死地にありて持たざるべしと言ふ

 ゆらゆらと揺れる焚火の光源に照らされ、二人の男が向かい合う。

 一人は反りのある奇妙な剣を片手に自然体で立ち、もう一人は真っ赤な手甲を嵌めた左手を前に突き出し、右手の武骨な長剣を肩に担ぐようにして構えた。


 どちらも一般的な剣士としては異質な構えではある。

 されど、彼らが熟達した剣士であることはその隙のない姿立ちを見れば一目瞭然だった。


「どっちが勝つと思う?」

「そりゃお前、隊長……って言いたいとこだけどな、あの若いのが戦ってるとこ見たか? ありゃバケモンだぜ」


 遠巻きにする傭兵達も、見張り役の数名を残して興味津々と、口々に好き勝手な批評に忙しい。


 それもそのばす、彼らにとってガストルは最強の代名詞なのだ。


 神剣や精剣の所持者と比較すれば劣るだろうが、傭兵の中で〈赤赫せきかくのガストル〉と言えば霊峰ヌラバを超え、大陸中央にまで勇名が轟いている。


 少なくとも、一対一でガストルが膝をついたところなど見たことがない。


 しかしそれでも先ほどの野盗との戦いをは鮮烈に過ぎ、身内贔屓のバイアスがあってもアラタ優勢と予想する者が多かった。


 どちらにせよ殺し合いはしない、単なる腕試しの遊びである。中には賭けを始める不埒者まで出だし、立ち合いを概ね娯楽とし受け入れられていた。


 しかしリディアはそんな軽い気持ちで見ることはできなかった。


 立ち合いに向かう前、ガストルから「よく見とけ、答えが見つかるかもしれんぞ」と言われてしまったのだ。


 自分で考えることが重要ではある。

 しかし、教えられるのではなく、立ち合いの中で感じ取るのであれば問題はない。アラタが止めなかったということは、そういうことなのだ。


 ならばこの機を逃すなどあり得ない。

 リディアは目を皿のようにして二人の動きを凝視していた。


「さて、それじゃあ始めようかい。ま、安心しろよ。殺さず、怪我をさせず、優しく扱ってやるからよ?」

「頼むよ、死にたくないからな」


 どこまで冗談なのか、飄々と嗤うガストルに好感を抱く。

 些か実力不足ではあれ、それでも卓越した剣士の気配は好ましい。


「死合いでないのが残念だな」

「はは、手も足も出ずに殺されるのがオチだろう」

「そうでもない。死を前に人は限界を超える。実力に差があろうが、容易にひっくり返るさ。ま、それを捻じ伏せるのが楽しいんだがな」

「おお怖い、怖い――」


 軽口を叩きながら両手を上げ、まるで勘弁してくれと言いたげな動作から急激に突進する。


 さほどの距離も開いていない状態では、距離が詰まるまで一秒の三分の一ほどの時間しかかからない。鍛え上げられた太い脚で蹴り出した大地は、そのまま速度を叩き返す。


 アラタの視界を塞ぐように突き出した手甲を隠れ蓑に、上段に構えられていた剣が手首の返しでくるりと横薙ぎへと変化した。


 そのまま頭を掴み地面に叩きつけるもよし、首筋へ轟剣を叩き込むも良しだ。


 が、その全てにアラタは対処していた。


「おう、怖いな」


 軽口を叩きながら、豪速で持ち上げた柄でガストルの赤赫せきかくの手甲を跳ね上げる。当然、柄をぶち当てたのだから刀身は下方へ向く。


 それがそのままガストルの剣を防ぎ、斜めになった刀身の上を滑らせた。


 その後はもはや魔法のごとく、刀を一振りするだけで長剣は竜巻にでも巻き上げられたかのようにガストルの手を離れ、森の木に突き立っていた。


「さすが!」


 思わず声を上げたリディアだが、それで終わったと思うは早計である。


 剣を失ったとみるや、ガストルは手指をぴんと伸ばして剣となし、アラタの喉へと突きこんだ。


 鋼鉄製の手甲で覆われた手刀だ。

 さらに言えば指先は尖り、明らかにそこも武器として設計されている。


 突き刺されば容易に喉を破り、その先にある脊椎にまで凶悪な傷を残す一撃だった。


 が、それすらもアラタは捌いてのける。

 紙一重の見切りで懐に潜り込むと、ガストルの頬に刀身をひたりと押し当てた。


