剣豪じじい、渇きを欲する

 森の中を駆けるアラタは、久方ぶりの自由を満喫していた。

 恐ろしい勢いで後方へと流れていく世界は緑と茶の色の流れのようで、もはや木々の形を成していない。


 それほどの速度であるというのに、アラタの足取りは些かも不安を感じさせることがなく、木の根やわずかな起伏を視認すると同時に選別し、確かな一歩を踏みしめ、ぐんぐんと速度をあげて駆け抜ける。


「相棒、もっと行くぜ」


 ぶるりと震えて答える風切市右衛門の能力、強化。

 脚力と視力、そして心肺能力を強化したアラタは隼のごとく森を駆け抜け、そうして目的地へと到達していた。


 強化した視力でもリディア達がかろうじて見えるかという距離の小高い丘の上に一気に駆け上がり、足を滑らせて勢いを殺す。


 巻き起こった砂煙の中から睨みつけながら、アラタはにまりと嗤った。


「よう、若ぇの。覗き見趣味は楽しいかよ?」


 褐色の肌の男が二人、勢い良く立ち上がった。

 一人は手に持っていた単眼鏡らしき道具をアラタに投げつけ、その隙に湾曲した肉厚の刀を抜剣、即座に臨戦態勢を取る。もう一人は飛びずさるようにアラタから距離を取り、もう一人の男を盾にするように移動して荷物に手を突っ込んだ。


「おっとっと、活きが良いが……ま、それだけだな」


 飛び込んでくる男の左手首をすとんと落とし、返す刃で右拳を剣の柄ごと両断する。

 ほんの一瞬のうちに両の武器を無効化された男の胸中に過る想いはいかばかりか。それを聞いてやるつもりは毛頭なく、何かを叫ぼうと口を大きく開けた男の素っ首を叩き落してのけた。


 一秒にも満たない早業に、奥に移動した男も何が起こったかわからなかったに違いない。


 手に持った何かに火種を押し付けようとしたが、アラタがそれを許すはずはなかった。

 どう、と倒れた男を見おろし、ふんと息を吐く。


 騎士どもよりは腕が立つが、やはりそう強くはない。

 ちょいとした運動程度の役には立たず、どうにも苛立ちが溜まるのだ。


「あぁ、ひりひりする死合いがしてえもんだぜ」


 ため息をつき、ふと男が燃やそうとしていたものに目が留まった。

 持ち上げてみれば、なるほど、これは燃やそうとするなと納得もする。

 それはリディアを足止めするよう指示をする指令書だ。日本語で書かれているわけではないが、不思議とすらすら読めた。考えてみれば言葉も通じるわけだがこれも日本語で会話をしているわけではない。


 恐らくは神さんが困らないように手配してくれたのだろう。

 何とも便利なものだと適当な方角に両手を合わせて感謝を示し、めぼしい情報がないかと指令書の束をぺらぺらとめくって読み終えると、崖から飛び降り駆けだした。


 方向感覚と地理感覚には自信があるのだ。

 まあ大体こっちだろうと見定めた方角へ走り続け、夜には街道に辿り着いた。

 城砦へと分岐する道からは少し離れているが、リディア達が野営している焚火の灯りが見えた。


 さすがに半日近く走り続けたわけで、じっとりと汗ばんでいた。


「アラタ! ご無事ですか!」


 姿に気づいたリディアが駆け寄って来るのも構わず、すれ違うように焚火の前に陣取るガストルに近づき、でかい背中を足蹴にした。


「痛いな、何をするんだ」

「お前さんの意見が聞きたいと思ってな。そこらで座ってる兄ちゃん達、どの程度使えるよ?」


 目線で示された件の兄ちゃん達とやらは傭兵である。

 そうしてアラタが言う使える・・・という表現も、死と背中合わせで踊るガストルには慣れた言葉である。


 ああ、糞ったれめ。

 つまるところ、逃げ出したくなるほどの戦いが起きるが、それに付き合う覚悟があるのか、と問うているのである。


 隊列から離れたアラタが何を掴んできたのかはわからないにしろ、確信を持って問うてくるのだ。ならばガストルも覚悟を決めて答えるしかない。とはいえ命の切り売りをして生きる傭兵は、自身の命よりも信用を大切にする。答えなどたった一言で十分なのだ。


