希望の曲剣と高貴なる獣
「隙だらけだぜ、馬鹿弟子が。悩んでも現実は変わらねえよ。全部をうまくいかせるにゃ、ちぃと荒い手も使わざるをえんだろ。なぁ、リディア」
「な、何か良い手が……?」
「ああ。お前は馬で王都まで走って行けや。殿は俺とこのでかいの達でなんとかする」
「見捨てていけと言うのですか!?」
あまりのことに立ち上がり叫ぶリディアの心根の正しさに、アラタは首をすくめた。
女が癇癪を起こすのは勘弁してくれと言わんばかりだ。
リディアにしてみれば師匠を見捨てていくなどあり得ないという思いがゆえの怒りだろうが、現状を正しく把握した上での怒りでない以上、癇癪と断じられても文句は言えないだろう。
アラタが「黙れや」と威圧すれば、すとん、と腰が抜けたリディアがへたり込む。
「その程度の実力しかねえお前さんが何の役に立てる? 民を助けるだ? 力がねえやつができもしねぇことをぴーぴー喚くほどくだらねぇことはねぇや。お前なんかに心配されずとも、俺達も死にはしにねぇよ」
「で、ですが……」
「ですがも案山子もねぇ。いいか、そのなんとか権とやらを王様に返しちまえば丸く収まるんだろうが。街の奴らは別に王都へ向かわせればいい。俺とこのでかいの達で追っかけて来る馬鹿どもは抑えて置くからよ。なに、たかだか三日だ。屁でもねぇぜ、なぁ」
「ああ、任せてくれ」
アラタの呼びかけに力強く頷くガストルに、リディアはううんと唸った。
いくらアラタでも五百の兵士相手に戦えるとは思わないが、ガストルと傭兵達が加わればなんとかなるかもしれない。アラタは神剣使いなのだ。一騎当千の兵が一人では押しつぶされもしようが、一騎当千と軍勢となればその力は何倍にも膨れ上がる。
それほどに軍勢の中にある圧倒的個の存在感は大きい。
だがリディアは微かに覚えた違和感を無視することができず、手繰り寄せるように真実に辿り着く。そもそも、アラタに頼んだのは護衛である。これほど積極的に協力してくれるのはなぜだ。まるでその行動にアラタが望む何かがあるとでも言うような――
「追手に誰か強者がいる?」
思わず口走ったその言葉に、アラタは舌を出した。
「ばれたか」
「アラタ、そんな冗談を言っている場合ではありません!」
「かかっ。いいじゃねえか、人生なんて冗談みたいなもんだ。俺は強者と戦う、そのついでにお前の願いが叶うように立ち回ってやるって言ってんだぜ」
「で、ですが、五百もの兵を相手に……!」
ちっ、と舌打ちが鳴り響く。
それまで楽し気だったアラタの顔から表情が抜け、冷たい眼差しがリディアを刺し貫いていた。
「てめぇはいつから俺の女房になった気でいやがる? 俺の命、俺の人生だ。俺の好き勝手に摺りつぶして何が悪い? 黙れや、馬鹿弟子が。お前との約束がなかろうが、俺はやってくる強敵を逃がすつもりなんてねぇぜ。むしろ飛び込んで来てくれる夏の虫ってなもんでな、拍手を慣らして迎えてやるつもりなんだよ」
「あ、アラタ……」
「そいつの代わりをお前がするっていうなら話は別だがよ」
かっ、と嗤い鯉口がかちりと押し上げられる。
本気かよと身を引いたガストルは、しかし押さえつけるだけの度胸は湧いてこなかった。明らかに臨戦態勢に行こうしたアラタの鬼気は、触れようものならその場で斬り捨てるぞと言わんばかりだったのだ。
ごくり、とリディアは喉を鳴らした。
ともに過ごすようになって一か月余り、随分と理解できたと思ったアラタだが、その本質を理解したつもりで浅かったようだ。強者との戦いを好むことは知っていたが、そのためであれば何であろうと捨てるだけの覚悟――いや、捨て身の精神性の潔さは到底リディアの理解が及ぶところではなかったのだ。
もはや止めること能わず。
