リディアの自責と願い
ミゲル達と合流した二人は、人目につかない場所で話したいという言葉に応えて宿の部屋に戻った。
アラタにしてみればそれで十分だと思ったのだが、ミゲルは両隣の宿泊人に金を握らせて部屋から追い出し、さらに見張りとしてガストルを廊下残す徹底ぶりである。
よほど聞かれたくない話なのだろう。
さてどんな話なのか、のんびりと構えるアラタとは対照的に、リディアは身を固くしていた。
「最初にまず、一つお伝えしておきます。私達は貴方の味方です」
「……ほう?」
貴方達ではなく、貴方のときた。
視線はリディアに向けられているとなれば、ある程度察しはつく。
「こいつが誰かわかってて言っているんだな?」
「はい。リディア・オーヴェンスタイン嬢……オーヴェンスタイン家の最後に残された血縁者で、領主権の正当な後継者です。民を救うために行動されるのでしたら微力ながらお味方致します」
きっぱりと断言されれば、リディアも否定はできなかった。
ただ、アラタはおかしな話だと疑問を感じた。
「正当な後継者ね。こいつはそういうのを全部婚約者に奪われて家を飛び出した馬鹿娘だぜ。それにだ、
騙し討ちは許さねえぞと言外に圧され、ミゲルはごくりと喉を鳴らして頭を下げた。
「誓って、味方です。本当のことを言うと知らない振りが一番というのは事実です。しかし、命を助けてもらったこともまた事実。恩を受けたならば、その恩と同等の何かを返すまでは味方でいるつもりです」
「なるほど。するってえとお前さん、恩を返したらその場で敵にもなるか?」
「場合によっては」
その返答にアラタは思わず噴き出した。
正直すぎて面白過ぎるが、それを良しとするミゲルの気概たるや。商人としてはどうかと思うが、誠意と利害をはっきりとぶつけてくる辺り信用ができる、それがアラタの判断だ。
「リディア、俺は問題ないと思うぜ」
「アラタがそう言うならばそうなのでしょう。でも、一つ勘違いをされていますよ。残念ながら、私は領主権を持っていません。すでにベンハルトに委譲の手続きをおこなっています。民を救いたいのは間違いありませんが、私にできることは限られていますよ」
リディアとて民の助けになりたいが、そもそも根本を変えることはできない。だからこそ、土地を離れ放浪する覚悟を決めていたのだ。
だが、それこそが間違いだとミゲルは否定した。
「イシュタルと王都に鳥を飛ばして確認しました。領主権はまだ委譲されていないのです」
「なぜです? 確かに書類に署名しましたよ」
「その書類は無効なのです、リディア様」
「無効‥‥?」
困惑しながらもなぜそんなことが起こり得るのか、頭を働かせる。
元より諦めていたから考えることがなかったその可能性に、無効と言われて初めて線を結ぶことができた。
はっとして顔を上げ、
「もしかして、私はまだおじい様から領主権の相続継承をされていないのですか?」
「その通りです」
ミゲルが調べたところによれば、王家直属の専門機関に領主権の相続継承が行われたという記録はない。相続継承は継承権を持つ家族が個人から領主権を受け取る、いわば暗殺の可能性を秘めた重大事なのだ。
専門機関による調査と認定がなければ認められず、長い場合には一か月近くかかることもある。
そして、その記録は五十年の歳月保管される決まりだ。
それが存在しないとなれば、相続継承は行われていないということになる。
つまり、いまだ領主権は死亡したリディアの祖父が所有しており、相続継承が行えるのは血を分けたリディアか、国王陛下その人だけということになるのだ。
そうと理解できればリディアを悪女だと広め、捕まえようとするベンハルトの行動にも意味を見出せる。
ベンハルトの目的は、リディアを捕えた上で相続継承させ、改めて領主権の委譲書類に署名させることなのだろう。
「アラタ!」
椅子を蹴り飛ばす勢いで立ち上がったリディアに、アラタは胡乱気な視線を向けた。
「王都まで私の護衛をしてください」
「あ?」
打つ手がないなら諦めようが、そうでないならまだ戦えるはずだ。
やるしかない、そう思えた。
「王都へ出向き、領主権の相続継承と同時に国王陛下へ権利返還を行います。そうすればベンハルトに領主権が渡ることはなくなり、オーヴェンスタイン領は国王直轄領となります。つまり、実質的にベンハルトがかの地を治める正当性がなくなるのです」
「はい、それができれば民を救えます」
ミゲルも後押しするように頷き、ぜひにとアラタに視線を向けた。
