最後のあがき

 夜のうちにアラタ達から離れ街道を走るリディアは、護衛の傭兵五人を伴っていた。

 全員が今回新たに雇われた者ではなく、ガストルとともに長く戦場を転戦してきた歴戦の強者である。


 リディアの護衛としてつけられるだけあって信頼も厚く、彼らの随伴は大きな心の支えになっていた。


 騎士道を重んじ、民のために為すべきことを為すと決めたとはいえ、リディアはまだ十七の少女だ。


 戦いにおいて若さは言い訳にもならぬことは常識ではあるが、それでも一人夜道を駆け続けていたらどうなっていたか。あるいは弱気の虫が顔を出していたかもしれないと考えると、振り返れば頼もし気に笑みを浮かべる歴戦の勇士の姿には随分助けられている。


「リディア様っ、前方に小川があります。そこで一旦休憩がてら馬を替えましょう!」

「もうですか!?」


 先ほど乗り換えたばかりではないかと振り返るが、無精髭を生やした傭兵は苦笑いしながら空を示す。


 何があるのかと視線を上げれば理解もできた。

 つい先ほどと考えているのは自分の感覚の問題で、太陽の位置はさきほどよりも大きく動いていた。冷静になって馬の様子を見れば、疲労により息が荒くなっているのがわかる。


「わかりました、休憩にします!」


 馬の手綱を引くと、ようやく休憩できるのかと馬も安堵をしたようだ。

 小川に引いていくと、嬉々として川の水に口をつけ静かに水を飲み始めた。犬や猫のように舌を使わず、口をつけて水を吸い上げるように飲むために音はしない。それでもよほど喉が渇いていたのか、一心不乱に水を飲んでいた。


「ごめんなさい、無理させましたね」


 軽く馬首を撫でると、返事をするように川面から頭を上げぶるると鳴いた。

 そうこうしていると、替えの馬を連れた傭兵が近づいて来た。

 傭兵五人とリディアでそれぞれ替え馬二頭づつを連れ、こうして数時間おきに馬を替えることで、馬を潰すことなく速さを維持して走り続けられるのだ。


 そしてその替え馬のタイミングは、短時間とはいえ人間にとっても重要な休憩の時間である。


「少し食事の時間を取りますか? 暖かい食事は気持ちを落ち着かせますよ」


 気遣ってくれるのは嬉しいが、リディアは首を振って固辞した。


 馬上にある時は気づかなかったが、脚が微かに震えている。

 疲労は着実に体に溜まっていて、座って暖かな食事をすれば随分と回復するだろう。

 だが、チナ達や戦っているアラタ達の事を想えば休む気にはならない。少しでも前へと気が急いて仕方がないのだ。


「王都まではもう少しでしょう。休めば城門が閉まる前に辿り着かないかもしれません。そうなれば、朝まで城門前で待ちぼうけになってしまいます」

「わかりました。ならば、せめてこちらを腹にいれておいてください。距離的にも替え馬はこれで最後、乗り換えなしで王城へ向かいます。さすがに王城が近づけば敵の妨害もあり得る……これより先、まともに食事にありつく時間はなさそうです」


 差し出された干し肉は庶民が旅の間に食べる水分の抜けきったものだが、リディアは構わず噛みつき、力任せに食いちぎった。


 イシュタルからロコンドルまで旅をした時に食べていた食糧が何だったのかと思えるほどに不味い。何よりも堅く、口の中で噛むことすら困難な有様で、リディアは難しい顔をしながらなんとか飲み込んだ。


「やはり食べ慣れませんね、この干し肉とやらは……」

「傭兵の非常食ですからね。移動速度を上げるために食糧は味よりも軽さと腹持ちで選びましたから、味は少々……とはいえ、食べ方さえコツを掴めばそれなりに味わい深いんですよ。ほら、このように少量を噛み千切って、口の中で唾液でふやかすように食べるんです」


 実践してみせてくれる傭兵はリディアの興奮を抑えようとしてくれたのだろう、少しおちゃらけた様子で口の中に放り込んだ干し肉を、表情をころころと変えながら噛み続ける。その様子がなんだかおかしくて、リディアは軽やかな笑い声を立てていた。


