症例4 難聴により追放された転生魔術師

「おーい、君。ちょっと、大丈夫ー?」


 朝、準備のために診療所の扉を開けようとすると、道端に転がる一人の男が目に入った。


「……うーわ酒臭っ。困るんだよなぁ、診療所の前に居座られちゃあ」


 肩をいくらゆすっても、明瞭な答えは返ってこない。


「ハァ……仕方ないか。よいしょっと」


 結局、やむを得ずしばらくは診療所内の床に寝かせておくことにした。


 しばらくして、男は目を覚まし気だるげに起き上がる。


「あ、目、覚めた? 君が入口で泥酔してて邪魔だったから、とりあえず中で寝かせておいたんだけど……」


 目が合うと、男は驚き、震える指をこちらに向けて声にならない声を発した。


「んー? 何、私のこと知ってるの? ……うちに何か用事? それともただの冷やかしとか」


 男は耳を押さえながら顔をしかめ、こちらをじっと睨んでいる。


「『俺を轢いたバイク女』……? あー、なるほど。君もあっちの世界から来た口ってわけね。でも心外だなぁ、そんな言い方。そもそも信号無視して道路にフラッと飛び出してきたのはそっちなんだし」


 それにしても……随分とボロボロだな、と思う。見たところ若い魔術師のように見えるが、来ている装備品はどれも一級品。典型的な転生者って感じだ。

 だからこそ、こんな状態で放置されているのは、どこか不自然な気がした。


「ところでさぁ、君……かなりボロボロみたいだけど、戦闘帰りか何か? 装備的に魔術師だよね。お仲間は?」


 その問いかけに、魔術師はゆっくりと首を振った。


「ふーん、ボッチか。……なになに? パーティーから追放された? どこのラノベですかそれは……まあいいや。じゃあ、治療費は巻き上げられそうにないなぁ。見ぐるみ一式売ったとしても、それだけ使い込まれてちゃ、大した値段にはならなそうだし」


 歩を進める度、魔術師は顔をしかめたままジリジリと後退りしていく。


「そんなに警戒しなくてもいいのに。治療しないとは言ってないじゃん。さっきからずっと耳押さえてるし、そのためにここに来たんじゃないの?」


 魔術師の頬から冷や汗が一筋垂れる。


「……あ、汗。ラッキー、ちょっと失礼」


 私はそれを指ですくって、ためらいなく口に運んだ。


「ああ、そっか。君、私みたいなヤブ医者が信用できないんだね。そりゃそうだよねぇ。お医者さんの端くれだったんだもんね、前世」


 ただでさえ黒目がちな瞳が、より大きく見開かれる。


「お、その顔は、当たりって顔だ。安心してよ、知識だけはスキルのおかげで一丁前にあるからさ。もう二、三滴、汗でもヨダレでもくれれば、証明のしようもあるんだけど……」


 今はそんな世間話よりも治療を優先すべきだ、と思うのは、散々取り込んだ医療人おっさんの記憶がもたらす影響の一つなのだろうか。


「そんな回りくどいことよりも、実際の治療で証明してみせた方が手っ取り早いでしょ。異世界人のよしみで、今回はマケてあげるよ。どう?」


 私の提案に、魔術師は困惑しながらも渋々と頷いた。


「はーい、毎度ありー! じゃあ早速耳の方、見せてもらうねー」


 ベッドに寝転ぶ魔術師の耳を、ライトを当ててそっと覗き込む。彼は横目で不安げにこちらを睨んでいた。なるほど、私に対する不信感が、どうにも拭えないらしい。


「さっきも少し言いかけたんだけど、スキルってあるじゃん? ほら、異世界に飛ばされる時貰えるテンプレみたいなやつ。私の場合は、人の記憶を見たり、知識を自分のものにしたり出来るってわけ。……人の体液とか、いわゆるDNAっぽいものを体に取り込まなきゃいけないっていう条件付きではあるけど」


 見えた。血が残る耳穴の向こうに、無惨にも破れた鼓膜が放置されている。


「あー、ダメだこりゃ。完全に鼓膜が破れてる。ヒールとかポーション試した? 試しても痛かったでしょ。これだけ酷いと、ちょっとやそっとじゃ治らないんだよね。やっぱ、直でぶっかけるくらいしないと」


 嫌がる魔術師の横で、ポーションの瓶といくつかの器具を取り出し準備を始めていく。


「大丈夫だって! ちゃんとスポイト使うから。……異世界にスポイトなんか無い? ふっふっふ、あるんだなー、これが。元々この家に住んでた、おっさ……先代がいるんだけど、そいつも元医者な上にスキル持ちでね。こういう医療器具作るのが得意だったんだ。それを拝借してるってわけよ」


