第6話 淫夢 薔薇

 気がつけばそこは薔薇園。広大な庭園には多くの薔薇が咲き乱れ、大きな洋屋敷。どこぞの貴族か資産家か。


「まあお姉さま、お客人ですわよ」

「そうねリィラ。御客様なんていつ以来かしら」


 薔薇園の片隅で、小さなテーブル白いパラソル。二人の金色の髪の姉妹が優雅にお茶会を楽しんでいた。


「どうぞお客人こちらへいらっしゃって。一緒にお茶でもどうでしょう?ねぇお姉さま?」

「そうねリィラ。御客様なんて久しぶりですし、見たところ異国の方のよう。是非ともお話を聞きたいわ」


 笑顔で手招きをする二人に釣られ、俺たちはテーブルに向かう。


「えっと… 。お招きいただきありがとうございま、す?」


 こういった空気に慣れていないおれは、どことなく歯切れの悪い言葉なってしまう。そんな俺の様子に二人は軽く吹き出した。


「いえ、そう畏まらずとも大丈夫ですよ。どうぞ楽になさって。わたくしの名前はレイラ・バラッド・フォン・エリアトス。こちらは妹のリィラ」

「よろしくお願いいたしますわ」


 そう言ってリィラは瀟洒に頭を下げる。

 流石姉妹というだけはあって、二人は非常によく似た顔立ちをしている。赤い薔薇の意匠のドレスを着た姉のレイラは俺たちより僅かばかり年上か。気品溢れる所作に、強い意志を宿した双眸。女性の雰囲気。

 同じように薔薇の意匠を象って、けれども黄色のドレスを着たリィラは対照的にその雰囲気は少女のものだった。大きな瞳に無邪気な笑顔。おそらく俺より一つか二つしか違わないであろうその年齢よりも、ずっと幼い印象を受ける。けれどもそれが一つの魅力となって彼女を際立たせていた。


「僕の名前は夢野キト。こっちはヒロト」


 二人の言葉を受け、キトは和やかな笑顔で応じる。


「まあキト様に、ヒロト様ですね。お二人は異国の方とお見受け致します。恥ずかしながらわたくしたちはこのお屋敷から外に出たことがありませんの。どうぞ異国のお話でもお聞かせください」


 そう言って微笑むレイラに、思わず考え込んでしまう。女の子が喜びそうな話題がすぐに見つからず、まあ日本のことについて話せばいいかと結論付ける。


「まあニホンという国は愉快な国なのですね」


 そう言ってレイラは微笑む。なんてことはない簡単に日本のことを説明しただけだ。極東の島国。世界的に見てもあれほど不可思議な国はそうはない。


「そうですわね、お姉さま。わたしスシというものを一度食べてみたいものですわ」


 たかが酢飯に魚の切り身を乗せただけの料理。言葉にすれば簡単なもの。けれどもそれを作る職人には驚くべき技術が要求される。そんなことを話したせいか、妹のリィラは日本料理に興味を覚えたようだった。

 俺は俺で、二人があんまりにも聞き上手だったお陰で話していて楽しかった。思わず充足感から、ほうと吐息をつく。


「まあもうこんな時間。ねぇヒロト様にキト様、もしお二人さえよろしければ今日はわたしたちのお屋敷に泊まっていきません?ねぇお姉さま」

「そうねリィラ。わたくしももっとお二人と一緒にいたいわ。どうでしょう?」


 気がつけばもう夕方。空は茜色に染まり、もう少しで夜になる。ティンダロスが現れる気配は一切ないし、同様に夢の移り変わる前兆もない。宿の手配をしていない俺たちは、最悪このまま野宿することになってしまう。

