剣豪じじいは言ふ。紐ではない。
リディア――いや、リアが街に馴染むまでそう時間はかからなかった。
最初はアラタへの当てつけでの女給姿だったが、これがどうして、男だけではなく女にも好評だったのだ。
確かに女に興味が薄いアラタから見ても、リディアの女給姿には一見の価値がある。
立てば芍薬、座れば牡丹、歩く姿は百合の花という言葉が脳裏を過ぎる、その程度には美しい。なにせ人形もかくやと整った美女である、人気も出るというものだ。
リディア自身も街の人々と触れ合うのは楽しいようで、声をかけられると嬉しそうにしていた。
とはいえ美人だと言われ慣れていないせいで、褒められると真っ赤になってしまうのはそのままである。
まあその初心さが可愛くてからかわれている節もあるが、本人がそれでよいのならば万事良しだろう。アラタはからかい混じりに可愛がられるリディアを遠目に見つめながら、まだ昼日中だというのに酒瓶を傾けていた。
「あんた、こんな昼間っから酒かい。ここに来てもう半月は経つけど、一向に仕事してる気配がないね。大丈夫なのかい?」
「余計なお世話ってやつだな」
「まさかとは思うけど……リアちゃんの紐かい?」
「馬鹿ぬかせ、そんな恥ずかしいことができっかよ」
はん、と鼻で笑うが、ミゲルに助けた礼としてまとまった金をもらっていなければ危ないところだった。
異世界からやってきたばかりのアラタだ、仕事をしなければ金がないのは当然。今後も働かなければ、本当にリディアの紐と言われてもおかしくない。
とはいえ何にも考えていないわけでもない。
世界中を放浪していた際もまともな仕事で稼いだことなどないのだ。荒事を探し、解決の礼として金をもらう。実にアラタらしい路銀の稼ぎ方で日々の生活を送っていたわけで、こちらの世界でも十分にやっていけるという自信はある。
実際、ミゲルを助けて金を稼いでいるのだ。
金がなくなりかけたら荒事を探して回ればいい。それで特に問題はないだろうと楽観視していた。
が、そう楽観視できないのがチナである。
客観的に見れば健気に働く美少女と、その女の金で昼間っから飲んだくれる屑野郎にしか見えないのだ。「どこかがいいのかねぇ、こんな唐変木……」という呟きにチナの勘違いと嘆きが詰まっているわけだが、アラタはあえて聞こえないふりを貫いていた。
それなりに大きな酒瓶だったが、苛々しながら杯を進めたせいか思ったよりも酒が進んでしまったようだ。
空になった酒瓶をひっくり返し、ぽたりぽたりと落ちる雫を眺めてため息一つ。
「もう一本頼むわ」
「本当に駄目男だね。暇ならお使いに行ってきておくれよ。市場のダニアンってやつに、チナの使いって言えばわかるからさ」
「お使い……って、俺は客だぞ?」
困惑するもチナには通用せず、満面の笑みとともに数枚の貨幣が机に置かれた。
「おい、本気か?」
「本気さ。いいかい、リアちゃんと一緒に市場で買い物しておいで。お給金も出すからさ。しっかり働いて、あの子を幸せにしてやんなよ」
「いや、待て。俺とあいつはそんな関係じゃ……」
「うるっさいねあんた、いいから行けってんだ!」
まったくもって、度し難い。
がしがしと頭を掻き、机の上の硬貨を取って席を立つ。
気は乗らないが、いくら説明しても理解しようとしないのだ。せっかくリディアが楽し気に打ち解けているのだからそれを邪魔する必要もなし、ちょうど散歩したい気分でもある。
買い物くらいならついでにやってやるかと、半ば自分に言い聞かせるようにしてリディアを呼ぶ。
「おい、買い物行くぞ」
「あ、はい。ちょっと待ってください、着替えてきます!」
「面倒くせえ、その恰好でいいだろ」
リディアは自分の女給姿を見おろし、本気で言っているのかと顔を上げた。
「これで外に出るのは恥ずかしすぎませんか……?」
「知るか。似合ってんだからいいだろが。さっさと行くぞ」
本当に宿を出て行こうとするアラタの背中に決断を迫られ、リディアは一瞬の逡巡ののちに意を決して走り出した。
「似合ってる、似合ってる、大丈夫。似合ってるって言ってくれたから……!」
心の折り合いはかろうじて取れているようだが、それを見たチナがまた誤解を深めたのはいうまでもないだろう。
外に出て少し歩けばすぐに市場だ。