 スポイトでポーションを吸い取り、破れた鼓膜周りにポタポタと、一滴ずつ垂らしていくと、魔術師はしかめっ面から更に鼻にシワを寄せて小さくうめき声を上げた。


「しみる? ごめんねー、うち麻酔置いてなくてさー。ま、痛みは一瞬で基本すぐ治っちゃうから、無くても困らないっちゃ困らないんだけど。後は、このお手製スライム絆創膏を貼って……」


 ピンセットでつまみ上げた小さなゲルを耳に突っ込み、鼓膜を覆うようにして貼り付ける。


「これ自体もポーションに漬け込んであるし、一分もしないうちに鼓膜は元通りになるんじゃないかな。どうよ、天才的なアイデアでしょ! まあ、やったのはこれが初めてだけど……ちょっとちょっと、怒らないでって。確かに初めてやったけど、理論上はちゃんとイケるんだって! 元々いた世界にも似たような治し方があるの、医者なら知ってるでしょ? ……私? 私は先代に教えてもらったというか、その、血を少々拝借したというか……。あ、もう一分経ったんじゃない? じゃあとっとと剥がしますねー、はい動かないでじっとしてー!」


 慎重に、かつ大胆にスライムを剥がすと、生まれ変わった新品の鼓膜が、ライトに照らされツヤツヤと真珠のような輝きを放った。

 同時に、魔術師の悲痛な叫びが診療所内にこだました。……とりあえず、成功だ。


「い、痛みは一瞬、だから……。見た感じ鼓膜もしっかり治ってるし、成功、だよね、うん。やっぱり私ってこの仕事が天職なのかも」


 のたうち回る魔術師を尻目に、私はひたすら自分に言い聞かせるかの如くブツブツと呟きながら、せっせと後片付けにいそしんだ。


「さて、お代についてなんだけど……多分、君、無一文だよね? 見ての通り、この診療所ってハッキリいってボロいし、設備も整ってないし、薬代やら何やらで家計も火の車。だから正直、タダってわけにはどうしてもいかないんだよねぇ。それで、ものは相談というか、なんというか」


 首を傾げる魔術師の前で、私は思いっきり頭を下げた。


「お願いします! うちで働いてください!」


 後ずさる彼に追い討ちをかけるように、つづけざま、足にすがりついて土下座をかます。


「ねえ、頼むよー! 今、無職でしょ? 最近患者が多すぎて人手不足でさぁ、このままじゃ過労死しちゃうよー……。いいの? 恩人が、君の前世みたいに仕事のしすぎで第二の人生終えちゃうんだよ? 死にそうな人がいたら助けるのが医者の矜持ってもんでしょ。ね、お願い! 職にもありつけて前世の知識も活かせるなんて、こんな優良物件もう二度と見つからないよ!」


 しばらく悩むそぶりを見せて、魔術師は何か決意を固めたようにゆっくりと頷いた。


「……え、本当? 本当に!? やった、いやー助かるなぁ。これで人件費が浮いて収入も二倍! これぞ、ウィンウィンの関係ってやつだね、ね!」


 喜びのままに手を取り握手を交わす。そんな私とは対照的に、彼の表情はあまりかんばしくないようだ。


「は? 給料? 何、甘っちょろいこと言ってんのよ。治療費タダにするわけにはいかないって話覚えてないの? 要するに、働いて返せって言ってるの。タダ働きだなんて、人聞きの悪い。……期間? そうね、とりあえず、ポーション代に道具代に……検査料、技術料、初診料その他もろもろ込みで十年ってところかな! 転職おめでとー、ぱちぱちぱち」


 このヤブ医者め、と悪態をついて、魔術師だった彼は天を仰いだ。どうやら観念したらしい。


「ふふ、毎度ありー。というわけで……これからよろしくね、助手君」




 異世界耳鼻科には、今日もひっきりなしにカモ——いや、患者がやって来る。


「いらっしゃい。今日はどうしたんですか? ああ、耳かき……じゃなかった、耳のメンテナンスね。あ、そうそう、少し前からちょっとプランを追加してさ。人手が増えてワンオペの時よりは余裕もあるしってことで、お試しで。どう? どんな感じか興味ない?」


 首を縦に振る患者を見て、頭の中で銀貨がチャリンと音を立てた。


「お、やりますー? いやー、やっぱ常連さんは見る目あるわぁ。それじゃ早速準備しますんで、少々お待ちを……。助手君、おーい助手君! 両耳耳かきスタンバイしてー!」


 どうしようもなくケチで、ウザくて、おまけにろくな経験もないヤブ医者だけど。

 ……こんなダメダメ上司も、これはこれで逆にアリなのかもしれない。耳かき棒二本をしっかりと両手に握って、僕は金ヅル、もとい、患者の元へと駆け出した。

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異世界耳鼻科で噂のヤブ医者ちゃん 御角 @3kad0

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