最後のあがき3

「ベンハルト、貴方どうしてここに……っ!?」


 鳥を使って襲撃者を用意するくらいはしていると思っていたが、アラタが手に入れた情報によればベンハルトはリディア達よりも遥か後方にいたはずなのだ。


 それが先回りしているという状況に、リディアは混乱していた。


「くくっ、王たるもの不可能を可能にするものだよ。そうあれと神が告げるのさ」

「王権神授説ですか? 馬鹿馬鹿しい」

「何が馬鹿か! 王とはすなわち神から与えられた力ある者の称号だ! 神に認められ、神に愛され、民を、国を率いるべく優遇された存在なのだ! つまり私達王族は神だということだぞ! それのどこが馬鹿だというのか!」


 百年、二百年の昔であればともかく、いまとなってはかび臭い王権は神から与えられ、王とは神と同義などという考え方を宣うベンハルトに、リディアは心の底から軽蔑の視線を向けた。


 まったくもって馬鹿馬鹿しい。

 王族が神?

 では新しく生まれた国の王も神なのか?

 たかだか流れの傭兵や、大国での政争に敗れて辺境に流れた貴族などが国を興す例もあるが、それも神なのか?

 まして神が謀反で殺され、国が亡ぶというのか?


 そんなことはあり得るはずがないのだ。

 王は人間であり、国という民に平穏を与える機構を運営する者に過ぎない。

 民こそが国に必要不可欠な存在であり、王が神であるなど思い違いも甚だしい。


 それは王への不敬となりかねないがゆえに大っぴらに口にするものは少ないが、誰しもが肌感覚として理解している事実だ。


 だというのに、目の前の男は一昔前の妄想にいまだとり憑かれているようだった。


「本当に馬鹿馬鹿しい……あなたのような下種が私の婚約者だったなど、考えたくもありません。こんなことになって貴方を恨んだこともありますが、いっそそれでよかったのかもしれませんね。あなたに身を捧げる必要がなくて、本当に安心しました」

「はっ……言うじゃないか。なんならここで身を捧げさせてやってもいいんだぞ。顔と体だけは最高だからな」

「……っ。おぞましい」


 にぃ、とベンハルトは笑った。

 それはリディアの体に鳥肌を立たせるほどに粘着質で、不気味な笑みだ。


「ここなら何もされないとでも思っているのか?」

「……どういうことです?」


 医者と侍女が来るはずだと思っていたが、ベンハルトの言葉に嫌な予感を覚える。

 もしや、誰も来ないように手を回したのかもしれない。

 だが例えそうだとしても、リディアは王への謁見を申し込んだのだ。時間さえ稼げばいずれ侍従か誰かがリディアを呼びにくるはずで、ベンハルトにはそれほどの余裕はないはずだった。


 だがベンハルトの余裕の態度を見れば、嫌な予感は増していく。


「誰も来ないんだよ、リディア」


 ねちゃり、と笑みの形を作る口の中で涎が糸を引く。


「お前が城門を潜った時に備え、あらかじめ当番の案内役に金を掴ませておいたんだ。お前は予定された控室とは異なる部屋に案内されたことになっている。誰が呼びに行こうが、そこにお前はいないという算段さ」

「……そ、それでもいないとなれば探すでしょう!」


 見つけてもらえるまでの時間は長引くかもしれないが、それでも探してもらえるならば問題はない。騒ぎを起こせば、すぐに見つかるだろう。


 だがそんなリディアの思考を読むように、ベンハルトは逃げ道を潰す。


「探すとも。ただし、大貴族用の控室をな。ああ、一般用も探すかもしれんな。だが、この区画には人は来ない。なにせ、ここは他国の貴賓や王族を遇するための控室なのだからね。普段は閉鎖され、誰も入ることが許されない場所なのさ。そしてもちろん」