「お、やっと笑顔が出ましたね……あまり気負いすぎないほうがいい。ここ一番ってところで出すべき力がなくなってしまいますからね」

「はい。心します!」


 戦闘において傭兵は明らかに先人である。

 彼らが口にする言葉は全て金言で、リディアは素直に頷きを返した。


「うーん、あれですね。アラタさんもそうですが、リディア様も人たらしの才能がありますね」

「人たらし、ですか?」

「ああいや、これは俺の戯言です。さ、食べ終わったようですし、そろそろ出発しましょう。少しでも早く、頭達に救援を送らないとですからね」


 リディアは慌てて口の中でふやかしていた干し肉を飲み下し、元気よく「はい!」と返事をして立ち上がった。


 再び馬上の人となって数時間。

 急ぎに急いだおかげもあってか、王都の城門を潜ったのは閉門までかなりの余裕がある日が傾き始める時間だった。 


 まだ空は青さが残り、これから徐々に赤く染まっていくのだろう。

 城門を抜け王城までは城下通りと呼ばれる大きな通りを真っすぐ進むだけでいいのだが、仕事を終えた人々が家路につく時間という事もあり、行きかう人は多い。


 そんな状態で暴れ馬よろしく馬を駆けさせるわけにもいかず、人の流れに乗るようにゆっくりと歩かせることが精いっぱいだ。


 急ぎたい気持ちとは裏腹に遅々として進まぬ流れに身を任せる。

 とはいえここまで来たのだ、もはやベンハルトの邪魔は入らないだろう。

 そう思えば焦るのも馬鹿らしく、リディアはほうと息を吐き、さきほどの傭兵の言葉を思い出して緊張し過ぎの自分を諫めた。


「リディア殿」

「あ、すいません。また力が入りすぎてしまって……」


 これじゃあさっきと変わりませんね、と苦笑したリディアに、しかし傭兵は渋い顔だ。


「申し訳ありませんが、いまが緊迫すべき時かもしれません」

「ど、どいういうことですか? 何か怪しい人間でもいたのでしょうか」


 傭兵は周囲を警戒しながら、困ったように鼻を掻いた。


「いいえ、いえません。だからこそおかしいと言うべきでしょうか……まあ、なんですか。ただの勘です」

「勘、ですか」


 ぱちりくと目を瞬かせると、傭兵は申し訳なさそうに頭を下げる。

 だがそれでも警戒すべきという言葉を曲げるつもりは一切ないようだった。


「私の勘は当たるとガストル様のお墨付きをもらっています。特に、鼻の頭が痒くなる時は特に当たるんですよ」

「鼻の頭」


 傭兵は自慢だと言っていた鷲鼻を指先でこりこりと掻きながら頷いた。


「ええ、それはもういままさにひどく痒いんですよ。考えてみれば、ベンハルト……王子殿下が邪魔をするとしたら、人目のない場所であるはずです。だというのに城門を潜るまで一度も襲撃はなかった。私達を止められなければ身の破滅であるはずなのに、手が回らなかったと考えるのは楽観的すぎるでしょう」

「それは確かにそうかもしれませんが……その、こんな人込みの中で襲うというわけでもないでしょう」

「そうかもしれませんし、そうでないかもしれません。襲撃に備えて陣形を整えます。リディア様は私の勘が外れていることを祈っていてください」


 すぐに傭兵は仲間に声をかけ、リディアをぐるりと囲むように馬を移動させた。

 何が起こるか分からない以上、全てに対処できるよう万全の体制を敷くべきだ。警戒心高く周囲に目を配る傭兵達は王都の平和な空気の中で異様なほどに浮いていた。


 まして馬六頭が固まって進むとなれば、混雑した大通りでうまくいくはずもない。

 人を避け、馬車を避け、自然リディアを中心とした円陣は度々崩れ、再び戻るという行動を繰り返し続けていた。


 そんな有様では完全な護衛などできようはずもない。

 飛び込んできた子供を避けようと、右側の二騎が大きく陣から離れた、その瞬間に事は起こった。


 前方をえっちらおっちら進んでいた馬車が、突然横倒しになったのである。

 すわ敵襲かとさらに二騎が前方へと進み、陣が崩れる。


 残ったのはリディアを気遣っていた無精髭の傭兵一人。

 気づいた時にはその傭兵がリディアに飛び掛かっていた。


「な、何を……っ!」


 叫びを上げながら剣に手をかけ、傭兵を払いのけようと手を動かす。

 だが男の背中が視界に入ると同時、まさかこの人が敵だったのか、そう思った自分をリディアは強く恥じた。


 彼の背中には二本の矢が突き立っていたのである。

 誰が、そんなことは考えずとも決まっている。


 傭兵は血泡混じりの怒声を上げながら、剣を引き抜いて後方に視線を向けた。


「ドリック、アスティン、右後方に賊だ! 対処しろ!」

「お、おおっ!」


 慌てて円陣から離れていた二騎が駆けだす。

 向かう先には路地から身を乗り出した射手と、いままさに路地から飛び出さんとしていた男達が数人見える。手にはそれぞれ剣を握りしめていて、どうみても仕事帰りの街の人間とは一線を画す殺伐とした空気を纏っていた。


 だがそれでは終わらぬと傭兵は周囲を見渡し、敵の姿がないと見るや前方の二人に指示を飛ばす。


「駆け抜けろ! 前に出て来る者は敵だ! 斬る必要はない、馬体で跳ね飛ばせ! 無理なら体で押さえつけろ! リディア殿さえ辿り着けばそれでよい!!」

「おうとも!」

「任せろ!」


 傭兵はリディアの馬の尻を叩いて走り出させると、自身もリディアの横に並んだ。


「駆け抜けます! 誰が倒れても後ろを振り返らず王城へ向かってください!」

「わ、わかりました!」


 リディアはぎゅっと手綱を握り、必死の形相で王城を睨みつけた。

 もうあとほんのわずか、その距離がひどく遠かった。

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