第4話 道化 未

 ブラックアウト状態の視界が戻る。そこは一面の緑、森の中だった。周囲を見渡す。悪意はそこにはない。思わず膝に手をつき、深い安堵の溜息をつく。


「大丈夫かい、ヒロト」


 苦笑いと共に手を差し出すキト。思わずその右手に掴まろうとして、払いのけた。立ち上がり、キトの顔を真っ正面から見つめ返す。


「大丈夫だ」


勿論嘘だ。軽い瘦せ我慢。今更になって体中から冷汗が流れ落ちる。とはいえ可愛いものだろう。


「そうだね。大丈夫そうだ」


 皮肉げにその顔を歪めると、キトは払われた手を引っ込める。


「それにしてもここはどういった所なんだ?」

「森だね」

「いや、それは見ればわかる」


キトの言葉に思わず頭を抱える。俺が聞きたいことはそんなわかりきったことじゃない。


「とはいえここは君の夢だろう?だったら僕が知るわけないじゃないか。それにここに来たってことはきちんと意味があることだ。君の思う通りに行動すれば、それがはっきりするよ」

御尤ごもっともで」


 はあと溜息をつく。結論八方塞がりで、この後の展開を決定付ける要因はないってことだ。周囲を見回す。あるのはなんの変哲もない木ばかりで、何かしらの手がかかりがあるとは思えない。

 …… いや、待て。


「なあ音楽が聞こえてこないか?」

「うん。聞こえるね。音のする方へ行ってみようか」


 森の奥で楽しげに演奏されるフルート。その唯一の手掛かり目指し森を突き進む。木のない開けた場所。そこにリスや鹿それに兎のような小動物が楽しげに跳ねまわっている。

 いやあれは踊っているといった方が正しいか。そして切り株を椅子として陽気にフルートを吹いている緑の服を着た少年。演奏が止まった。


「やあ。人間のお客さんは初めてだ。よければこっちへ来ないかい?」


緑の少年の言葉に思わずキトと見つめ合う。ふうと溜息一つ頷く俺に、意志をくみ取ったキトは笑顔で返す。


「それじゃあ少しお邪魔させて貰うとするか」


 少年の近くに座る。柔らかな草がクッション代わりなって中々座り心地がいい。キトも同じように座る。同時に一匹の兎が彼女の膝に乗った。


「わっわわわ」

「ハハハ。お仲間に人気ですな」


 うさぎに擦り寄られうろたえてるキト。思わず彼女のシルクハットについてるウサ耳を撫でるように触る。


「… うるさいよ」


僅かに頬を赤く染め、唇を尖らせる。そんな俺たちの様子を見て朗らかに笑う緑の少年。


「ははははは。仲いいねお二人さん。ボクの名前はポップ。キミたちは?」

「俺は尋斗。こっちのうさぎに囲まれているのがキト」

「よろしく。ってだからやめてよ、くすぐったい」


 膝のうさぎが甘えるように彼女の腹に擦り寄る。「こら」なんて軽く叱りながらも擦り寄って来たうさぎを優しく撫でる。

 キトのそんな様子を見ながら、ポップは柔和に微笑みながらフルートを吹く。先程までの陽気なメロディから一風変わって、うっとりするような優しい音色。ポップと一緒にいた動物たちも目を細め、その繊細なメロディを静かに楽しむ。


「―― どうだいボクのフルートは」

「素晴らしいよ。僕はこんな綺麗な音楽を聞いた事がない」

「ああ、俺もキトと同じだ。うまいこと言葉に出来ないが凄い。それだけは言える」


 俺たち二人の言葉に照れたのか、ポップは頭を掻き恥ずかしそうに笑う。


「はははは。嬉しいね。ヒロトもキトも街からきたんだろう。君たち二人に認められたってことはボクの腕は街でも充分通じるってことか」


 正確には街からではなく、別の夢から来たわけだが同じようなものだろう。重要なのはポップのフルートが人に感動を与えられるほど素晴らしいものだということだ。


「街かぁ… 。行ってみたいねぇ」


 ポップのその言葉にはまだ見ぬ街への羨望が隠れているように感じた。


「行ってみればいいじゃないか。ポップのフルートなら充分街でもやってけるだろ」

「いや、街へは行かない」


 間髪入れずのポップの言葉に思わず驚いた。同時に行かないと言ったポップの言葉に、硬い意志が込められていた。


「ボクはフルートが本当に好きなんだ。街へ行って成功出来たら問題ないけど、貶されたら立ち直れない。きっと大好きなフルートを手放してしまう。だから街へは行かない」


 ポップのその言葉はきっと誰にでもある感情なんだろう。本当に大好きだからこそ貶しめられたくない。大好きで、自信のあることだから受けるダメージも大きい。けど貶しめられなければ更なる成長は見込めない。



―― 成長するための通過儀礼イニシエーション。非情なるジレンマ



 ポップの奏でる陽気なリズム。けれども俺は先ほどまでと同じように味わえなかった。どこか心に悲しい風が流れ込むのだ。

 楽しげに踊る動物たち。ふと気がつけばそこに平べったく不格好な黒い犬が混ざっていた。


ティンダロス!


 思わず俺は虚数で盾を生み出した。けれども予測していた衝撃は来ない。不審に思い盾から顔を出す。

 ティンダロスの不気味な口腔。人一人丸呑みに出来るほど大きなそれは俺ではなく、ポップに向けられていた。


 ポップも動物たちもティンダロスには気がつかない。危ない!その言葉すらも予測が外れたことに対する衝撃で俺から失われた。

 キトが言っていたではないか。夢とは潜在意識の顕れ。夢の中には必ずその夢を見た原因が存在すると。ティンダロスが襲うのは何も虚数である俺だけじゃない。夢の根幹となるものを襲うと。


―― そう。ポップこそがこの夢の根幹。暗転。

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