第7話 アルコール

 営業という仕事は社会に出るまで決まりきったサイクルで生活していた僕にとって最初はハードなものであった。就いてからしばらく四六時中仕事以外に目を向けていた。毎日知らない事や突発のトラブル対応。決まった一日、一週間なんて一度も無かった。先輩からはすぐ慣れるよとよく言われていたが信じていなかった。しかし、人間とはよく出来ているものだ。諸先輩方の言う通りだんだんとトラブルや問い合わせが起こることが当たり前となっていき、繰り返しているうちに習慣へと落とし込まれていった。今では仕事にもだいぶ慣れ余程のことがない限り焦りや当時感じていた胸騒ぎなどは一切感じなくなっていた。

 まだ駆け出しだった頃、若手研修の一環で都内へと出張をしたことがあった。全国支社の同世代が一同に集まるため締めは当たり前のように飲み会へと連行される。これまでも酒は飲んできたしこういう場や酒自体も好きだ。しかし営業がメインの飲み会。酒の猛者が集まっているのためビール一杯で顔が真っ赤な僕にとっては完全アウェイなカオスな場としてと化していった。案の定派手な飲み会であったため簡単に酔っ払ってしまった。都内まで近いとはいうもののなんだかんだ1時間ちょっとは自宅の最寄り駅まではかかる。終電危ういかもですという切り札を使い上手く飲み会から脱出をした。ちょうど来た電車に乗り込むと車内は似たような状況の酒の匂いがきついおじさんたちばかりであった。席もまばらに空いていたため遠慮なく座り込んだ。大衆に晒され直角に姿勢を取っているのにも関わらずどうしてだろうかこんなにも深く眠り込んでしまったではないか。

自宅のベットでもこんなに快眠することは珍しい。起きたら知らない駅という状況にまだ気が付けていない。どれだけ寝てしまったのだろうか。目を覚ました瞬間絶対に遅刻できない日に二度寝してしまった苦い記憶を思い出した。やってしまったというダメージがゆっくりと自分を襲った。よく寝たせいか不思議と目は冴え変な落ち着きも持ち合わせている。酒で少し気も大きくなっているのであろう。普段の自分ではない気がした。携帯も充電が切れていた。日本が安全たる所以は記憶がないくらいの睡眠を公共の場で取っていてももの一つ失っていないというところだと身に染みて感じていた。改札もしまっており始発までの数時間をホームですごすか、ローカルな駅なので横の柵を乗り越えて出てしまうか迷った。がしかし掲示板の路線図をみると最寄りから10数駅も離れていることがわかった。この時間田舎のタクシーは既に切り上げている。携帯もないため暇つぶしは困難に思えた。とりあえず落ち着こうと少し離れたところにある椅子を目指し足をうごかした。見渡す限りこの場所以外に椅子は設置していないように見えた。段々と近づいていくと人影のようなものが確認できた。酔っており認識能力が低下しいるもののもしかして、お化け?くらいの思考は持ち合わせていた。しかし疲労と一息つきたい気持ちが勝り椅子に座ろうと決意し距離を詰めていった。幽霊を思わせるほど彼女はほっそりとしたシルエットで7人掛けのイスの端っこに遠くを見つめ座りこんでいた。日に一切焼かれていないだろう真っ白な肌と生気の抜けかけた青白い顔で近くに来た僕の存在を確認してきた。

夜中に若い女性が一人。なにか事情があるのだろう。普段であればこんな痴漢、下手すれば犯罪者と誤解されかねないこのシチュエーションで話しかける、近寄るなんてことは絶対にしない。本当に普段であれば絶対しない。酒や朝まで手詰まりな状態、疲労、色々相まって接触をはかったのだった。反応するしないは正直関係なくほとんどこちらの独り言のように朝までなにかずっと話しかけていた記憶が残っている。返事もあったり、時折何か思い詰めた表情をしたりと断片的な記憶はある。だがその内容の詳細までは思い出せす事ができなかった。始発の動く時間となり早々に床につきたかった僕は身勝手ながらそそくさと朝まで付き合ってくれた女性に別れを告げ電車へ乗り込んでいった。人々が活動し出す頃にベッドに入り昼飯時に目を覚ました。起きてから冷静になって今朝までの出来事を整理してみた。思い返しても中々珍しいイレギュラーな一日だったなぁという感想とあの女性がなぜあの時間に、あんな場所にと色々謎について思考をめぐらせみたが既にぼんやりとした記憶しか残っていなかった。特に雰囲気こそインパクトがあり印象的だったがついに鮮明な顔を思い返す事はなかった。元気になって欲しかったしどこかでまた会えたら、まずは謝罪と謎についてそれとなく聞いてみようなどと叶わぬ妄想をし土曜の夕方まで眠る覚悟で二度寝に向かったのだった。

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