剣豪じじいと曲剣のネーネの邂逅

 アラタ達が拠点と定めたのは短い橋が一本だけかけられた川だった。

 それほど小さな川ではなく、幅は馬であっても飛び越えるのは難しい。


 深さもかなりのもので、人一人がすっぽりと納まる。水は浅く膝までしかないが、川べりの壁は急な斜面で昇るのはなかなかに難しい。昇るとっかかりになる石がちょうど胸の辺りで終わり、そこから上はぼろぼろと崩れやすい土に変わるのも難易度を上げている。


 その様子を見たアラタは、一目で「ここにしよう」と拠点を定めた。


「ここですか。さきほどの場所のほうがいい様に思えますが……」


 不思議そうに周りを見渡しながら、ミゲルはもっといい場所があるのではと進言した。

 五百の兵士を相手に戦う場所なのだから、できる限り一度に相手取る人数を減らせるような狭所が望ましい。


 数時間ほど前に通り過ぎた場所は、左右を小規模の岩山に挟まれていた。

 道幅は橋と大して変わらないが、川と違って渡河される可能性がない分そちらのほうが良いように思えたのだ。


「商人が無理すんな。戦いは俺達傭兵に任せておけよ」

「ば、馬鹿にするのな、ガストル!」


 ガストルは首をすくめてアラタに視線を送るが、すでにとんずらをかまして橋の真ん中でごろりと横になってしまっている。面倒な事から逃げる速度はぴか一で、思わず苦笑が漏れた。


「確かにさっきの場所もいいさ。一度に戦う人数を確実に限定できるからな」

「そうだろう。それに、川を渡られる可能性も少ないぞ!」

「ああ。でもそれは川を渡るっていう戦力分散の余地をなくすってことでもあるんだ。一点突破に力を注ぎこめばいいってんなら迷いもなくなる。力と力のぶつかり合いに終始することになれば、必然的に消耗はこっちが大きくなるってもんだぜ」


 確かにその通りと言葉に詰まるが、この場所にしても橋という通りやすい道があることは事実である。大して違いがあるように思えなず言葉を募るが、ガストルはそれもあっさりと否定した。


「同じじゃねぇんだ、これがさ。この川はぱっと見には簡単に渡河できるように見えるんだけどな、高さもあるし土が崩れやすく昇りにくい。正面の橋はアラタが守るんだぜ。それだけでそこは鉄壁に見えるからな、簡単に渡れそうな場所があればそっちに兵は流れるのさ」

「な、流れたらどうするんだ?」

「そりゃお前、こうするのさ」


 ガストルは笑いながら剣を抜き、川の縁に向かって突き出して見せた。

 川べりに生えた長い草がまとめて刈り取られ、ばさりと宙を舞う。


「殺す必要もない。川べりを掴む手を斬り飛ばす。それだけでもう躊躇する。相手が五百いようが、川を死体で埋め尽くして渡って来ようなんて肝の据わった兵士はそういない。川に飛び込むのは精々五十ってとこか。あとの四百五十は川の向こうでぼけっと様子を眺めるだけの遊兵になるってわけさ」

「それは……話を聞くと納得できるが、そんなうまくいくのか?」

「どうかな。五分五分じゃないか。橋を取るか川を渡るか、相手の動きを見ながらの読み合いだからな。覚悟決めて突っ込まれたら、どっちだろうと終わるだろうし。それまでにアラタさんが敵将を打ち取ってくれるのを信じるしかないさ」


 からからと笑いながら橋に向かうガストルに、ミゲルは妙に呆れてしまった。

 つまるところ、この作戦の要はアラタなのだ。

 戦線が瓦解する前にアラタが敵将を仕留めることができるか、その一点に全てを賭けているのである。


 確かに五百と五十の兵力差ではそうなるのも致し方ないのかもしれない。

 これはいよいよ覚悟を決めなければならないかと襟を正したミゲルだが、不安が強くなるのは仕方ないことだ。誰も彼もが戦場で命の切り売りをすることを示唆され、なるようになるさを割り切れるわけがない。


 着いて来ないミゲルに気づいたガストルは振り返り、ふっと笑みを浮かべた。


「怖いか」

「そりゃあ、怖くないって言ったら嘘になる」


 いつになく素直な幼馴染の様子にガストルは本気を感じ取り、やれやれと頭を掻いた。

 恐怖を感じること自体はいい。

 恐怖を失った兵は生存するために重要な危機を察知する能力が失われてしまう。仮に同じ武力と意志のぶつかり合いがあるとすれば、勝敗を分けるのは運か、あるいは勘か。どちらにしても恐怖のない兵はそのどちらがぶら下げられても察することができず、無意味に死地に足を踏み込むだろう。


