6 Outside of inside of inside of

「いらっしゃいませー」


 絵梨と別れ、スマホショップに到着した。50万円の入った封筒を抱え、恐る恐る自動ドアを超える。店員さんが挨拶をしてくれるものの、こわばった笑顔を返す事しか出来ない。不審者に見えたかもしれない。


 だって、こんな大金持ったことない。絵梨がなんでこんなお金を持っているのかは分からないけど、普通に考えたら学生が持っていい金額じゃない。

 強盗じゃなきゃ、パパ活でもしているのだろうか? でもパッとしないし愛嬌もないし、現実的じゃない気がする。現役女子高生ってだけで、十分なブランドなのだろうか?


 ニートだし、おばさんにお小遣いを沢山貰っているのかも知れない。こんなに目に見える形で愛されているのに、学校にも行かず、将来のことも考えず、俺のスマホを壊して無駄遣いするなんて、まったく信じられない。


 親不孝者だよ、絵梨は。


「あの、スマホが欲しいんですけど。配信を綺麗に見れるやつがいいです。あと、今日持って帰りたいです」


 入り口で取った整理券を、ニコニコニコしながら近寄ってくる店員に渡す。


「スマホで配信を見てくれてる、そこの君! いつもありがとね~。エリカのおすすめは、このハイバネーション00! めっちゃ綺麗に私が見れる! 世界が変わるから! じゃ、新世界で待ってるよ~」

「え? エリカ?」


 エリカの声が聞こえ、現実と幻想の境界が失われる錯覚に陥った。


 突然の声に振り向くと、壁に設置された大型モニターにエリカが写っていた。彼女は最新型のスマホを手にして、こちらに見せつけている。

 モニターというより、ARなのか? 肉眼なのにエリカが飛び出して見えた。


「お客様、ハイバネーション00が気になりますか?」

「え?」


 気が付くと店員が、そばでニコニコニコニコニコ笑っていた。


 ハイバネーション00。確かエリカがタイアップしてる最新型のスマホだ。高性能液晶で動画が綺麗に見え、バッテリー持ちもすごいらしい。

 一番の特徴は、最新AIによる音声認識の精度が高いとか。なんでも声だけで、正確に配信のコメントができると聞いた。


 声でコメントが打てるのは配信で有利だ。だって手で打つよりもメチャクチャ速い。コメントが速ければ、その分エリカに読んで貰える可能性が上がる。


 たとえばエリカが「皆は最近、なんのゲームしてる~?」とか呼び掛けたとする。

 そこに「最近出たFPSゲームだよ」なんて、0秒でコメントできれば、「あ~! あのゲームね! エリカも買ったよ~」と返答が返ってくるだろう。


 何より声でやり取りしてるみたいで非常にいい。


「でもハイバネーション00って、メチャクチャ高いんですよね?」


 たしか50万円近くする筈だ……絵梨に貰ったお金があるけど、スマホを買うのに全部使うのは勿体ない。40万円くらい残しておけば、高校生活を遊んで暮らすのも夢じゃない。

 余ったお金を返せとも言われてないし。


「ハイバネーション00自体は少々高価なんですけど、今ならキャンペーン中でして! 新世界エリカのチャンネル登録をすれば、半額以下になるんです!」


 よくあるキャンペーンだ。本当は割引後の値段が、実際の小売希望価格ってやつかな。いくら最新式で高性能と言っても、そんなに高いのはおかしいと思った。


「あ、もうすでにチャンネル登録してるんですけど、それだとダメですかね?」

「もう入ってるんですね! 期間によっては、さらに値引きになりますよ」

「へ~! アカウント見せれば、いいですか?」

「そうですね、こちらのQRコードを読み取って貰っていいですか? その間にハイバネーション00の見本機を取ってきますので」

「分かりました……


 ニコニコニコニコニコニコニコの店員さんが示すモニターを見ると、端にQRコードが載っている。だけど、これスマホで読み取るものじゃないのか?


 …………あの、スマホ壊れてるんですけど」


 スマホが壊れたからスマホを買いに来たのに、スマホで読み取れだなんてばかばかしい。文句を言おうにも、既に店員さんは店の奥に引っ込んでしまった。


 そもそもハイバネーション00を買うとも言ってないのに、勝手に話を進めて本当に無能な人だ。もっと客の事を考えて貰わないと困る。


どうしていいのか分からず、取り敢えずQRコードをぼうっと見詰めていた。


「こんにちは~! あなたもハイバネーション00に興味があるの?」

「え? あ……」


 急に横合いから、かわいい声が聞こえてきた。振り返ると、ARのエリカがこっちを見て笑っている。

 かわいい。


 エリカは俺より背が低く、150センチ無いくらいでかわいい。女の子らしくて、とても愛くるしい。

 現実に飛び出してきた彼女はとても自然でかわいくて、いい匂いすらしてきそうなかわいさだった。


「ありゃ、反応ナシ? エリカのこと知らないかな?」


 エリカは小首を傾げ、むぅと唇を尖らせる。限界突破するかわいさを堪能していたが、少しして自分にかけられた言葉であることに気付く。

 正確には俺に話しかけてるんじゃなくて、AIだと思うけど、こんな夢を堪能しないのは無粋と言えるだろう。


「い、いえ! いつも配信見てます! 星人ってアカウントで、今日の朝も配信見てたんだけど……覚えてる? 4日前のゲーム配信では、クリアした時に真っ先におめでとうコメントしたんだよ! コメントも読んで貰って、覚えてる? 隠しステージ教えてあげたの、俺なんだ」

