因縁の決着

 リディアは弱い。

 それは疑いようもない事実だった。


 アラタの攻撃を一度も避けれたことがないし、ベンハルトの剣術にすら劣るのだ。

 あるいは一年、二年とアラタの弟子として道を歩めば事情は違うだろうが、いまこの時にあるべき力がリディアにはないのだ。


 ならばどうするか?


 脳裏に閃いたのはガストルがアラタと戦って見せた奇襲、そしてアラタの反応である。

 騎士道にもとる行為であるはずの奇襲を受けて、むしろアラタは楽しそうに笑い、満足しているようだった。


 リディアにはそれが見苦しい行いに思えたが、それが間違いなのだとしたら。

 もしもあれが死合いであったとしたら、ガストルの行動は間違っているのだろうか。


 騎士道に殉じ、勝利を捨てて死の誉れに喜ぶ?


「あり得ませんね」


 この場において自分の死がただの逃げでしかなく、多くの民の困窮を招くことは火を見るより明らかだ。


 ならば、ガストルのように卑怯とそしられようと勝利を得るしかない。

 その覚悟を持ってこの一時に誇りを捨てると決意したリディアは、視界の霧が急に晴れたように感じた。


 状況は何も変わっていない。

 自分よりも一段上の剣力を持つベンハルト。

 男女差による膂力の劣り。

 救援の来ない閉鎖された部屋。


 考え得る限り最悪だが、誇りという枷が外れた今、リディアには多くの光が見えた気がしたのだ。


 そうしてみれば、ベンハルトの目に違和感を覚えた。


「何だ、まだやる気か? 神剣を使えぬお前が俺に勝てる道理などなかろう。いい加減に諦めたらどうだ!」


 ベンハルトが再び攻撃を開始し、大上段に切り込んだ。

 大ぶりに見えて、なぜかかわせないその一撃だったが、その時のリディアにはかすかに剣筋が見えた気がした。


 危なげなく躱し、大きく距離を取る。


「諦めたら……どうするのです?」

「くく、そうだな。まずはこの場で嬲る。次は衆目の前で……お前が連れていた屑どもがいたな、あいつらの前で存分に嬲ってやろう。そうして屑どもは殺し、お前には永遠に俺の奴隷として奉仕するよう躾けてやるとも」

「下衆め」


 言葉を交わしながらリディアは繰り出されるベンハルトの攻撃の違和感を探ることに専念した。


 恐らく、その違和感こそがベンハルトの躱しづらい剣筋を暴く鍵だ。


「嫌ならば抗うか? 勝てぬ戦いだというに、ご苦労なことよな」

「嬲られると分かっていて抗わぬ道理はないでしょう」


 さらに繰り出された一撃を躱したところで、ベンハルトが舌打ちとともにリディアの足に視線を向けた。


 その瞬間、リディアは違和感が増大したのを感じ、大きく飛びずさった。

 一拍遅れて降り抜かれたベンハルトの剣線は、リディアの手があった場所を通り過ぎる。武器を取り落とさせようというのだろうが、辛うじて避けることができた。


 だがリディアはそれに安堵することすら忘れ、気づいた違和感の正体に驚きを隠せないでいた。


 それが何かと言われれば、虚実である。

 頭を狙うと見せかけ、腕を狙う。腕を狙うと見せかけ、足を狙う。

 剣士にとってはごく一般的な技術で、リディアも頭では理解しているつもりだ。だが虚実は剣を振ると見せかけて止めるなどといった大きな動きであるという認識だったのだ。


 だが驚くべきことに、ベンハルトのそれは視線による虚実だ。

 斬りつける場所とは異なる部分を視るが、実際の剣は異なる場所に向かう。


 それに気づかないリディアは無意識に視られていた部分に反応していたせいで、実際の軌道と異なる剣に反応が遅れていたのである。


 これがアラタの攻撃を避けれなかった理由かと悟れば、こんな時だというのに喜びが沸き上がった。


 きっとベンハルトのそれとは比較にならない虚実を混ぜた攻撃なのだろう。

 よく見ろと言われたが、なるほどその通りだと納得した。

 一歩引き視界を広くする、それでは正解の半分でしかない。


 どこか一部を視るのではなく、俯瞰して全てを視る。

 手も、足も、目も、全てを見ればベンハルトの行動が先ほどまでが嘘のようによく理解できた。


「強い……ですね」

「何だそれは? お前よりは強いという自負はあるがな。ああ、そういえばお前は剣狂いだったな。お前よりも強い俺に惚れたか?」

「いえ、少しだけ見直しただけです。残念ですが、私が望む強さには到底足りません」

「ふん。足りぬとてお前を嬲るには十分だろうよ!」


 怒りに任せて攻撃を繰り出すベンハルトの剣筋は一見すると雑に見えたが、その実しっかりと虚実を混ぜてリディアを誘っていた。


 よく見ることがそれを理解したリディアは舌を巻く。

 一段上どころではなく、二段は上とベンハルトの実力を上方修正するしかない。


 見えるがゆえにわかる、ベンハルトの剣を掻い潜って無傷で勝利することはできない。

 見切ったとしても、リディアの体が、技術が対応できないのだ。


「ベンハルト、あなたは私が弱者だと思い込んでいますね」

「事実そうだろうが!」

「いいえ。そう思っている時点で、あなたは負けているのです」


 眼光鋭くカルティアを構えるリディア。

 ベンハルトは背筋がぞくりとするのを感じた。


 何かを見逃したか?

 あるいは奥の手があるのか?


