三、

第38話

 証言台に立った芳岡は、美璃を連れ去った理由を「志緒の身長が伸びたから」だと言った。

 希絵の死後は妹である美璃を気に留めてチェックし続けていたものの、日に日に育っていく姿には寂しさを感じていた。そんな時、偶然本屋で私を見つけた。当時中二だった私の成長を止めた姿に理想を見出した途端、今回の計画が閃いたらしい。

 そのために駅前でわざと少年達に暴行され、蓮士に関わる証言をして私をおびき寄せた。私だけでなく母とも交流を深めることで、「永遠の十二歳」を一生手元に置き続けようとしていた。

 でも順調に進んでいたはずの計画は、私の「三センチ伸びてた」発言で破綻の危機を迎える。私の成長を再び止めるには似たようなショックを与えるか、或いは死しかないと思った。そしてすぐ、美璃を連れ去る計画を立てた。

 まずは捜査の矛先がトーマスへ向くよう蓮士の服と靴を身につけ、院へ向かった。裏口で何かを相談したかのような間を演出したあと、ドアノブを握り防犯カメラに映った。

 そのあと美璃には偶然を装い、蓮士としてではなく芳岡として近づいた。美璃は芳岡の教え子ではなかったが、希絵の通夜や葬式、命日の度に会っていたから美璃の印象は良かったらしい。芳岡は素知らぬ顔で、毎年命日の仕事帰りに手を合わせるため訪問していた。

 話をして美璃の落ち込んだ様子を察した芳岡は、当初予定していた強引な連れ去りから誘導へと方法を変えた。鵲寺が問題を抱えた子供達のサポートをしていると誘い出し、美璃を境内へ連れて行ったのだ。そして首を絞めて気絶させ、家まで運んだ。美璃は、芳岡の右手の違和感には気づけなかったらしい。

 検事に問われて芳岡は、「志緒に父親として認めてもらうのに一番苦労した」と言った。私が父親のように慕うトーマスは一般的な父親像とかけ離れていて、真似をすれば気づかれる可能性があった。こちらの方が正しく本来の父親らしい姿なのだと伝えるのには骨が折れたと、笑った。




 今なら、もう聞ける気がする。

「先生、いつ頃からあの人が犯人だって気づいてたの?」

 意を決して事件の話に触れると、トーマスは聴診器を首へ戻しながら笑みを浮かべた。

 三月も終わりに近づく診察室には、桜の形に切った色画用紙の花が壁のあちこちに貼りつけてある。先月採用された、保育士資格を持つ看護師さんのアイデアらしい。来月はチューリップだろうか、確かに幼い子が喜びそうな雰囲気だ。もうすぐ高二になる私でもすら、なんとなく心が華やぐ。

「使用ルートから、僕の防犯マップを利用したんだなとすぐ分かったよ。あの頃ちょうど防犯カメラの追加設置で安全度の評価を上げたところがあって、最新版にはそれを反映させた。犯人はちゃんとそこを避けてからね。でもその最新版は、月曜日に学校や公民館に配布したばかりのものだった。事件は水曜日と早かったから、関係者だとすぐに当たりはついた」

 なるほど、そっちのルートから絞り込んだのか。確かに防犯マップからなら、トーマスにしか分からない情報があったはずだ。警察に話していなければ、だが。多分、話していなかったのだろう。

 トーマスが警察の捜査情報を知っていたのは、不審者の検挙率を買われて、だった。表彰の類を一切受け取らないから公にならないだけで、毎年結構な人数を特定しているらしい。警察からすぐ連絡が来るのはゴルフクラブを持って出ないようにするため……もあるのだろうが、トーマスの協力を仰いでいたからだった。もちろん公にはできない、秘密裏の協力体制だ。

「水曜日でも公民館は通常営業だけど、市内の小学校は早く終わる。教職員に絞り込むのはすぐだった。ただ『なぜこんなバレやすい曜日を選んだのか』と考えて、僕が理由であることに気づいたんだ。僕はこの辺の防犯には誰よりも詳しいし、水曜日午後は休診だ。その時点で警察に共犯を疑われることを察して、それならうちの防犯カメラに映る程度の小細工もするだろうと考えた。確かめたら、ほんとに映ってたしね」

「知ってたの?」

 驚く私に、トーマスは優美な笑みを浮かべる。今日はピンクのカーディガンで、一層春らしい。物憂げな美貌は相変わらずだが、あれから少しだけ年をとった。トーマスの時計も、緩やかに動き始めていた。

「僕が邪魔な教職員はたくさんいるだろうけど、ここまでするには理由がある。その理由に志緒ちゃんを置いた時、一気に分かったんだ。芳岡があの時、志緒ちゃんをより深く傷つける事件を起こした理由がね。だから僕はそれを逆手に取って、志緒ちゃんに調べるよう言った。危ない橋ではあったけど、僕は志緒ちゃんの強さに賭けた。まあ、あのあと大宮と位坂に話したら『早く言え』『警察舐めんな』って散々言われたけどね」

