第8話「上下関係とか身内贔屓とか、そういうのよく分かんないんですよ」


 

■■マルティン領、練兵場にて■■


 

 

 王都南部、マルティン公領は広大なテオス海を臨む港町である。


 ここの潮風を浴びるのはもう何度目になるだろう。

 

 初めてここに来たのはフテルシア島の【下り人の頂き】へ向かう前のことだった。

 

 当時はまだ余裕がなく、この都市の喧騒を随分と煩わしく感じたものだ。


 とはいえ、今現在、進行形で自分の注意力のなさを痛感してしまうのは、この練兵場――これだけ大きな施設の存在に、何度目かの訪問を経てようやく気付いたからである。

 

 僕をここに招いてくれたVIPは背後で欠伸なんかしながら、しきりに体を伸ばしていた。


 

「ヒース王子……兵が見てるかもしれないんですから、そんなふうに気の抜けた振る舞いをするのはよろしくないんじゃ……」


「ハハッ、まあ目を瞑ってくれ。ここのところ王城に籠りっきりだったもんで、外の空気を吸うのが久しぶりなんだ」


 

 云いながら、彼はバシバシと僕の左肩を叩く。

 

 この快活な男性は、ヒース・プロトス第三王子。

 

 ここプロトス王国の王様、ユーバ・プロトス王の末子で、正真正銘のロイヤルというやつである。

 

 

「それに、兵の目というなら、君のオレに対する砕けた態度のほうがよっぽど問題だろう。ターナカ?」

 

「まあ、それはそうなんですけどね」


 

 新米騎士たちの精力的なかけ声が響く中、少しそわそわして僕は頭を掻いた。

 

 彼らは今日、王族が来賓するということもあり、柵の向こうのグラウンドでちょっとした御前試合に臨んでいる。

 

 間違いなく、彼らのキャリアにとって、この日は非常に重要なイベントになるのだろう。

 

 そんな熱気に当てられてか、僕はどこか居心地の悪さのようなものを感じていた。

 

 そして、この胸を押さえつけるような閉塞感には、もう一つ別の理由もある。

 

 

「こんな性格ですから、あんまり先輩だったり偉い人だったりと親しくなったことがないもので。許してください」

 

「ああ、許すとも。だから、君も私を許したということでよいな?」

 

「いや、それはもちろんいいですけど……」


 

 僕はちらりとに目をやった。

 

 現在、ヒース王子は真後ろにある少し高台になった貴賓席に座っていて、僕はその右前に立つようにしている。

 

 貴賓席にはヒース王子の他にもう一人座っていた。

 


「……気になるなら話してみたらどうだ?」

 


 僕の不安げな態度に気付いてか、ヒース王子が耳打ちしてくる。

 


「……ヒース王子、他にも同行される方がいるなら先に云っておいてくださいよ」

 

「すまんすまん、君の戸惑うところが見たくてな」


「なんだそりゃあ……」


 

 彼は実に愉快そうに笑う。

 

 そうすると、彼の隣に座る人物がギロリと鋭い目線をこちらに向けてきた。

 

 

「――ヒース、勇者殿の云う通りだ。緊張感を持ちたまえ」

 


 落ち着いたトーンではあるものの、その声はやけに重く響いた。

 

 このお方はグレン・プロトス第一王子。

 

 次期国王候補の筆頭として、名を轟かせる超大物である。

 

 試合が始まってからというもの、やたらに豪奢でいかにも座り心地が悪そうな椅子の上で、みじろぎ一つせずに新兵たちの姿を見つめていたその姿は、彼が非常に忠実で、職務に厳格な人物であることを窺わせた。

 

 彼は、一言だけ述べて、試合の方へ視線を戻す。


 その横で今度は背筋を伸ばすことになってしまったヒース王子を見て、『だから云ったのに……』とか内心で思いながら、僕自身も背筋にそら寒い感覚を覚えていた。

 

 

「…………」

 

 

 以前、僕はユーバ王の御前に無理やり引っ張り出されたことがあったけど、これはあの時の感覚にかなり近い。

 

 淡々としているようでいて――あえて僕が独りでになんらかのアクションを取るのを待っているような……。

 

 値踏みされること自体は、僕のような変人にとって、人生でずっと慣れ親しんできた経験ではあったけど、どうにもこういった冗談の通じなそうな手合いは昔から苦手だった。

 

 僕はこれまで、そういう人間にほど毛嫌いされてきた傾向がある。まあ、きっと誰より打算的だったは、そこにいた思い通りにならない存在が気に食わなかっただけだったのだろう。

 

 僕自身ですら僕を思い通りにできないというのに、随分とおこがましい話である。

 

 グレン王子の側には背が高く精悍な顔立ちの騎士が一人、顔をむっつりとさせて控えており、僕が一言でも妙なことを宣えば、今にも切りかかってきそうな気迫があった。

 

 更に王子たちの席の後ろには彼らを守護する騎士たちが、こちらに背中を見せるようにして周囲を見張っており、この空間に物々しい雰囲気を醸し出すのに一役買っている。

 

