憧れの『伝説』 中編



「寒い日はさぁ、結局鍋なんだよ!」



 そこが寒いだけでは? とド正論をしてくるコメント欄から目を逸らし、クレハは昼食の準備を進める。

 寒い日は鍋。日本人の魂に刻み込まれた様式を高らかに宣言したクレハは、鍋やコンロを準備する。


 ただでさえ普段は持たない冬用のテントや寝袋で、荷物がかなり多くなっているにもかかわらず、しっかりと調理器具や食材を持ってきているのは、もはや執念以外の何物でもない。


 ご飯食べたら帰りより荷物は減るから! と呆れていたメルに笑い飛ばしてここまで来ていた。



「しかし……もっと鍋に適した食材があればなぁ」



 そう残念そうにため息を吐くクレハ。今回彼女が持ってきたのは、キャベツに多めのキノコ、白身魚に加工済みのエルダーコッコの肉。


 そう──白菜が、ネギが、豆腐が、無いのである。


 もはや鍋の主役とまで言い切ってもいいそれらの食材。そんなものが入っていない鍋など鍋では無い……とまでは言わないが、魅力が激減しているのは周知の事実であろう。

 


「まぁ、それでも限られた食材で如何に美味しいものを作るかが料理人の腕だって、ノエルちゃんが言ってた」



 と、意気込んでみるもののやることは鍋に具材入れて水や調味料を入れて、煮て終わりである。簡単なのも鍋の魅力。

 はぁ、とため息をつきながら鍋にぽいぽいと具材を入れ、最後に白身魚とエルダーコッコの肉(加工済みなのでエルダーコッコのそれとは分からない)。あとは出汁を入れれば完成なのである。



「メルちゃんとノエルちゃんに協力してもらって良かったー……じゃなきゃ今頃泣いてた」



 そう口にしながら取り出したのは、水と白い液体が入った瓶。若干黄色味のあるそれ。



「これはねー……豆乳。大豆の加工品だよ……多分これもその内店頭に並ぶから、みんな試してみてねー!」



 そう、この転生者。幼なじみ2人に協力してもらって豆乳を作り出していた。本当は鍋をすると決めた時に豆腐を作ろうとしたのだが……結局そちらは上手く行かなかった。その副産物として豆乳が完成していた。


 豆腐作りに失敗したクレハは血の涙を流したが……豆乳が出来上がっていることに気付いた時は飛び跳ねて喜んでいた。



「牛乳より優しい口当たりでさっぱり飲めるんだよー。鍋に使うとねー……まじ、美味しいよ?」



 しかし、ここでよくするミスとして最初から豆乳を入れて煮込むことである。

 常温の状態から豆乳を加熱すると、豆乳が分離してしまいポロポロとした塊ができてしまう。これでは折角の豆乳鍋が台無しだ。


 そうしないために、豆乳はまだ入れない。まずは水だけ。念の為……一応念の為、旨味調味料を入れておく。出汁がわりだ。



「火をつけてー……アクが出てきたら適度にとる! のが理想なんだけど……ここだと取ったアクを処理する方法が無いんだよねぇ……」



 例えばこれが森の中やダンジョンの中なら、最悪地面に捨てても誰も文句を言わない。そういう意味ではこの場所もそうなのだが……極寒のこのダンジョンでは、捨てたアクが自然に還る事無く凍てつく。

 さすがにそれはちょっとなぁ……と考えたクレハは、今回はアク取りを諦める。



「キャンプご飯なんてね、ちょっと雑なくらいで丁度いいんだよ……で、沸騰したら弱火にして、蓋をして暫し待機! さーコメ返しコメ返しっと……」



 鍋に蓋をしたクレハは、そのまま椅子に深く腰かけ流れていくコメント欄を見つめる。画面に映った完全防寒の自分の姿に、可愛くないなぁとため息。

 しかし、仕方ない。可愛いは世界最強の兵器だが、ここで可愛いを追求して薄着などしたら死んでしまう。



『前に保護した女の子はー?』

「あー、今彼女はライオット家で保護してもらってるよ。体調も良くなってきてるし、元気だよ」

『良かった』

『あの子って、もしかして……奴隷だった?』

『元気が1番だよ』

「ホントねー。その内探検家として復帰するのか、仕事を斡旋するのかはまだ未定。まぁ、悪い様にはならないと思うよ?」



 あまりにも鋭いコメントが流れてきたが、クレハはそれをスルー。

 幼なじみとの話し合いの結果、決着が着くまでフィアについての話題は深く掘り下げない、開示しないという結果になった。彼女自身のプライバシーもそうだし、何より犯人サイドに情報を与えたくなかった。


