希望の乙女と剣狂いの剣豪

 一方その頃、アラタとネーネの戦いも激化の一途を辿っていた。


 ネーネの舞踏のごとき剣技は、二刀によって恐ろしいまでの技の冴えを見せていた。

 流れるような剣線は一瞬の停滞もなく、恐ろしいことに切れ間がほとんど存在しない。


 かと思えばその鋭さにはムラがあり、一流の鋭い剣線でありながら速度にかすかなずれがあるのだ。素人目には全て同じ目にも止まらぬ一閃であろうが、その微かなずれがもたらす効果は劇毒である。


 剣の動きはこれが驚くほどに速いもので、目で見て避けるということはおよそ不可能。

 ならばどう見切るか、一言でまとめてしまえば勘である。


 それも相手の体の微細な動きから予想される高度な予測と、戦場における己が経験をかけ合わせた神がかり的な勘だ。


 だがネーネのもたらすずれは、その精度の高い観察眼を狂わせる。

 速いと思えば伸びが少なく、遅いと思えば予想よりも一歩食い込んでくるのだ。

 野球に例えればわかりやすいか。150kmの剛速球かと思えば、145kmであったり、152kimであったりする。そのほんの微かなプロの野球選手ですら手元を狂わせるのだ。全てが同じ球速、タイミングで放られるとするなら、およそプロを名乗る者なら容赦なく観客席に叩き込んでしまうだろう。


 つまるところ、緩急とはそれほどに厄介なものであるのだ。

 それも達人の鋭敏な感覚を騙しきるほどに同じに思えてしまう緩急など、性質が悪すぎる。


「ああ、なるほど。そういうことかい」

「何がなるほどですか? 追い詰められて気でも狂ったのでしょうか」


 空気のように毒づくネーネに肩をすくめ、アラタはひょいと後ろに飛んで距離を取った。


 刀の背を肩に置き、ふうむと唸る。


「その妙ちくりんな動きと二刀流なんて珍しいもんのせいで騙されたぜ。お前さんの剣の肝は切れ間のない連撃じゃねぇな。善く戦う者は、人を致して人に致されず……ってか」

「? わけのわからないことを……勝てぬからと戯言で時間を潰すつもりですか」

「かかっ。それよそれ、いかにも自分が主導権を握っていると言わんばかりの態度。いいなぁ、お前さん。虚でもって惑わし、場を手中に収めることを一とする。いい勘してるぜ」


 善く戦う者は、人を致して人に致されず。

 中国の春秋時代の武将である孫子が、孫子の兵法と評される武経七書に記したその言葉は、主導権を取ることで相手を操り、主導権を取られれば振り回されてしまうという勝利の肝所かんどころを現すものだ。


 それはまさしくネーネが行っていたことで、アラタは虚実によってそれを成す彼女に感心した。


「とはいえ、知れてしまえばその程度のことではある。なぁ、わかるだろう? お前さんと俺の間にゃあ、超えられねえ剣の重みってのがあるんだ」

「否定しても始まりませんか。確かに技量の差があることは認めますが……しかし、剣技などあればいい程度のものでしかありません。まさかそんな時代遅れなことを言われるとは思いませんでしたね」