 僕はいつもながらに止め処なく溢れてくる思考にしばらく心を奪われたあと、決心して、なにもボロは出すまいと練兵場に目を向けた。


 明確な意図があるでもなく、新進気鋭の戦士たちが木の剣やら槍やらで打ち合っている様子を眺めながら、また別の考えに耽っていると、やがて、グレン王子の方から僕に声をかけてきた。


 

「勇者ターナカ、貴殿は今日の訓練を見てどう思うかね?」


 

 随分ストレートにに来たな、と僕は思った。


 視線をやるとグレン王子は試合場に目を向けたままの姿勢でいた。

 

 

「『どう思う』と云いますと……」


「分かっているかもしれないが、この試合はいずれ騎士となる者たちの適性を推し量る場でもある。能力の高いものは王のお側で仕えることのできる兵団へ配属され、低いものは場合によっては騎士となる道自体を閉ざすことにもなる」


 

 グレン王子は僕に視線を向けないまま続ける。


 

「君が優秀と思うものはどれか」


「……それはまた――」


 

 随分と、難しい質問である。


 僕は顔に手をやって逡巡する。この所作は真剣に考え事をするときの、僕の癖のようなものだ。


 

「騎士の育成方針というものが分かりませんから、なんとも云い難いところではありますが……きっと僕の考えなんて月並みなものですよ。フェレライ公の三男――アインさんでしたっけ。誰がどう見ても彼が頭一つ抜けてます」

 

「憚らずに述べたまえ」

 


 見透かしたようなことを、その王子様は云った。


 

「たしかにアイン・フェレライは将来をもっとも有望視される人間の一人だ。――だが、そう口にする割に、。君の従者はフェレライ公のご息女だったか……少しは身内の親族に興味を向けたらどうかと思うがね」


「…………」


 

 少し、迷う。

 

 これは、あえて口にするようなことでもないかもしれない。


 

「……僕は――」

 

 

 だけど、僕は結局、衝動に任せてはっきり云ってやることにした。

 


「――僕は……上下関係とか身内贔屓とか、そういうのよく分かんないんですよ。誰にも肩入れできないように精神こころが作られてるんです」

 

「ならば、代わりになにを見ていた」

 

「……彼です。あの休憩所の前にずっと立っている」

 


 グレン王子が合図すると、側近の騎士が何やら彼に耳打ちをした。

 


「……あれは誰の御曹司でもない。この近郊に住む牧畜家の一人息子だそうだ。彼がどうしたというのか」

 

「――気になったのは、彼と視線を合わせている人間がやたらと多く見受けられたからです。最初は、こういった御前試合という場で飄々と構えているようなに、奇異の視線を向けているのかと思っていたけど、よく眺めているうちにそうではないと気付いた。一度、不安そうな面持ちのやつが、彼に声をかけていたことがあったんです。その後、ほどなくしてその人は妙に足取りが軽くなっていたように見えた」


 

 僕は上手く言葉をまとめられないまま続ける。

 

 

「単純な戦力だけで云えば、騎士団はとっくに充足し切っている。だから、その中にあえて必要な人材を挙げるなら彼のような人物だろうな、と僕は考えていました」


「……ふむ、随分と過程を欠いた思考だな。彼こそが騎士団に必要だというその心はなんとする」


「ああ、すみません、ええと――」

 


 そこでようやく僕はグレン王子が僕の方に向き直っていることに気付いた。

 

 目を合わせていると思考が乱れそうで、僕はそっと顔を背ける。

 

 

「昔、フェレライ大公が『騎士団は万年、人手不足だ』ってぼやいてたのを聞いたことがあるんです。だけど、実際にいろいろと騎士団のことについて聞く中で、僕はと思いました。組織というのは、。まず、仕事というのは、それをやるのに最適な人数というのがあって、人手が多すぎるとそれだけ一人当たりの能率が落ちていきます。その理由として、一つは精神的な余裕が生まれて、納期に対する危機感が失われてしまうから。もう一つは意思決定が人の多さに比例して難しくなるからです。それは『誰かが代わりにやるだろう、発言するだろう』という、に依ることもあれば、誰しもが思い思いの発言をして落としどころが見つからなくなってしまう、なんて真逆のことが起こっている場合もあります。僕が昔いた世界――国には『船頭多くして船山に登る』なんてことわざがありました。僕も昔、大きな組織に所属していたことがあったんですが、人の多い場所に『行動力だけはある馬鹿』がたくさんいた場合は、ただでさえ仕事効率の上がりにくいところに『方針が定まらないばっかりに全部のことをやろうとして不要な仕事が増えていく』なんていう――目も当てられない状況が発生する可能性が大いにあります」


 

 僕は一つ息継ぎをした。

 

 