「アラタさん、私からもお願いします。第二王子殿下は兵まで動員したという噂です。ここから王都まで向かうならば追いつかれることはないと思いますが、それでも何が起こるかわからない。アラタさんが護衛をしてくれるならば鬼に金棒ですよ」
「おい、ミゲル」
「はい、なんでしょう?」
「黙ってろ」
面食らったミゲルを一瞥で沈黙させ、アラタは椅子の上で器用に胡坐をかいた。
「なんで俺がお前の護衛なんぞしなきゃならねぇ? お前は俺の弟子で、俺はお師匠様だろう。剣以外にお前との繋がりなんざねぇよ。いいか、俺は誰も彼も助けて回る聖人君子なんぞじゃねぇ。俺は剣で語ることが大好きで仕方なのねぇ、どうしようもねぇじじいってだけだ」
確かにその通り、第二王子の兵ともなれば精強極まりないだろう。そんな軍勢を相手に命をかける謂れがアラタにあるはずもない。
強者との戦いであれば望むところ、しかしアラタが好むのはあくまでも死力を尽くした一対一の死合いである。
いくら精強だろうが、アラタの望む域に達した者がどれほどいるかという話で、そんなものは好みから大いにはずれるのだ。
ましてや弟子が師匠に命じるなど、こんなあべこべの話があるだろうか。
だがそれでも、リディアは諦めなかった。
「アラタ。一生のお願いです」
「軽々しいぜ。冗談にしても笑えねぇ」
確かに一生のお願いを何度するのかと問いたくなる人間は多い。
彼らにとってそれは単なる欺瞞でしかないわけで、アラタでなくても一生のお願いとやらを一笑のお願いと読み解く者は多いだろう。まさしくお笑い種、である。
だがリディアは本気だった。
その場に跪き、アラタに向かって頭を下げる。
「冗談ではありません。全てが終われば、必ずや私の一生を捧げます」
「お前の?」
「はい。この身、この意志、この剣……私に差し出せるものがこれしかないのであれば、惜しむ気はありません。願いを聞いて頂ければ、全てがあなたのものです」
ミゲルが顔を引きつらせ、汗を流しているのが見えた。
それは貴族の子女が口にしていいような言葉ではない。恐らく大抵の男が唾を飲み込むほどの美女であるリディアが、その身を、その魂をいかように穢されても構わないと宣誓するのである。
それが冗談であればよいが、どう見ても本気の嘆願にしか見えないのだ。
アラタは強く一本気な男ではある。
それでも、男ではあるのだ。
アラタはふん、と鼻を鳴らした。
「いいぜ。それじゃあ、お前の一生を捧げてもらおうか。ただし」
「ただし?」
顔を上げたリディアは、何を言われるのかと不安に顔を曇らせた。
自分の人生以外に願いの対価として払えるものがないのだ。追加と言われて差し出す何かなど皆目思いつかない。
だがその時点でリディアはアラタという男を見誤っていたのだろう。
そんなものを、アラタが欲するはずがないのだ。
「捧げるのは俺にじゃねぇ。剣に捧げろや。飯を食ってる時も、寝る時も、糞をする時も、全ての時間剣だけを考えろ。恋なんてお前には許さねぇ。ひたすらに剣に向き合い、剣を愛せ。そうしてお前が十分に熟したなら‥‥なあ、その時は俺と死合えや」
傲慢に笑うアラタに、リディアは目を丸くした。
「アラタと?」
「言ったろう、俺は剣が大好きでしかたねぇ屑野郎なんだよ。俺を楽しませろよ、リディア。弟子を育てて最高の死合いができるなんざ、なぁ、考えるだけで楽しいだろうが。俺を殺して見ろよ、馬鹿弟子」
それはもはや、狂気の沙汰だった。
あまりにもおかしなことを言っているというのに、しかし向かい合う二人はまったくそれが当たり前のことであるかのように真剣な面持ちで、ミゲルは言葉を挟むことすらできなかった。
これが師弟の信頼なのか?
それとも、剣に惑わされた強者の末路なのか?
答えが出ることはなくとも、しかし余人が立ち入ることができない世界にいることだけははっきりと理解できた。
「わかりました、アラタ……私は強くなり、きっとあなたを殺します」
強烈な意志の宣言。
アラタは満足げに笑みを浮かべ、ぱしりと膝を打った。
「決まったな。それじゃあ、王都とやらまで出向くとしようかい」
「はい。すぐに準備をして旅立ちましょう。ただ、その前にやりたいことがあります」
「あん? まだ何かあんのかい」
訝し気なアラタに、リディアは少し困ったように微笑んだ。
「アラタが護衛をしてくれるから、多少時間がかかっても問題ないと安心できます。まずは民を救いましょう。話はそれからです」
民を救うために王都に行くというのに、先に民を救うという。
禅問答のような彼女の発言に、アラタとミゲルは揃って顔を見合わせた。
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