感情


 遠野は店の窓のパキラから、ミルクティーにいま口をつけた千折に、目を戻しました。

「最近、シメール人による日本人女性暴行事件が全国的に多発してる」

「……だから何?」

「奴らはみんなケダモノだよ。新興宗教が誕生させたとかいうシメール人なんて得体の知れないものに人権まで与えるのがそもそもどうかしてる」

「やめて」

「いやケダモノですらない。害虫だよ……千折ちおちゃんはこんな話を知ってるかな。ドク蜘蛛の生息する地域じゃ、その毒性を中和し、緩和する薬用植物が自生するそうだ。日本にシメール人がうろつきはじめたのと”有用な人間たち”である僕らが生れだしたのはほぼ同時期なんだ。要するに……」

「やめてってば!」

 ガチャリと鳴ったティーカップ中の液体がソーサーの上にゴポゴポと沸き立っています。

「……こわいな。見なよ、そこのパキラもこわがってる」

 千折は不審そうな二つの目を、パキラから遠野に移しました。「……意味わかんない」

「感情は動物だけの特権じゃない。人間はもっと人以外と目を向けあってもいい……」

「あっそう」

 千折はふーふーしてミルクティーを飲もうとしかけ、もう一度パキラに目を転じました。

「あたしにはちょっとよくわかんないな」

「千折ちゃんは植物と一つになりたい、と思ったことある?」

「……は?」

「ないね。ないのが当り前なんだ。それが動物の常識だよ。ネコはネコと、イヌはイヌと、ヒトはヒトと惹かれ合い、一つになろうとするのが自然というものだよ。この話だけでもシメール人がこの世界でどれほど異質な生き物なのかはっきりしてきたじゃないか」

 千折はもはや黙りこんでふーふーしてます。

「種は総てハンエイを目指す。それはなぜか。千折ちゃんはどう思う。――僕はこんなふうに思ってる。愛されるために外ならないってね。けど実際のところ僕らは愛されてる。その実感がすこしうすいというだけの話で。恐竜よりは遊び相手として面白いんだろうね。僕ら人間が滅びるとすればそれは愛されなくなったというより、神の遊び相手として退屈すぎる存在になってしまったから、と言ってみてもいい。だけどね、僕は本当は神なんてカンタンに言ったりしたくないんだ。神とは『在るもの』と『在らしめるもの』の統一体だ。一体であり、そして全体でもある……。しかも僕の感覚から言えば、神はひどく人間くさく感じられるところがある。つまり、」

「…………」

「僕にはなんとなく感情的な感じさえする。そもそも僕ら人間が、この世界に生れてきたのはどうしてだと思う」

「知らないからそんなの……」

 千折は自分のうしろの女性が席を立つのを気にしながらいいました。

「喚ばれたからだ。求められたからだ……。僕らは愛されているからこそ今ここにいる。僕は愛の一とカケラもまじらない出生というものを信じない。僕ら”有用な人間たち”はごく普通の人間よりも愛されてる存在だよ。つまりより強く求められたと言ってもいい。なぜか。害虫共を皆殺しにするそのために」

「あんた結局それが言いたかったわけ? 付き合いきれんわ……。あんた陽乃ちゃんには今みたいなヘンなこと言ってないよね?」

「陽乃に……? いや、中学生の女の子にこんな話をしてもしょうがないよ。それに僕は誰にでもこのことを話してる訳じゃない。僕は千折ちゃんに聞いて欲しかっただけで」

「ならいいけど……。あんたが人種差別にお熱なのは勝手にすればいい。だけど、もしあたしの身の回りで何かあったら――……、そんときはヨウシャしない」

「……あ、何だそうゆうこと? だったら早くそれを言ってくれたら……。いや、僕がわるかったよ。千折ちゃんを敵にまわすことだけはしたくない。大体、千折ちゃんが協力してくれないなら、僕には何もできないよ」

 千折は適温のミルクティーを一口飲んだ。

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