 どうしようかという瞳で、キトに目配せする。正直に言ってしまえば俺はこの姉妹の提案を喜んでいた。この美しい姉妹とのお茶会が、あんまりにも楽しかったせいだ。


 キトはそんな俺の思惑を知ってか知らずか、じっと俺の目を見つめ返す。そして呆れたようにふうと溜息、かぶりを振る。


「僕はいいよ。ヒロトもそれでいいよね?」

「ああ」


 その言葉に二人がぱあと明るくなる。それはまるで一面の花畑にいるよう。とはいえ俺たちは今、薔薇園にいるわけだが…… 。


「そうと決まれば早速お夕食の支度をしなければ」

「そうね、お姉さま。こんな素敵なお客人をもてなすんですもの。豪勢なものにしましょう。わかりましたね、セバスチャン」


 いつのまにか姉妹の後ろに佇んでいた初老の執事。執事に相応しく、優雅でそれでいて鋭い動作で頭を下げる。


「さあお夕食が出来るまで、お屋敷に行ってお二人に泊まっていただくお部屋を案内しましょう。フフフ、ワクワクするわねリィラ」

「はいお姉さま」


 笑顔で椅子から立ち上がり、レイラが俺の手を取る。同様にリィラはキトを。


「さあ行きましょう二人ともお屋敷の中にはたくさん面白いものがありますわよ」

そう言って二人は俺とキトを連れ、屋敷の中に入っていく。



 暖かな陽の光で目が覚める。豪勢過ぎる部屋のベッド。布団が変わったり、天井が高すぎて寝られないという人がよくいるが、暖かでふかふかのベッドに抱かれ、そんなこともなくぐっすり快眠出来た。


 あの後二人に屋敷の色々な所を案内され、出された夕食は二人の言った通り豪勢で非常に美味しかった。そのまま暖炉で昼間と同じように他愛のないことを語る。普段高校で、学友たちとやっていることと同じなのに、妙な充足感と楽しさがそこにあった。


「夢の中で眠るなんて奇妙な感覚だな」


 微妙にはっきりとしない頭を振って、眠気を飛ばす。ベッドから立ち上がり着替える。軽く時計を確認。大丈夫、まだ遅刻していない。

 朝食の時間を思い出し、まだ多少の余裕があることを確認。ゆっくりと向かう。こんな穏やかな気持ちは久しぶりだ。

 到着したのは時間より少々早い。けれどもそこにはレイラが既に席に付いており、瀟洒に紅茶を飲んでいた。


「おはようございますヒロト様。昨夜はよく眠れましたか?」

「おはようレイラ。御蔭さまでぐっすりだ」


 軽く笑う。それに応えるように「まあ」なんて言いながら微笑むレイラ。何でもないやりとりだが、それが妙に楽しい。

 俺は与えられた席に座る。キトとリィラはまだいない。おかしいな、キトはこういった時は時間より早めにいて待っているタイプだと思うのだが…… 。

 朝食の時間ギリギリで、キトとリィラが一緒に現れた。


「すまない。この娘に捕まってしまってね」


 どことなく決まりの悪そうなキトの言葉。それもそのはず今の彼女はいつものウサギの耳の付いたシルクハット、そしてタキシードの代わりに蒼いドレスを着ていた。


「僕にはこういった衣装は似合わないと言ったんだけど、リィラが聞かなくてね」

「だって勿体ないんですもの。折角キトお姉さまお綺麗なのに、あんな格好していてはダメですわ」


 ぷうと頬を膨らませるリィラ。彼女に俺も同調する。夕飯の後、妙にリィラに懐かれてしまった俺たちは、それぞれキトお姉さま、ヒロト兄さまと呼ばれるようになっていた。


「そうだな、リィラ。よく似合ってると思うぞキト」

「…… 。そうかな?」


 頬を赤く染め、そっぽを向くキト。恥ずかしげに軽く頬を指で掻いている。

 もともとキトは中世的な綺麗な顔立ちをしていたのだ。今まで男性の格好をしていたので気がつかなかったが、こうやってドレスを着ると今まで隠れていた女性らしさが表に出て、思わず俺の目を引いた。


「そうですわよね、ヒロト兄さま」

「そうね。ヒロト様とリィラの言う通りだわ」


 三人から誉められ、林檎のように真っ赤になるキト。彼女の新鮮な反応に思わず笑顔がこぼれる。

 朝食は昨日の晩餐に比べれば、幾分質素なものだった。しかし寝起きで胃が起きていない俺には非常にありがたかった。


 朝食を食べ終わった後、皆が思い思いに一日を楽しむ。リィラとキトは庭園の薔薇の世話。俺は屋敷の中を散策することにした。レイラだけがなにをしているかわからない。朝食を食べ終わると同時にふらりとどこかへ行ってしまった。