 二人の剣力の差は明らかにベンハルトが上で、膂力も、持久力も優位である。

 必死に隠そうとはしているが、リディアの呼吸は徐々に荒くなり、そう時間もかからずなけなしの体力も底をつくだろう。


 だというのにこの余裕、はったりと割り切るにはベンハルトは憶病にすぎた。

 一歩下がりかけ、痛烈に舌打ちする。


「くだらん! 何もさせず圧倒すれば良い話だ!」


 ベンハルトの攻撃はさらに苛烈に、速度を増した。

 虚実の混じったそれを見切ることはできても、完全に躱すには実力が足りないリディアが安全に捌くには後ろに下がるしかない。


 だが、リディアはあえて一歩を踏み出した。


「貴様、何を……!?」


 遠ざかれば遠ざかるだけ剣を視る時間は増え、捌きやすくなるは道理。

 その理を捨てて死地へ踏み込むリディアに驚愕したベンハルトだが、しかしそれはむしろ望ましい展開ではあった。


「手が届く所にわざわざ来てくれるとはな! そのまま潰れてしまえ!」

「お断りします!」


 きっぱりと拒絶したリディアだが、距離を捨てた代償は大きい。

 距離という優位を捨てたことで躱し難さは爆発的に上昇し、捌き切れず腕に、足にと斬り傷が増えた。


「白い肌に流れる血の美しさもなかなかにそそるものがあるな!」

「だからどうしたというのですか!」


 リディアはさらに一歩を踏み込んだ。

 もはやお互いに手を伸ばせば届くのではないかという近間に、降り抜かれた剣がリディアの額を抉る。


「ちっ、顔を傷つけるつもりはなかったが……!」

「ご心配なく、もうこれ以上は傷つきません」


 溢れだした鮮血で美しい顔面の左半分を赤く染めながら、リディアは視線をついとしたに降ろした。


 それに気づいたベンハルトも視線の先を負い、それが己の腹部であると悟る。

 腹部は人間がもっとも動かしづらく躱しづらい場所で、剣力に劣るリディアが狙うのは理にかなっていた。 


 しかし、それでも足りない。ベンハルトならば問題なく防御が間に合う。

 ただし、それはこれまでのリディアの剣であれば、だ。


 防御のためにベンハルトが剣を動かしかけた瞬間、リディアの小さな声が耳に届いた。


「目覚めなさいカルティア」


 聞き逃してもおかしくない声量のそれが聞こえたのは風の悪戯か、あるいは運命か。

 ベンハルトは運命だと直感し、勝利を確信した。


「まだ余力を残していたのか、リディアっ!」


 神剣を使うだけの力など残っていないだろうと思っていたが、最後の最後まで取っておいたらしい。実に憎たらしい虚実であるが、それも種が割れてしまえば意味がない。


 カルティアの氷の槍についてはベンハルトも聞き知っている。

 発動までには一瞬の溜めが必要で、そこを潰してしまえばよいのだ。


「愚か者めが!」


 この近間で溜めを作る時間など与えるものかと、ベンハルトは最速最短の一撃を繰り出した。


 剣の腹で横一文字に側頭を打ち据える、それで終わりだ。

 どんな人間でも意識を飛ばし、ついにお楽しみの時間となる。


 そう、思った。


「愚かはどちらでしょうね」


 気づけば、振り抜いた剣を躱したリディアが懐深くに入り込んでいた。

 最速最短を目指したがゆえに虚実を混ぜることのないただ純粋な剣戟となってしまったのだが、リディアはそれを躱して踏み込んだのだ。


 ベンハルトの想像通り、カルティアを発動することなどできはしなかった。

 疲労は極限で、意識を失うほど力を込めても氷の槍どころか、つぶての一つも作り出せないだろう。


 だがそれすらも囮としたリディアの勝利であった。

 邪魔な虚実が失われた剣戟は、もはやリディアにとっては見切ることは容易い。

 左の胸に深々と突き刺さったリディアの剣は、間違いなくベンハルトの命を絶つ一撃だった。


「ぐ、ぬぅ……この、我が野望を邪魔する、のか……っ!」


 ごぼりと血を吐き出し、ベンハルトは怨嗟の声を漏らす。


「知りませんよ、そんなことは」


 リディアは冷たく言い捨て、崩れ落ちるベンハルトを見下ろした。

 致命傷ではあるが、まだしばらくは息があるだろう。


 悲しみと、不快感、そして怒りの内包された瞳を向けるベンハルトに、リディアは何とも言えない気持ちを感じた。


「止めは必要ですか」

「いらぬ……っ! 王たる俺がお前などの手にかかるなど、ありえぬ……っ!」

「そう、ですか」


 最後の矜持か、それともただの強がりかはわからない。

 とはいえ、どちらでもよいかと嘆息した。

 ベンハルトの懐をまさぐり鍵を奪うと、リディアはすぐに部屋を飛び出した。愚かな男の苦痛などどうでもよい、いままさに戦っている最中であろうアラタを救うために急がねばならなかった。


 王に直談判し、ベンハルトの悪行を暴く。

 そうして領主権を受け継ぎ、王に返すのだ。


 その代価として兵を出してもらえるように嘆願すれば、きっと通るだろう。

 それでも軍勢を準備し救援に向かうとなれば一日はかかる。さらに到着までは二日は見込まねばならず、全部で三日は必要になるだろう。


 いますぐに助けに向かいたい気持ちを堪え、リディアは流れる血にも構わず王宮内をただひたすらに走り続けた。

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