決意せし弟子と剣豪じじい2

 集団から歩み出たのはチナだった。


「あんた達、こんな女の子相手に恥ずかしいと思わないのかい! 悪女だって? この子がそんな事するような子じゃないってのはあたしが保障するよ! 伊達に半月雇ってないんだ、こんな馬鹿正直で素直な子が悪女であってたまるかい!」


 アラタの殺気とはまた違う意味で、その怒声は人々に冷や水を浴びせかけた。


 集団を押しのけるように、一人、二人と男達が前に出る。


 ダニアンはついに暴動かと思ったが、男達は暴力に訴える者特有の熱はなく、ただ覚悟を決めた表情でチナの横に並んだ。それに続く男達の数は続々と増え、気づけば集団の三分の一ほどがリディアを囲むように立ち、集団と対峙する。


「悪いが、俺はリアちゃんを……リディアちゃんを信じるね!」

「おうとも! こんなむさ苦しい親父に毎日ご苦労様ですって笑いかけてくれる良い子だぞ。悪女でなんてあるはずがねぇ!」

「違いねぇ。ちっと怖い時もあるが、可愛くて優しい良い子なんだ!」

「怖いのはお前が下衆な冗談言うからだろうが! それさえなきゃずっと優しい良い子だよ! 厄介親父ってことを自覚しやがれ、このすっとこどっこい!」

「な、なにおう!」


 何やら取っ組み合いを始める者もいるが、彼らがリディアに向ける視線は優しく、好意的だ。


「リディアちゃん、言いたいことがあるなら言っていいぜ! 俺達が守るからよ!」

「あ、ありがとうございます……っ!」


 勢いよく頭を下げて礼を言うリディアの様子を眺めながら、アラタはむっつりと腕を組んで押し黙ったままだ。

 その横にガストルはにやにやしながら並ぶ。


「なんでぇ、赤いの。護衛はいいのか」

「俺が護衛せずとも、活きの良いのが揃ってるだろ。一時はどうなるかと思ったがな」

「けっ。あいつが望んだことだろうよ」

「だとしてもさ。黙って王様に会いに行ってもいいってのに、そのわずかな時間も苦しまないように食糧を配ってやろうってんだぜ。あれ全部あの子が持ってた宝飾品を売った金で買ったもんだ。中には爺さんの形見もあったらしいし、そうできることじゃねぇだろうよ」


 ふん、とアラタは不満げに鼻を鳴らした。


 そんなことは言われずとも知っている。

 旅の資金にしようと持ち出した宝飾品の全てをミゲルに渡し、その売却した金で購入された食糧はここにあるだけではない。他の街の商人の協力も得て、近隣の街全てに配られているのだ。


 この近隣の街は少なからず恩恵に預かることになるだろう。


 しかし、それでも全員を救えるわけでもない。

 配れなかった街や村の人間が飢えている現実はいまも変わらないのだ。


「気に入らないって顔だな」

「ああ、気に入らない。偽善でしかないしな」

「それでも、救わないより救うほうが何倍もマシさ。この街はまだ餓死者こそいないがな、他の街じゃあそれなりの数が出てる。あの食糧で救われる命ってのも確かにあるんだ」


 王都へ直接向かって助かる命と、食糧を配られたことで助かる命。どちらが多いかなどわかるはずもなし、そんなものは神さんの領分であることは確かだ。


「別に自分の好きなようにやりゃいいさ。それがあいつのやりたいことなんだろうからよ」 

「素直じゃないねぇ」


 ガストルは苦笑しながら、「聞いてください!」と声を上げるリディアに視線を戻した。


「こんなことを言っても信じてもらえるかわかりませんが、関税を上げたのは私ではありません。おじい様が亡くなった後、私はすべての権利を婚約者――この国の第二王子であるベンハルトに奪われました。関税が上がったのも、すべてベンハルトが行ったことだと思います」

「その証拠はあるのかよ!」


 声を上げた男に視線を向け、リディアは首を振った。


「証拠はありません。ただ、まだ全て奪われたわけではなく、領主権はおじい様が持ったままになっていることが分かっています。それを取り戻します。ですから、少し時間を貰えませんか」