「あ? 何を言ってやがるんでぇ」


 剣において技量だけが全てではないことは認めるが、それでも大きな要素を占めるのは間違いない。


 アラタのこれまでの人生において、剣の技量を「あればいい程度のもの」などと評する愚か者は見たことがなく、心の底から理解が及ばなかった。


 だがそれはアラタが悪いというより、まだこの世界に馴染んでいない証左であろう。

 この世界において剣技とは弱者の技である。

 いわば持たざる者が抗うために生まれたものであり、真の意味での強者たりえぬ。

 この世界における剣とは、すなわち神剣なのだ。


 神剣の能力こそが至上である剣の世界において、個人の技量など何の意味があろうか。

 ネーネから言わせれば技量においても比類なしと言われた己を軽々と飛び越え、どころか鼻歌混じりに引き話していくような人間が存在すること自体が青天の霹靂であった。


「気配でわかります。あなたのそれもまた、神剣なのでしょう?」

「風切市右衛門ってぇんだが……気配ってぇのがあんのかい?」

「やはり、あなたは時代遅れですね」


 ネーネはアラタの評価を一段下降修正する必要があるとため息をついた。

 神剣の能力を使い続ければ、自然と神剣との親和性があがる。それによって神剣が感じている別の神剣の気配も感じられるようになるのだ。


 それすら感じ取れぬというのであれば、アラタは神剣をただの剣としてしか使っていないということだ。


 技量にのみ依存する旧態依然とした考え方に、ネーネは失笑を禁じえなかった。

 かつて神剣が現れる前の世界では各々の武の力量こそが全てを決していた時代があったというが、そんなものは遥か昔に掻き消えた伝説の中だけで語られるものだ。


 それも、恐ろしくも素晴らしい神話としてではなく、神に至らんとして足掻き失敗する愚かな人類の蛮行として残る戒めとしてである。


「愚かしいこと……!」


 戦いとは神剣の使い方一つ、それを理解せしめんとネーネは朗々と神剣の力を開放する神呪を唱え上げる。


宵闇よいやみほとり万黒ばんこくよりもなお深きごう

 暗天あんてんあなより輝くその双眸はなお暗く

 愚者の命を刈り取る夜の戦士たる姿を現せ

 契約はここに果たされん」


 ひんっ、と左手の曲剣を回転させて大地を示すと、ネーネは邪魔をする様子のないアラタを睨みつけ、馬鹿にするなと獰猛に吠えた。


希望の曲剣アナスタシア黒王こくおうよ、おいでなさい!」


 地面に黒い水たまりのような何かが生み出された。

 表現として適切ではないかもしれないが、しかしそれは水でも、油でも、血でもない、黒い闇のような何か、そうとしか表現できないものが、まるでそれ自体が命を持つように蠢き、じわりと浮かび上がる。


 重力が逆転するならばあるいはそうなるかというような、水が空へとしたたる奇怪な現象に、アラタはほう、と驚きまじまじと見つめた。


「こりゃあ凄い。これほどの大道芸はなかなか見れるもんじゃねぇな」


 どこまで馬鹿にすれば気が済むのか。

 歯噛みしつつも、空中で黒い液体がまとまって一つの形を作り出すのを見て、ネーネは勝ったと確信した。


 神剣使い同士の戦いにおいて神剣の能力をいかにうまく使うかは非常に重要な要素ではあるが、ネーネはそれよりも重要なものがあると思っている。それは即ち、いかに相手よりも早く神剣の能力を発動させるかだ。


 相手が能力を発動させておらず、こちらだけが発動できるとあれば、勝利は確定的であろう。なにせ技術などという時代遅れのそれに、神の威光でもって戦いを挑むのである。万が一にも負ける要素などはなく、力を発揮できぬままに敵は死の極地へと誘われるだろう。


 その意味において、もはやアラタとネーネの勝敗は決していた。

 いまだ神剣の力を開放する神呪を唱えもせず、しかしこちらはもはや開放が完了する。


 我、勝てり。

 酷薄な笑みを浮かべ、ネーネは目の前に生み出された黒豹――黒王に命じた。


「噛み殺しなさい、黒王!」


 がおう、と勇ましく鳴き、黒王はしなやかな筋肉を躍動させた。

 およそ人間が出しうる速度を遥かに超えた、凄まじい野生の突進である。


 いかに優れた剣技があろうが対応できるはずはなく、即座に黒王の鋭い牙で喉笛を引き裂かれる、そう思われた。


「おう、二人がかりかい。つまらねえ能力だな、おい」


 ひらりと黒王の牙をかわし、アラタは飄々と嗤っていた。


「そんな……っ! 初見で黒王の動きを見切れる人間などいるはずが……っ!」

「その猫はこくおうってのかい? 残念だがな、そういうのの相手は密林で散々体験しててよ。初見ってわけじゃねえんだな、これが」


 元の位置に飛びずさり、ネーネを見上げる黒王は剣の化身であるはずなのに、感情豊かに困っているように見えた。


 確かに黒王の筋力は人のそれを軽々と凌駕する。

 その牙は下手な刃物よりも容易く肉を裂くし、その一撃は人の命をただ一瞬で刈り取るだけの力を秘めている。


 あり得ない。

 黒王の牙をかわすなど、普通の人間にあり得るはずがない。


 半ば執着にも似た必死さでネーネは現実を否定せんとし、目の前のアラタの化けの皮をはごうとねめつけた。


「……ああ、見つけました。強がりがお上手ですね」


 アラタの左手に血が滴っていた。

 黒王の牙は届いていたのだ。


「ちぇ、ばれちまったか。うまくねぇな、まったく……お前ら、二対一で爺をいじめるなんざ卑怯だと思わねえのかよ」

「いいえ、微塵も」


 きっぱりと断言し、ネーネは即座に地を蹴った。

 揺らぎかけた心などすでに彼方へ置き去りに、ただ彼女ともう一匹の目には獲物の姿しかない。全ては些事、ただ重要なのは愛すべき相棒たる黒王とともに、一対の獣となることである。


「死になさい、我が宿願のために!」


 神呪を唱える暇は与えないと迫るネーネの曲剣と黒王の牙に、アラタは諦めたように空を見上げ、深々と息を吐いた。

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