第34話

 初めて足を踏み入れた警察署だったが、通された場所はドラマや映画でよく見る取調室ではなかった。まあ私が罪を疑われているわけではなく話をするためなのだから、必要ないのだろう。一階の受付は閑散としていたが、刑事の居場所らしい三階は日曜日でも常に人の気配がある。美璃を必死に見つけようとしてくれていると思えば、心強かった。

 ひととおりの話をし終えて、大宮がペンを置く。

「ありがとう、参考になった」

「いえ、私も話せて良かったです」

 パーテーションの向こうを行き交う気配を気にしつつ、大宮の表情を探る。無事にリストバンドは渡せたしいろいろと話もできたが、こちらの知りたい情報は聞けなかった。そちらは良くても私は消化不良だ。結局、私の求める「何か」は分からないまま居座っている。

「あの、防犯カメラの映像を観せていただくというのは、やっぱり無理ですか?」

「申し訳ないけど、無理だ。一般市民に公開していいものじゃない」

 ですよね、と分かっていた答えを受け止め、諦めの息を吐く。確実に証拠を見つけられる自信があれば別だが、そんなものはない。「もしかしたら何か分かるかも」で、素人が観ることなんて。……ああ、そうか。既に位坂のところに同じものがあった。あの家で私が映像を確かめるのは無理だろうから、位坂に任せるしかない。

「ひとまず、あの家に帰っても大丈夫ですか」

「ああ。預かったリストバンドを調べるにも時間はかかる。ただこのことを含めて、今日話したことは伏せておいて欲しい。本当は保護した方がいいところだろうけど、下手に動くと彼女の命が危ないかもしれない」

「はい。警察はまだ戸増先生を疑っていて、いろいろ聞かれたことにしておきます」

 大宮は、悪いね、と返して腰を上げる。

「今は、体調は大丈夫?」

 大宮は私の話を書きつけたレポート用紙を通り掛かった男性に渡し、外を指差す。頷いて去って行く姿を見るに、それだけで通じるのだろう。すごい世界だ。

「はい、大丈夫です。精神面の不調が体に出やすいタイプなので、病院には変化があってもなくてもメンテナンスに通ってるんです。戸増先生には、生後六ヶ月の頃からずっとお世話になってて。私は父親がいないので、先生が父親代わりで」

「なるほど、そういうことか。先輩は、君が恋人を連れてきたら平静でいられる自信がないって言ってたよ。会話に『位坂くん』が出るだけで血圧が上がるらしい」

「そんな話してたんですか?」

 驚きつつ見上げた先で、大宮は苦笑する。

「先輩、君のことならよく話したんだよ。あとはのらりくらりと交わされて、何か知ってるのは間違いないのに話さなかった。話せと言って話すような人じゃないしね」

 全て話されていないのは、私でも感じたことだ。隠されている理由は良いものであると信じているが、エゴかもしれない。自分の恋心より正義を選んだ万里のようには、とてもなれそうにない。

「私と警察と、どちらが先に真実に辿り着けるのか見たくて黙ってる気がしないでもないんですけどね」

「ありそうだから怖いな。そういうシャレにならないことを平気でする人だから」

 大宮はエレベーターのボタンを押しつつ、私の知らないトーマスの顔に触れる。

――あの人は、不審者に妹を殺されてる。犯人は服役したあと社会に出て、また子供を殺した。

 芳岡の漏らした事実を思い出して、視線を落とす。憎んでいるのは、本当に不審者なのだろうか。少しの息苦しさに胸を押さえ、到着を知らせる表示に視線を上げた。

「君は、将来の夢は決まってるの?」

 突然振られた話題に、驚いて大宮を見る。

「ごめん、いやだったら適当に流してくれていいよ。すごくしっかりしてるから、ちょっと聞いてみたくて」

 大宮は一階へ向かうボタンを押しつつ、理由を足した。

「今のところは高卒で公務員試験受けようかと思ってます。母子家庭なので余裕はないですし、早く母を楽にしたいので。でも母は大学に行って欲しいみたいだから、一致はしてません」

 最近は、母について掘り下げて話すことはなくなった。周りが母子家庭を気遣って、あまり聞いてこないからだろう。同じ境遇だった希絵との間にはない壁だ。

「夢は親孝行か。お母さんを大事にしてるんだな」

「大事にしてるというか……申し訳ない気持ちの方が強い気はします」

 申し訳ない、と繰り返した大宮に頷く。

「母は市の職員なんですけど、私が幼い頃から体が弱かったせいで、しょっちゅう休んだり早退したりしてました。父とは私を産む前に離婚してたし、祖父母には頼れなかったし、本当に大変だったと思います。私が健康だったらできたことを、たくさん我慢したり諦めたりしてきたんじゃないかって。でもようやく芳岡先生と出会えて、母は母の幸せを選べるところまできたんです。早く自立して、母には自分のために生きて欲しいと願ってます」

「そうか、そんな風に考えるのか」

 少し驚いたように返す声に、視線を上げる。小さく揺れて止まったエレベーターを降り、照明の落ちたフロアを揃って玄関へと向かう。

「俺にも子供がいてね、高二の息子と中三の娘なんだけど。娘は、なんか動物の美容院みたいな仕事がしたいって言ってる。息子は特にしたいこともないし適当な専門学校にでも行くって言うから、『専門学校にでも』ってなんだちゃんと考えろ、ってこの前叱ったところだ」

 苦笑交じりに語られ始めたのは、赤裸々な家庭内の事情だった。仕事を通じて出会ったから刑事の顔しか知らないが、仕事から離れればちゃんと父親の顔をしているのだろう。

「うちは二人とも元気だけど、それなりに手の掛かる子でね。娘は入れそうな高校が一握りだし、息子は遅刻しまくるし欠点取ってくるし。家の手伝いはしないし部屋は片付けないし犬の散歩行かないし家族でシェアしてる通信データ使いまくって通信速度落とすし」

「大変、ですね」

 途中から流れるように連なった恨み言に、苦笑する。「普通の」子供の姿は、そっちの方に近いのだろうか。私はそこから、どれくらい外れているのだろう。

「確かに大変なこともあるよ。でもそれを受け入れるのが子供を育てるってことだし、この世に迎えた親の役目だ。少しは労ってくれと思うことはあるけど、親の人生に罪悪感を抱いて欲しいわけじゃないんだよ。子供には好きな道を歩ませてやりたい、産まれてきて良かったと思える人生を送って欲しいと願ってる。君のお母さんも多分そのためにがんばって働いてるし、君が行きたい道を選べるようにお金もためてるんだろう。だから、一致しないんだ」

 実際に父親をしている人の意見を聞くのは、初めてかもしれない。トーマスとも芳岡とも、また違う感覚だった。

「親は単純だからね。『ありがとう』で、また明日からも働く力が湧く。親孝行なんて、その程度でいいんだよ」

 そういえば申し訳なさが募って、最近は謝ってばかりいた。頷いて見上げた私に、大宮は目を細めた優しい顔で笑った。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る