 リディアは一同を見回し、高鳴る鼓動を抑えるように胸の上に手のひらを重ねた。


「私を捕まえようと、ベンハルトの兵が向かっているそうです。私はこの街を離れ、王都へ向かいます。そして相続継承の手続きを行い、領主権を手に入れます。その後に、領主権を国王陛下へお返しするつもりです」

「……どういうことだ?」

「わからん、領主権を返してどうなるんだ?」


 貴族の仕組みなど庶民が理解しているわけもなく、困惑する民衆にミゲルが助け舟を出した。


「領主権がなければ法を変えることができません! つまり、オーヴェンスタイン家の領主権を持たずに法を変えて、高い関税をかけたベンハルトの行動はすべて否定されます! この地は国王陛下直轄となり、すぐに代官が派遣されるでしょう! そうなれば、ベンハルトは法に則ることなく税を操作した責を問われるはずです! 時間はかかるでしょうが、関税が元に戻ることは間違いありません!」


 見回すが、やはりそれでも理解が及んでいる数は半数というところか。


 仕方がない、まともに学を持つ者のほうが少ないのだ。そう簡単に理解できるはずもない。


 だからこそ、ミゲルは続けた。


「国王陛下に悪者を追い出してもらい、関税を元に戻します。リディア様にしかそれができないのです!」


 ようやっと理解できたのか、なるほどという顔をする者がちらほらと増える。


 それでも感情的なしこりが残っている者が多く、ミゲルの感覚では半分以上はリディアの話を信じていないように思えた。


 いきなり第二王子が真犯人だと言われて納得できないのはわかるが、予想より旗色が悪い。


「それで、あんたはそれを俺達に伝えてどうするつもりだよ!」


 助けるならさっさと動けと言わんばかりの言葉に、リディアが続けた。


「もうしばらくすれば元に戻る。それをお伝えしたかったんです。ただ耐えるより、必ず変わるとわかって待つほうが耐えられるはずですから……それに、謝罪をしたかった」

「謝罪……?」


 リディアは頷き、深々と頭を下げた。


「おじい様が亡くなった後、私は領民のみな様のことを考えてしっかりとするべきでした。しかし、悲しみに浸るばかりで何も考えられず、結果としてベンハルトにオーヴェンスタイン家を乗っ取られてしまった。そのせいで、みな様に苦痛を強いたのは私の責任です。本当に、申し訳ありません」


 それは真摯な謝罪であったろう。

 ミゲルなどは彼女の本気をその姿勢に感じ、心打たれる想いだった。


 だが、現実として飢え、死んだ者もいる。

 そう簡単に納得しろと言ってもそううまくはいかず、反応はちょうど二分されているようだった。


「リディアちゃんのせいじゃないだろう! 頭なんて下なくていいんだ!」

「騙されてるんじゃねぇ! 全部嘘っぱちかもしれないだろうが!」

「嘘じゃないにしてもあいつが元凶だってのには変わらないだろうが!」


 こうなるだろうとは予想していたが、やはり否定的な反応は心に来るものがある。


 しかし、全ては予想された反応である。

 リディアは顔に悲しみを出すことはなく、もう一度頭を下げた。


「私はこれから王都へ向かいます。領主権の返還をしようとしていると知ったベンハルトは手段を選ばないでしょう。逆らえばみな様も危険に晒されるかもしれません。兵がこの街に現れたら、みな様は抵抗せず、私が王都へ向かったことをお伝えください。日々の生活とご自身の安全を第一に行動してください。私から伝えたいことは、それだけです」


