剣豪じじい、異世界へ参上致す
新が意識を取り戻すと、目の前には女一人を取り囲む男達がいた。
痴話喧嘩の類であれば放っておこうが、男達は揃って獣欲を隠そうともしない野卑な佇まいで、女も指一本触れるのは許さじと気丈に剣を握り締めている。
どういう事情があるにしろ、お互い納得ずくという訳ではあるまい。
悩むも愚か、生来の喧嘩っ早さに任せて即断、一瞬にして両者の間に割り込んだ。
若返ったことで力の加減を誤り通りすぎそうになったのもご愛嬌、突如現れた新に男達が目を白黒させているのを小馬鹿にしながら目にも止まらぬ抜刀を披露した。
「じじい推参ってか」
ひたり、ひたりと剣を振るって男二人を斬って捨てると、かろうじて足を止めることに成功した男達に刀を突きつけ、傲慢に嗤う。
「な、なんだ貴様は!?」
「通りすがりのじじいさ。おう、嬢ちゃん。急でなんだが、道案内してくれるなら助けてやるぜ」
いきなり話を振られたリディアだが、現れた青年が天の助けであることは理解できたらしい。目を丸くして何度も頷いた。
だが合意は得られた、それで十分だ。
見知らぬ世界にやってきて、右も左も分からぬ森である。助けた礼に道案内くらい願ったところで文句はなかろう。
騙し討ちに近いが、なに、お互いに得をするのだ。
「よし。ならちいとそこで待ってろ。こっちはすぐに終わらせちまわぁ」
「てめぇ、何をふざけ――」
「あ? 悪ぃ、何か言いかけてたか?」
男の顎先から脳天へ
「まあいいか、大したことでもあるめえし」
この時点で、すでに男達の数は三人にまで減じていた。
あるいはそこで脱兎のごとく逃げに転ずれば命だけは助かったかもしれないが、どうすべきか逡巡したことが命の境だ。
わずか動きが止まった一瞬を逃さず、突きつけた刀をひょいと突きへと転じる。予備動作の排されたそれを捉えることができず、男は無惨に喉を貫き通された。
踵を返し走り出したとて、即座にその場から離れられるわけではない。むしろその瞬間、体は前進してもその場に必ず残るものがある。
即ち、蹴り足である。
「判断が遅えな。それじゃ逃げれねえぞ?」
哀れにも居残っていた右足首にぴしゃりと刀を振り下ろせば、
呻く男の脳天に刃先を落として止めを刺し、ぐるりと首を回し、何かに気づいたように笑みを深めた。
「いやはや、楽しいなぁおい」
なんと素晴らしいことか。
肩も首も、腰も痛くないのだ。
体の奥底に鉛をぶち込んだような倦怠感も、こびりついて消えぬ疲労もなく、関節の可動範囲が狭まる鈍痛もない。あるのはただじっとしていられないほどの衝動である。
その正体が若返った体がもたらす気力の充実であることは間違いない。
打てば響くという言葉がしっくりくる、若さゆえの肉体の反応は新にとってまさしく感動すべき代物であった。
「どうしたい、
首領格らしい男の実力は、確かに他の男達と比べれば頭一つ抜けていた。だがそれは、素人の集まりの中に経験者がいるという程度の話で、それこそ本職を前にすればどちらも大差がない。
逃げることは不可能、かといって戦って勝ち目などない。
もはや取れる道は一つしか思い浮かばず、男は焦りながら下品な笑みを口元に貼りつけた。
「い、嫌だなぁ旦那。とてもお強くていらっしゃる‥‥‥こ、こんなに強いお方は見たことがねぇ! あっしはこれでもこの辺では名の通った野党団の一員でしてね。夜刃って聞いたことは‥‥‥ありませんやな、失礼しました! 名のある剣士にゃ興味ねえお話しでしたね。あ、ちなみにお名前をお伺いさせて頂けませんかね?」
卑屈に下手に出て取り入ろうとする姿には、さしもの新も思わず感心してしまった。
夜刃という組織の一員らしいが、深掘りするほどの興味も持てないとあればこれ以上の会話は野暮だろう。
「まあ、死ぬ前の土産は必要だわな。名前が知りたいなら教えてやる。俺の名前はなーー」
ひんっ、と音が鳴った。
何の音かわからなかった男が辺りを見回そうとして、しかし視界がずれるのに気づく。
何だ?
