懊悩と覚悟と決意
ロコンドルの街を出たアラタ達は、すぐに壁にぶち当たった。
といっても物理的な障壁ではなく、王都へ続く街道はよく整備されている。
女王の街道とも呼ばれたローマのアッピア街道よろしく石畳が敷かれているわけではないにしろ、よく踏み固められた土の地面は水はけも計算され、ぬかるんだ地面についた轍の凸凹した状態で固まっている、なぞということもない。
十分に固められた地面は馬車はおろか、馬での全力疾走にも耐えるだけの実に快適な道である。
だがそれも十分な速度を出せるだけの重しがなければの話だ。
ミゲルは馬上から後方を見渡し、そこに広がる光景に渋い顔をした。
本来であればそこにいるのはガストルの傭兵団と臨時にかき集めた傭兵達、総勢で五十名ほどの予定である。
急ぎの旅であるため全員が騎乗し、荷駄隊なども用意していない。
ただでさえリディアの願いで数日を無駄にしたのだ、これ以上追いつかれるリスクを取るわけにはいかず、必要最低限の携帯食料のみで王都までの八日の旅路を乗り切る算段だったのである。
それがどうだろうか。
予定通りに事が運ぶなどあり得ぬとでも言わんばかりの人間が、えっちらおっちら後をついて来る。目算でざっと二百はいるか。馬に乗った者など数えるほどで、ほとんどは武器代わりの鉈やら
さらに食糧すら持ってきていない者もいるとくれば、もはや笑うしかない。
徒歩の彼らに合わせることで、馬での移動という優位は失われていた。
やはり、このままではいけない。
民を見捨てられぬお優しいリディアの想いは尊重したくはあれ、それでも明らかな危険をそのままにすることは許されるべきではないのだ。
民を守り、土地を守る、そのためには犠牲をも容認するだけの度量が求められる。
ミゲルは馬腹を軽く蹴り、速度を上げて隊列の先頭を歩くリディアの横に並んだ。
「どうしました?」
「意見具申に参りました」
ミゲルの厳しい表情に察したか、リディアはふいと視線を正面に戻した。
言われずともわかっている、しかし判断ができないのだろう。
「失礼ながら、リディア様はお優しすぎます。勝手に着いて来た彼らを私達が保護する必要などはない。見捨てるべきです」
リディアを守る、などと身の丈に合わぬ言葉を声高に叫び、自分達の後を追ってきたのは彼ら自身の判断に過ぎない。
騎士も傭兵も戦闘の玄人である。
街の喧嘩とはわけが違うというのに、一時の高揚感で力になれると過信する。愚かしいことこの上なく、実際の戦闘ではただ守られるだけの足を引っ張る存在にしかならない。
それだけではなく、彼らの足に合わせれば追いつかれる危険性すら増すのだ。
ここできっぱりと切り捨てるべきだった。
その結果、彼らがどうなろうとも。
リディアは少し困ったように笑い、陽光に透ける金色の髪をかき上げた。
「ミゲルさん……見捨てたら、あの人達がどうなるかわかってますよね」
「もちろんです。多くは死ぬでしょうね」
いっそ冷たく、吐き捨てるミゲルの目には苦渋が見ている。
ミゲルとて理解し、苦しみ、その上で理解しているのだ。
リディアを守らんと立ち上がった彼らは、彼女をベンハルトに突き出すべきだとする民衆と対立する形で街を飛び出した。
最初に彼らに気づいたミゲルはすぐに街へ引き返すように説得にあたったが、最悪なことにロコンドルの街の鉄扉は硬く閉じられ、格子戸まで落とされていたのである。
街を出たチナ達が戻ってくれば、ベンハルトにどんな目に合わされるかわからない。
自分達を守るために取った弱者ゆえの苦肉の策は、チナ達が帰る場所を失わせた。
邪魔だからと帰すこともできず、近隣の街まで向かえと言おうにもそれも難しい。
距離があることももちろんだが、ロコンドルは起伏が激しく通りぬけが難しかった丘陵地帯の中で、比較的平地だった土地に建設された街だ。ロコンドルの中を通り抜けることで丘陵地帯をスムーズに抜けることができるが、言い換えればロコンドル以外の場所では踏破することすら十分な準備をしなければならない難所続きなのである。
では翻ってロコンドルから王都へ向かう方向はどうかといえば、これもうまくない。
右にステラタート有数の湿地帯、左には深い森が広がり、二百人もの人間を受け入れられる街は少なくとも王都近郊までは存在しないのである。
野盗や野生動物の被害を防ぐために、小さな村よりも大都市を建設して人口の密集を図るステラタート公国の政策が、ことこの場においては
「それでも見捨てろと?」
「ええ。命を助けられた恩としてあなたに協力していますが、それも限度があります。私は商人で、利害が重要です。東部地域に悪政を敷くベンハルトは私の商売にとって都合が悪い……あれを引きずり下ろすことができるのなら十分に益はあると思っていますが、命を賭けるつもりはありません」
「なら、私を見捨てて立ち去ればいかがですか?」
なんでもないことのようにとんでもないことを言うもので、ミゲルは内心の呆れを顔に出さないようにするのにひどく苦労した。
ミゲルがいなくなるということ、ガストルも傭兵達も消えるということである。