「嫌々ながら命を捨てる程度には使えるぜ」

「かっ、結構結構。なら、俺とともに死ぬとしようや」

「やれやれ……約束の握手でも交わすか?」

「ごつい男と爺の恋模様ってか、ぞっとしねえぜ」


 命の重さを安く見積もる男どもの軽妙さよ、冗談混じりに死をやり合い、なかなかどうして肝が据わっているじゃないかと笑い合う。


 およそ一般人には理解できない感覚で、アラタの後を追ってきたリディアも首を傾げた。


「あの、よくわからないのですが……アラタ、何があったのですか?」

「ああ、簡単な話さ。敵さんが来やがるぜ、リディア」


 細部はともかく、必要はそれで足りた。

 それまでの不安が吹き飛び覚悟の色が浮かぶリディアの性根に上等と嗤い、弟子が崖っぷちで慌てふためく愚鈍でないことに安堵を覚える。


 いやはや、これがどうしてなかなかの拾い物だったかもしれない。

 いきなり弟子になりたいなどと宣う頭のおかしな女から始まったが、それから弟子へ、そしていまは未来の好敵手へと変貌を遂げる。


 ならばアラタとしては踏ん張らねばなるまい。

 弟子の頼みであることもそうだが、何よりも未来の好敵手として現れる、その約束のために護衛を引き受けたのだ。精々リディアの機嫌を取り、望む未来を勝ち取らせてやらねばならないだろう。


 ああ、楽しや。

 ああ、うれしや。


 ましてやってくる敵がちぃとはマシな部類となれば、面倒くさいだけであった仕事にも身が入るというものである。


「とりあえず座れや。喉が渇いてるんだ、水くらい飲ませろ」


 差し出された革袋から喉を鳴らして水を飲み干し、人心地ついたとばかりに息を吐く。


「とりあえずだ、俺達を監視してる奴がいやがった」  

「監視……ベンハルトの手の者でしょうか」

「だろうな。だが、騎士って感じじゃなかったな。どちらかと言えばでかいのみたいな傭兵に近いが、人種から違う感じはするか。こう、肌が褐色でな」

「褐色……ですか?」


 心当たりがあるのか、ミゲルは考え込む。

 だがすぐには答えがでないようで、アラタは気にせずに話を続けた。


「まあそいつらをぶっちめてやったんだがよ、どうやらお前の元婚約者とやり取りしてやがったようだ。さっきの城砦もやっこさんの罠だとよ」

「あれを、王子が? あのような騎士道にもとる行為を……そこまで落ちたのですか」


 王にとって民は財産だ。

 王がどれほど権力を備えようと、民なくして国は成り立たず、王は王と名乗ることすら困難になる。優れた王であればあるほど民を手厚く遇するようになるもので、王であるぞと民を軽んじる者は愚王と言わざるを得ない。


 そんな民を騙し討ちにするなど、もはや唾棄すべき事態である。

 それを第二王子とはいえ王家の人間が私利私欲のために行うなど、騎士道を重んじるリディアの怒りを誘うには十分だった。


 元よりベンハルトの手から権力を奪い取る予定ではあったが、なおさらそうせねばならぬと固く誓う。


 愚かな王を戴くほど民にとって忌避すべきことはないのだ。

 民にとって王とは太陽のごとく、暖かく日を照らしてくれる分には有難みも感じようが、普段はさして気に留めるものでもない、その程度の存在でいいのだ。灼熱で己が存在を固辞して田畑を辛し、民を苦しめるような暗君など存在すら許すべきではない。


「ま、阿呆の考えることはわからんさ。それよりも大事なことだがな、やっこさん、随分近くまで来ているようだぞ。やっこさんとその軍勢五百、ロコンドルの街を出立したらしい。あの騙し討ちが成功すれば良し、そうでなくとも三日後には追いつく算段だそうだ。見張りの連中はその三日間を稼ぐために闇討ちをかける予定だったみていだな」

「どこまでも卑怯……しかし、三日ですか」

「三日だ。聞いてた通りなら、間に合わねえだろ?」


 軽く言うアラタだが、事実なだけにリディアも頷くことしかできなかった。

 王都までは馬で駆ければ三日と少し、替え馬もありで昼夜問わずかければ二日でたどり着けるだろう。


 だが民を引き連れてはそううまくはいかない。

 いまは矢傷を受けた者もいてなおさら速度は落ち、王都まで七日はかかるだろう。

 どう足掻いても追いつかれる、その事実が一向に落とす影は大きかった。


 そんな空気を吹き飛ばすように、アラタは焚火にかけられていた肉の串を取り上げ、がぶりと噛みつき、結構な量があったというのにあっという間に平らげた。


 そうしてもう一本を手に取り、肉の刺さった串をリディアの額に突きつけた。

 かろうじて刺さらぬぎりぎりの距離でぴたりと止め、「ひゃあ」と可愛らしい声を上げて後ずさる彼女を笑い飛ばして口に運ぶ。

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