別れ、そして広がる暗雲

 ロコンドルの街に到着したのは、それから二日後のことだった。

 さすがに馬車の移動、徒歩よりも格段に速い。


 高い街壁で囲まれたロコンドルは、北と南に門がある。

 それぞれ巨大な鉄の扉と落とし格子が備えられ、有事が起こりうる前提で建設されていた。実際、野盗の集団が寄り集まり、下手な軍勢よりも巨大な勢力となって街を襲うことは聞かない話ではない。


 それゆえに衛兵達の練度は高く、街壁に等間隔に設けられた櫓に詰める兵士にもたるんだ様子は見られなかった。襲撃された際には籠城を決め込み、王都から派遣される軍を待つ。それができるだけの練度と意欲が兵には求められている。


 そう、それが普通だ。

 だというのにアラタは街の備えに驚き、感心すらしていたのだ。


 周囲は微笑ましくそれを眺めていたが、ミゲルだけは違和感を覚えていた。


 なぜと言えば、あり得ぬのだ。

 至極当たりまえの光景を前に驚き、感心すらする。


 ただの農村であっても石壁で周囲を囲い、櫓を建てて野盗に備えるものだ。その規模が大きくなっただけで、それはあって当たり前のものに過ぎず、まるで初めて見る・・・・・・・・ような反応を示すことはあり得ない。


「いっそ別の世界から来たとでも言われたほうが納得できるな」

「ん、何か言ったか?」


 別れをすませ遠ざかる二人に手を振っていたガストルが、耳ざとく聞きつけてこちらを向いた。


 あっけらかんとして、いつも通りの何も考えていない顔つきに腹が立つ。


 武に偏重しすぎ、それ以外の能力が欠落した困った幼馴染である。やはり自分が足りぬ穴を補うしかないらしい。


 だがそこは幼馴染、こちらが相手を見透かすなら、相手もまた見透かしている。


「なんだよ、何でもないって顔じゃないだろう。あの二人に何かあるのか?」

「いつも察しが悪いのに、こういう時だけは目ざといな」

「お前が悩んでるかどうかがわかるだけだ。自慢じゃないが、察しは悪いぜ」

「本当にもって自慢にならないな」


 分厚い筋肉に覆われた肩を軽く小突くと、ガストルは「まあな」と豪快に笑った。

 憎めない友人で、だからこそ心配にもなる。


「あの御仁……随分と気に入っていたみたいだけどな、怪しいと思うぞ」

「そうか。どこがだ?」

「アラタと言ったか。あれだけの腕だ、名前を聞いたことがあってもおかしくない。俺はともかく、お前が知らないなんてあり得ないだろう?」


 ふぅむ、とガストルは考え込んだ。

 言われてみれば確かにと納得したのである。


 傭兵は体が資本、武辺者であれば他はどうでもよいと思われがちだが、これがどうしてそうもいかない。


 なにせ後ろ盾などないやくざな商売なのだ。


 雇い主がとんずらするなんて日常茶飯事、昨日の友と今日は陣を隔ててにらみ合うなんてことも珍しくない。己が命を守るには武を学ぶだけでは到底足りず、あらゆる事柄に意識を向けねばならない。


 ガストルとて当初は一人で傭兵として働いていたが、その際は散々っぱらに騙され、面倒ごとに巻き込まれたものである。途中で幼馴染のミゲルと再会しなければ、いま命があるかどうかすらわからない。


