剣豪じじい、足りぬと断じる
アラタが参戦したことで、野盗と傭兵達の力関係は完全に逆転した。
逃げた野盗達は半数ほどか。残りは全て物言わぬ骸と化し、死体は獣が街道に現れぬよう森の奥へと移動させられた。
あとはさよならというつもりだったが、聞けばアラタ達と同じ街を目指している商隊らしい。是非にと請われて同道することになった。
商隊からすれば凄腕の護衛を雇ったのと同じで十分な得がある。
もちろんアラタ達にも十分な見返りがあった。
酒である。
「いやぁ、助かった、助かった。酒がうめえわ!」
がははと豪快に笑う赤髪の男は、真っ赤な顎髭まで酒を滴らせていた。
酔っているわけではないが、勢いよく杯を空けるものだから
しかしそんなことは全く気にせず、ガストルと名乗った男は次々に杯を空にし、アラタの杯にも並々と酒を注いだ。
「どうだ、俺達と一緒でよかったろう。こんな美味い酒が飲めるのは商隊だからだぞ!」
「違いねぇな。助けた甲斐があるってもんだ」
喉を焼く強い酒に舌鼓を打つ。
強いだけではなく、すっきりとした喉越しで微かに果実の香りが鼻に抜けるのもいい。
世界中を放浪したアラタでも、これに比肩する酒と言われると悩んでしまうほどに質が良い酒だった。
ぷはぁ、と満足げな息を吐き出したアラタに気づいたか、ガストルの横に座ってちびちびと舐めるように酒を飲んでいた男が顔を上げ、にこやかにほほ笑んだ。
「気に入って頂けたようで何よりです。ぜひ、たくさん飲んでくださいね。その火酒は私の地元アレードの街の特産なんです。それだけ美味しそうに飲んでもらえると気持ちがいい。遠慮せず、在庫全部飲み切ってもらっていいですよ。命を助けて頂いた御恩はこんなものでは返せませんからね」
「おうっ! ミゲルさんもこう言ってんだ、飲め飲め!」
がはは、と笑うガストルに、ミゲルは呆れたように視線を向ける。
「ガストルさんは護衛に支障がでない程度でお願いしますよ。酔いつぶれて見張りができないなんて体たらくは二度と許しませんからね?」
「お、おう」
ぴしゃりと注意されてしょんぼりする辺り、二人の力関係がわかろうというもの。
しかしどう見てもミゲルよりガストルのほうが強そうだ。護衛と雇い主という関係ゆえかとも思ったが、どうやらそれだけとも思えぬほどに仲が良い。
リディアは疑問を解消しようと、果実の砂糖漬けが入った瓶を地面に置いた。
「あの、お二人はどういうご関係なんですか? 凄く仲がいいですよね」
「ああ、幼馴染なんです。商人と傭兵で道は分かれましたが、昔は私のほうが強くてですね。いじめられているガストルを良く助けてあげたんですよ」
「ば、馬鹿野郎! 昔の話だろうが!」
「昔ですか? 計算が苦手で、いまでも商人に騙されかけるのを助けていますよ?」
「それは……ありがとうだけどよ」
ぶっきらぼうながらきちんと礼を言うガストルに、ミゲルはくつくつと笑いを噛み殺す。なんとも良好な関係のようで、見ていて微笑ましくあった。
そんな楽し気に笑うリディアに、アラタは思い出したように水を向けた。
「リディア、そういやお前さん、さっきの戦いではなんでそれを使わなかったんでぇ?」
示されたのはカルティアである。
言葉には責めるような色があり、能力を使って戦わなかったことを叱られているのだと悟ると、リディアはさっと顔色を変えた。
だが分からないのはミゲルたちである。
特にガストルは隣で戦っていたわけで、リディアがカルティアを使っていたのをその目で見ている。しかし当の本人が顔色を変えて理解しているとなれば、口を挟むわけにもいかない。事情が呑み込めずに顔を見合わせるのみだ。
とはいえリディアとて考え無しに能力を使わなかったわけではない。
神剣を持つという事実はそうそう周囲に知られないほうがよいと思ったのだ。
アラタに助けられた時も、神剣と知った野盗達の目の色が変わったのを直接見ている。何がきっかけで危険が及ぶかわからない以上、自衛として極力隠すべきと学習したつもりだった。
