第5話 船出 選

 黄金の月夜に照らさるは海。浮かぶは小舟。空を見上げる。満天の星空に浪漫を託す。


 小さなボート。そこに俺とキトはいた。思い返すのはポップのこと。ティンダロスに喰われ、ポップのいた夢は壊れてしまった。


「―― なあ」

「なんだい?」

「いや、何でもない」


 傍らにいるキトに思わず話しかける。彼女の顔は普段通りのようで、その奥に深い苦悩が滲み出ていた。だからだろう。いやそれだけではない。言葉が見つからず、思わず零れ出ただけ。キトの言葉には何も期待していなかった。


「あれが夢をティンダロスに喰われるということさ」

 彼女は静かに語り出す。

「今まで自分がいた世界が唐突に消える。なにも残らない。なにも…… 」


 彼女の瞳。そこには一種の覚悟のようなものが垣間見えた。夢を渡りそれを楽しむ彼女にしてみたらティンダロスは許せぬ存在だろう。どうして彼女がティンダロスを追うのか少しだけ理解出来たような気がした。


 語る言葉は不要で、思わず俺は海を見つめる。黒く底の見えない水面。それは奈落のようで― ― そこに奇妙な影を見つけた。


「キト!」


思わず声を張り上げる。それだけで彼女は全てを察した。蒼い光条が海面を叩く。けれどもそれはティンダロスに当たった気配がない。


どこだ?どこにいる?


注意深く周囲を見渡す。暗がりでティンダロスの影が見えにくい。せめてもの護身用に、虚数で剣を生み出す。ここは孤島のような海の上。よほどのものをイメージしない限り、虚数の特性で消えはしない。


 背後から気配。刹那の判断。振り向きざまに剣を振り切った。俺へと迫るティンダロスの不気味な顔。当てずっぽうもいい所なその一閃は、どうやら正解のようだ。けれども俺の剣はティンダロスに当たることなく避けられた。


 再び暗い海の中に身を隠すティンダロス。ステルス戦、気配を殺し執拗に隙を狙う

ティンダロスハンター。現れた一瞬を撃ち抜き撃退するしかない憐れな獲物俺とキト。これはそういった戦い。明らかに不利な現状。


「ヒロト!」


キトが俺の名前を叫ぶ。アイコンタクト、以心伝心。


「僕がティンダロスを誘き出す。ヒロトはそこを狙って!」


 言うが速いか彼女はステッキを天に向かって振り上げる。ステッキの先端には蒼い光。そこから放たれた蒼光はまるで一本の柱。夜空を切り裂くそれは、空中で幾つもの小さな線へと分散。流星のように降り注ぐ。その数百、三六十度全方位攻撃。


 水飛沫が空高く跳ね上がる。不思議とキトの攻撃がティンダロスに当たっているとは思わなかった。

 虚数で生み出した剣を消す。代わりにイメージするは大砲。ティンダロスは必ず跳ね上げられた水飛沫のどこかに現れる。奇妙な確信。そして水飛沫の一つに黒い影を見つけた。

 顕現する大砲。同時に着火。火を噴く砲身、反動で乗っている小舟が揺れる。衝撃と風圧で海面がざわめく。


 身の毛もよだつおぞましい悲鳴。放たれた砲弾はティンダロスに見事命中した。水飛沫が収まる。けれどもそこにティンダロスの亡骸はない。


「―― どうやら逃げられてしまったようだ。とはいえさっきのヒロトの一撃は確実にティンダロスに深いダメージを負わせたはずだ。しばらくはティンダロスも大人しくしているよ」


 思わず安堵の吐息をつく。得られた結果はひと時の平和。けれどもティンダロスに狙われる恐怖と、ポップのように喰われることがないというのは充分すぎる成果。

 当てもなく小舟は海の上を放浪する。ティンダロスが消えたというのに、一向に夢が変わる前兆すらない。夢が移り変わるのはティンダロスと無関係なのか、はたまたまだこの夢には意味があるということなのか…… 。


 ふと一隻の船が見えた。その旗には髑髏のマーク。つまりは海賊船だ。

 物騒なものが現れたと思わず身構えるが、その海賊船から受ける印象はそういった殺伐としたものではなかった。


 陽気な音楽、いくつもの笑い声。中には歌っている者もいる。まるで乱痴気騒ぎ。

俺たちの乗っている小舟が自然とその海賊船に近づいていく。海賊船の甲板から鬚面の男がひょっこり顔を出す。


「おやおやこいつはおでれぇた。こんな所でランデブーかい?良けりゃオレたちの宴に混ざっていかないかい。お二人さん」


 不思議と強面にも関わらず鬚面の顔は親しみやすいものだった。小舟の方へ投げられた縄梯子。

 このまま小舟に乗っていても埒が明かない。俺とキトは互いに頷き合い、縄梯子を登る。

 そこは派手な宴会場だった。強面の男たちがジョッキ片手にテーブルに所狭しと並んでいる料理を豪快に食い散らかしてる。ある所ではリンゴを使って見事なジャグリングを披露している。他の所では細身の剣、レイピアを丸呑みにする奇術まがいのパフォーマンス。海賊らしい煩雑で、馬鹿馬鹿しいスリルに満ちたド派手な宴。

