不穏、蔓延す
ロコンドルの街に入ったアラタ達は、リディアの案内でまず宿を取ることにした。
リディアもこの街に来たのは初めてだが、この世界に来たのが初めてというアラタよりは幾分マシという判断だったが、ところがどっこい、これがそううまくはいかなかった。
なにせリディアは貴族令嬢なのだ。
剣に傾倒して庭で木剣を振るうような変人っぷりを発揮はしても、庶民の暮らしぶりを知っているわけではない。
必死に周囲を見回し唸り声をあげるうちに時間は過ぎていく。
言い出した手前引っ込みがつかなくなっているのだろう。
アラタは「こりゃ駄目だ」と呆れ、近くを歩いていた材木を担いだ職人らしい男を捕まえた。
「なぁあんた、ちぃと教えてくんねぇか。宿を探してるんだがよ、安くて飯が美味くて、ついでに寝床にダニがいねぇ宿はどこだよ?」
「おう、旅人かい。それならチナさんとこがいいだろ。少し古いが、清潔だし、安い。ただ、飯は期待すんな」
「あぁ? 飯こそ重要だろ?」
美味い飯を出す宿はねぇのかと反駁するが、男はそうじゃないと否定した。
「宿はあるが、飯は駄目だ。そもそも物がねぇからな」
「物がねぇ……?」
「っと、悪いな。こいつを急いで運ばなきゃ親方にどやされちまうんだ。チナさんとこに行きたいなら大通りを真っすぐ進んで、右手の市場を抜けた先だ。鳥の丸焼きの看板が目印だから見逃すなよ」
それだけ言うと、男は用は済んだと走り出した。
仕事中に声をかけたのだから仕方ない部分もあるが、忙しない男である。
「物がない、ねぇ?」
不穏な物言いだが、情報を貰ったのは事実だ。
男の背に「ありがとよ!」と声をかけると、男は器用に片手を上げて応えた。
「そんじゃあ宿に向かうか‥‥って、なんて顔してんだよ」
リディアはこの世の終わりでも見てきたのか、疲れ果てた表情で肩を落としていた。
思わず一歩引いた己を恥じまい。
剣で戦り合うならばどんな威圧を受けても下がることはないが、女のどんより顔はどんな威圧より効果が高いのだ。まして人形のよう整った顔立ちの美少女だけに、その破壊力は何割増しかという話である。
「私が宿を探そうとしていたのに……」
「そう言ってどれだけ待たせんだ。この世界には不慣れだがよ、こういうことには慣れてんだよ、俺ぁ」
伊達に一人で世界各地を転々としてはいない。
言葉が通じぬ異国で、身振り手振りでその日の宿と飯を探し歩く経験ならば誰にも負けない自信がある。ある意味ではどこでも生きていける男、それがアラタなのだ。
「とりあえず行くぞ。少し情報も集めておきたいしな」
「えっと、情報ですか?」
「そうだ。勘だがな、前に立ち寄った国の雰囲気にそっくりなんだ。なんでもないように装っちゃいるが、鍋蓋の下じゃぐつぐつと何かが煮えたぎっていやがる」
思い出したくもねぇと顔を顰める。
その時の一週間は、アラタの人生の中でも最大級に吐き気がする時間だったのだ。
「その国では何かあったんですか?」
「なんてことはねぇ。クーデターが起きただけだ」
「くーでたー」
意味がわからないのも当然だが、素っ頓狂な顔で問い返すのはやめてほしい。
美少女であっても、間が抜けて阿呆のようである。
「暴動だよ。民が抑圧され、王様を引きずり下ろす。武力でもって国を変えようとするわけだな。ま、ここでもそれが起こるとは言わないが、嫌な気配なのは間違いねぇ。すぐにどうこうってわけでもあんめぇが、剣はいつでも抜けるようにしておけよ」
「わ、わかりました。しかし暴動ですか……?」
周囲を見回すリディアは半信半疑だ。
活気があるとは言い難いが、少なくともそんないまにも爆発しそうな雰囲気は感じない。
何よりも、リディアには信じたくないという思いがあった。
「あの、アラタ。話しておかなければいけないことがあるんです」
「なんでぇ?」
「アラタは貴族というものを知っていますか?」
市場を探してずんずん歩く背中に向かって問う。
この世界に不慣れであれば貴族も知らないと思ったのだが、予想外にアラタは知っていると答えた。
「こっちの世界の貴族とは違うかもしれんがよ。特権階級ってぇのは俺がいた世界にもいたもんだ。貴族って枠組みがなくなっても、名前を変えてしぶとく権力にしがみついてたもんさ。お前さんもその一人だろ?」
