女の武器と唐変木のありさま
早朝、リディアはいつもより早く目が覚めた。
夜会に勤しむ中央貴族とは異なり、辺境のオーヴェンスタイン家は大陸中央からの侵略を防ぐ役目を負う武門の家系である。
それゆえ朝は庶民と同じように早く起き、男は朝食後から昼過ぎまで武の鍛錬に励むのが当然とされていた。女であっても、鍛錬こそしないが同じ時間に起きて教養を納める勉強の時間が設けられていたのだ。
それでも陽が昇る前に起きたのは初めてだ。
リディアはまだ薄暗い窓の外をぼうっと眺め、どうしたものかと悩んだ。
寝つきと寝起きの良さは数少ない自慢で、一度起きてしまえばもう一度眠ることは難しい。
しかし起き出すには時間が早く、アラタはもう一つのベッドで高いびきをかいている。上掛けを跳ねのけ、上着の裾がめくれて腹が丸見えなのには笑ってしまうが、いかにもアラタらしい。
とはいえ服を戻すのは
貴族の子女としては同室の時点ではしたないと言われかねないが、部屋が一つしかないのだ。そもそも、密室でないだけで野営では二人きり近い距離で眠っていたのだ。
それでも男と同じ寝台に上がり、体に触れるというのはいかにもまずい。
アラタの年齢は二十代の前半くらいだろうか。いつもの不調法な喋り方と刃のような雰囲気がなければ、きっと女にもてはやされるのだろうと思える。
肌は健康的に日に焼け、予想外に細い体だがしっかりと筋肉がついている。きっと、起きている時には猫科の猛獣のごとく躍動するのだろう。実用的で、だからこそ惹き付けられる肉体だった。
顔立ちも精悍で男らしさがありながら、それでいて繊細な印象を持たせる。
思ったよりも長いまつ毛をしげしげと眺め、リディアはくすりと笑った。
眠っていれば可愛らしい、そう思った直後、いつものアラタの面倒くさそうな表情を思い出したのだ。
やはり、アラタはそちらのほうが
胸元の服の乱れを直し、ほうと息を吐く。
実のところ、昨晩は何かあるかと覚悟をしていたのである。
野外では事に及ばずとも、室内であればあるいは手を出してくるかもしれない。アラタがそんな男であるはずはないと思いつつも、師と弟子である以上、求められたならば断わることはできない。
多くの師弟はその言葉を聞けば頭痛を覚えそうなものだが、少なくともリディアはそう思っていた。
というより、子供の頃から読んでいた冒険小説の影響を受けすぎていたのだ。
英雄の物語に色恋はつきもので、師弟関係にありながら愛を育むようなストーリーは人気だった。
つまり、リディアにとってはそれはあり得る事態として想定されていたのだ。
実際、勢いに任せて弟子になると言った時には考えてもいなかったが、ここまでの旅路で覚悟を決めていた。それでも怖さはある。
昨晩はさっさと寝台に潜っていびきをかき始めたアラタの姿に安堵したのも事実だった。
自身に魅力がなかったのか、とも思う。
そうであれば申し訳ないことだが、ほっとする自分もいた。
しばらくアラタの寝顔を眺めたあと、服を着替えて部屋を出る。喉の渇きを覚えたこともあるが、まとまらぬ思考に外の空気を吸いたくなったのだ。
一階に降りたところで、物音に気付いたのか厨房からひょこりとチナが顔を出した。
「あんた、何してんの。まだ夜は明けてないよ?」
「目が覚めてしまって、少し散歩でもしようかと……」
「散歩? こんな暗い中で!?」
チナはびっくりしたように声を張り、慌てて厨房から飛び出してきた。
「悪いことは言わないから、馬鹿はよしな。治安は悪くないけど、それでもあんたみたいな美人が夜中に出歩けるほどじゃないよ。悪い奴ってのはどこにでもいるんだ、自分の身を大事にしな!」
「び、美人ですか……?」
「そうだよ。あんた以外に誰がいるね?」
リディアはきょろきょろと辺りを見回し、誰もいないことを確認してから念の為自分を指さす。
「私……でしょうか……?」
「だから、そうだって言ってるだろ! 美人って言われたことがないのかい?」
「ええと‥‥‥ありませんね」
よくよく記憶をさらってみても、美人と言われた経験はなかった。
というより、オーヴェンスタイン家は武門の家系であるせいか、容姿について話題にすることが忌避されていたのだ。
武門の家の人間ならば、清潔であれば良し。
いっそ清々しいまでの考え方ではあるが、それは一人の少女にとっては些か酷な環境であったかもしれない。それこそ婚約者であった第二王子ですら祖父の意向を慮り。リディアの容姿を褒めることはなかったのだ。
野盗に襲われた時に容姿を褒められた気もするが、女に飢えた獣のような人間の誉め言葉など無意味な戯言と本気にしていなかった。