 少しも反省の色が見えない姿に苦笑して、大宮の気苦労を思う。

 大宮はあの時、芳岡ではなく壁を撃っていた。威嚇射撃で芳岡が怯んだ隙に、二人で鍵を奪い取ったらしい。阿吽の呼吸による華麗な連携技かと思いきや、トーマスは「頭を撃て」と念じていた。全然、阿吽じゃなかった。

「そういえば、位坂くんには『お父さんに連絡して』って言ってたよね?」

「うん。似たもの親子だから多分、ろくに話もしてないんじゃないかと思ってね。真正面から話し合うきっかけをあげたんだ」

「あの状況下で、そんな気遣い……」

 位坂はトーマスの伝言に従い父親へ連絡し、事件への助力を仰ぐ話以外にもいろいろと語り合ったらしい。父親に電話をかけたのも、あれほど長く話したのも初めてだったと言っていた。

「位坂は息子の成長が感じられたって感謝してたよ。位坂くんを医者にして僕の養子にして志緒ちゃんを迎え入れたいって打診したら『俺が血を吐く』って断られたけど」

「だろうね」

 苦笑する私を、トーマスは懐かしいものを見るように眺める。

「どうしたの?」

「位坂に『幸せそうで良かった』って言われたんだ。僕にこんな台詞を吐く日が来ると思わなかったって。彼には高校時代、何度となく『地獄に堕ちろ』と罵られてたからね」

 何をしたのか聞きたいが、今のトーマスでないのは分かっているから恐ろしい。

「この話を他人にするのは初めてなんだけど」

 少し抑えた声で切り出し、トーマスはいつもの微笑を浮かべた。

「もう耳に入ってるかもしれないけど、僕は院長の養子でね。元は戸増分家の息子だったんだ。サラリーマンの父と専業主婦の母と僕と二つ下の妹っていう、普通の家庭だった。でも僕が六歳の時に、兄妹揃って不審者に襲われてね。妹の手を引っ張って逃げたんだけど、妹が転けて手が離れた。不審者はすぐに妹に飛び掛かったんだよ。でも僕は、妹を助けずに逃げ出した。見捨てたんだ」

 淡々と告げられた過去に、俯く。芳岡に聞いてはいたが、本人が口にするのは重さも痛みも段違いだ。息苦しさに胸を押さえ、ゆっくりと息をする。指先がかすかに震えていた。

「小児科医として見れば、六歳児が身の危険を感じて逃げるのは仕方のないことだし、そこで固まってしまわなくて良かったと思う。でも僕の母は小児科医じゃないからね。助かった命を喜ぶより、喪った命を悲しんだ。もう育てられないと僕を遠ざける母に、父も離婚ではなく養子の道を選んだんだ。ただ親戚にも『妹を見捨てたような冷たい子』は疎まれて、蔑まれてね。芳岡の家には、僕は敷居をまたぐことすら許されなかった」

 芳岡へと移った話題に、トーマスを見つめる。トーマスは諦めと皮肉を混ぜたような笑みを浮かべた。

「あいつにとって僕は、ゴミ同然の生き物だったんだ。まあ、今もだろうけどね。志緒ちゃんが自分より僕を慕うのが許せなかったのも、事件を引き起こした理由の一つだろう」

 芳岡は、証言台ではトーマスのことをほとんど語らなかった。それほどに蔑み、憎んでいたのだろう。今はまだうまく考えられないが、そのうち……大人になれば自分なりの答えも出せるようになるはずだ。

「今は、ご両親と連絡は?」

「医者になってから、金の無心があってね。『僕が壊した人生の代償』って名目で、今も年に百万くらい払ってるよ」

 控えめな問いにトーマスは笑みで答え、私の痛みを宥めるように頭を撫でる。私の知るトーマスなら、まっさきに断ち切りそうな関係だ。でも私が見捨ててと言うのは、間違っている。

「妹を殺した不審者はヤク中でね。心神耗弱が認められて、刑を減軽された。知らないうちに素知らぬ顔で社会に出戻って、また幼い子供を殺したんだ。僕は当時大学生で、聞いた瞬間、血が凍るような感覚と痛みが全身に走った。それ以来、ほとんど見た目が変わらなくなってたんだ」

 でも、と言葉を継いで腰を上げ、トーマスは診察室の奥にある身長計の傍に立って私を促した。まさか。

 自分では気づけなかった変化に驚き、慌てて身長計へ向かう。スリッパを脱いで乗り、支柱に踵をつけて姿勢を正す。芳岡は法廷で、「再び志緒の成長が止まることを願っている」と言った。でも、私は。

 トーマスがそっと横規を下ろす。高鳴る胸に、細く息を吐いた。

「どう?」

「一五五センチ。おめでとう、また二センチ伸びたよ。顔つきもお姉さんっぽくなったしね」

 横規を上げつつ、トーマスは穏やかな声で祝う。幼い頃から聞き続けた、優しい声だ。

「志緒ちゃんの時計も僕の時計も、動き始めた。僕達は、自分にかけた呪いをようやく解いたんだよ」

 頷く私に、トーマスは少し泣きそうな顔で笑った。

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