 ベンハルトは懐から複雑な紋章が刻まれた鍵を取り出し、これ見よがしにリディアに見せびらかした。


「しっかりとこの鍵で封鎖してきた。ここには誰も来ないし、騒いでも誰にも聞かれないのさ」


 ぎり、と歯噛みする。

 情けなく、悔しかった。


 よもやこれほどに頭が回り、策を練っているとは思わなかったのである。

 王城にさえ辿り着ければ問題がない、そう思っていたというのに、これでは蜘蛛の巣に飛び込んだ虫のようだ。


 このまま嬲られ、殺されてしまうのか。

 涙がぽろりと頬を伝った。


 それではチナも、アラタも救えない。

 ともに王城を目指し、リディアを送り届けるために自分を犠牲にした傭兵達に報いれない。


 全てが無駄になるという事実を突きつけられたリディアは、カルティアに意識を向けた。


 頼りになる味方であるはずの彼女は、うんともすんとも言わない。

 それはそのはずで、先ほど荷車を吹き飛ばした時に全ての力は使い果たしている。かろうじて体は動くにしても、氷の槍一本作ることすらできない。


 そうしようと思った瞬間、恐らく意識が途切れるだろう。

 そうなってしまえばそれこそベンハルトの思うままで、考えたくもない未来を甘受する羽目になってしまう。


 ならば、どうするか。

 決まっている、神剣の力を使わずにベンハルトを倒せばいいのだ。


「……その腰の剣、神剣や精剣ではありませんね」

「まあな。名工の手によるものだが、ただの剣さ。それに比べると、君の腰にある剣は神剣カルティアだな。俺のものにするはずだったのに、気づいたら宝物庫からなくなっていた。まさか持ち逃げするとは思わなかったから焦ったぞ」

「元々これはオーヴェンスタイン家の家宝。一族の者が持つのが当然です」


 ちっと舌打ちしたベンハルトは、「それで?」と目を細めた。


「俺も王族だからな、神剣には詳しいんだ。見るからに疲労困憊、そんな状態で神剣を使うなんてできないだろう。できるんだったら、俺と話をせず殺せばいいんだからな」

「さあ、どうでしょうね」


 自分でもわかるくらいに下手な演技で、ベンハルトにはまったく通じなかった。

 ははっと腹を抱えて笑いだし、いかにも面白い事を聞いたというように手を叩く。


「この期に及んでまだその強がり……いいじゃないか。俺は気の強い女を嬲って屈服させるのが好きなんだ。抗う女を従順にさせる……これ以上楽しい遊びはないだろ?」

「下郎め……っ!」

「ははっ、いいぞ! ネーネを俺の物にした時以来の昂りだ! 遠慮はいらん、もっと反抗して見せろ!」


 すらりと引き抜かれたベンハルトの剣が翻る。


「く……っ!」


 慌てて飛びずさった体は重く、予想外に鋭い剣線に避けきれず服の胸元に剣先が引っかかる。半ば引きちぎるように避けたのはベンハルトの腕が悪いせいだが、なまじ斬り裂かれるよりも性質が悪い。


 大きく胸元を空けるように引きちぎられたせいで、豊満な双丘によって作られる谷間が露わになった。まだ零れ落ちないだけマシと思うべきか、それでもそれを目にすると同時に下卑た笑みを浮かべるベンハルトに例えようのない気持ち悪さを感じてしまう。


「下衆め……っ!」

「ははっ。いいぞいいぞ、素敵な目だ。もっと反抗的に俺を見ろよ、リディアぁぁっ!」


 再び降り抜かれた剣はかろうじて避けることができた。

 ベンハルトの剣技はそれほどうまくはない。


 だがそれでも子供の頃に見たものよりは上達しているし、何よりもリディアより上だ。それも平時のリディアという前提で、疲労困憊した彼女では大きな差がある。


 剣をかわせているのはベンハルトが舐めてくれていることと、剣が降られる予備動作を見て大きく飛んで躱しているからだ。


 紙一重の見切りとまでは言わないまでも、反撃に転じる余裕などは存在しない。


「この、この……っ!」


 必死にベンハルトの攻撃を避けながら隙を探すが、いまの自分に捉えられそうな隙はまったく見つからない。


 実力の差がこんなところで出るなど、悔しくて涙がでた。

 

 こんな奴に負けるのか?

 こんな奴に嬲られるために生まれてきたのか?

 アラタの弟子なのに、こんな体たらくを晒すのか?


 ぽろぽろと零れる涙を拭い、鼻水をすする。

 悔しくてもう一度睨みつけてやろうと視線を上げると、なぜか追撃の剣はこなかった。


 それどころか、ベンハルトはにやにやとこちらを眺めながら楽し気に笑みを浮かべている。


 涙を拭うその瞬間、リディアは無防備だったはずだ。

 なのに攻撃することなく、リディアが泣く様を見てにやにやと笑っている。


 その瞬間に訪れたそれは、天啓であったろうか。

 ほんのわずか、たった一月アラタから教わったことが、目の前で実となって現れたように感じたのである。


 ああ、これが気の迷いでないことを切に願うしかない。

 それでもすがり、抱擁しよう。


 目の前の男を殺すことができるのであれば、リディアは何だって信じてやるつもりだった。

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