もしかするとあれが生まれて初めて容姿を褒められ瞬間だったのかもしれない。まったく嬉しくはないが。
困ったように微笑むリディアに、チナは仕方ない子だねと肩を叩いた。
「あんた美人だよ、自信持ちな。それこそあの唐変木も、押して押して押しまくればいちころさ」
「と、唐変木?」
目を白黒させるリディアに、チナは大きく頷いた。
「あんたの師匠だよ。あんたみたいな美人を側においてただの弟子だなんて、唐変木と言わず何て言うんだい。いいかい、内心では平然を装っていても男は美人に弱いもんさ。あんたなら大丈夫だよ!」
何が大丈夫なのかさっぱりわからないながら、リディアはチナの勢いに押されて頷く。
どうにもチナの勢いに押されっぱなしだ。
「ところであんた、名前はなんて言うんだい?」
「あ、私は‥‥‥リアです」
「リアかい。いい名前だね……よし、どうもあんたは自分のことがちゃんと理解できてないみたいだからね。私が一肌脱ぐとしようかね」
「え? ええと?」
混乱するリディアの腕をがっしと掴み、チナはにんまりと笑う。
ニガシテナルモノカ、彼女の顔にはそんな言葉がありありと浮かんでいた。
「なぁに、取って喰いやしないよ。あんたが美人ってことを嫌ってほどわからせてやるだけさ。あたしはね、自分の武器を理解してない女が許せないのさ」
「はぇえ……?」
なぜこんなことになったのか、リディアは朝早く起きてしまったことを若干後悔しながらも、全力で好意を押し付けてくるチナを拒否することができなかった。
◇◆
階下のざわめきで目を覚ましたアラタは、ふわと大きく欠伸を一発、さっさと寝台から降りて準備を整えた。
常在戦場、常に襲われる可能性を考えながら眠る癖が染みついている。
服は着たまま、必要な荷物は枕元へ。ついでに刀を抱いて寝る。いつ襲われようが飛び起きざまに斬り倒し、人数が多ければ枕元の荷物を引っ掴んで窓からとんずらという寸法である。
当然、リディアが朝早くに起き出し、なぜかは知らないが己の顔を凝視し不気味に笑っていたのも察していた。そのまま部屋を出た後、戻ってこなかったらしい。
「あいつ、どこ行きやがった?」
昨日の今日ということもあって、リディアの身に何事か起きたとも考えられる。
面倒臭いことこの上ないが、あれでも弟子は弟子。何より各地の神剣への道先案内人を失うのはうまくない。
しかし探すしかないかと部屋を出て階下へ降りれば、リディアはすぐに見つかった。
ただし、普通ではなかった。
なぜかは分からない。
本当にアラタには意味がわからないのだが、リディアは宿の食堂で女給をしていたのである。
それもほんのりと化粧までして、口元には男好きのする柔らかな赤い紅まで引いている。髪も結い上げ、普段は髪で隠れている細いうなじが見えていた。
女給服はそれほど露出は多くないが、それでも腕は肩口まで、脚も太腿の際どいところまで丸見えである。健康的で若々しさに溢れた肌はそれだけで艶やかで、朝飯を食べにきたはずの男どもは食事もそっちのけで、歓声を上げたり口笛を吹いたりと忙しくしていた。
なんとも悲しい男の性質である。
そうこうしているうちに、茫然とするアラタに目ざとく気づいたチナが大声を張り上げた。
「唐変木が起きてきたよ! みんな、言ってやんな!」
その途端、拍手喝采雨あられだ。
好き勝手に喚いていた男どもが口を揃えての大合唱である。
『唐変木! リアちゃんは可愛いぞ! 感想はどうだ!』
それを聞いたアラタの心境はどんなものか。
呆れ半分、感心半分。よくもまあこんな馬鹿げたことに付き合うものだと苦笑する。
「そら、リアちゃんだ! 言ってやれ!」
男達に押し出され、アラタの前に現れたリディアは顔を真っ赤にして俯いていた。しぼり出すようなか弱い声には、剣を振るういつもの姿は影も形もない。
「あの、その……お目汚しを……」
深々とため息一つ。
大体の事情を察したが、うまい言葉をかける自信も無し。
しかしそれでも興味津々と熱のこもった視線を向けてくる周囲の期待を裏切れば、きっとひどいことになるのだろうとは理解ができた。
「まあ、似合ってんじゃねぇか」
「あ、ありがとうございます……」
照れてますます顔を伏せるリディアに、アラタは「やれやれ」と頭を掻いた。
遠く厨房から、チナの「この唐変木が!」という怒声が聞こえてくるが、まったく反論することはできなかった。
唐変木、上等である。
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