訳の分からない恐怖を感じながら、咄嗟に左右から頭を支えたことで、何が起こったかを理解できた。
簡単な理屈だ、良く研いだ包丁で真っ二つにした果実を連想すればよい。左右から押さえつければ、果実は斬られた箇所から溢れる果汁で滑り、ぬるりと
要はそれが人の頭にすげ変わっただけのことだ。
「あ、ああぁぁ……あぁ……」
いくら押さえても止まらぬずれに涙すら浮かべた男に、新は楽しそうに名乗ってやる。
「俺の名前は新だ」
それが男が聞いた最後の言葉だった。
◇◆
リディアは目の前で繰り広げられた光景から目を離すことができなかった。
現れた男のなんと美しいことか。
とはいえそれは容姿の話ではない。
容姿は至って普通の青年で、やや鋭い視線が気になるが、人によっては精悍ととらえることもあるだろう。美醜としてみれば、まあ整っていると言えるか、その程度である。
しかしその立ち姿、その剣筋、その振る舞いときたら!
英雄と謡われた祖父を彷彿とさせる――いいや、それを遥かに超えるではないか!
身のうちを焦がすような熱が噴き上がり、リディアは体が熱くなるのを堪え切れなかった。
いままで見た剣士達がお遊びに思える。
あれこそ武の頂きに到達した武人と言われても納得できてしまうほどのそれに、うまく声が出なかった。
あらゆる技術は究極的に突き詰めれば単純になる。
当たりまえの事実として理解していたその説が、目の前で体現されているのだ。
ぱたりぱたりと何かが滴る。
雨かとも思ったが、それが自分の鼻から流れる鮮血であると気づき、笑ってしまった。
「ああ‥‥‥! なんて、なんて素晴らしいのですか! 達人なんて生ぬるい‥‥‥あれは神? いえ、そうでなければなんだと言うのですか‥‥!!」
その時のリディアの熱量を表現するならば熱狂であろうか。あるいは、狂信でもよい。
どちらにしても彼女の目には恋する乙女にも似た狂気が宿っていることには変わりがないのだ。
申し訳程度にぐいと拭えば逆に鼻血が広がり美女が台無しになったが、いまはそんなことよりも目の前の美しい剣技から目を離すことができなかった。
「ああ‥‥‥本当に美しい‥‥‥」
私もあんな風になりたい。
若さゆえの過ちか、あるいは直情か。
リディアの胸に湧き上がった想いはそれ一つだ。
それゆえに、最後の一人を切り捨てた男――アラタが振り返った時、リディアは迷うことなくその場に伏せ、額を地面につけて懇願した。
「お師匠様、お願いします! 弟子にしてください‼︎」
あまりにも鮮烈でひたむきなその姿に心打たれぬ人間などいないに違いない。
リディアも間違いなくそう信じていた。
なにせ頑固さには自信があるのだ。
ベンハルトが婚約者になってから禁止された剣の鍛錬も、せめて独学でと一か月頭を下げ続けて許可を取り付けたのだ。
「弟子、だぁ?」
「はい! 何卒、お願いします!!」
アラタはそんなリディアの様子に面食らったのか、しばし無言だったが、ややあって呆れたように口を開いた。
「嫌だ」
「……え?」
何と言われたか分からず顔を上げるが、答えは変わらない。
「だから、嫌だってんだよ。面倒くせぇ」
それからきっかり三秒後、リディアの困惑の声が漏れた。
「はぇ!?」
断られるなどまったく考えていなかったがゆえの、実に間の抜けた可愛らしい声だった。
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