リディアという少女

 リディア・オーヴェンスタイン。

 彼女の性格を一言で表すならば、騎士である。


 いわゆる教会と神に忠誠を誓う騎士ではなく、民と土地、そして正義に忠誠を誓う、物語で良く語られるであろう騎士だ。


 救国の英雄たる祖父の教育方針が多分に影響を与えたことは間違いない。


 ステラタート公国の東部に位置する辺境伯領、その当主にして中央三国からの侵攻を三度も防いだ英雄、イグニード・オーヴァンスタインは苛烈にすぎたのだ。


 死ぬならば民の盾として死ねが口癖というのだからその性格もわかろうというもので、幼少期に事故で両親を失ったリディアは祖父による英才教育を受けて育つのである。


 さらに言えば、オーヴァンスタイン家に跡取りたる男児がいなかったことも大きい。


 かくて少女は騎士たれと育てられ、まさしくイグニードの思う通りの性質となったわけだ。


 とはいえ、少女が騎士として育てられたのも十歳までだ。ステラタート公国の第二王子を婚約者として迎えることが決まれば、あえてオーヴェンスタイン家の伝統を教え込む必要もない。


 なにせ、騎士とはすなわち男児の仕事であるからだ。

 しかし時すでに遅しと言うべきか、リディアという少女に芽生えていた性質は騎士道だけではなかった。


 勇猛な祖父を見て育った彼女は、どこをどう間違ってしまったのか、少女らしい詩曲や舞踊よりも剣を愛してしまったのである。


 優れた剣士の技に感動し、胸をときめかせる。

 気づけば、およそ家族の子女らしからぬ剣狂いが誕生していた。


「なぜこんな風に育ったのだ‥‥」


 イグニードが頭を抱えたのは、剣に優れた冒険者がいると聞いたリディアが第二王子との面会日をすこんと忘れ、こっそり家を抜け出してしまったせいだ。


 王都から遠路はるばるやってきた王子は待ちぼうけ、やっと帰ってきたかと思えば冒険者の剣技がどれほど素晴らしかったかを身振り手振りをまじえて力説する始末。


 ついに堪忍袋の緒が切れたイグニードの怒声が館に響き渡ったのも致し方ないことであろう。


「な、なぜ怒るのですか。こうあれと育てたのはお祖父様でしょう!?」

「馬鹿者が! 民の模範たれと育てはしたが、剣に欲情する変態を育てたつもりはない!!」

「変態とはあんまりです! 欲情なんてしていません。私は乙女ですよ!?」

「乙女が婚約者を放って市井の剣士に剣術をせがみに行くものか! 乙女の定義を引き直して来い!!」


 このような会話が幾度となくなされるわけで、第二王子のベンハルトも苦笑するしかなかった。


 だが、これはこれで幸せだったのだ。

 優れた剣士ではないにしろ、祖父に気に入られたベンハルトを夫とすることに異論はない。まして自分より剣術見学を優先するリディアを笑って許してくれる度量のある男などそうはいないのだ。


 しかし、幸せはそう長くは続かなかった。

 ベンハルトとの婚約からおよそ三年、イグニードが病魔に倒れ、ほどなく永遠の旅路へと旅立ったのである。


「お祖父様‥‥‥! 私を一人にしないでください、お祖父様!」


 唯一の肉親を失った悲しみはあまりにも大きく、少女はそれまでの活発さが嘘のように塞ぎ込んだ。


 唯一の救いは優しい婚約者がリディアの代わりに領地の運営を行ってくれたことだろう。


 だが、それが最大の誤算だったのだ。

 一年の時を経てようやっと心の傷を乗り越えたと思ったら、リディアの手には何も残っていなかったのである。


「ベンハルト様、これはどういうことなのですか!?」

「どうもこうも、どうせ結婚すれば俺のものだろう。使いものにならないお前の代わりに全て差配してやっているんだ。感謝こそすれ、責められる道理はないな」


 信じ切っていた己を愚かと笑うしかない。

 全ての利権が婚約者の手に渡り、生家である屋敷すら自分の物ではなくなった。あまつさえ領主の証である領主権すら奪われていると気づいた時の絶望がわかるだろうか。


 信じていた人間に裏切られた衝撃は凄まじく、リディアはついに家を出て姿を消すことにしたのである。


 家は奪われた。

 領地も、民もだ。


 そして次に奪われるのは命だろう。

 ならば全てを捨て、ただのリディアとして世界中を巡り強い剣士達と交流を深めるのだ。


「ふふ、なぜでしょうか。すごく辛いはずなのに、なぜだか楽しみですね。私ってば、意外と図太いのかしら」


 そんなことを呑気に考えていたのも数日、そんな無理がまかり通るはずもない。

 女一人が危険だということを、リディアはいままさに思い知らされていた。


「下郎が、下がりなさい!」


 街道から森に入り、しばらく走ったところに崖がある。


 それほど高くはないが、昇るには相応に道具が必要になるだろう。地理に明るい狩人連中であれば、崖沿いに歩いて傾斜が緩い場所まで移動するか、そもそも迂回する場所である。


 そんなこととは知らないリディアは、崖を背にして八人の男達に囲まれていた。


 見るからに野卑な恰好の男達で、手に手に武器を握っている点を鑑みれば、真っ当な人間であるはずがない。


 彼らを率いているらしい男は、舌なめずりをしてリディアの肢体に視線を這わせていた。


「お嬢ちゃん、こんな場所で一人旅は危ないぜ。俺達が守ってやるからよ、ねぐらまでついて来いよ」

「馬鹿な、行くわけがないでしょう!」


 男が困ったな、と頭を掻いた。

 まるで本当に心配しているような口ぶりである。


「もうすぐ陽も落ちるぜ。女一人で野営なんて危ないだろう。今日のところは俺達のねぐらで休んで、明日出発すればいいさ。旅の垢を湯浴みで落とせば、嬢ちゃんの綺麗な肌も輝きをますってもんだぜ、なあ?」


