悪逆の騎士
リディア達は嬉々として砦に向かった。
街道から少し遠い位置にあるその砦は、王都までの街道を守るために設置された王都守護のための軍事拠点である。
街道を通って王都へ向かう軍勢はその砦を無視すれば後背を突かれることになるため、無視して先に進むことはできない。面倒であっても潰さなければならず、そこで稼がれる時間は王都にとって値千金の価値があるわけだ。
そういった時間稼ぎのための砦は一定間隔で街道に存在するのだが、それは全て王家直轄であり、他国の間者を締め出すために専任の騎士団以外は立ち入りが許されない。
だからこそ二百人の民の受け入れなどあり得ぬ話だと思っていたのに、それを受け入れてくれるというのだ。
すでに徒歩での移動による時間の遅れは致命的な領域にある。
馬で八日の日程は十日目を迎え、ようやっと旅路の半分を超えた程度でしかない。
いつ軍勢が後ろから現れるのかわからぬ現状を考えれば、街道から離れて砦に立ち寄り、民を預けてまた王都へ向かって出発するほうがよい。
先ほどまで憮然としていたミゲルも、降って沸いた吉報に口が軽くなっていた。
「これは幸運でしたね! 徒歩ですと街道から半日道を外れる必要がありますが、馬であれば数時間でもどって来れます。あとは王都まで四日を駆ければすむ。追いつかれる危険性は変わらずありますが、それでも格段に速度を上げられますよ!」
「そうですね。受け入れてくれる騎士団の方には感謝しかありません」
「間違いありません。しかしあえて言えば民だけ砦に向かわせれば、私達はそのまま王都へ向かうことができたのですよ。いくら受け入れの条件が本物のリディア殿か確認することだとはいえ、いくらでも突っぱねることはできたでしょう」
身分で言えば騎士団長は一代貴族でしかなく、領主権を持っていないとはいえオーヴェンスタイン家のリディアに命令する権限などはないはずなのだ。
だがリディアは民を受け入れるのはあくまでも騎士団の好意であり、必要と言われるのであれば万難を排すべきだと考えていた。
民を送り、リディアがいないことで受け入れを拒否されては目も当てられない。
民を救うことは騎士道の観点から必要で、大のために小を切り捨てるなどあってはならないことなのだ。
「ご迷惑をおかけします。民のみなさんを受け入れてもらったら、そこから急いで王都を目指しましょう」
「そうですね……確かに、ここまで来て言うことではなかったですね」
森の切れ目から見える城砦を見やり、ミゲルは「失礼」と頭を下げた。
街道から城砦へ分岐する時点ですでに議論し尽くしたことで、城砦が見える距離まで近づいたところでぶり返しても意味はない。
ミゲルは少しばかり昂った気分が口を軽くさせたことを謝罪し、気まずさを誤魔化すように馬腹を蹴って前へ出た。
「一番交渉が上手いのは私でしょうから、ちょっと城砦の皆さんに挨拶をしてきます。皆さんを受け入れてもらったすぐにもと来た道をとんぼ帰りですからね。少しでも滞在する時間を減らせるように段取りしておきますよ!」
叫びながら城砦の城門へと走っていくミゲルに、アラタは肩をすくめた。
「怒ったり喜んだり、忙しない奴だな」
「すまないな。あ頭が回るせいか考えすぎてな、効率を追うあまり頭でっかちになっちまう悪癖があるが……ま、あれで悪い奴じゃないんだ」
「ミゲルさんはいい人ですよ」
ガストルはきっぱりと言い切ったリディアに一瞬目を
城門前に辿り着き、何やら城壁の上にいる騎士に語り掛けているミゲルを眺める。
「あんたがそんな人だからあいつも見捨てられないんだろうな」
「どういうことです?」
道中で何度も意見を異にし、民を見捨てるべきだと連呼してきたミゲルをして当然のようにいい人だと断言する。理屈でもって判断をしているだけで、ミゲルも本当に民を切り捨てたいと思っているわけではないと理解しているのだ。
必要に迫られた上での苦渋の決断を嫌われる覚悟で行うというのは存外難しく、それを行うミゲルを嫌うことなどできようはずもない。
若い貴族の子女らしからぬ見識と判断力、そして優しさに絆されるミゲルの気持ちがよくわかった。
とはいえそれを直接本人に伝えてしまうのはどうなのか。
ミゲルとて恰好つけたわけではないだろうが、彼の想いを許可なく赤裸々に語ってしまうのは抵抗がある。さてどうしたものかと悩んでいると、ミゲルがこちらを振り返って大きく手を振っていた。
「話がうまくまとまったか。あんなに大きく手を振らなくてもいいだろうに」
「違うぜ、馬鹿が!」
言い捨てると同時に馬を走らせたアラタに呆気に取られるが、その意図はすぐに理解できた。
城門前で城壁の上に声をかけていたミゲルが、踵を返して脱兎のごとく駆けだしてくるのだ。
何事かと視線を上げれば、城壁の上にいた騎士達は弓を構えていた。
