが、問題ごとを人間任せにいつまでも抱えていたくもない。


「情報収集は地道に自分の足でやるしかない。多少こちらのやり方でやらせてもらうがな。――狸」

「え? なに?」

「しっかり働け」


 にやりと引き上がった麗しい口角に、拒絶を許す隙はない。のん気にたれ目を堪能していた狸は、有無を言わさぬ冷たい圧に、顔を引きつらせた。



 +



 そうして今日、狐と狸が警察署にもぐりこむことになったのだ。実在の刑事に化け、今回の事件の情報を仕入れてくる、というのがやり口だった。


 狐の計算では難なく終わるはずだったのだが、青年が無駄に署の前でウロウロしたせいで不審者通報が入り、出かけたはずの刑事たちが帰署。うっかり本物と鉢合わせしそうになって警察署内を駆けまわる余計な一幕が加わってしまった。


 狸など逃げた裏路地で化けた当人らに挟み撃ちされかけ、危うく人間的にも化け物的にもお縄になるところだったのだ。獣のタヌキの姿に慌てて変じ、『なんだ、タヌキか……』と見逃してもらって、ぎりぎり事なきを得たのである。その後、ぽてぽてと四つ脚で逃走していた途中で、クソ生意気なカラスと喧嘩になり、シャーシャーやりあっているところを、青年に保護されたらしい。ちなみに狐は、狸をおとりに上手いこと逃げおおせた。


「狸、もふもふのタヌキ姿もカワイイよネ! もふもふモードでいる時も、もっと作ってもいいと思うヨ」

「やだよ、疲れるから。今回だってほんと、とんだ過剰労働だったよ」


 切れ長のたんぽぽ色のつり目は、そう青年を睨み上げる。


 化けるというのは、簡単なようで意外と身体の負担となるのだ。化生となった時点で、彼らの通常の状態は、尻尾と耳のついた人型だ。そこから、見た目は変わらないまま尻尾や耳を消した人間の姿になることや、逆に獣の姿に戻ることも、一応は変化となるのである。


 とはいっても、それらはさほど苦労はない。だが、別の姿になること、まして実際にいる人間の姿に変化することは難しく、労力もかかる。その疲労感は、全力疾走を継続しているのに似た感じだ。そこはどれほど術の練度をあげても変わらない。疾走時間が、長くもつか、すぐに息切れするかの違いが生まれるぐらいだ。


 だから狸は化けての潜入捜査を嫌がったのである。狐の前には無駄な抵抗だったが。


「多少は有意義な収穫があったのが、せめてもの救いだけどね。それで狐、どうするの? 次」

「そうだな……やはり被害者の事務所を当たるのが妥当なところだろう」


 その言葉に狸はあからさまに嫌そうに顔をしかめ、青年は「ギャング~」と口笛を吹き鳴らした。


 そう、首なし遺体は背中の刺青を裏切ることなく、彼らの当初の見込み通り、反社会組織の一員だったのである。それもなかなかの札付きで、どうやら現在立て込み中の別事件の主犯だったらしい。



 闇サイトでバイトを募った宝石店強盗。うまいこと女性店員がひとりの時間帯をついたらしく、素人強盗でも犯行は成功し、億単位の被害が出たそうだ。実行役はみなすべてすぐ足がつき、逮捕されたそうだが、宝石は首謀の指示役に渡ったあとだった。とはいえ、トカゲのしっぽたちの元に残った品から、首謀の男の身元までは割れたので、所在を捜索している際中だったらしい。それが、思いもかけぬ姿で発見された――というわけだ。


「そのスジの男だったってことは、やっぱり宝石を巡って内輪モメ粛清ってやつカイ! ワァオ! 物騒ダヨ!」


「なんで嬉しそうなんだよ、君は。俺は嫌だよ、事務所なんて行くの。狐は薬の関係で慣れてるかもしれないけどさ。俺ああいう毒々しい世界、性に合わないだよ。いまなんて絶対、強盗と殺人の件で、警察もウロウロしてて、殺気立ってそうじゃん」


「まあ……お前の好悪は別として、確かに知らない事務所ではないが、騒ぎ立てる蜂の巣に近づくのも面倒だ」

 ちらっと狐の金色の瞳は、隣でぶすくれている狸とわくわくモードの青年を交互に見やった。


「――からめ手から攻めるのが、いくさでも常道か」

 微笑む薄い唇に、狸はぞわっと嫌な悪寒に身を抱いた。パフェの最後のひとすくいを平らげたスプーンをそっと置き、そろりと腰を浮かしかける。が、そんな姑息な逃げの一手が、許されるはずもない。


 がしっと、隣から伸びた狐の手が、狸の腰を抱き寄せた。

「チョコレートパフェ、美味しかっただろう?」

「……そりゃ、もう」

 愛想笑いで舌打ちしつつ、狸は珍しく覗き見るたれ目から視線をそらした。


 狐ばっかりずるいよぉ、と向かいから上がる能天気な抗議の声も癪にさわれば、プリン分も追加しておいてやる、と涼しい声が耳元で囁くのも憎らしい。


「じゃ……クリームソーダものせといとよ」

 捨てばちに、狸は狐に笑ってやった。こうなれば、借りのふたつもみっつも同じことだ。


 しゅわしゅわと泡の弾ける、清涼感溢れる緑が運ばれてくるまでに、そう時間はかからなかった。







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