 これに関しては、メルとノエルの頑張りを待つしかない──そう理解しているクレハは、いつも通り配信をする。



「さーてと、結構話し込んでたから、いい感じになってるかなー?」



 オープン! とゆっくりと蓋を開ける。

 一気に襲いかかってくる湯気に顔を仰け反らせる。カメラは一瞬で曇り、コメント欄は前が見えないと笑う。



「うーん……これは最高ですなぁ!」



 ぐつぐつと煮えた出汁の中。鮮やかな緑色に変色したキャベツに今にも崩れてしまいそうなほど柔らかそうな白身魚。若干くたっとしたきのこ類に、食欲そそる色をしたエルダーコッコの肉。


 あぁ、これは勝った。


 鍋の様子を見て、クレハは一人笑う。しかし、まだだと。まだこの鍋は完成してないと沸き上がるコメント欄を手で制す。制さてないが。



「でー……ここから最後の仕上げですよ!」



 クレハは取っておいた豆乳をカメラの前に掲げてみせる。今日の鍋の主役は、ある意味これなのだと言わんばかりに、まざまざと見せつける。



「というわけでー……豆乳を投入します!」

『は?』

『は?』

『は?』

『は?』

『は?』

『は?』

「……ごめんて!」



 威圧感のある『は?』で埋め尽くされるコメント欄。

 思わず涙目になりながら豆乳を投入するクレハ。これに関してはクレハが100%悪いので誰も擁護しない。幼なじみ2人ですら、盛大なため息を吐いていた。



「と、とにかく……これにて! 豆乳鍋の完成!」



 常温の豆乳を入れたことで温度の下がった鍋。しかし場所が場所のため、未だにほかほかと湯気がたっていた。

 フォークを持ったクレハは、いただきますと一言手を合わせてから、まずはエルダーコッコから。



「ふぅー、ふぅー……はむっ…………んんっ! これは美味しい!」



 かなりしっかり煮たので、味には期待していなかったクレハだったが、尚も肉の中に閉じ込められていた肉の旨味に感動するクレハ。

 まろやかな豆乳のコクも合わさり、この時点で作ってよかったと満足するクレハ。



「うん……うん……美味しい……これはねぇ、寒い日に真似して欲しい。豆乳じゃなくても、普通に水炊きでも美味しいよ……あ、この旨味調味料、来週頭から販売開始しまーす」



 ことり、と机の上に調味料の瓶を置く。

 どうやらコメント欄は待ちかねていたようで、クレハの発表に大盛り上がり。



「使う時の注意点としては、別に塩気や甘みがある訳じゃないから、あくまで追加でちょびっと入れるくらい。これメインで料理したら、流石に体に悪いからね?」

『はーい』

『りょうかーい』



 聞き分けの良いコメント欄を眺めながら、はふはふと鍋を食べ進めるクレハ。

 しかし、ここで聡いコメント欄がひとつ疑問を投げかけてきた。



『あれ? 主食は?』

「お……気付いた? 今回はねー……はふっ、あむっ…………むぐむぐ……ごくんっ、白米を持ってきたんだけどぉ……鍋ってね、最高の食べ方があるんだよ!」



 じゃーん! とカメラに見せつけたのは、普通の卵。

 日本生まれ日本育ちならば、この時点でクレハが何をしようとしているのか直ぐに理解したはずだが、ここは異世界。誰もクレハの悪魔的所業に気付かない。


 とりあえず、その食べ方をするためには食べ進めないとと、クレハはひたすら鍋を食べ進める。豆乳を入れたおかげで食べやすい温度になっていたため、ペロリと具材を食べ切るクレハ。



「ふぅ……でー……ここにありますのはぁ、野菜やお肉やお魚の旨味が出たぁ、最高のお出汁ぃ。ここにぃー……ご飯をていっと入れましてー……火をつけてー……溶き卵をぶち込めばー……!」

『ぐわあああああああああああ』

『なんだその食べ方』

『やばい、絶対美味い』



 ようやくクレハの所業に気づいたコメント欄の悲鳴。どれだけ食べたいと騒いでも、視聴者たちには食べることなどできない。

 ふっふっふと笑いながら、クレハはぱんっ! と手を叩く。



「完成! 豆乳鍋の簡単雑炊っ!」



 卵でとじた雑炊。あぁネギが欲しいと嘆きたくもなるクレハだが、無い物ねだりは良くない。

 それはこの雑炊に失礼だ──などという訳の分からない持論を展開したクレハは、意気揚々とスプーンで一口。



「…………ごめん、ちょっと黙る」



 転生しても、肉体が変わっても、クレハの魂は日本人。

 鍋と米。その二つに揺さぶられる彼女は、やはり日本人。

 ちょっと黙るの宣言後。クレハは本当に黙りこみ、食べ終わるまで一言も喋らなかった。


 本当に美味しいものを食べると、人は黙る──誰が言い出したんだっけと、鍋の中が空になった時、クレハはぼうっと考えていた。



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