肩越しの視線に息を呑む。
気づかれているとは思わなかったのだろうが、それは些かアラタという男を舐めすぎである。
「気づいてたんですね」
「野盗が口走ってただろう。オーヴェンスタイン、だったか?」
どうやら助けに入る時の会話を聞いていたらしい。「言ってくれたらいいのに」と唇を尖らせるリディアの額に、ぴしゃりと木の枝がぶち当たる。
「お前が貴族だろうがなんだろうが、結果として俺の弟子になって旅をしている。それ以上でも以下でもねぇし、あえて言う必要もあんめぇよ。荒事に巻き込まれるなら望む所ってなもんだ」
「望む所ですか‥‥‥ふふっ、アラタらしいですね」
誉め言葉なのか何なのか、微妙な線だ。
アラタはふんと鼻を鳴らし、話の続きを促す。
「それで、わざわざ貴族だなんだと言い出した理由はなんでぇ。あえて言うってことは、それなりに価値がある話しなんだろうな」
「価値があるかはわかりませんが……この辺りは私の家が治める場所です。祖父は貴族の中では珍しく、民の生活を重視する政策を好んでいましたから、暴動なんて起きるとは思えなくて……」
「祖父さんの心変わりってことはねぇのかよ?」
リディアはきょとんとして、それからすぐに否定した。
「すいません、言ってませんでしたね。祖父は亡くなりました。父と母も以前に事故で……あ、そんな嫌な顔しないでください。大丈夫です、もう吹っ切れていますから!」
「ならいいがよ。じゃあいまこの辺りを治めてるやつが悪いんじゃねぇか?」
「それだと、私の元婚約者ということになりますが……」
歯切れの悪さに訝しむ。
婚約者とやらの性格が良く、暴動なんて起きるはずがないと考えている訳ではなさそうだ。どちらかといえば肯定の色が強い。
「悪い奴かよ?」
「とてもいい人だと思っていました」
過去形かよと毒づきかけ、リディアの顔が曇っているに気づき、かろうじて口をつぐむ。
「祖父が亡くなり、落ち込んでいた私をあの方は優しく慰めてくれましたが、それこそあの方の手口だったのです。気づいたら我が家の財産や利権その他、すべてあの方の名義に書き換わっていました。挙句私の暗殺まで企てる‥‥‥たまたま盗み聞きしてしまった私の運の良さだけが救いですね。正直、その時にはもうどうにも対抗出来ませんでした」
「よくある話だな。お前さんにとっては災難だろうが」
「いえ、災難ばかりではありませんよ」
小走りにアラタの横に並び、リディアは精一杯胸を張った。
「おかげでアラタと出会えたわけで、いまとなっては良い機会であったと思います。その結果として民が苦しんでいるとすれば、複雑な気持ちになりますけどね」
「だろうな」
力なく微笑むリディアから目を逸らし、アラタは正面に視線を固定した。
涙こそ流していないが、どうにも女の弱った顔というのは苦手なのだ。
五十年剣に生きてきたアラタの娯楽と言えば、酒だけだった。
潔癖というわけではないが、どうにも気後れして女に手を出したことがない。というより、出す気が起きない。
荒事の中で生きてきたアラタの死生観は、一般人とは相性が悪い。それでも男であれば多少理解ができる部分もあるが、女となればもはやちんぷんかんぷん。何を考えているのが理解できる気がしない。
これは女が悪いという話ではなく、完全なる相性の問題である。
性欲なぞ剣に打ち込めば消えるもので、恋愛など考えるだけ面倒。そうやってこれまで過ごしてきたアラタに女の扱いを求めるほうが愚かである。
ましてや悲しむ女の扱いなどできるはずもなく、目をそらすことで逃げの一手と決め込んだ。
それに気づいたわけではないだろうが、さすがに雰囲気の変化は察したらしい。リディアは不思議そうにアラタを見つめた。
「アラタ?」
「おっと、市場があったぜ。こっちだな」
いくら女慣れしていないとはいえ、これほどわかりやすい誤魔化し方もないだろう。
リディアはくすりと笑い、足を速めるアラタを小走りに追いかけた。
なんとなく察したのである。
これがどうして、自分の師匠には可愛らしい部分もあるものらしい。
人間らしいアラタの一面に、リディアはほんの少しだけ悲しさを忘れることができた。
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