「さて、どうするね?」


 問うても答えはもう決まってるも同然、勝負ありだ。

 ガストルも苦笑しながら両手を上げて負けを示した。


 おお、と歓声があがった。


 それほどに凄まじい立ち合いだったこともあるが、やはりガストルが赤子の手を捻るようにあしらわれてしまったという事実に驚いたのだ。


「ま、こんなもんだろ」


 アラタはくるりと踵を返し、元の場所へ戻りながらガストルに声をかけた。


「ふん。運動にもならねえな……おい、秘蔵の酒ってのを出してもらおうか。ま、一人で飲むのもなんだ、お前も飲めや」

「ああ、有難いね」


 その言葉のなんと白々しいことか。

 音もなくアラタの背後に忍び寄ったガストルは、まるでネコ科の猛獣のごとく闇に紛れ、気配が希薄だった。


 直接目にしているからこそリディアもその姿を認めているが、目を離せばどこにいるか分からなくなりそうだ。それほどに姿が朧気で、気配が薄れている。


 奇襲だ。


 背後からの一撃など卑怯極まりない。

 思わず声を上げようとしたリディアは甘いだろうか。


「何の心配もいらねぇってことよ、馬鹿弟子」


 リディアの不安を嘲笑うかのように、ガストルは拳を振り上げた姿勢のまま、どうと地面に倒れた。


 恐らくその場にいた者の誰の目にも止まらぬ早業。

 鞘口を押し下げ、跳ねあがった鞘尻をガストルの鳩尾に突きこんだのだ。

 さしものガストルも死角から突き出されたそれをかわすことはできず、地面で腹を抑えてのたうっていた。


「あちゃ、あれも駄目か」

「隊長自慢の気殺しまで通じねえんじゃ、勝ち目はないな」


 ほっと一息ついたリディアは、ふと耳に入った言葉に興味を持った。


「あの、気殺しってなんですか?」

「えっ、あ、ああ気殺しか?」


 まだ年若い傭兵に近づき声をかけると、女慣れしていないのか顔を真っ赤にしている。

 可哀そうに、少し動けば手が触れるほどの距離まで接近するリディアにたじたじになりながら、傭兵はそれでも嬉し気に答えた。


「た、隊長の得意技だよ。自分の気配を殺すって技らしい。一度負けた振りまでして気殺しでの攻撃だ、あれをいなされちまうんじゃもう打つ手はないってわけさ」

「負けた振り……ですか。それは卑怯では?」

「……は?」


 ぽかんと口を開けた傭兵は、次の瞬間大きな笑い声をあげた。


「何がおかしいんです?」

「いや、だってよ。卑怯だぜ? 真剣でやりあおうっていうのに、卑怯だなんて言うやつはいないって。騎士の御前試合じゃないんだぜ?」

「……あれは卑怯ではない?」


 繰り返すリディアに、傭兵は頷いて返す。

 それから目の前の女から柔らかい匂いが漂ってくるのを感じ、ごくりと喉を鳴らした。

 これほどに距離を縮めて、わざわざ自分に声をかけてくるのだ。

 もしかすると、脈ありなんじゃないか?


 そんな浅はかな考えが脳裏を過ぎる。


「あのさ、よかったらあっちで一緒に酒でもどうだよ。もっと詳しい話、できるぜ」

「……いえ、結構。余計なお世話かもしれませんが、下心はもう少しうまく隠したほうがよろしいでしょう」


 哀れ、下衆に至らぬ淡い恋心もぴしゃりと潰され、傭兵は撃沈する。

 仲間に慰められる傭兵を尻目に、リディアは口元に指先をあてて考え込んだ。


 何かが掴めそうな気がしたのだ。


 背後からの一撃ですら卑怯ではない。

 騎士の御前試合ではない。

 剣以外も使え。


 そうして目を凝らせば、ガストルに手を差し伸べて起こそうとするアラタの姿が見えた。


 怒っているどころか、むしろうれしそうだ。

 あれで良い、そういうことなのだろうかと悩むリディアに、ふいにこちらを向いたガストルが片目を瞑って見せる。


 理解できたか、という言葉が聞こえてきそうだった。

 リディアは頷いて返すことができず、まだ固まらぬ思考を巡らせていた。

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