終焉の時

 りぃん、ごぉん、と独特な響きの鐘が鳴り響く。

 魔除けの音らしいが、アラタにはただの権威付けのデモンストレーションにしか見えなかった。


 鐘に接続された棒を儀仗兵が厳かに上下させれば、また鐘が荘厳な音を鳴り響かせる。

 玉座の間は陽光を取り込み玉座周辺を明るく浮かび上がらせ、鐘の音が厳かに、緩やかに鳴り響くように設計されていた。


 この国の人間であればそんな不敬な事は考えもしないだろう。

 しかしアラタのようにしがらみのない達観した視座に立てば、なるほどそこは王という権威を飾り立てる秀逸な舞台装置に思える。神の存在など信じてもいないのに、荘厳な教会に立てばなにやら神の息遣いを感じてしまうような、そんな程度の代物だ。


 気に食わないなと舌打ちすると、横にいたりディアがびくりと身をすくめた。

 萎縮している少女を見やり、何を怯えているのかと叱りつけたくもなるが、この世界の人間であればこれが普通なのだ。


 領主権の返上の際にすでに王との謁見を果たしているが、その時はアラタを救いに行かねばという思いが先行した興奮状態で、緊張する暇もなかった。


 日を跨いで改めて謁見の間を訪れてみれば、その荘厳な舞台装置の効果が余すところなく効果を発揮するというわけだ。


 壁に並ぶ近衛騎士と、その前でリディア達を探るように見る貴族達の視線もまた緊張を強いていた。


 まだ王は現れず、緊張が限界に達したリディアが耳打ちしてくる。


「あの、だ、大丈夫でしょうか」

「何がだよ」

「その、処罰されるなど、ないでしょうか……?」

「さぁな。だがあのままとんずらしていたらお前に余計な罪がかけられる可能性があるんだろう。なら、なるようになると腹をくくるしかあんめぇよ」


 リディアがベンハルトを殺したことは、大きな問題となっていた。

 ベンハルトは王家でははみ出し者ではあれ、王族ではあるのだ。


 辺境伯領に発布された民を苦しめる施策の実行者がベンハルトであるとしても、発布された命令書にはリディアの名前が使われている。となれば、書類上はリディアに責任が及ぶのは当然のことだ。


 領主権を返上した以上、リディアは貴族ではなく一介の市政の民でしかない。

 王家が威信を守ろうとすれば、リディアにすべての罪を着せ、ベンハルトとは病没ということにしてしまうのが手っ取り早いのだ。


 リディアがそれに気づいたのは、アラタと合流してからだ。

 借り受けた近衛隊から王よりの言として謁見を申し出たことで、ミゲルが隠蔽の可能性を示唆したのである。


 言われるまで気づかなかったが、確かにその可能性はあり得た。

 むしろ気づいてしまえば、辺境の地を救った英雄として扱われるよりも、王族殺しとして処分される可能性のほうが高く思えてくる。


「もしもの場合は、私が盾になります」

「だから逃げろってか? 女に守ってもらって逃げ出すほど腐っちゃいねえよ。さっきから言ってる通り、なるようになれだ。武器は持っていていいと言われてんだから、黙って様子をみようや」