 だが、恐怖に支配され過ぎるのもうまくない。

 膨れ上がりすぎた感情は体の自由を奪い、死を引き寄せるのだから。


 戦場で死は平等だが、恐怖を忘れた者と、恐怖にとらわれ過ぎた者はより死の抱擁を受け止めてしまいやすいというのは紛れもない事実なのだ。


「ミゲル、そんなに気を張るな。心配しなくても、アラタさんがとびっきりの策を用意してくれてるからよ。アラタさんが討ち取られでもしない限り、きっと大丈夫だぜ」

「……本当か?」

「たぶんな」


 無責任な発言に思わず吹き出し、湧き上がる衝動のままに大きな声で笑いだした。

 なぜか無性におかしく、あれほど不安を感じていたのが馬鹿らしく感じてしまう。


 ガストルはそんなミゲルに驚いていたようだが、やがて一緒に笑い出した。

 気づけば笑いは兵士達の間にも広がり、辺り一帯が笑いの渦に包まれていく。


 アラタはその様子を呆れたように見つめ、「やれやれ」と頭を掻いた。


 少なくとも、戦意を喪失するよりは遥かにましだ。

 胡坐を掻いた足首を両手で掴み、子供のように体を揺らしながらアラタは機嫌よく鼻歌を歌い道の先を見つめ続けた。


「ああ、早く来ねぇかなぁ。楽しみだなぁ……なぁ、お前さんもそうだろう。どんなに強い奴なんだろうなぁ」



 ◇◆



 それからちょうど一日、アラタは橋のたまとで足を止めた軍勢と対面した。


 なるほど、騎士である。

 全身鎧ではなく、軽装騎兵と呼ぶのが適切であろうか。


 目立つのは全員が同じ意匠であることで、揃いの鎧、揃いの馬鎧ばがいに身を包ん騎馬の集団はいかにも勇ましく、威圧感も十分である。


 戦争とは戦う前から始まっているとはよく言うもので、確かにまともな武装もしていない人間は、全身を金属で覆った騎乗した人間となどまともにぶつかり合いたくないだろう。相手を威圧し、制圧するという意味において、彼らは十分な練度を持つ集団であった。


 とはいえ、そんなものははったりから来る威圧に過ぎない。

 見た目で圧することの重要性は理解はすれど、アラタはそんなものに頼るつもりは毛頭ない。


「くかっ、格好ばかりの雑魚どもがよ……威圧ってぇのはこうすんだよ」


 刀の鞘尻で地面をどん、と突く。

 同時に放った殺気は街でリディアの援護をするために放ったお遊びのそれとは比較にならない、正真正銘の戦いを前に高揚する戦士のそれである。


 きん、となるはずのない音が波紋のように広がり、騎馬の軍勢を駆け抜けた。

 馬がいななき騎士が落馬する、というような事態は起こらなかった。

 馬が驚き暴れるのは、まだ「逃げることができる」と余裕があるからであって、この時のアラタの殺気はそんな余裕すらも握りつぶし、ただ生物として死を実感させるだけの代物だった。


 あるいはそれは、死そのものである。

 次の瞬間、馬が崩れるようにその場に座り込み、騎士達もそれに騒ぐことなく凍り付いたようにへたりこんだ馬の上でアラタを凝視し続けていた。


「あら……やめてくれますか。そんな怖い目を向けないでください」


 男達の間から現れた褐色の肌をした女に、アラタを目を大きく広げ笑みを浮かべた。


「ああ、お前さんが俺の相手ってわけか」

「そうでしょうね。どう見ても、あなたが邪魔ですもの」

「そりゃあこっちの台詞だぜ。お前さんは野放しにするにゃちと不味すぎる」

「相思相愛とでも? まったく、冗談じゃないわ」


 減らす口も心地よく、アラタとネーネはお互いに示し合わせたように橋の真ん中へと歩き出した。


 問題ないとは思っていても、ガストルは思わず声を張り上げた。


「アラタ、大丈夫か!」

「誰に言ってやがるんでぇ。それより、お前達のほうが大丈夫かよ。そら、そろそろ正気を取り戻し始める頃合いだぜ」


 アラタの言う通り、殺気に当てられて茫然自失としていた騎士達が少しづつ我を取り戻し始めていた。


 にわかに橋の向こうが騒がしくなり始め、大柄な騎士の怒声で隊列を組み始める。

 ネーネが部隊の隊長というわけではないようで、橋の上で対峙する二人を避けるように騎士達は攻撃の準備を整えていた。


「俺の相手はあいつってわけか。野郎ども、命の恩を返す時だ! そうでない奴ももらった金の分はしっかり働け! 予定通りに行くぞ!」

「おおっ!」


 アラタとネーネ。

 ベンハルト麾下五百の騎士とガストル率いる傭兵団。


 二つの戦いの火蓋が切って落とされようとしていた。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る