第33話 7月19日(月)
「いやでもっ」
僕は信じたくない。
「証拠は?動機は?そんなことしたって、花宮さんになんの得があるんだ?!」
花宮さんが、『リコーダーペロペロ事件』の真犯人だなんて。
目撃者はいない。
僕は記憶を消した。
小野は決定的瞬間を見ていない。
どうやって、花宮さんが真犯人だと証明するのか。
「証拠ならここにあるさ」
我妻が取り出したのは、リコーダー。ジップロックに封入されたそれは、イニシャルからして花宮さんのもの。
「ここからは、花宮美由のDNAが検出された」
「別に、花宮さんの痕跡があってもおかしくないじゃないか」
「いいや、おかしいんだよ。だって、花宮美由のDNAしか検出されていないんだから」
僕は目を見開く。
花宮さん以外の痕跡が検出されない。それはつまり、花宮さんしか、そのリコーダーに触れていないということ。
「はたから見て、当時は唾液まみれだと証言されるほどの状態だった。ならば、一度廃棄されたとはいえ、第三者のDNAが検出されてもおかしくない」
だが、我妻は首を横に振る。
「検出されたのは、たった一人。花宮美由。君のものだけだった」
何か言い訳はあるかい?
と今、初めて、花宮さんに視線を向ける我妻。
僕はその視線を断ちたかった。我妻と花宮さんの間に割り入りたかった。
けれど、僕に抱き着いた桐乃はその手を離してはくれなかった。
僕は呆然と、夏の暑さに汗を流す。
「溜飲は下がった?」
花宮さんは両手をぶらつかせ、忌々しいと我妻を睨み返した。
「私を暴き立てて、わざわざ人を集めて公開処刑。変人のあんたは、一躍名探偵。楽しい?そんなことして」
そのきれいな目を、今は怒らせ、眉間にしわを寄せ、この場にいる一人一人を睨む。
「ええ、私がやった。全部、私。被害者に見せかけたのも、そこの中田を消そうとしたのも」
「どうしてそんなことをしようとしたんだ」
小野が低い声で責める。
「逆境が必要だからだよ!」
花宮さんは、まるでなにかを振り払うように叫ぶ。
「中学から、頑張って容姿も身だしなみも整えた。男子は私を好きになってくれた」
「十分すぎるだろ」
「十分なわけがない!だって、吹奏楽部エースはあいつの手にある」
あいつ、と加納さんは睨まれる。
「演奏しているとき気づいたの。私に注目しているのは極一部だけ。私を見てるのは根暗なオタクどもだけ!みんな、別のなにかを見ている」
花宮さんは学園のアイドルだ。でも、生徒全員が、花宮さんだけを見ているわけじゃない。それぞれの学校生活を送っている。
けれど、過去に一度だけ、花宮さんに全員が注目した瞬間があった。
「でも、あのとき、私の体操着が盗まれたとき、気付いたの。そう、逆境。逆境があればいいんだって。見た目だけじゃダメなんだ。もっとかわいそうでいれば、被害者でいれば、みんな見てくれるんだって」
確かに、あの『リコーダーペロペロ事件』が起こったとき、みんな花宮さんを慰めた。
「でも、どれもこれも、あんたたちが台無しにしてくれた。根暗と変人が、私の邪魔をしてくれた!」
ぎり、と歯ぎしりの音が僕にも聞こえた。
「楽しかった?私を貶めて。楽しかったの?私を台無しにして。なんとかいってよ、ねぇ!ねぇえ!!!!」
「いや」
悲鳴のような花宮さんの声を、我妻の一言がかき消した。
「まったく」
我妻は、嗤っていなかった。笑っていない。笑顔がない。
その顔は、ただの無表情だった。
怖い。始めてみるその顔に、僕は恐怖を覚えた。
真の意味で、見下した、無関心の表情に。
「だいたい」
はぁ、と我妻はため息交じりに肩をすくめる。
「私にとって、真相がどんなものなのか、真犯人が誰なのか、そんなものはどうでもいい」
その表情は、元のひょうひょうとした薄ら笑みに戻った。
「私が見たかったものは、知りたかったものはただ一つ。変態というものの生態だ」
とんとん、とあの分厚い手帳を中指で叩く。
「探索し探窟し探求できればそれでいい。だから、私はもう満足だ。お前には興味がない」
いや、そもそも興味を持っていない。
我妻は、花宮美由に対して最初から一貫し、一切の興味を持っていない。
「なんで……」
花宮さんは震える。
「なんなの、あんた。なんで見ないの。なんで私を見ないの!」
花宮さんの叫びに、けれど、我妻は無関心。
その目は、花宮さんを映している。だけど、その目は花宮さんを見ていない。
我妻は一度として、花宮さんを見ていない。花宮さんが、その動機を独白しているときでさえ。
「なぜ……?」
ふ、と我妻は小ばかにするように口角を上げた。その幼稚な質問に答えてあげよう。そう表情で語る。
「だって、花宮美由。君は人間としての複雑性を持っていないからさ」
人はね。と我妻は分厚い手帳を掲げた。
「こんな手帳程度では書ききれないほどの複雑性を持つ。私では観察しきれない、多面性を保有する。一人の人間に魂をささげつつ、それでも家族を思うように。世間で受け入れられない癖を持ちつつ、それでも社会生活を営むように。人はたった一面では語り切れない複雑性を持つ」
だが、君は違う。
我妻は花宮美由を断ずる。
「君は実にエゴイスティックだ。いや、それはかまわないよ。利己主義は人間の本質さ。私だってそう。でも問題は、君がそれだけで語れてしまうことだ」
我妻の視線は冷たい。
「君を一目見ただけで、どんな人間なのかどんな人生なのか、理解できてしまう。単調な色を好むほど、私は達観していないし、暇でもない。だから君には惹かれない」
けれど。我妻は手帳をなでる。
「中田風太はその特異な変態性を、今回の事件でよく見せてくれた」
ぞわり、僕は背筋の悪寒に震えた。
「一人の人間に執着しつつ、それでも倫理と道徳で自ら縛るその人間性。利己主義と利他主義を内包したその人生。見ていて飽きない。標本にしたい、是非」
そんなことされて、たまったものではない。
僕の感情に気づいたのか、我妻はウインクで返す。こっち見んな。
「だから、花宮美由。君のことなんてはなからどうでもいいんだ。私には、警察のような正義も、探偵のような真理も持ち合わせがない。
私はただ、中田風太の一挙一動を観察できればそれでいい」
我妻は満足そうに笑んだ。
花宮さんは呆然と我妻を睨む。
沈黙が重くのしかかるこの空間。誰かのため息が響いた。
「それでは、今回の責任は花宮さんにあるということで、かまいませんね」
教頭の言葉が、屋上に響く。
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