 武器を掲げながら、アラタはあっけらかんと言い切った。

 確かにリディアの不安は理解できるし、往々にして権力者というものは自身の権力基盤をい守ろうとする。


 だがそれがどうしたというのか。

 五体満足で、腰には相棒たる刀がある。

 ならば何も心配することはなく、なるようになるのだ。


 例え周囲に万の敵がいるとしても、謁見の間を守護する近衛騎士達がなかなかの腕前揃いだったとしても、だ。アラタは意地汚く生き残る自信があった。


「それはそうと、アラタはひどいです」

「何がだよ?」

「だって、あんな最後の別れみたいな顔して送り出しておいて、頑張って助けに戻ったら宴会中ですよ? 連れてきた近衛騎士達、ぽかんとしていましたよ」


 アラタは鼻を鳴らし、「知るかよ」とぼやいた。

 確かにリディア達がやってきた時には宴会中だったが、アラタにも言い分があるのだ。


 戦いで少なくない死傷者が出たのだから、彼らを弔うことは必要なことだった。その後にやるべきことがなく、リディアの勝利を信じて待つのみであればなおさらである。


 戦士を送るならば酒とともに晴れやかに。

 そのために傭兵達が個人的に所有していたわずかな酒と、近場から酒をかき集めてちびりちびりと飲みながら葬式をしていたのである。


「少ない酒でしめやかに故人を送る……どこに問題があるんでぇ?」

「少ない酒? いま、少ない酒と言いましたか? 私達を罠にはめた砦を襲撃して、酒の入った大樽を持ち出してどんちゃん騒ぎをしておいて? 少ない酒と?」

「……多い少ないは人によるだろうよ」


 仏頂面のアラタをまじまじと見つめ、リディアは深々とため息をついた。


「前から思っていましたけど、アラタは剣以外は駄目人間では……?」

「否定はしねえな。なんだ、弟子を辞める気になったか」

「そんなわけないでしょう。剣だけは最高なんですから、ずっと着いて行きますよ」


 真顔で剣だけの男と言われてしまえば、さすがにアラタとて一言言ってやりたくなる。

 だがいざ反論の言葉を探そうとしても、確かにその通りと納得してしまう自分がいるだけに一向に言葉が見つからない。


 早々に反論を諦め、誤魔化すように言った。


「まぁ、好きにしろや」

「はい、好きにします」


 馬鹿話で少しは気が紛れたか、ようやくリディアの口元にも笑みが浮かんだ。

 儀仗兵が高らかに声をあげたのは、ちょうどその時のことだった。


「ラグルード・アル・ステラタート国王陛下、ツェーザル・ベルハイム宰相閣下、ご入室なされます!」


 現れたのは二人の男だ。

 国王であるラグルードは騎士達に負けず劣らずの大柄で、鍛えられた体が豪奢な衣装に収まっている様はいささか不釣り合いに思える。大剣と鎧に身を包み、外套を風になびかせているほうがよほどしっくりくるような威風堂々たる偉丈夫だった。


 もう一人の宰相であるツェーザルは国王とは打って変わって線が細い。

 しかし油断なく周囲を見回す目は鋭く、切れ者であると察しがつく。狐目で目つきが悪いのが玉に瑕だが、不思議と嫌な印象はなく、むしろ謹厳実直に王に仕える忠臣として有名だった。


