希望の乙女と剣狂いの剣豪2

 かわす、かわす、かわす、さばく、かわす、さばく――


 剣と牙の猛攻にアラタは防戦一方だった。


 ただでさえネーネの攻撃は切れ間のない二刀による連撃だ。眼を惑わす緩急も種が割れたとはいえ変わらず厄介で、そこに加えて別方向からの攻撃である。


 それが素人であれば一刀の下に切り伏せてやろうが、野生の獣というのはこれがどうして片手間に斬り捨てられぬ程には手ごわいのだ。


 どちらか片方であれば問題がない。

 だが両方であれば些か手に余るというわけだ。


 剣戟の隙間を縫って襲い来る牙を避けきれず、切り裂かれた皮膚から血が噴き出す。

 

 ぱたぱたと地面に落ちる血痕はわずかであれど、落ちた数はすでに相当の数に上っていた。


「ふふ、余裕がなくなってきましたね?」

「そう見えるかい。これがどうして楽しくなってきたとこなんだがな」


 全身に傷を負い血を流しながらのたまうアラタを、ネーネはただの強がりと判断した。


 致命傷には至らずとも、失血は力を減じさせる。


 遠からず動きが鈍るはずで、そこを狙って渾身の一撃を叩きこんで仕留めればいいのだ。よくこれだけ耐えれるものだと感嘆しこそすれ、終わりはすでに見えているのである。


「素晴らしいです。これほど粘り強い人間は見たことがありません」

「はっは。伊達に長生きしてねぇよ。しつこさには自信があらぁな……おっと」


 黒王の爪を躱して体勢が崩れたところに、双剣による打ち下ろし。


 左右から首を斜めに斬り落とすような一撃は、躱すにはすでに遅く、捌くには剣の数が足りない。片方は対処できても、もう片方が身に食い込む算段である。


 しかし対処不可能なそれにアラタはあっさりと反応した。


 片足を滑らせて腰をがくんと下げ、切っ先を下に、刀の根本で双剣を柔らかく受け止める――と思った瞬間には手首の捻りだけでネーネの剣を地面に叩き落して見せた。


 何が起きた?

 考えてもわからぬ、見ていたはずなのに理解できぬ、熟練の手管は魔法の如くある。


 圧倒的技量差を理解させられれば歯噛みするしかない。

 即座に切り返されたアラタの剣がネーネの胴を薙ぐことがなかったのは、一重に黒王の追撃が援護となったからだ。


 どちらかが危地に陥れば片方が助ける。

 攻撃こそ最大の防御というが、どちらか片方の攻撃が途切れれば即座にアラタの剣によって斬り捨てられるということが自明であるからこそ、ネーネと黒王は呼吸すらも惜しんだ。


 攻撃の手を緩めるどころか、むしろ速めていく。

 手数の暴威によって圧しきる、それこそが目の前の男を殺す唯一にして絶対的な最適解なのだ。


「そろそろ諦めなさい!」

「おっとっと。せっかくの美人が怒り顔じゃあ台無しだぜ」

「戯言を……っ!」


 楽し気に笑みを浮かべるアラタに、ネーネは舌打ちを漏らした。


 まったく、いつまで耐えれば気が済むのか!


 いつ自分達の手に捉えてもおかしくないというに、飄々と笑みを浮かべてかわしきるのだ。苛立ちと怒りに呼吸も荒くなり、ネーネは水中でもないというのに溺れるように酸素を求める自分の体を叱咤する。


 同時に、ふと疑問がよぎった。


 なぜこれほどまでに耐えられるのか?


 確かに攻撃を完全に捌くことはできていない。

 アラタの傷は増える一方で、流れる血もそれなりにある。

 だというのに、致命となる一撃だけは必ず躱し、むしろ楽しそうに死地に身を置いている様子まであるのだ。


 なんだこれは?


 化かされているような違和感に怖気が走った。

 そうとも、この感覚には覚えがあるのだ。


 長く経験していなかったが故に、懐かしき記憶として奥底に閉じ込めたい幼少の時分のそれ。


 まるで吸い込まれるように打ち込まされているかの如き手ごたえのなさがそれを思い起こさせた。


 ああ、糞が。


 これではまるで剣術の稽古そのもの、師の胸を借りて打ち込みをさせてもらう際、最上の剣を引き出そうと導く上位者に踊らされている時の感覚そのものである。


「この……馬鹿にしているのですか!」


 剣を止め、黒王を引かせて怒号する。

 吹き出す汗はもはや限界を超え、体からは白い湯気が立ち昇っていた。


 だというのに、目の前の男は軽く汗ばむ程度で息一つ乱していないのだ。


「あぁ、バレちまったか?」 


 言うに事欠いて、これである。


 あまりにもあっけらかんとしたその物言いに頭が冷えれば、嫌でも気づいた。気づかされてしまった。


 散々に手傷を与えて失血を強いたと思っていたが、もうほとんど血が流れていないのだ。


 アラタは苦笑しながら袖をめくって見せた。


「皮一枚、それしか斬られちゃいねぇよ。血も……ま、この程度なら気合で止められる。とはいえ、そう余裕もねえんだぜ。仕留めようと思えば一撃は受ける必要があるからな。隙を探してたんだが、うまいこと連携するもんでお互いの隙を潰し合ってくれるし……いやはや、人馬一体ってのは聞いたことがあるが、人豹一体ってのは珍しいね。あぁ、楽しいなぁ、おい。なかなかに面白いぜ、お前さんら」