アラタに追いついた頃には人に聞いて目当ての店を特定したようで、迷うこともなく目的地にたどり着いた。ちょうど市場の中心部、もっとも繁盛するだろう場所にある一際大きな店がそれだ。
アラタより上背のある筋肉質な男がダニアンらしく、チナの名前を出すと見た目とは裏腹に気さくに対応してくれた。
「なんだなんだ、チナのお使いだって? あいつが人に仕事を任せるなんて珍しい。随分気に入られたんだな、あんた」
「俺じゃねぇ、こいつが気に入られてんだ」
「ああ、その服装……あんたか、。噂になってるやたら美人で初々しい女給ってのは。確かにすこぶるつきのいい女だな。野郎どもが持ち上げるのもわかるぜ」
「そんなことないです。みなさんにからかわれているだけですよ……っ」
謙遜もまた初々しい。
ダニアンはにやにやしながら店の奥へと姿を消し、すぐに大きな木箱を三つ抱えて戻って来た。
どかりと置かれた木箱の中には満載の芋である。
「注文されてたイム芋だ。あとはこれだな」
ぽんと渡されたのは燻した葉で包まれた肉だ。
量はさほどなく、精々が数人分だろうか。
「猟師に無理言って分けてもらったんだ。量が少ないが勘弁しろって言っといてくれ。食糧関係は税が高くてな、外から買い付けるってのは難しいからよ」
「はぁ、なるほどな。やっぱり厳しいのか?」
ダニアンは太い腕を組み、苦々し気に頷いた。
「厳しいなんてもんじゃねぇな。イム芋がこの街の特産じゃなければ、本気で餓えててもおかしくない。街から街へ、足りない食糧を融通しあうのは当たり前の話だってのによ……これまでは食糧に関税はかかってなかったのに、馬鹿みたいな金額を取られちまう。自給自足ができない街じゃあ餓死者が出てもおかしくないって話だぜ」
「となると、うっ憤も貯まるんだろうな」
さりげない切りこみに、ダニアンは目を細めるだけで答えない。果たして目の前の男は信用できるのか、値踏みをしているのだ。
じっくりと見つめられるが、アラタはむしろ堂々と、笑みすら浮かべて傲然と受け止めた。
それが功を奏したか、あるいはチナの信用のおかげかもしれないが、ダニアンは一応は納得したようだった。
「大きい声では言わねえがな。このまんまだと遠からず騒ぎが起きる。そりゃ、餓死者が出てまで我慢するつもりはないしな。みんなリディアって女を探し回ってるぜ」
「捕まえれば法を変えられる、だったか?」
「ああ。領主の権利ってやつだよ。領主って座は自分で放棄するか、王様に剥奪されるかの二択らしいがな。中央は遠い辺境なんざ興味はないし、捕まえて放棄させるしかないのさ」
そのためならどんな手荒いことでもするぜ、と鼻息荒く力説するダニアンに礼を言って別れ、帰路についた。
アラタが二箱、リディアが一箱づつ抱える。
芋がぎゅうぎゅう詰めの箱は重いが、リディアは文句も言わずに運んでいた。
いや、文句を言う余裕がないだけだろう。
さきほどまでの楽し気な空気は消え、またぞろしょぼくれた顔をしているのだ。
どうにもダニアンの話が堪えたのだろうが、彼女の責任というわけでもない。彼女の言葉通りなら、彼女は何もしていないのだ。そもそも領主としての権限とやらもとうに奪われ、彼女を捕えようが何も変わらない。
全ては第二王子の仕業だ。
時が経てばそれが広まり、第二王子が暴動の槍先にあげられることになるだろう。
それまでの辛抱、それは分かっていても忸怩たる想いに身が焦がされる。
慰めは無意味。
アラタは何も言わず歩みを進めた。
こういうことは自分で踏ん切りをつけなければいけない。他者から言われて行動すれば、あとで後悔した時に人のせいにする。己の判断と、己の責任でもって動くことにこそ意味があり、後悔もまた受け入れることができるのだ。
「あの、アラタ。何かできることはないでしょうか?」
「さてな、お前の好きにしたらいいんじゃねぇか」
「私の好きに……ですか」
またぶつぶつと何事かを呟きながら考え込むリディアにため息一つ、ふと見慣れた顔を見つけて声をかけた。
「おい、あんた。久しぶりだな」
荒事慣れしているだろう赤毛の男と商人風の優男の凸凹の二人組が、宿の前で何やら話し込んでいた。
「お久しぶりです、アラタさん! 探していたんですよ」
ガストルとミゲル。
半月ぶりの再会だったが、何やら不穏な気配を感じた。
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