狙いはミゲルだけではない、さらにその奥、無防備に歩く民の集団まで射程に入れていた。引き絞られた弦が、びっと弾ける音を立てる。
放たれた矢がどこへ向かうか、理解するやガストルは叫んでいた。
「伏せろおおぉぉぉぉぉぉっ!」
反応できたのは戦いになれた者と、ほんのわずかな反応が良い者だけだった。
多くの者は意味も分からず辺りを見回し、奇妙な風切り音に空を見上げ、そこに無数の黒い雨粒が降って来る姿を見た。
どとととっ、と雨音にしては大きな音が鳴り響く。
空を見上げていた男は、一瞬で黒い雨粒が消えたことを訝しみながら音がした地面を見やり、何やら不気味な木の棒が突き立っているのを目撃した。
はて、これはなんだろう。
どこかで見たことがあるような気もするが――
思考が現実に追いつくまで一秒、それよりも早く絶叫が周囲に響き割った。
矢に貫かれた民の悲痛の叫びが広がり、場は一気に騒然とした。
運が良いというべきか、距離が離れるほどに矢の命中率というものは下がる。
直線的に狙える距離はごく短距離で、遠くに届かせようと思えば山なりに弧を描かざるを得ない。直接的に狙いをつけられない以上命中率が下がるは道理で、さらに城壁の上にいた兵の数が少ないこともあって、怪我をした民の数はそう多くはなかった。
だがそれでも恐怖は拭えぬもので、民達の悲鳴は連鎖するように広がっていった。
「下がれ! 下がれ下がれ!」
「心配するな、あそこからはそう届かん! 城砦から距離を取れ!」
傭兵達が口々に怒号を響かせることで、民もようやっと動き始めた。
ガストもは矢を受けて動けない者を数人も抱えながら、同じく負傷者に肩を貸すリディアとともに下がった。
何が起こったかなど考えるまでもない。
「騙し討ちとは、この卑怯者め……っ!」
怨嗟の声を漏らすガストルだが、いまはとにかくこの場から離れることが重要だった。
「全員下がらせたら剣を取れ、追撃が出て来る可能性があるぞ! リディア様に指一本触れさせるな!」
「おおっ!」
弓で動揺を誘ったならば、次は兵による追撃にいよって止めを刺すが常道。
弓は便利ではあれ、命中精度と威力という点で劣る。
確実に命を刈り取るならば剣で持って突撃するのが必要不可欠だ。
だからこその命令一下、傭兵達は一斉に剣を抜いて民の前に立ち――
「は?」
ぽかん、と口を開けて動きを止めた。
「あ? 何馬鹿面してやがる。ここぁ駄目だ。さっさと帰るぞ」
どこに頭を打ったか、大きな瘤を作って意識を失うミゲルを抱え、飄々とアラタが歩いて来るではないか。
いや、そんなことはどうでもいいのだ。
それよりもその後ろ、開け放たれた城門と、そこから出てきたであろう数十人の騎士達の全てが地に伏していた。一体いつの間に、何をしたらそうなるというのか、命はあるにしろ、戦闘継続が可能な騎士は誰一人いない。
全員が深手を負ってうめき声を上げ、城砦の騎士達はその姿に恐れをなしたか、それ以上の追撃部隊を出すことを躊躇う有様だった。
「ちっ。まったく、雑魚を相手にするのは運動にはなるが、楽しくはねぇな……おい、お前ら。お前らの
肩越しに振り返り呼びかけるアラタに、城門の影から様子を伺う兵達がびくりと肩を震わせた。
「玉ぁ、握りつぶされる覚悟で来いや」
こくりこくりと高速で頷く騎士だったが、そんな彼の心臓を握りつぶすようにアラタの視線に力がこもった。
「返事はどうした、ボケが」
「わ、わかりました……っ!!」
その場にへたり込んだ騎士の下半身からは湯気が立ち昇り、穴という穴から液体があふれ出ている。緊張からの開放で士官した肉体がいう事を聞いてくれないのだろうが、なんとも哀れである。
「行くぜ、全部振り出しだ。どうするか考えろや、大将」
「た、大将……?」
アラタは何を当たり前のことをと鼻で笑った。
アラタはあくまでも頼みを引き受けた護衛であり、この一団を率いているわけではない。誰に聞いてもいいが、この一団の
「ちぃと野暮用で離れる。街道に出るまでには合流すらあ」
ぽんと肩を叩いて元来た道を戻りながら、アラタはガストルの足元にミゲルを放り投げる。衝撃で目覚めたミゲルは「うげっ」と悲鳴を上げて起き上がり、助けてくれたアラタに声をかけようとしたが、その時はもうアラタの姿は森の中へ消えていた。
「アラタ殿は?」
「わかりませんが、とりあえず城砦から離れて怪我人の手当をしましょう。終わり次第街道へ……どうするかは道すがら考えます」
混沌とした状況の中、リディアはどうするか頭を悩ませていた。
たかだか十七歳の少女に押し付ける責任としてはあまりにも重すぎるが、投げ出すわけにはいかなかった。
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