憧れの『伝説』 後編
『さて……寝るか……それじゃ、今日の配信はここまでー! また見てねー!』
全てを食べ尽くしたクレハが、配信を終了させた。
暗くなった画面を眺める酒場の人間たちは、完全に黙りこくっていた。
普段はそれなりの盛り上がりを見せるダンジョン攻略後の食事シーンにも、彼らはあまり反応を示さなかった。原因は、はっきりしていた。
「……クレハちゃんってさ、もう全部手に入れてるだろ」
異常なほど静かな酒場。静寂を切り裂くように語り始めた男は、ガイという名の、この筋20年のベテラン探検家。つい先日プラチナ級に認定された、有力探検家。後進の指導にも熱心で、最近はクレハの配信からさらなる技術を学ぼうとしている。
長年この業界で活躍してきたからだろうか、彼は少なからずショックを受けているようではあるものの、それでも比較的早く話せるようになっていた。
「富、名声、環境、技術……そのどれをとっても俺たちなんかより遥か上の女の子だ。俺ならもういいやって思っちまう……ってか、なんなら今ですら満足しかけてた」
「……俺もッス……それなりに稼げるようになって……生活にも娯楽にも困らなくなって」
彼が指導している探検家の男──ジルも、ガイの言葉に賛同する。
ガイとジルの間では10数年の差がある。だからジルの発言は浅はかと言われてもおかしくないものだったが、ガイはその発言を流す。
「だがどうだ? 俺たちの遥か上……正しく天上人と言ってもいいほどの、16歳の女の子が、まだ上を目指しているんだぞ? しかも相手は……『神様』だ」
意気消沈してしまっている酒場の探検家を鼓舞するように、ガイは声を張り上げる。
探検家達の共通認識として、『ローグ』への挑戦とは即ち『神』への挑戦と同義。
残してきた偉業の数々、更新への影響、今自分たちが飯を食って行けるような制度や法律作りを加速させた張本人──何人たりとも追い抜くことは勿論、並ぶことすら不可能な存在。
それが『ローグ』。それが『神』。
「なのによぉ……俺たちがこんなところで満足しちまってよぉ……良いわけねぇだろ」
静かに、だが圧力と熱量を兼ね備えたその言葉。
下を向き、打ちひしがれていた探検家たちが顔を上げ、ガイの顔を見る。
「やるぞお前ら! 俺たちだってまだまだ上行けるってこと見せてやろうじゃねぇか!」
『おおっ!!』
──と言うように、世界中の探検家達が気合を入れている一方その頃。
「…………ダメだ、暖かくしすぎて暑すぎる」
世界中の探検家の注目を一身に集めている当の本人は、テントの中で苦戦していた。
厚手のマット、断熱性曲振りの冬用テント、冬用寝袋、メル製暖房(魔力動力。排気ガスを出さない、湿度の変わらないストーブ)と完璧に整えたクレハ。
逆に暑すぎて寝れなくなっていた。
「不味いなぁ……暑いから諸々脱ぎ捨てたいし寝袋要らないんだけど、もし何かの間違いでストーブ切れたりしたら死んじゃうよなぁ……」
昼寝に命の危険がある状況下ですら呑気に汗を拭うクレハ。勘違いしてはいけないが、彼女はいつも命の危険に晒されるような場所で昼寝をしている。別に今回だけが危険という訳でもないし、これが彼女以外だったらあっさり死んでいてもおかしくなかった。
一重に彼女がクレハ・ヴァレンタインだからこそ大丈夫なだけである。良い子とまともな探検家は真似しちゃダメである。
「うーん……眠気はあるんだよなぁ……とりあえず、ストーブは切るか……」
ぱちん、とストーブのスイッチをオフにするクレハ。粛々と熱を発していたストーブが停止したことを確認したクレハは、再び寝袋に入る……前に、水分補給。
寒い時こそ水分補給は大事なのだ。冬はどうしても水分補給の機会が少なくなりがちであり、いつの間にか水分不足で体調を崩してしまう……というのは割とある話だ。
前世の記憶で健康に関する知識は豊富に持っているクレハ、抜かりは無い。
「さて……今度こそおやすみ………………………………」
寝袋に包まり、目を閉じるクレハ。
暫しそのままの体制で寝転がっていたが、やがてモゾモゾと右側を下にして横向きになる…………かと思えば、ゴロンと反対向きになってみたり、うつ伏せになってみたり、丸まってみたり伸びてみたり。
──寝れないのである。
「…………寝れないっ!!!」
飛び起きたクレハ。確かに眠気は体の内に存在しているにも関わらず、何故か眠れない。
まずい、とクレハは一人焦る。別に寝れなかったら寝れなかったでその分活動すれば良いはずなのが昼寝だが、彼女の頭からそんな考えは一切存在しない。
彼女はここに、昼寝しに来ているのである。
「どうする……? スリーピー……は、ホントの最終手段……運動する? いや……そしたら余計寝れなくなる……気がする」
催眠魔法を使うか、運動するか……次々と案を出しては却下していくクレハ。
あーでもないこーでもない……うんうんと頭を悩ましていたら、一つ妙案を思いついた。
というか、思い出した。普段はあまり使わないため持ってきていることすら忘れていた秘密道具のことを。
「確かー……この辺に……あったあった! あったかアイマスクー!」
でーん! と効果音でも出そうなダミ声で鞄の中から取り出したのは、黒い厚めの布から帯が伸びた物体。
クレハはその物体の帯をハチマキの要領でキツすぎない程度にキュッと結び……ずいっとずらして目元を覆う。
「スイッチオン! 42度! 30分後にオフ! 」
ふぉおん、とアイマスクから効果音が鳴る。そして、じんわりと温度が上昇していく。
目元がぽかぽかと暖かく、実に心地よい。
「あぁあああああああああああ…………こりゃあ良いですわぁ…………」
温泉に浸かった時のようにため息混じりの声を吐く。目元を温めているだけのはずなのに、全身がリラックスするかのような感覚に陥るクレハ。
やはり強制的に視界を暗くする効果は絶大。しかもそれが目元を程よく暖める。
クレハは天才である。身体能力も魔力の含有量も、さらにはそれの制御技術も卓越しており、ダンジョン攻略においても驚異的な精度と圧倒的なスピードを誇るトラップ検知技術を有している。
しかし……彼女はその分、慢性的な疲れ目である。
そのため、このホットアイマスクの効果は絶大だった。
「これはぁ…………いいですよぉ…………きもち、いぃ…………ふぁあ…………」
先程までのハキハキとした喋りは鳴りを潜め、遂にはあくび混じりで独り言。
段々と呼吸もゆったりとなり、意識もとろとろと蕩けていき…………やがて、彼女はその意識を手放した。
「…………くぅ…………くぅ…………」
普段の天真爛漫さからは考えられないほど穏やかな寝息を立て、気持ちよさそうに眠るクレハ。
久しぶりのダンジョン昼寝を楽しむクレハ。果たして予定通りの時間に起きられるかどうかは──また別の話。
「寝すぎたぁあああああああああああああああああああああっ! アイマスク気持ちよすぎるってばあああああああああああああっ!!」
──4時間後。ダンジョン内に、少女の叫び声が響き渡ったのであった。
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