 毅然とした態度で言い切ると、話は終わりとリディアは踵を返した。


 止めようにも宿の常連の男達が間に立ち塞がり、その向こうには強烈な殺意を放った男と、傭兵達までいる。


 馬に乗り、街の住人に何度も頭を下げながら旅立つリディアを止めることはできなかった。


 残されたのは民衆と、宿の常連の男達だけだ。

 傭兵も、さきほどの殺気を放った男もリディアとともにいなくなり、止める者がなくなった広場は騒然となった。


「おい、ふざけるなよ! あいつを行かせていいのかよ!?」

「仕方ないだろ、逆らったら殺されちまう!」

「なら馬を走らせて第二王子殿下に知らせに行こう! 兵がこっちに向かってるなら、待つより迎えに行ったほうが早い! 捕まえるのは王子に任せちまえばいいんだ!」

「それがいい! 馬だ、馬持ってこい!」


 大きくなっていく騒ぎは収集が付かず、あれよあれよとリディアを捕えるための方法が決まっていく。


 もはやその流れを止めることはできないように思えた。

 それほどに熱量は狂気へ昇華し、その熱にうかされた人々の行動は抗いがたく、激しくなっていたのだ。


 だが、そうでない人間も確かにいた。


「あんた達、いい加減にしな! 見損なったよ!」


 常連の男達とともに集団に真っ向から立ち向かったのは、やはりチナだ。


 腰に手を当て、怒髪天を突くとばかりに怒りを漲らせる姿は勇ましく、自分よりも上背のある男達相手にも一歩も引くことはなかった。


「あの子の言うことを信じられないっていうだけならともかく、あんた達のために命を張ろうって子をひっ捕まえる算段だ? ふざけるのも大概にしな! あたしの旦那がここに生きてたら、あんた達全員ぶん殴ってるとこだよ!」

「チナさん、そうは言うがよ! 信じられねぇだろ、あんなの!」

「黙りな!」


 平手一発、反論した男の頬を張り飛ばし、チナは威勢よく常連達を振り返った。


「あんた達はどうなんだい!」

「そ、そりゃ信じるさ! あの子が噂通りの子なんて信じられるわけねぇ。どっちかが嘘ついてるってんなら、見知ったあの子じゃなくて第二王子殿下……いや、王子の糞野郎の側だろうさ!」

「おお、間違いねぇ!」


 こちらはこちらで盛り上がりを見せ、リディアを信じるか信じないかで広場は完全に二分されていた。


 リディアだけならば信じ切ることはできなかったかもしれないが、なにせチナが味方についている。


 当たりまえの話だが、男は必ず独身から始まるのだ。

 十五までには家から出て独り立ちすることが求められるこの世界において、暖かい食事を振る舞ってくれる場所というのは特別だ。ましてそれが美味い飯で、母親のように厳しくも優しく世話を焼いてくれる女将の店となればことさら言うまでもない。


 この街でチナの世話になっていない男を探すほうが珍しいのだ。

 そんなチナがリディアに対してどうしてそれほどの愛情を注ぐのかは分からないにしろ、男達の多くはチナへの恩義とリディアの言動から、悪意を抱くことのほうが難しかった。


「もういい! こいつらなんか無視して馬を出せ! どうせ止められやしねえ!」


 業を煮やした男が叫び、それに反応して何人かの男達が広場を飛び出した。

 追いかけたくともチナに同意する人間は集団から追い出され、自然広場の中央に集まっていた。追いつくには集団を突破しなければならないが、どう見てもそれは難しそうだった。


「チナさん、どうする?」


 追いかけるのは無理だ。

 剛毅な女将、チナは果断に決断した。


「あんた達、家に帰って武器になるものを持ってきな! リディアちゃんを追いかけて護衛するよ! 素人だろうが、盾くらいにはなれるだろうさ!」


 男達ははっとした顔で頷き、広場の小道に散り散りに走り出した。

 集団を抜けることはできずとも、迂回するように裏道を抜ければ家まで帰るくらいは造作もないのだ。


 そうしてきっかり一時間後、チナを筆頭にリディアを追いかける一団が街を出た。

 その数はおおよそ宿に集まった人数の四分の一、ロコンドルの人口の十分の一にあたる二百名もの人数にのぼった。


 果たしてそれが吉と出るのか、凶と出るのか。

 いまはそれはわからずとも、彼らは確かにリディアへの善意でもって出立したのである。

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