 最後は仲間達に向けた言葉で、ひげ面の男達はにやにや笑いながら頷く。


 言葉だけをみれば善意の提案のように思えるが、そんなわけがないのだ。男達の群れの中に少女が一人、しかもとびきりの美少女とくれば、その先がどうなるかなど考えるまでもない。


「そうやって、何人もの女性をかどわかしてきたのですか」

「人聞きが悪いな。大事に大事に守ってやっただけさ。まあ、多少の見返りはもらったがな」


 げらげらと笑う男達に、切れ長の目じりが吊り上がった。


 旅の邪魔にならぬようにと、極上の金糸に例えられた自慢の髪を結い上げていたのが不幸中の幸いだ。これならば多少動いても問題ない。


「下郎どもが、一歩でも近づいたら容赦はしませんよ!」


 腰の剣を引き抜きて勇ましく吠えたリディアは、勢いよく剣を振るった。


 途端、辺りの気温が急激に下がり、剣身から現れた氷の槍が男達の足元に突き立つ。


「うぉっ、なんだこりゃ!?」

「我が剣にかけて、指一本触れることは許しません!」


 男達は目の前の異常に、リディアの手にあるのがただの剣ではないことに気づいた。


 この世界でそんな真似ができるのは、神を宿すとされる神剣か、あるいは神剣によって生み出された従属剣――精剣だけである。


 しかし神剣は宝物庫にあるのが当然で、人目に触れる場所に出て来るはずがない。となれば、彼女の手にある剣は必然的に従属剣である精剣ということになる。


 しかしそれでも十分に珍しく、男は驚きに目を丸くした。


「こりゃあ驚いたな、精剣なんて初めて見たぜ。だが、精剣じゃなぁ……」


 素晴らしい武器を目の前にしているというのに、男の反応は芳しくない。


 それもそのはずで、精剣はあくまでも神剣によって生み出された従属剣なのだ。使い手は神剣の所有者に従う必要があり、逆らえばいつでも精剣は奪われる。どれほどの距離、どれほどの物理的な障壁があろうとも、一瞬にして溶けて消えるのだ。


 そんな物を奪っても仕方ないという反応は当然のことだが、リディアはそれを嘲弄と勘違いして反駁した。


「誰が精剣だと言いました? これは国王陛下より賜った我が家の家宝、神剣カルティアです!」

「……神剣?」


 ざわり、と雰囲気が変わった。

 男達の視線の全てがカルティアに注がれ、その目の色が物欲に染まる。


「お前……まさか、オーヴェンスタイン家のご令嬢か?」

「そうだけど、それが何だっていうの? そんなことより、死にたくなければ去りなさい。私も鬼ではありません。この場を去り、その後に衛兵舎に出頭するというのであれば見逃します。しっかりと罪を償い、新たな人生を――」

「お前、限界だろう?」


 びくり、とリディアの肩が震えた。

 男はじっと彼女を見つめ、やっぱりかと頷く。


「暖かくなってきたとはいえ、まだ肌寒いこの季節に大量の汗をかいてるな。ここまで走ってきたせいじゃないだろう。神剣も精剣も使用者の気力を使うというが‥‥‥なあ、お前、気力が限界なんだろう?」

「そ、そんなことは……っ」


 ありません、と言えないところが彼女の素直さか、あるいは未熟さか。

 男はにんまりと笑い、仲間達に発破をかけた。


「お前ら、一気にかかれ。あっちは限界みたいだが、最後の反撃はあるかもしれん。一人や二人死んでもいいから剣を奪い取れ。生き残れば勝ち組だ、一生遊んで暮らしていけるだけの金が稼げるぞ。ついでに、あの極上の女もついてくる。頭なんざ関係ねぇ、俺が許す。たっぷり蹂躙してやれ」

「おお、兄貴話がわかるぜっ!」


 金も、女も、どちらも極上。

 いつ衛兵達に捕まって殺されるかと怯える山賊稼業など今日で卒業し、毎日面白可笑しく生きていけるのだ。ことここに至って尻込みするほど頭の良い人間など彼らの中にいるはずもなし、獣じみた咆哮を上げてリディアに飛び掛かった。


「この、話しの通じない人達ね……っ!」


 押し寄せる男達に、リディアは一振り、二振りと剣を振るった。


 その都度吐き出される氷の槍は鋭く、鎧すら着ていない男達は成すすべもなく貫かれ、もんどり打つように転がっていく。


 だが、それが限界だった。

 初めて神剣を使ったが、振るうごとに体の中から力が抜けていくのだ。


 気力とは即ち生命力である。全てを使い尽くせば昏倒し、身動き一つ取れなくなる。それでも振るわねばどうにもならない。


 騎士道によって育てられたとはいえ、リディアは貴族の子女だ。剣を学ぶなどあり得ぬ話で、英雄と謡われた祖父ですらリディアに剣を教えてはくれなかった。


 見よう見まねでの練習など意味はなく、男達を前にリディアは神剣の力を使う以外に戦う方法がなかったのである。


 全身から急速に抜ける力に、もはや立っていることがやっとだった。


 あと一撃を放てば意識が消えるだろうに、迫る男達は二人しか減っていない。下卑た笑みを浮かべる男達の手が体に触れる、それを考えるだけで怖気がした。


 悔しい、悔しい。

 力のない自分に対する悔しさに、涙が零れた。


 しかし、次の瞬間。


「じじい推参ってか」


 男達とリディアの間に突如現れた男が、飄々とそう言った。

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