最後のあがき2

「糞ったれがあぁぁぁぁっ!」


 投槍を馬の胴に突き立てられた傭兵が、叫び声を上げながら馬ごと男達に飛び込んでいくのが見えた。


「気にせずに前へ、リディア様!」

「は、はい!」


 残る傭兵は二人、もはや王城はすぐ目の前だ。

 目を凝らせば王城の内部に繋がる架け橋も遠目にぼんやりと見える距離で、馬の速度であればあっという間に辿り着けるだろう。


 しかしその距離がどこまでも遠い。

 黒装束の男達はどれだけの数がいるのか、建物の路地から次々と現れ襲い掛かって来るのである。


 大抵は馬の体重と速度に物を言わせて突破しているが、それでも無傷とはいかない。

 傭兵二人リディアを庇うために体に幾本もの矢を受け、馬もまた傷を負い白い泡を吐き出しながら可哀そうなほどに荒い息で駆け続けている。


 だがそれでもこのままであればきっと、そう思ったリディア達を嘲笑うように、城門のすぐ前で異変が起きた。左右の路地から男達が数名荷車を押し出してきて、道を塞いでしまったのである。


「あれはまずい……! 通れる道がない!」

「ど、どうする! 引き返して別の道へ向かうか!?」

「駄目だ、そっちも塞がれているに決まっている! あれを突破すれば王城の兵に助けを求めることができるはずだ、何とかして突破するしかない!」

「そうは言ってもよ……!」


 苦々し気な傭兵の気持ちは痛いほどによくわかる。

 荷車は車輪がついているおかげで、前進と後退ならばそう苦労せず動かすことができる。しかし横となれば話は別で、車輪は直角には動かず荷車の重量がそのまま障害となるのだ。


 まして周囲には十人余りの黒装束の男達が剣を構え、断固として封鎖を解く気はないと意欲を見せている。


 あれをどうにかするには馬から降り、十人の黒装束を抑えながら荷車を路地に押し戻さねばならない。そうして初めて道が開くのだが、どうにもそれが難事と言わざるを得ない困難さだった。


「待ってください、まずは私が!」

「リディア様、何を――」


 守られるはずの姫が何を言っているんだと振り返った傭兵だが、その目で捕えたのはか弱い姫ではなく、紛れもない戦乙女の姿であった。


 白い冷気を一身に纏い、大上段に構えた神剣にありったけの力を注ぎ込む。

 その姿は陰りゆく陽光に美しく照らし出されていた。


「カルティアっ、全て使い切って構いません! ぶちかましなさい!」


 気迫一閃、降り抜かれた剣から放たれた巨大な氷柱が二台の荷車の中間に突き立ち、轟音とともに爆砕した。


 質量と質量がぶつかりあった時にどうなるか。

 それが目の前に広がる光景である。


 二台の荷車は大きく斜めに移動し、巨大な氷の衝突によって車輪が外れて頓挫した。それだけではない、氷は砕け辺りに散乱し、ちょうど馬一頭が通れるほどの道ができているのだ。


 男達は慌ててできたばかりの道を体で塞ごうと動き始めたが、その機を歴戦の傭兵が見逃すはずもなかった。


 リディアを通すならば己が通る隙間はあらず。

 目線で意志を語れば二人の傭兵は以心伝心と言わんばかりの鋭さでもって、道を塞ごうと動く左右の黒装束たちに馬体ごと突貫した。


 当然、その先にあるのは男達の体だけではない。

 斜めに傾ぎ頓挫した荷車があり、二人の傭兵は衝突ともに移動のエネルギーの全てを荷車によって停止させられ、激しい衝撃とともに馬から投げ出された。


 その光景を見ながら、リディアは瞳に涙を浮かべていた。

 だがそれでも、脚を止めるなど許されるはずがない。


「後ろを振り返らず、進みなさいっ!」

「俺達は気にせず、行けぇぇぇぇぇっ!」


 二人の傭兵の言葉を耳に、リディアは荷車の隙間を駆け抜けた。

 もう黒装束の男達の姿は目の前にはない。

 ただ我武者羅に馬を走らせ、近づく城門を睨みつけた。


 城門では目の前で起こった事態に襲撃を警戒していたのか、多くの兵士が集まってこちらに槍を突き出していた。


「止まれ、止まれぇっ!」

「ここをどこだと思っている! 名を名乗らんかぁっ!」


 いっそ彼らを蹴散らしてやりたいぐらいの気持ちではあるが、それでもリディアはちらりと後ろを振り返り、地面に倒れたままぴくりとも動かぬ傭兵達を認め、唇の端をぎりと噛みしめ耐えた。


 いまは何よりも、確実を優先すべきだと理解していた。


 リディアは兵士達の前で馬から飛び降りると、すぐに懐から紋章付きの短剣を引き抜き、兵士達の眼前に突きつけた。


 探検の柄には精緻な細工の家紋が刻まれていて、それが良く見えるように掲げて叫ぶ。


「我が名はリディア・オーヴェンスタイン! 東部辺境伯であるオーヴェンスタイン家の最後の一人にして正統なる領主権の継承者です! いますぐ、国王陛下に嘆願したき議あり、登城の許可を願います!」