「……この、戦闘狂いが」


 吐き捨てるように言うが、アラタは一瞬目を丸くし、首を振った。


「俺は剣狂いだぜ、お嬢ちゃん」

「どちらでもよいのです、そんなものは……っ!」


 いつの間にか立場が逆転しているような気がしたが、それでも戦うしかない。


 どちらにせよ手を出させないところまでは達成しているのだ。あとは手数で圧倒し、圧壊せしめるのみである。それしかないと割り切るならば、これほど覚悟が決まることもない。


 地面を抉るような踏み込みで飛び込めば、黒王もまたそれに追随した。


 だがネーネはその時、気づくことができなかった。


 アラタが神剣を使えないように神呪を唱える暇を与えていないはずが、そもそも唱えようという素振りすらなかったことに――


「遊びは十分だな。そろそろやるかい、相棒よ」


 何気なく剣に語り掛けるアラタの眼がネーネを捉える。


 刹那の空気の激変を感じ取ることができたのは彼女の類稀な剣才がゆえか、あるいは死地に飛び込んだがゆえの死に征く者の火事場の馬鹿力か。


 どちらにしてももはや遅く、それまでの速度を遥かに超える鋭い逆袈裟ぎゃくけさの剣閃をかわすことはできなかった。


 笑ってしまうほどに滑らかで、無駄の一切ない最短の軌跡をなぞるように迫る美しい剣であった。その速度たるやそれまでを倍する鋭さで、もはや躱すことなど不可能だと確信せざるをえない。


 ただ迫り来る死を見つめ、心が平坦に近づいていくのがわかる。


 ああ、死ぬのだ。


 真っ白になる思考が全てを呑み込み――


「ぐるおぉぉぉっ!」


 耳をつんざく叫びとともに、ネーネは横合いから押し寄せた巨大な質量によって吹き飛ばされた。


 黒王である。

 ネーネに体当たりし、無理矢理に剣の軌道から弾き飛ばしたのだ。


「黒王……っ!」


 だが、その代償は大きい。

 降り抜かれた刃は対象が変われどその威力を減じることはなく、軌道に入りし全てを切り裂いてのける。


 黒王の顔、その左目に深い裂傷が入っていた。

 いや、むしろその程度ですんだことが奇跡であるのだ。

 本来であれば顎先から抜けた剣先は頭蓋を断ち割っていてもおかしくなかったのである。


 そうならなかったのは野生の肉体が持つ柔軟さがゆえか。

 咄嗟に顔を逸らしたおかげで命までは取られることがなかったが、ネーネを救うために失った左目は戦闘においえあまりにも不利だ。


「おう、こりゃまた獣に助けられるたぁ泣かせるねぇ。しかし、目を失っちゃあもう終わりだな?」


 かかと嗤うアラタを睨みゆけ、ネーネは意味が分からないと叫びを叩きつけた。


「神剣の力を使いましたね? 神呪をいつ唱えたのです。私を謀ったのですか!?」


 神剣の能力を引き出すには神に捧げる神呪が必要不可欠。


 だからこそ神呪を唱える暇がないよう徹底的に攻撃し続けたのである。しかしいまアラタが神呪を唱えたようには見えなかったというのに、明らかに神剣の能力が開放された気配がした。


 それが何かまでは分からないにしろ、確かな気配の変化があったのだ。


 ならば考えられるのは、事前に能力を開放しておいて、それを何らかの方法で隠していたということくらいだ。


 だがアラタは首を傾げるばかりである。


「そのしんじゅってのは一体なんだよ?」

「……? 何を言っているのですか? 神呪は神剣の能力を開放するための祝詞のりとでしょう。それなくして神剣の能力を借りることはできません」

「そうなのか?」


 不思議そうにのたまうアラタに、ネーネは混乱した。

 何を言っているのだ、こいつは。


 ネーネの人生は嘘にまみれた人生だった。

 彼女自身が嘘をついたことはないが、周囲には多くの嘘が蔓延し、それを見抜かねばまともに生きていくことができなかった。過酷な環境がゆえに、人の嘘には敏感にならざるをえなかった。


 そのネーネの感覚がはっきりと断言している。

 この男は真実嘘をついておらず、本当に神呪を知らないのだ、と。


「まさか、本当に……? それでは神呪も無しに神剣の能力を……?」

「そのしんじゅってのは知らねえがよ。こいつは俺の相棒だ。欲しい時に力を貸してくれる、そういうもんだろう」

「そんな非常識な……!」

「知るかよ、馬鹿が」


 常識なんて糞食らえ。

 常識に囚われていれば五十年も剣に狂って世界を放浪していない。


 やりたいようにやる、なすがままになす。

 それがアラタという男の論理であり、到底ネーネには理解できない理屈であった。


 ネーネは疲れたように眉間を揉み、深々とため息をついた。

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