 ラグルードは玉座に座ると、広間の中央で立つ二人を見た。

 何を言われるか、ここが正念場と気を張るリディアだったが、ラグルードは予想したどの言葉も発することなく破顔した。


「久しいな、リディア嬢」

「……ええと、お久しぶり、でしょうか?」


 混乱するリディアに、ラグルードは怒るでもなく頷いた。


「十三年ほど前か。中央からの侵略を君の祖父とともに防いだその帰りだな、休息を取るために屋敷に赴いたことがある。その時に会ったのだが、覚えていないかな?」


 十三年前という単語に、リディアの中に何か引っかかるものがあった。

 確か父親と一緒に泥まみれでやってきた人物がいたはずだ。一週間ほどの滞在だったが、幼いリディアに剣の使い方を教えてくれ、ずいぶんと可愛がってもらった記憶がある。


「ルド……おじさん……?」

「そう、ルドおじさんだ。覚えていてくれてうれしいよ」


 ぽかんと口を開けたリディアは、復活すると同時に咳払いをしながら目配せする宰相に気付いた。


 しまった、と思うが後の祭りだ。


 確かに懐かしい祖父の友人ではあるが、目の前にいる人物が国王なのだ。公的な場で子供時代のように声をかけるのは礼を逸する行為であるのは間違いない。


 リディアは咄嗟に背筋を正し、頭を下げて非礼を詫びた。


「し、失礼致しました。不敬をお許しください!」


 だがそれに対する反応は少しばかり予想とは違った。

 悲しくつまらなそうに、しかしどこか諦念を滲ませながらラグルードはリディアの非礼を受け入れたのだ。


 それから宰相を恨めしそうに睨むと、誰にも聞こえないような声量で文句を言うではないか。


「ツェーザル、やはり王というのはつまらない立場だな。昔馴染みの娘におじさんと呼ばれることすら許されないか。あの頃のリディア嬢は甘えん坊で可愛かったんだぞ。ルドおじさん、ルドおじさんと後をついて回ってな……」

「ここは公然の目があるのですから、立場に合わせて振る舞うのは当たりまえです。貴方は国王陛下なんですから、いい加減戦場で暴れまわっていたやんちゃ坊主の時代は忘れて頂かねばなりません。話したいならあとで別室でごゆっくりどうぞ」


 ふん、と鼻を鳴らすツェーザルの言葉に首をすくめ、ラグルードは悲し気に「お前も一緒に暴れまわっていたくせに」とは呟き、ごほんと咳払いをしてから厳めしい表情で居住まいを正した。


 傍目には明らかにツェーザルに文句を言ってやり込められた国王の図だ。

 だが当然そんなことを口にするのは不敬なわけで、全員が鉛でも飲み込んだような顔で二人から目を逸らしていた。


 どうやらこれが日常的に行われているらしく、実に茶目っ気たっぷりの国王だった。


「さて。それでは本題に入ろうか」

「は、はい!」


 姿勢を正したリディアに、ラグルードは緊張するなと手を振り言葉を続けた。


「結果が出るまで自由にすることができなかったが、まずは調査の一報が届いた。リディア嬢から聞かされていたとおり、馬鹿な息子がオーヴェンスタイン家を乗っ取り、悪政を敷いていたのは間違いない。家族を失って傷心のリディア嬢から全てを奪い、あまつさえ亡き者にしようとするなど言語道断だ。よく私を頼ってくれたな。ルドおじさんはうれしいよ」


 その言葉に、リディアはほうと息を吐いた。

 この場は貴族達もいる公然の場だ。


 そこで国王がリディアに非がないと告げるということは、それが対外的な事実として認められたということなのだ。この瞬間、ベンハルトの罪を隠蔽するためにリディアを断罪するというストーリーはなくなり、リディア達が罪に問われる可能性はほぼなくなった。


「よかった……本当に……」


 しばらくぶりに肩の荷が下りた気がして、心の底から安堵の息が漏れた。

 アラタと合流してから謁見が始まるまで気が気ではない日々が続いていたのだ。


 ベンハルトと戦ったのはアラタが望んだことではない。

 民を救いたいという自分のわがままに乗ってくれたに過ぎず、リディアに協力したからと断罪されるような事になれば死んでも死にきれない。


 場合によっては自分が盾になってでもアラタを逃がさねばと思い詰めていただけに、不安から解放された喜びはひとしおだった。


「アラタ、よかったですね。私達罰せられなくて済むようです……よ?」


 喜びを共有しようと振り返ったリディアは、しかしアラタの凄絶な表情に息を呑む。

 それはこれまでに見たことがない、大切な何かに恋焦がれるような表情だ。


 何がそこまでアラタを駆り立てるのか、声をかけようとしたリディアは、ちき、というあまりにも小さな耳慣れない音に気付いた。


「何の音――」


 嫌な予感とともに視線を下げれば、アラタの刀が親指で押し上げられているところだった。


 リディアは知らぬことながら、刀はいきなり鞘から抜くには不向きな作りになっている。


 鞘の入り口である鯉口こいぐちは刀身の根本にあるはばきがぴったり収まり、簡単には抜けないように作られている。それによって刀の脱落を防ぐのだが、抜刀する際には鞘の根本を握って親指で鍔を押し上げることで、はばきを鯉口から抜く――鯉口を切るというひと手間が必要なのだ。


