時代遅れの剣豪、異世界へ転移す

「あ? なんだここぁ?」


 目覚めると視界いっぱいに青空が広がっていた。

 ついさきほどまで曇天だったはずで、年老いてもまだ今日の天気を忘れるほど耄碌もうろくしていないはずだ。


 もしやいよいよ来ちまったかと老いに震えるも、辺りを見回せばやはり何かが違う。どこまでも広がる無限の草原には生命の息吹が感じられないではないか。


 なんともはや、奇怪極まりなし。

 新はくたびれた着流しが汚れるのも構わず胡坐をかき、目の前の男に声をかけた。


「奇妙だなぁ、おい。そう思わねえか、あんた」


 無作法な物言いに答える相手は精悍な青年だった。


「おはよう、新君。気分はどうだね」

「君付けなんてじじいにするもんじゃねえよ。俺ぁそういう格式ばったのが嫌いなんだ。知ってんだろ。なぁ、神さんよ」


 不意をつかれた青年の眉がわずかに上がる。


「よく神だとわかったな。勘がいい……違うな、状況の理解と可能性の取捨選択が早いのか?」

「馬鹿でもわからぁな。全身穴だらけにされたじじいの行く先なんざ、仏さんか閻魔えんまさんの前と相場が決まってるだろうが。で、お前さんは仏さんって感じじゃねえな」


 青年がなぜと首を傾げると、新は簡単だと笑った。


「お前さん、強いだろ。いまの俺じゃ絶対に勝てねぇ……武の気配がぷんぷんするぜ」

「お褒めに預かって光栄だよ。なに、これでも武神の二つ名を賜っているのでな。どうだ、死合いたくなったかね」


 傲然と問われれば、新は迷いなく首を横に振る。


 最強は目指すが、無駄死には御免である。

 勝てる目が少しでもあるならば命を惜しまぬ。

 しかしどう足掻いても勝てぬなら場を改めるべきだ。己を鍛え、場を整え、策を練り――己が身と刀一つ、それでもって勝利の目をわずかでも手繰り寄せることができてこそ死合う価値がある。


「あいにく、自殺の趣味はねぇや。また今度にしてくれるかい」

「次までに勝てる準備を整える、と。本気で届くと思っているところが好もしいな」

「ああ、それが俺の生きざまってやつだからよ。とはいえ、死んじまったらそれも終いだがな」


 かかっ、と膝を叩いて笑う新に嫌味はない。

 己の現状を受け入れた上で、執着もなくただ笑っているのだ。

 その鮮烈な精神性に、神たる青年は「やはり」と頷いた。


「何がだよ?」

「素晴らしい、そう思ったのだよ。君は私を殺したい、そのためならば何でもするな?」

「まあな」


 即断、即答。

 やはり素晴らしいと青年は嗤った。


「結構、結構。ならば私の駒になり、私が管理する世界で暴れてくれたまえ。その代わり、君が最強に至る可能性を提示しよう。それが君の望みであろうからな」

「あんたの世界で、ねえ」


 人生の終焉を迎えるに辺り、己が人生が無駄であったと諦めていたが、まだすべての火が消えたわけでもない。


 炎が燃え上がらずとも、熾火おきびのごとく燃え殻の中でくすぶり続ける情熱は、執着とも妄念とも呼ぶべき感情として胸の内にあるのだ。


 しかし、それでも素直に頷くことはできなかった。


「剣はあるかい? もしねえなら、それで最強になっても意味がねえよ」

「それは問題がないとも」


 青年が指を慣らすと、一本の剣が空中に浮いた。

 手に取り、軽く振るうだけで炎の嵐がごうと巻き起こる。凄まじい熱気に、距離が離れているにも関わらず肺腑が焼けそうだ。


「なんでえ、こりゃあ」

「神剣だよ。剣の形をしているがね、その実、中身は神の一柱なのさ」

「神さん……ってえと、あんたみたいな?」

「いや、それほど格は高くないな。私の代わりに次の管理者となるべく争い合う、単なるひよこどもさ。剣として人に使われ、あるいは使い、最後の一柱となるまで戦い続ける。そういう宿命にある」