 だがそんな劣悪な状況でも命を繋ぐことができていたのは運ばかりではなく、情報を集めていたおかげなのだ。


 敵対する可能性がある強者の情報は特に重要だった。名前や背格好、戦い方、得意武器のみならず、それこそ女の好みまで調べ上げていた。


 おかげで戦場では高い確率で勝利を手にしていたし、勝てない時も進退極まる前にとんずらすることができたわけだ。


 そんなガストルがアラタの情報を持ち合わせていない。

 ミゲルの専属護衛として働くようになってからも情報収集に余念はないから、少なくとも大陸中央よりこちらであれば大抵は知っているはずなのに、だ。


「確かに、知らん。が……俺の耳も大陸中央までだ。それより向こうからやって来たという可能性もあるだろう?」

「否定はできんがな。その割には言葉が綺麗で訛がない。北部は言葉を聞き取ることも難しいくらい訛りが強いはずだ」

「うぅむ、確かに、な……」


 それに、とミゲルは続けた。

 ガストルはまだあるのかという顔をしたが、こちらこそが本命なのだ。


「あの少女だよ。どう考えても平民とは思えない言葉遣い、立ち振る舞い。あれは豪商か、貴族階級のどちらかだ。それに、リディアという名前には聞き覚えがある……まさかとは思うがな」

「知ってるのか?」

「……勘違いだと思うぞ。そんな馬鹿なことがあるはずがないからな。しかし、オーヴェンスタイン家の令嬢がリディアという名前だったのは間違いない」


 さすがにそれは聞き逃せぬと、ガストルは目を剥いた。

 それほどにオーヴェンスタインという名前は大きい。

 なにせステラタート公国の東部辺境の巨大な領地を統括する、辺境伯の家名なのだ。


 昨今では家人が次々と事故死や病死することで、呪われた家と面白おかしく詩人達がはやし立てている。大貴族の不幸話など庶民にとってはいい娯楽で、殊更に有名になっていた。


 ましてこの辺りはまだ東部地域であり、オーヴェンスタイン家が治める領地だ。


 当然、名前を知らぬ者など一人もいないだろう。

 だからこそ、ガストルは顔を引きつらせて「まさか」と返した。


「オーヴェンスタインの令嬢といえば、確か第二王子の婚約者だろう。色々もめ事を起こして消えたって話だが……」

「もめ事どころじゃない。噂じゃ随分な悪女と評判だぞ。税金を増やして私腹を肥やし、放蕩三昧。妻のいる男を好んで寝所に呼ぶ淫売だって話だからな。ここ最近は中央で仕事をすることが多かったから新しい話を仕入れてないが、それでも十分な悪女っぷりだろう」

「それはわかるが、なぁ」


 困ったように頭を掻くガストルの言いたいことはわかる。

 ミゲルとて困惑しているのだ。

 どう考えても、噂の悪女とリディアが重ならないのである。


 しかしリディアの振る舞いを見る限り彼女がただの平民であるはずもなし、十中八九、噂のオーヴェンスタインの令嬢だろう。


「そもそもだがよ、貴族の令嬢がなんでこんなところにいるんだ?」

「俺が知るかよ。しかし、首を突っ込めばどうあがいても面倒事になるだろう。気づかない振りをしてさっさと立ち去るというのが一番賢い案だな」


 ちらりとガストルの反応を伺えば、一瞬ぽかんと口を開け、その後でさも面白い冗談を聞いたと言いたげに笑い声をあげた。


「何がおかしい?」

「そりゃお前、思ってることと真逆のことを言い出すもんだからよ。仮にとんずらしたとこほで、お前は明日の夜には難しい顔でやっぱりやめようと言い出すに決まってんだ」

「そ、そんなことは……」

「あるさ。お前は恩を大事にする男だ。恩人がひどい目にあうとわかってて、平然としてられる奴じゃない。俺が一番よく知ってる。お前も俺がどんな奴かわかってるだろ?」

「まあ、そうだな」


 ミゲルはふっと鼻で笑い、茶化すように言った。


「酒が美味くて面白ければそれでいい、そういう男だろう?」


 ガストルは目を丸くし、「違いない」と笑った。


「ならばまずは情報を集めよう。手元にある情報が古すぎて適わん。どんな手助けをするにしても、情報があって困ることはないだろうしな」

「おう、そうと決まれば商売している場合じゃないな。もう少しでかい街に移動するか」

「ああ、それがいいだろう。せっかく街についたのに宿で休むこともできないとは、お前の部下達には少しばかり申し訳ないな」

「気にするな。拾った命だ、恩人のためとなれば文句を言う奴はいねぇよ」


 と言えばうん

 手早く今後の方針をまとめると、二人は揃って頷き、行動を開始した。

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