 リディアが耳にした音は、この鯉口を切る時に発生する音だった。


「アラタ、いけません!」

「くかっ、そいつぁ聞けねえなぁ」


 咄嗟に手を伸ばして止めようとしても、本気になったアラタを止められる者などいるはずがない。


 疾風のごとく飛び出したアラタに一歩及ばず、リディアの手は空を切った。

 反応できなかったのは騎士達も同様だ。


 壁際にいた騎士達はあまりの素早さに剣の柄に手を伸ばそうかという塩梅で、アラタを止めるなど到底不可能だ。


「お前さん強ぇな。死合おうや、な?」


 ラグルードに語りかけるアラタの傲慢さよ。

 悪鬼羅刹もかくやという有様だが、殺気などは微塵もなく、ただただ無邪気な喜びにあふれていた。


 しかし対するラグルードも負けずと豪胆に笑う。


「断ったらどうなる?」

「無駄死にしたくなきゃ受け入れるしかあんめぇよ」


 振り下ろされる唐竹割りの一閃は音すらも置き去りに、ラグルードの脳天に叩き込まれ――いや、その寸前でアラタの姿が掻き消えていた。


 比喩ではなく、忽然と、きれいさっぱりと消え失せてしまったのだ。


「ふむ……豪胆な男だな」


 最初に気付いたのは玉座に座っていたはずのラグルードが仁王立ちとなり、その手に剣を持っているということだった。


 鞘から抜き放たれた薄青く光る特徴的な刀身は見たことはなくとも、この国の民であれば必ず耳にしたことがある。大陸中央からこの地に訪れた建国の父が所持し、国名ともなっている王国の守護の剣、神剣ステラタートである。


「捕らえよ」


 剣を鞘に納めながらラグルードが示す先――リディアの足元にアラタがいた。

 半ば意識を失っているようで、苦悶の呻きを漏らしている。


 リディアはその光景に息を呑んだ。

 あのアラタが何もできずに叩きのめされているのだ。


 アラタが斬りかかった瞬間、確実にラグルードは剣を抜いていなかった。

 だというのに、ほんの一瞬の空隙の後にはアラタは地に伏し、ラグルードの手には剣が握られていたのである。


 だが驚きにひたる時間はなく、殺到する騎士達によって二人は拘束され、地面に押し倒された。


 国王暗殺未遂の罪人なわけで、当然のことだ。

 リディアにしてみればアラタの罪に巻き込まれただけに過ぎないが、恨む気持ちよりも先に、助けなければという感情が先行した。


 アラタはリディアのために命を懸けてくれたのだ。

 ならば今度は命を懸けて救わねばならない。

 恩を返さねば死ぬに死ねないという想いに突き動かされ、押さえつけられたままリディアは必至にラグルードに許しを乞うた。


「ラグルード陛下! 誠に申し訳ありません! アラタが――私の同行者が命を狙うなどそのような暴挙が許されないことは重々承知しています! しかしどうか、どうかお許しを――」

「黙れ!」


 後ろから殴りつけられ、かすむ視界にラグルードの顔が良く見えない。

 いや、見えなかったのは二人の間に立ちふさがる騎士がいたからだ。


 青い髪の立派な鎧に身を包んだ男は、ラグルードの盾となるように油断なく構えながらリディアを見下ろしていた。


「貴様は何を言っている? 国王暗殺の現行犯だぞ。未遂とはいえ許されるはずがない。その男ともども処刑だ。例えお前がその男の犯行を知らなかったとしても、同行者である時点で許せるはずがない!」

「ち、違います! 私を許して欲しいわけではありません! 私の命などどうでもいい、彼を、アラタの命を助けてほしいのです!」

「なおさらできるか、愚か者がっ!」


 男の叫びとともに、再び後ろから殴打された感覚があった。

 それと同時に、意識が薄れゆく。


 それでもリディアは、最後の瞬間までアラタの助命を口にしていた。

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