 ジャグリングをしていた男がリンゴを放る。俺とキトはそれを難なくキャッチ。


「ようこそジョージ・ポール海賊団へ。無礼講だ思いっきり楽しんでってくれぃ」


 受け取ったリンゴに齧り付く。そして近くのテーブルへ行き、骨つき肉を鷲掴みにして豪快に齧り付いてやった。


「ガハハハハハ。いい食いっぷりだぜ兄ちゃん」


 拍手と口笛、そして笑い声で歓迎される。どうやらキトはこういった空気が苦手なのだろう。どことなく気まずそうな顔をしている。

 けれども俺はこういった馬鹿騒ぎは嫌いではなかった。肉を片手に近くの強面の肩を抱き、馬鹿話で周囲を盛り上げる。


 ジョッキ片手に奇声を上げ周囲を盛り上げる俺。ふと気になって周囲を見渡しキトを探す。静かに料理を摘み、近づく海賊たちに苦い顔をするキト。俺たちは対照的だった。


 ふと中央のテーブルに、一つの髑髏が置かれていることに気が付いた。そこには豪勢な料理が並んでいるにも関わらず、誰もそこから料理を取ろうとしない。気になった俺は近くの強面に聞いた。


「オイおっさん。あそこの髑髏はなんなんだ」

「そうだ、いっけねぇ。客人に俺らの船長を紹介し忘れた」


 下手こいたと頭を掻き舌を出す強面。


「紹介しよう!我らが客人。ここにいるのが我らが船長。ジョージ・ポールだ!」


 そう言って大仰な手振りでさし示したのはさっきの髑髏。


「どういうことだ?」


 思わず首を傾げると、俺たちをこの船に誘った鬚面が答える。


「オレが副船長のライリーってんだが、船長の奴食中毒でお陀仏しちまってよぉ」

「つまりこの船には船長がいない?」

「そういうことだわ」


 そう言って豪快に笑いだす鬚面改めライリー。それに釣られるように他の船員も笑いだす。今までムスッとしながら料理を摘んでいたキトが、ここで口を出す。


「なぜ?貴方が副船長ならそのまま繰り上げで船長になるべきだと思うんだけど」

「ハン。俺にゃこいつらを纏められやしねぇ。ジョージ船長じゃなきゃ言うこと聞きゃしねぇよ。なあ野郎共!」


 そうだそうだ。テメェじゃ無理だわ。つーか誰も出来やしねぇよガハハハ。なんて同調の声。そんな彼らに俺は妙な違和感を覚える。


「じゃあこの船の行く先はどうやって決めてるんですか?船長がいないんじゃ、どこにも行けないと僕は思うのですが… 」

「そのとーり!この船はどこにも向かってねぇ。行く先?そんなの風と波に聞けってんだ」


 どこにも行くことの出来ない海賊船。これはやがて来る死に対しての絶望の宴なのだろうか。いや船員の一人としてその瞳に暗い光を宿してはいない。


「まあ食糧も水もたらふく余ってるしよぉ。それにこの辺りは商船が多く通る海域だ。テキト― に進んで見つけた商船を襲って食いもん奪やいいし、運が良けりゃどっか陸にも着くだろうよ。……。白けちまったじゃねぇかチクショウ。野郎共乾杯だ!」


 船員全員がエールの入ったジョッキを持ち乾杯の音頭を上げる。一応は俺もその空気に乗りつつ乾杯。けれどもそっと海賊たちから離れ、キトに近づく。


「どうしたんだいヒロト」

「元の小舟に戻るぞ。これ以上は居たくない」

「…… そうだね」


 どこか苦い表情のキト。俺の言葉に頷く。

 終わる気配のない海賊たちの宴。馬鹿騒ぎを続ける彼らの瞳に、小舟へ戻ろうとする俺たちは映らないのだろう。なにも言われることもなく小舟に到達。そのまま夜の闇を突き進む俺とキト。

 そうなってようやく世界が歪み始めた。世界の変わる前兆。ぐにゃりと歪む景色を眺めながら、考えるのは先程までの海賊たちのこと。


 彼らは船長が死んでからずっと目的のない放浪を続けていたのだろう。そして今までそれでうまくいっていた。これからもうまくいくと思っているのだろう。彼らから離れていったのは単純に辛いからだ。


―― なにも選ばない彼らに未来は、ない

―― 暗転

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