「あ! 見てくれてるんだ~、ありがと~♪」


 微妙にかみ合っていない気もするけど、AIだとこんなものだろう。むしろ嬉しそうな笑顔がかわいすぎて、本当にうれしくなってしまう。科学の進歩ってすげー。


「と~こ~ろ~で~! ハイバネーション00、どう?」

「え……と……ちょっと高いかな?」

「え~? でもエリカは、あなたに買って欲しい、かも?」


 エリカは唇に指をあてて、蕩けた表情を見せる。

 見惚れている間に、軽やかに近寄ってきた。跳ねるような動きが一々かわいくて、羽の生えてない天使なんじゃないかと思う。


「ね、ね? 綺麗な画面で、かわい~エリカをいつも持ち歩かない? い・つ・で・も、一緒にいたいな~」


 甘くてかわいい声にクラクラする。生暖かい舌で、鼓膜を犯されてるみたい。体温の籠った囁きが、艶めかしく脳をグチャグチャにしていく。

 毎晩エリカのASMRを聞いてる俺でなければ、耐えられなかっただろう。


「あ……でも……高いし……」

「ん~?」


 背伸びして、俺の耳元に口を寄せていたエリカ。

 ぴょこんと下がり、小悪魔っぽく目じりを下げる。


「ただで~とは、言わなよ。ね? エリカに、どうしてほしい?」

「どうしてって……」


 なにをしてくれるんだ……?


 目の前のかわいいエリカは、配信からそのまま飛び出してきた本物! けどAIで作られたARだ。触れないし、本人じゃない。

 本人じゃない……本人じゃないなら、配信で言えない事を頼んでもいいんじゃないか?


「『星人くん、大好き』って……言って貰えますか?」


 ごくりと喉が鳴る。目がカラカラで、心臓を吐き出してしまいそう。喉の皮膚が全て剥がれて、染み出た血で窒息してしまいそうだ。

 女の子に告白したら、きっとこんな美しい気持ちなのだろう。エリカの心音の混じるこの場の空気が、やけに生々しく感じた。


「……うふ♪」


 エリカの口がゆっくりと開き、白い歯が僅かに覗く。ぽってりとした舌が唇を這い、普段より少めの声がよだれみたいにテカる。


「だ、め♪」

「え……」


 予想外の返答に、アホみたいな声を出してしまった。がっくりと力が抜け、世界がふらりとよろけた。

 エリカは獲物を食う獣の様に口元を歪め、踊るように迫ってくる。顔が近い、キスをする距離。どうせ俺は結論を出すだけなのに、焦らさないで欲しい。


「あなたがハイバネーション00を買ってくれたら~、いつでもエリカと一緒♪ 新婚さんみたいだね~。毎日愛してるって……言い合っちゃう?」

「エリカと一緒……」

「そう、エリカと一緒。ずぅっと一緒。それはもう、新世界じゃない?」


 エリカの口から生まれた息が、体温を失わずに咥内に侵入してくる。

 唇が触れている気がする。少なくともほんの僅かでも動けば、エリカとキスできてしまうのだ。


「買って…くれるよね?」

「う、うん……買う」


 意を決した瞬間、パッとエリカが離れてしまった。店内に置いてあるスマホの画面が全て切り替わり、笑顔のエリカを写しだした。


「お買い上げ、ありがとうございます」

「え?」


 いつの間にかニコニコニコニコニコニコニコニコニコニコの店員さんが隣に立っており、黒いスマホを差し出していた。

 見るからに高級感のある最新機種。これがハイバネーション00なのだろうか。


「では、こちらでご契約をお願いします。お支払いはどうされますか? その封筒、ですよね?」

「あ……はい……エリカは?」


 何が起きているのか理解できず、なんだか夢に取り残されたような気分だった。

 恐らく半ば強引に、店の奥のカウンタースペースに連れていかれる。


 機能の説明をされていたと思うけど、頭に不純物が詰まっていたみたいで覚えてない。

 契約書に記載された値段を見て一瞬現実に戻ったけど、50万円よりかなり安かったので考えない事にした。どうせ自分のお金じゃないし。


 そんな事よりエリカは?

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