「それは、その……あまり大っぴらにすべきではないかと……」
「へぇ?」
だが、アラタの反応は芳しくなかった。
冷えていく瞳で睨みつけ、「馬鹿が」と吐き捨てる。
「いつから隠せるほどの実力を身に着けたんだ?」
「し、しかし……」
「しかしも
まったくもってその通り、弁解の余地のない言葉に、ただただ納得するしかない。
確かに言われて考えてみれば、後のことを考えて実力を隠すなど相応の実力者のやることである。リディアは独学でしか剣を学んでおらず、野盗風情に遅れを取る有様なのだ。
先を見据えて死ぬよりも、今を見据えて全てを曝け出すことのほうがどれほど有意義であることか。
すとん、と腑に落ちるとはこのことだ。
リディアは迷わず頭を下げ、詫びを口にした。
「心得違いをしていました。申し訳ありません、アラタ」
「理解できたのかよ?」
「はい。次からは、迷わずこの剣を使います」
全力を尽くす、それこそが重要なのだろうと確信して顔を上げれば、ようやくわかったかと満足したアラタの顔がお出迎えして――いなかった。
むしろ露骨に不満げで、ため息迄ついているではないか。
何かが間違った、それはわかれども理由が検討もつかない。
「駄目だな、お前さん。剣だけじゃねぇや、全てを使えって言ってんだよ、俺はよ」
「剣以外……ですか?」
「……自分で考えろや、馬鹿弟子がよ」
ちっと舌打ちを一つ。
アラタは手酌で酒を喰らい、ごろりと横になってしまった。
傍目から見れば傍若無人なアラタと、いじめられるリディアの図である。
その証拠に、心配したミゲルが声をかける。
「あの、大丈夫ですか?」
「あ、はい。大丈夫です。ご心配をおかけしてすいません」
雰囲気を悪くしてしまったかと頭を下げるリディアだが、気にするなとガストルが笑い飛ばした。
「こいつはわかってねぇんだよ。優しいお師匠さんじゃねぇか、なぁ」
「ど、どこをどう見たらそうなるんだ?」
理解できていないミゲルだが、それは彼自身の察しが悪いというわけではない。
単に商人には分からぬ世界があるということだ。
武人には武人にしか分からぬ理があり、商人は商人しかわからぬ理がある。
それはいたって当然の話で、同じ武人であるガストルだけが理解できたのも普通のことだ。とはいえそれでもアラタを認めてもらえたようで、リディアは嬉しさを隠しきれなかった。
「はい、凄く優しいんです」
「だよな。考えろと言う割には捨て置かず、しっかりと道筋だけは立ててくれてるんだ。その上で自分自身で答えを出させる……自分にできることができて当然って野郎ばっかりの中で、なかなか得難い御仁だな」
「はい、そう思います!」
元気よく頷くリディアに、ミゲルもようやく自分の出る幕ではないと理解したらしい。
わからぬことは恥ではなく、固執することが恥なのだ。
「ミゲル、気にすんな。俺もお前の世界のことは分からん」
「うるさいな、慰めようとするなよ。余計に恥ずかしいだろうが!」
仲が良いことは素晴らしきかな。
ガストルは笑いながらミゲルの拳を受け止め、良いことを思いついたと立ち上がった。
「なあ、アラタさんよ」
「なんだ、でかいの」
南蔵院の涅槃仏のごとく寝転がり、行儀悪く酒を煽るアラタはいかにも無防備だ。
しかし決してそれが真実ではないことをガストルはその背中から正確に読み取り、視界に入るように前に回るとどかりと腰を下ろした。
「俺と勝負しよう」
「あんたと? なんだ、死にてぇのか」
「いや、そこまでじゃなくていい。ちょっとした手合わせだ。勝ったら俺の秘蔵の酒を出すぜ。どうだ」
「ほう?」
秘蔵の酒、という言葉には心惹かれるものがある。
なにより、ガストルがにんまりと笑いながらリディアに意識を向けているのを見れば、秘められた意図も察しがついた。
「お優しいこったな」
「あんたほどじゃないさ」
アラタはため息をつき、仕方なく刀を手に立ち上がった。
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