5 Outside of inside of inside of

 どうしてこんな事になってるんだ?


 夕闇が零れ始めた道を進みながら、ぼんやりと後悔する。

 目の前には髪がぼさぼさでサングラスを掛けた、黒いジャージ姿の芋女が歩いている。


 彼女が絵梨だ。引き籠りになる前は、もう少しマシな身なりをしていた気がする。が、これでは誰が見ても完全なニート。女子だから世間的には、家事手伝いとか言うのか?

 同級の女子高生と放課後に歩いてるドキドキのシチュエーションなのに、全くワクワクしてこない。


 いや、ドキドキはしているよ? だってこいつ、いきなり俺のスマホを奪って、叩き割ったんだから。

 文句を言おうとも思ったが、悩んだ挙句止めておいた。どこか精神的におかしいのかも知れないし、そもそもどんな反撃を受けるかも分からない。


 触らぬ神に祟りなし。たぶん絵梨本人に言うより、常識人である絵梨のおかあさんに訴えた方がいいだろう。少なくとも弁償はして貰えると思う。


 だからスマホは大丈夫だけど……それまでエリカの配信が見れないのは辛い。

 かあさんにPCを借りて見るか? いや、リビングで使えと言われるだろうし、親の前で推しの配信を見る強メンタルは持ち合わせていない。


(そもそも今、エリカが配信してるのに……)


 本当なら今頃配信を堪能している筈なのに、この女にスマホを壊されて、意味も分からず外に連れ出された。

 これでかわいい幼馴染だって言うなら許せるけど……なぁ……。


 とにかく気が重い。こんな所クラスの奴らに見られたら、向こう3年は別室登校をしなければいけなくなる。


「ねえ……なんで突然きたの……」


 ぼそりと、前の人間から言葉が漏れてくる。

 意外に冷静なその言葉が、自分に向けられたものだと気付くのに、少し時間が必要だった。


「住良木が言ってたんだよ。絵梨が来てないって」

「?……わたしたち別のクラスだっけ?」

「あ~…え……と……」


 絵梨と俺は、建前上は同じクラスだ。普通に考えると、絵梨が来てない事を住良木に聞いたと言うのはおかしい。

 説明するには、俺が別室登校だと告白しなければいけない。そうすると長い話になってしまうし、ニートにまで憐れまれてしまいかねない。


「別のクラスだよ。俺達高3になったんだしさ、ちゃんと学校に行って、将来の事を考えないといけない訳です」

「ふ~ン……うちの母親みたいな事いうね」

「そりゃ絵梨のおかあさんは昔からしっかりしてるし、優秀な人だし。絵梨のことが心配なんだよ」


 心配ね……メンドクサそうに、絵梨の口の中から静かに零れてきた。


「あの母親が優秀に見えるなら……セイちゃんは、もうちょっと頑張った方がいいよ」


 セイちゃん……そう言えば絵梨には、そんなあだ名で呼ばれてた。


「どういうこと?」

「人間は皆ね……自分自身を平均以上……それどころか、上澄み1%くらい有能だと思ってる。でもそんな訳ない……だから世界を歪めて見るんだ……自分と同レベルの人を天才と評し、自分より下の人をできる人だと烙印を押す。そして自分が理解できない世界を語る本当の天才を、バカだの悪だの決めつける……相対性理論よ」

「相対性理論?」


 アインシュタインの難しいやつのことだろうか。賢ぶりたいオタクが、理論武装として振り回してる印象がある。


「偉い人が言うには、人が見る光の速さは変わらないらしい……わたしから見ても、セイちゃんから見ても。本当かな? そんな相対的な主観に満ちた世界……それぞれの思惑によって歪んじゃうよね。そこに本当に世界はあるの?」


 相対性? 世界が歪む? やっぱりこいつはおかしい。

 だってこんなに理解できない事を言うんだから。


「光の速さもいいけどさ、俺達どこに向かってるの?」

「コンビニ……あそこだから、ちょっと待ってて」


 妄言を吐くだけ吐いて、絵梨はさっさとコンビニに入っていった。店内に着いていくのも気まずいので、自動ドアの横で待つことにする。

 スマホでも弄って時間を潰そうとしたけど、そのスマホが無い事に気付いてがっくりした。一応ポケットから取り出してみるものの、もちろんバキバキに割れて電源が入らない。


 絵梨は何でこんなことをしたんだろ?


 考えても仕方ないか。この世の殆どのことには理由がない。後付けでそれっぽい理屈がつくと言うだけだ。


「お待たせ……はい」


 動かないスマホを眺めていると、自動扉が開いて店内の冷気が漏れ出てくる。

 振り返ると絵梨が、分厚い封筒を押し付けてきた。


「なにこれ?」

「スマホ壊しちゃったのは私が悪いし……それで何とかして」


 言ってる意味が分からないまま封筒を確認する。中には……お金が入っていた。それも沢山の。


「どうしたのさ、このお金! まさかコンビニ強盗?」


 封筒には万札がぎっしり詰まっていた。10万…20万……とにかくたくさん! 学生が持っている金額じゃない。

 問われた絵梨はなぜか眉根を寄せ、憐れむような目を向けてきた。


「そうね……その言葉、その発想がセイちゃんの人生の限界。まだギリギリ持ち直せるかもしれない……から、早めに自分の立ち位置を見直した方がいいよ」


 なにいってんだ、こいつ?


 やはりバカなのだろう。絵梨は訳の分からぬことを言う。


 ただ反発するには封筒が重すぎた。手の中の間違いが正されないように、俺としては息をひそめてやり過ごすしかない。


「じゃ……わたし忙しいから。セイちゃんは、セイちゃんだったね……」


 結局、絵梨は俺にさしたる関心を示すこともなく、罵倒ともお節介とも取れぬものを残して帰っていった。


 絵梨の後ろ姿が角を曲がり、視界から消えるのを確認する。俺は逃げるようにコンビニから離れ、人のいないビルの影に隠れた。

 道路側に背を向け、周囲に気を配りながら封筒の中身を数えていく。慣れない事に手間取り、途中落としそうになりながらも数え切る。驚くべき事に、万札が50枚も入っていた。

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