残されたアラタは確かに特級の戦力ではあろうが、それとて軍勢の前には無力だ。人一人ができることなど限られている。それこそ神剣使いであろうが、だ。
とはいえそれはガストル達傭兵がいたとしてもそう変わりはない。
肝要なのは速度を上げて追いつかれぬこと、それほど単純明快な摂理に理解が及ばぬのかと歯噛みする。理性的な少女と思っていたが見誤ったか。しかし今更彼女を見捨てたとなれば、商人としては致命的な悪評が付いて回だろう。
如何ともしがたい現状に苛立ち、助けを求めるようにアラタを見やる。
「あなたはそれでいいのですか。危地に陥った時、矢面に立つのはガストルだけではない。貴方もですよ」
師匠であるアラタの言葉ならば聞くのではないかと一縷の望みを託すが、それが誤算であることは言うまでもない。
アラタという男がそんな脅しで考えを変えるわけがないのだ。
「いいんじゃねえか。やりてえようにやる、なるようになる、それだけの話だろうが」
「そ、そんな簡単に……!」
「いやいや、簡単な話じゃねえかよ」
面倒くさげに頭を掻きながら、アラタは「わからねぇかな」とため息をついた。
「あれも嫌、これも嫌、色んなこと考えて悩むのは勝手だがな。お前だけだぜ、悩んでるのはよ。この場にいる奴はやりたいようにやるって覚悟が決まってんだよ」
「で、ですがそれでは危険が増すばかりではありませんか!」
「それがどうした。それでいいって決めてんだ。他人がそいつの覚悟に口出すなんざ野暮ってもんだぜ」
ミゲルは意味が分からず、舌打ちを漏らす。
彼とて十年近く商人として各地を回り、財を築いてきた男だ。荒波の一つや二つ平然と乗り越えてきた。博打に近い判断とてやったこともある。
だがそれとて、危険と成功の天秤を慎重に見据えた結果であって、精神論などという朧気な何かにすがったことなどないのだ。
「死にますよ、全員」
「ははっ。結構じゃねえか、信念にそって死ぬなら本望だろうさ。なあ、おっかさんよ」
「……すまないね、迷惑かけてるみたいでさ」
はっとして振り返れば、すぐ後ろにチナがいた。
一体いつから聞かれていたのか分からないが、迷惑になっていると自覚しているあたりミゲルが彼女達を切り捨てるように進言していたことは聞かれているだろう。
しまった、と思ってももう遅い。
すわ暴動かと身構えたミゲルだが、チナは神妙な面持ちで頭を下げた。
「あたしが追いかけるなんて言わなきゃさ、こんなことにはならなかったんだよ。申し訳ないなんて今更言っても意味がないのは分かってるけどさ、本当にすまないことをしたね……リディアちゃんを応援したかっただけなんだけどね」
「チナさん、そんな謝らないでください。気持ちはすごく嬉しいです」
リディアが声をかけるが、チナはぐっと言葉を詰まらせた。
気持ちは嬉しい、というリディアの言葉に、やはり足を引っ張っているのだと自覚させられる。そんなことはわかっているし、もしかしたらなんて思ってもいないが、それでも改めて察してしまえば湧き上がる後悔の念が胸を締め付けた。
「リディアちゃん。私ら、ここでお暇するよ」
「……お暇、ですか。その、どこへ行かれるおつもりですか。街へは戻れませんよ」
「その辺の森にでも隠れておくさ。兵士も暇じゃないんだ、隠れてる私らを探し出そうなんてしないだろう?」
それはその通りで、兵士の目的はリディアである。
元より庶民の集団二百人程度は歯牙にもかけておらず、森の中に隠れていれば素通りされるのは間違いなかった。
なるほど、それならと頷いたミゲルだが、リディアは少し考えただけで首を振った。
「それで生き残れるでしょうか」
「大丈夫だよ! 兵士は私らを無視するはずさ、それから街へ戻ればいいんだよ!」
「街へ戻ったところで入れてもらえないのでは? 食糧は分け合ってもそう何日も保たないはずです。私が領主権の返還を行い、その情報がロコンドルに届くまで少なく見積もっても半月はかかる。その間、どうやって生きて行かれるのですか?」
正論である。
あるいは情に訴えてロコンドルの街に入ることができるかもしれないが、自分達の安全のために門を閉じた街の住人が受け入れてくれると考えるのは虫が良すぎる話だった。
「前に進みましょう。あなた達のことは、私が護ります」
チナはその言葉に項垂れ、小さく頷いて集団の中に戻って行った。
リディアの言葉は具体策もない精神論に過ぎないが、後悔と羞恥に染まったチナの心を決定づけるには十分な力強さがあったのだ。
アラタは首をすくめ、やれやれと首を叩く。
「で、実際どうするんでえ?」
「万が一の場合は、私達が盾になり、逃がします」
「へぇ。逃げても追いかけて来ると思うがね」
その時は、自分の命を代価に。
斥候役で戻った兵士の叫びで、その言葉を口にすることはできなかった。
焦った様子の傭兵の報告に、一同は目の色を変えた。
それは王家直轄領の街道守護の砦が、民の受け入れを許可したという一報だった。
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