「そんな話がある一方で、誰かが組織に所属しているというのはそれだけで手間がかかる――管理コストというやつですが、成果の最大化にばかり気を取られて、一人当たりの仕事量がこのコストを下回った時、大きな組織は末端から徐々に腐って崩れ落ちていきます。だから――……ええっと、なんだっけ――そうそう、いたずらに人数を増やすより、組織には『マッサージ師』が必要なわけです。冷え切った体の先に血を通わせて、ちゃんと活かしてやれるような人間が」

 

「つまり君は、彼がそうだと?」

 

「そのように見える、という話です。要点は二つ。それは彼が――先ほど元気付けられていた青年然り――『他人をけしかけて動かす術に長けている』というところ。それから、こんな御前試合という公式な場でもあっけらかんとしているくらいに『野心がなく、かつ怠惰である』というところ。ああいう人間は『勝手に人が動き出す』仕組みを作りだせる上に、おかみの評判ばかりを気にするような、もやらない。畜産農家の息子がわざわざここに来ているというのであれば、それもよい条件に傾く可能性はあります。口減らしにしても、出稼ぎにしても、帰る場所がないのであれば、彼は『定職に就く』というのために、その能力を遺憾なく発揮するでしょう」

 

「……なるほどな」


 

 グレン王子は一言そう告げて、思案するように足を組んだ。

 

 僕は今になってようやく彼と目を合わせる。

 

 

「――話すように促しはしたが、随分とよく回る舌だ」

 

「……すみません、一度話し出すと止まらない気質でして」


「だが、分からないな、それだけの考えを持って、何故なにゆえ、君は最初、披露することを渋った。ヒースからはむしろ、思い付いたことが全て口を衝いて出てくる人柄だと聞いていたが」


「それは……自分が間違っている可能性に思い至ったんですよ。この国――いや、は『やっぱり本当に人手不足だったんじゃないか』と」


「どういう意味かね。私は君の考えを正しいと認める。我々が君の述べたような人材を求めていることは事実だが」

 

「それでもやっぱり数と戦力の方が重要でしょう。あの畜産家の彼のように『迂遠な能力を発揮するごく少数の個人』ではなく、アインさんのような『高い実務能力を備えた多くの人間』が欲しいはずだ」

 

「つまり、こういうことか。【魔王】を相手取るのに、我々は数をもって対抗しようとしていると?」

 

「そうではありません。そこに関しては人員なんかいらないでしょう。だって――。だから、きっとこの先は外様の僕には分からない、この国の歴史とか政治の話だと考えています」


 

 僕はきっぱりと云い切った。

 

 グレン王子の相貌から一瞬だけ表情が消えたのを目撃するまで、僕は自分がなにを云ってしまったか気付かなかった。



「あ……」

 

 

 横でヒース王子が表情をにやけさせているのが見えた。


 ああ、そうか。


 どういう目論見か知らないけど、この人、最初からこうなるのを期待して、グレン王子と僕を同席させたな。


 

「…………」

 

「……えっ、と――」

 


 グレン王子はしばらく押し黙っていた。

 

 やられた、と思った。

 

 このままこの人の側近に斬り捨てられても、きっと僕はなにも文句を云えないだろう。


 その沈黙に並々ならぬ警戒心を抱いて、僕は背中の剣に手を伸ばす。


 しかし、その場の静寂を破るように響いたのは、剣戟の音でも肉を断ち切る音でもなかった。


 それはグレン王子の笑い声だった。

 

 

「……ククッ……ふふ……ふふふっ、あっはははは!」

 

 

 夢に出てきそうなくらい、それはもう悪そうな笑みだった。


 周囲を警備していた騎士たちは、突然何事かと怪訝そうな顔を浮かべ、こちらに注目している。

 

 それから、グレン王子はヒース王子の肩に手を置いて、愉快そうに語りかけた。

 

 

「おいヒース、コイツ、はっきりと云いやがったぞ。、だ。これはいかにも傑作だ。たしかにこの【勇者】では暗愚ではないが、大馬鹿者であることには違いないようだぞ」


「……ああ、オレもちょっと引いた。全然遠慮なかったなターナカよ。まあ、とりあえずこのあとの展開はお前の思うようなことにはならないから、剣の柄から手を離すといい」


「……は、はぅ……」

 


 すごい情けない吐息が漏れた。

 

 同時に、なにやら思ったほど大変なことにはならなかったらしいということに、胸を撫でおろす。

 

 グレン王子はそのまましばらくクツクツと額を押さえて笑っていた。

 

 やがて、視線を上げると人を睨み殺すような眼光が僕を射抜く。


 不思議なことにその剣呑とした雰囲気をまとう瞳には、危険や恐れを一切感じなかった。

 

 

「なるほど、『友達』か。大昔の王は自分の側に滑稽者を仕えさせていたというが、少し気持ちが分かった。こんなに笑えるのは久しぶりだ」


 

 それから程なくして、僕と二人の王子は試合の観覧に戻った。

 

 以降の時間は少しだけ、それまで僕の胸を締め付けていた不安も和らいでいた。

 

 


▲▲~了~▲▲

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