 なるほどと頷きかけ、新は首を傾げた。

 それならばおかしいではないか。


「なんで神さんが人間に使われてんだ?」

「ひよこといえど神が直接戦えば世界への影響が大きすぎる。剣となり、己が選んだ人間とともに戦うことで力を抑えているというわけだな」

「なるほどな。それで、俺があんたの駒になることとどう関係するよ?」


 恐らくは神剣とやらを賜って青年の世界に行くのだろうが、なぜそうせねばならないのか皆目見当がつかなかった。


 すでに神さん連中は必死をこいて戦っているわけで、遅れて新が参戦する理由は見当たらない。


 遅れてやって来る道化者など、お寒いにも程があろうというものだ。


「困ったことになる、人間どもが結託し戦わなくなったのさ。剣となったひよこどもはあの姿では大した強制力がない。人間どもが戦わぬと協定を結べばそれまで、抗うことすらできぬのよ。つまり、君は止まった時を進める起爆剤……いや、劇毒だな」

「言い過ぎじゃねぇか?」


 くかっ、と笑いながらも、新は悪い気はしなかった。


 剣と呼ぶにはあまりにも異質な力だが、剣は剣だ。

 剣によって最強をと志した己の願望が叶えられるのであれば、その程度の誤差は目を瞑ってやろう。諦めた夢を、想いを、捨てずに良いと言われるのだ。


 湧き上がる喜びに震え、しかし同時にこれだけは譲れぬと睨みつける。


「条件が二つある」

「聞こう」


 アラタは指をニ本立て、指折り数えながら堂々と、神へ要求を突きつけた。


「まず一つ、その剣みたいに炎だのなんだの、そういうのは使いたくねえ。相手に押し付ける気はないが、俺はあくまで剣でもって戦いたい。剣の刃でもって斬って殺す、そうでなきゃ意味がねぇ」

「いいだろう。とはいえ、気に入ると思うがね」

「どうかな。それじゃあ二つ目、俺を全盛期まで若返らせてくれ。年老いた爺じゃ最強も糞もねぇからな」

「ふむ、これでいいか」


 その言葉に視線を下げると、手のひらに刻まれていた無数の皺が消えていた。体が軽く、節々の痛みもない。ここ十数年なかった筋肉の張りに、体に気力が充実しているのがわかった。


 ぶるり、と武者震う。


「いいじゃねぇか、ああ……これだよ」

「満足してくれたようで何よりだがね、喜ぶのはその辺でいいだろう。さぁ、最後に私から贈り物だ」


 まだ何があるのかと怪訝に眉を寄せる新に、青年は身構えるなと笑った。


 再び青年が手を振ると握られていた剣が搔き消え、代わりに新の見慣れた刀が現れる。


「こりゃあお前……もしかしなくても、俺のか?」


 驚いたことに、青年の手に握られていた刀には嫌というほどに見覚えがあった。


 武骨で美しさに欠ける刃紋、軽さを重視して大きくくり抜かれた鍔――それは見紛みまがうことなき人生を共に歩んできた相棒、風切市右衛門なのだ。


 はて、大事な相棒ではあれ神さんが言う神剣なんて上等な代物だったかと首を捻るが、青年はそうではないと断言した。


「長い年月使われた道具は魂を持つ。か弱くはあれどそれもまた神、お前の相棒はひよこにすら達していないが、神の位階には到達している。君と共にへし折れたからこそ、彼は神剣の資格を手に入れたというわけさ」

「くはっ、最高じゃねえか」


 新は拍手喝采と両手を打ち鳴らし、投げて寄越された刀を片手で掴み取った。


 ずしりとした慣れた重みに我知らず笑みが溢れる。


「また頼むぜ、相棒」


 承知したと言わんばかりに刀が震えた。

 死に際の妄想ではなく、今度こそ本当に応えたのだ。


「彼の能力は〈強化〉だ。生命力、再生力、筋力……あらゆる点で君という存在を強化する。何ともつまらないたったそれだけの力だ。しかし、剣の刃でもって斬り殺すという君の希望にはぴったりだろう」

「いいね、炎だなんだって無粋なもんより、よっぽど好みだぜ。神さん、あんがとよ」

「喜んでもらえたようで何よりだ」


 青年は満足げに頷き、ぱちんと指を鳴らした。

 それと同時に、すうと新の意識が遠のく。


「それでは、期待しているよ新君。最強を目指し、精々場を荒らしてくれたまえ。その先に私という存在が待っているからな」

「おう、あんたを殺せるくらい強くなって帰って来るぜ。期待しとけ」


 軽口を叩き合い、お互いの未来を健闘する。

 神と人という関係ではあっても、ほんのわずかな時間で共鳴する何かが確かにあった。


 ああ、気持ちいい男だ。

 きっと楽しい死合いができるだろうや。


 いまから楽しみで仕方ないと嗤いなかま、新の意識は消えた。

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