ならば、少しでも民のために意識を切り替えねばならない。
大きく、深く息を吐き出し、リディアは覚悟を決めた。
「わかりました、アラタ。その代わり約束してください。私が王の兵を連れて戻るまで、決して死なないでください」
「馬鹿が、お前が兵を連れて来るのを待つまでもねぇ。全員返り討ちよ」
かかっと嗤うアラタに、リディアは深々と頭を下げた。
その日のよる、集団を離れる数人の騎馬の姿があった。
リディアと護衛の傭兵が二人、そして替え馬である。
闇夜を切り裂き走るリディアの顔は必死そのもので、何頭もの馬を乗り換えながら昼夜を問わず王都へ向けて走り続けた。
◇◆
馬蹄の音も荒々しく、軍勢は進む。
ベンハルト麾下千の軍勢は、しかしあまりにの速さでの進行に落伍者が続出し、五日あまりの強行軍の末に残ったのは半数の五百余りであった。
もちろん落伍した者とて鍛えられた精兵である。
ほんの一日、いや半日でも本隊が足を止めれば合流を果たし、その数は確実に定員の八割を超えるだろう。一日も止まれば完全に数を取り戻し、一兵卒たりと欠けるとは思わない。
彼らが落伍するのは一重にベンハルトが休息すら度外視して駆け続け、替え馬の疲労すら限界に達してしまうからだ。
馬が潰れそうになるなら足を緩めるほかなしと落伍するのであって、決して彼らの力量不足というわけではない。ベンハルトが遅れずにいられるのは騎士達を倍する替え馬を有するからであり、決して彼自身が優れているからではなかった。
だがそんなことには思い至らぬベンハルト、憎々し気に減りゆく軍勢を罵倒した。
「おのれ、この愚図どもが! これでは仮に追いついても兵が一人も残らんではないか! お前達に大金を支払っているのはこんな無能を晒すためではないぞ!」
「は、はは……っ!」
供回りの近衛に指名された騎士達は言いたいことが多くあろうが、一言で集約するならば「お前に何がわかる」である。とはいえ言いたいことも言えぬのが騎士の悲しいところで、癇癪持ちの無能が上に立てば嵐が過ぎ去るのを待つしかない。
とはいえそれでもこの軍勢はまだマシである。
なにせ王子に物申すことができる輩がいる。どこぞの馬の骨とも知れぬ蛮族の娼婦風情と小馬鹿にしていた女だが、これが軍勢というものの性質をよく理解し、彼ら騎士の苦労にも微に入り細を穿つ気配りをみせるのだ。
さらに体を使うという手法ながら王子の機嫌を取り無茶を諫めることまでしてくれるとあらば、敬意は抱けずとも彼女への好感は上がろうというものだ。
情けないことながら、いまもまた助けを求めるように騎士の一人がネーネの褐色の肌を探し視線をさ迷わせる。
ここ数時間姿を見せておらず、そのおかげで王子の機嫌の悪さは急降下の一途だ。
早く戻ってきてれ、そんな彼の他力本願な願いが届いたか。
街道沿いの森から飛び出すように女の姿が現れた。
急に開けた場所に出たことで驚き足並みを崩す馬を、素早く手綱を二度
「遅い! どこに行っていた、ネーネ!」
「申し訳ありません、ベンハルト様」
あまりの言い草に騎士達の表情に微かな苛立ちが浮かぶ。
どう考えてもネーネが一番働いているのだ。彼女の一族とやらば騎士達では到底集められぬ情報を集約し、裏で暗躍していることは周知の事実だ。
彼女への好意も合わさり一言忠告をと思った騎士もいたが、ネーネは彼らを一瞥で黙らせると、表情一つ変えずにベンハルトの横に馬を並ばせた。
「それで? これだけ待たせたんだ、少しは仕事をしてきたんだろうな!」
「ええ。しかし、少しばかりまずい事態になったようです」
「まずい事態?」
露骨に顔をしかめて怒りを滲ませるベンハルトの滑稽さに、ネーネは微かに笑みを浮かべて答えた。