 廊下を歩く。騎士甲冑に絵画。様々な調度品が品よく並んでいる。向かう先は図書室。昨日案内されて場所はわかっている。


 図書室に向かうと言っても読みたい本があるわけでもなし、廊下の調度品たちを見ながらぶらりと進む。


「昨日見た時も思ったが、凄い蔵書の数だな」


 呆れと感心が入り混じった言葉。ちょっとしたスポーツが出来るほどの大きさの部屋に、天井に届くほどの高い本棚。そこにぎっしりと本が敷き詰められている。


「やっぱいいよなぁ、外国の本は」


 適当な本を一冊取り、その革表紙を軽く撫でる。日本の本は文庫本みたいに気軽に楽しめるのは有難いことだが、コレクションには向かない。それは新書でもそう。外国の本のように革表紙の重厚感はやはり違う。とはいえその分値段が高いのだが… 。

 本を戻し、図書室の中を歩きまわる。どれもこれも異国の言葉で書かれており、読むことは出来ないがインクと紙の匂いを楽しむことが出来る。


「あら、ヒロト様も読書?」


 後ろから声を掛けられた。鈴のように綺麗な声、レイラだ。俺は首だけ動かし、背後に佇む彼女を見る。


「いや、ここの本は俺には読めないからな。ただの散策だよ」

「そうですか… 」


 若干残念そうなレイラの声色。朝食を食べ終わってすぐ図書室に向かったってことは、彼女は本が好きなのだろう。


「レイラは読書か?」

「違いますわ。ただこの空気が好きなので」

「ああ、それはわかる」


 間髪入れない俺の言葉に彼女は「まあ」と嬉しそうな言葉をあげる。けれどもその表情はすぐに暗いものになった。


「…… 。ここにある本はもう読んでしまいましたの。全て知っている物語ばかり。だからヒロト様がここにいらっしゃってわたくしとても嬉しかったのよ」


 ぴたりと背中に彼女の体温を感じる。後ろから抱きしめられた。優しく、けれども絶対に離したくはないという意志が、胸に回された腕には込められていた。


「私たちは籠の鳥。このお屋敷から出ることが出来ませんの。ヒロト様の語る異国の話はとても楽しかったですわ。―― いえ、ヒロト様さえこのお屋敷にいてくだされば、私たちはこの退屈なお屋敷での生活から解放されるの」


 背中にかかる熱い吐息。滔々と語る彼女の言葉には男を惑わせる不思議な熱が込められていた。


「―― ずっとこのお屋敷にいて」


 思わず俺は反転し、レイラを抱きしめた。強く、決して離さないように強く。


「―― 嬉しい」


 胸の中で嬉しげに微笑むレイラ。彼女の金色の髪を優しく撫でる。まるで甘える子猫のように身じろぎする。それは普段気品に溢れたレイラから想像出来ないほど甘く、そして切ない。


「ヒロト!」

 どこか切羽詰ったようなキトの声。名残惜しげに彼女を放すと、いつのまにか現れたキトの方へ向く。大方レイラに気を取られ、彼女の存在に気がつかなかったのだろう。


「どうしたキト。そんならしくない声を出して」


 今まで彼女が声を荒げたことなどなかった。ティンダロスに襲われた時も、夢の世界で様々なことを経験した時も。それが何故?


「いいから来てくれないかヒロト」


 言うが早いか彼女は俺の手を取って走り出す。


「お、おいどうしたんだよキト?」


 彼女に連れられるようにして、図書館を出て廊下を走る。レイラのどこか寂しげな表情に後ろ髪を引かれた。


「君はこの夢にいちゃダメだ!」

「どうして?キトだってリィラと楽しげに笑いあっていたじゃないか。それにここはティンダロスに襲われる心配もない」


 不思議とこの夢の中にいればティンダロスに襲われることはないということがわかった。これは予感ではない確信。


「それがダメなんだ」


キトの言葉がまるで意味がわからない。ここは安全で、幸せで、俺がここにいればレイラがこれ以上悲しむこともない。なんでこの夢にいてはならないのか。


「今から無理やりこの夢をこじ開ける」


 いつのまにかキトの手には、彼女がいつも愛用しているステッキが握られていた。

無理矢理キトの手から逃れようとしても、想像以上に強く握られ離れることが出来ない。

 ステッキを振るう。なにもなかった廊下に、黒い裂け目が現れる。なんとなくわかった。あの裂け目を潜ると、この夢から抜けてしまう。精一杯の抵抗。けれどもそれは無駄で、俺とキトは黒い裂け目に入ってしまった。


「―― レイラ… 」


―― 落下。

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