「オーヴェンスタイン……?」


 ぜぇ、はぁ、と荒い息を吐く砂埃で薄汚れた少女が何を言うのかと白とした空気が流れたが、兵士の一人が突き出された短剣の家紋に目を凝らし、「本物だ」と呟いた。


 その瞬間、ざわりと空気が変わり、兵士達が慌ただしく動き始める。

 目の前の少女が東部辺境伯に連なる少女であるならば、明らかに国にとって重要な大貴族である。それを立たせておくなどあり得ぬ無礼、まして彼女を追ってこようとする黒装束の男達の姿を見れば、どうすべきかなど一目瞭然なのだ。


「ぜんたぁぁぁぁぁああい、構えっ!」


 隊長らしき男の叫びに、日頃の訓練で染みついた動きのままに兵士達が槍を前方に突き出す。


「目標、前方黒ずくめの男どもだ! オーヴェンスタイン家の令嬢に指一本触れることは許さぬ! 全てを穂先に上げ、蹂躙せよ! 突貫ヴァルビット!!!!」

突貫ヴァルビット!!!!』


 一糸乱れぬとはこのことだろう。

 槍の石突を鎧の金具に引っ掛け、兵士達は勇ましい掛け声とともに走り出したではないか。


 リディアの横をすり抜け、迫り来る男達に向かって全力突貫。

 足を緩めれば死ぬとでも言うかのような怒涛の気迫は凄まじく、黒装束の男達は見るからに怯み、脚を止めてしまう始末である。


 だがステラタート王国の近衛兵は死兵とすら呼ばれるほどの勇猛果敢な猛者揃いだ。

 金具に引っ掛けた槍は何があっても穂先を下げぬという意志の現れ、槍が折れようがただひたすらに突貫し、敵を蹂躙せしめる。怪我など斟酌無用、命尽きることこそ本望なりと倒れた味方の死体を踏み越え前進する強兵――いや、口汚い騎士連中の言葉を借りれば、彼らはまさしく狂兵なのだ。


 そんな男達の突撃に抗うことなどできようはずもなく、黒装束の男達は文字通り穂先に上げられ、蹂躙されていた。


 そんな光景を尻目に、隊長らしい兵士はリディアに歩み寄り、丁寧に頭を下げた。


「近衛隊第一対のヒューネルと申します。先ほどは失礼を……お怪我をされているようですね。それに、随分とお召し物が汚れていらっしゃる。国王陛下には使いを走らせましたゆえ、まずは怪我の治療と、湯殿でさっぱりされてはいかがでしょう。お味方は我々で救出いたしますので、安心してください」

「いえ、一刻一秒を争いますので。まずは国王陛下にお話しを……」


 お願いします、と言いかけて足元がもつれた。

 気づかぬうちに疲労が溜まっていたのだろうことに、ヒューネルに支えられて初めて気づいた。力を抜けば、ずしりと体の芯から重みがのしかかってくるようだ。


「失礼ながら、使いを走らせたといえどすぐに謁見はできません。国王陛下はただいま他国の使者と歓談中でございます」

「急ぎなのです、ヒューネルさん」


 ヒューネルは真剣なリディアの視線を見おろし、ふむ、と頷いた。


「分かりました。それではできるだけ急ぐように申し添えましょう。ただし、それでも時間はかかります。湯殿は無理でも、怪我の治療とお召し物を着替える時間くらいはありますので、しばらく体を休めてください」

「体を休めるなんて、そんな――」


 皆が戦っているというのにそんなことはできないと言いかけ、しかしヒューベルが眉をしかめる姿に言葉を飲み込んだ。


「あなたのためもありますが、国王陛下の前に出る相応しい格好というものがある、ということを言いたいのですよ。わかりますね、オーヴェンスタイン様」

「わ、わかりました……!」


 さすがにそこまで言われてしまえば自分の姿を自覚しようというもので、なんとひどい格好で王の前に出ようとしていたのかと羞恥も生まれた。


 どちらにせよ待つのであれば、確かに治療と召し替えくらいはやってもよいだろう。


「ご納得いただけたようで何よりです。それでは、案内をつけますので控室の一つでお待ちください。すぐに医師と侍女を向かわせます」

「わかりました。お心遣いありがとうございます」


 礼を言い、通された控室で一息つく。

 控室といっても、王城内の誰かに謁見する前に待機する場所であるから、高貴な身分の人間が滞在することを前提に作られている。


 広く豪奢な部屋は窓の外に美しい庭園が広がり、夕暮れの陽光に照らされた花々がひどく美しかった。


 ささくれた心に、その自然の光景はなんとも沁みるものがある。

 これで本当に終わったんだ、そう思えば心も緩み、リディアは久方ぶりに安らかな時間を過ごすことができた。


 がちゃり、と扉が開く音がしたのはその時だ。

 医者と侍女を寄越すとヒューネルが言っていたから、そのどちらかが来たのだろう、最初はそう思った。


 だが、考えてみるとおかしい。

 高貴な人間が室内にいるというのに、ノックも声かけもなしに部屋に入る?

 そんな無作法者、中にいる人間が王族であった場合、その場で手討ちになってもおかしくない。厳しすぎるようにも感じるが、それが他国の重鎮などであった場合、即外交問題に発展しかねないからその辺りは神経質なまでに教育されているはずなのだ。


 ひゅう、と肝が冷えた。

 扉を開けた誰かが、音を立てないように室内に入ったのが気配で分かったからだ。


「誰ですか!」


 リディアは勢いよく立ち上がり、カルティアを引き抜くと同時に振り返った。


「おやおや……暴れ馬らしいふざけた格好だな。まったく、これが私の婚約者など、吐き気がするよ」


 憮然とした表情でそう言ったのは誰あろう、ステラタート公国の第二王子、ベンハルト・ステラタートであった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る