「城砦に招き入れて毒で仕留める計画でしたが、どうにも騎士団長とやらは指示を正しく理解できない無能のようで……毒ではなく戦いで制しようとした結果逃げられてしまったそうです。成果は時間を一日浪費させた程度で、このままでは追いつけるかどうかぎりぎりです」
「使えぬ輩よ! その騎士団長とやらには直々に褒美を取らせると伝えておけ。奴らに飲ませるはずだった毒入りのワインを俺自ら飲ませてくれるわ!」
「ご随意に……しかし、まずい事態はそれだけではありません」
くわ、と目を見開き、ベンハルトは「まだあるのか」と毒づく。
「監視と妨害役の手の者との連絡が取れなくなりました。恐らくは私達の動きも知られ、民とともにあれば追いつかれると悟るでしょう。となれば、ほぼ確実に民を見捨て騎馬のみで進むはずです。替え馬も使うと考えれば、二日から三日で王都に到達するでしょう」
「俺達はあとどれくらいだ!」
「この速度であれば、およそ五日でしょうか」
「間に合わんではないか!」
そんなことも理解していなかったのかと周囲の騎士達の冷めた視線が集まるが、ベンハルトはくそっと大きく舌打ちをして気づきもしない。
「そこでご提案ですが……二手にわかれるのはいかがでしょうか」
「どういうことだ」
「ベンハルト様に先行して頂きます。ベンハルト様ならば王城に入ることができる。敵は必ず王城を訪れるわけですから、そこで待ち伏せすることは実に合理的な話でしょう」
「ふむ……?」
ベンハルトは馬足を緩めて考え込むが、良い考えに思えた。
王城内でリディアの口を塞ぐというのはいかにも危険が大きいが、しかしやってやれないことはない。古今東西、王族とは暗殺の危機に晒されているのだ。いかに警戒厳重な王城であろうと、王族ですらないリディア相手であれば抜け道はいくらでもある。
問題は二つ、リディアが民を見捨てずそのまま進んだ場合、みすみす王城へ到達することを許してしまうこと。そしてもう一つは進行度で優越するリディアを追い抜き、先回りする方法を考えねばならぬことだ。
「できるのか」
「はい。頂いた神剣の力を使えば確実に……ただし、ベンハルト様にはかなりの苦行に耐えてもらわねばなりません」
「そんなことはいい。王たるもの、目標を成し遂げるためならばどんな艱難辛苦であろうと耐えることができるからな。それで、二手に分かれるとはお前はどうするのだ」
「私どもはこのまま進み、後ろから食らいつきます。民を見捨てぬならば私達の牙が届き、見捨てるならベンハルト様の剣が届くというわけです」
「ふぅむ、よかろう。ならばそのように計らえ」
「御意に」
ネーネは少し距離を取ると腰の曲剣を一本引き抜いた。
肉厚の肉切り包丁にも似た重厚なそれは、鋭さよりも重さと遠心力で持って叩き斬ることに特化した蛮威の象徴のような剣だ。
ネーネは慈しむように刀身を撫で、ふぅと息を吐きかけ、神剣アナスタシアが求める声を紡ぎあげる。
「煌めく陽の降り注ぐ大地より雄たけびを上げし者
白き鎧に身を包みし戦士
全てを穿つ牙
尊き意志に身を焦がす白き王たる者」
重さを感じさせぬ滑らかな太刀筋で剣を振るい、大地に切っ先を向ける。
ぶわり、と剣から風が吹いた。
「
ネーネの言葉に従うように、剣から白い光が迸り、大地にぶつかった。
しかし光は霧散することなく、そのままそこに形を作り出す。
それは巨大な白い虎である。
雄々しい牙は顎を超え、かつて滅んだ剣牙虎のごとく勇ましい。
しかしその恐ろしい風貌とは裏腹に、白王と呼ばれた虎はネーネの足にすり寄り、ぐおうと小さく鳴いた。
「良い子
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