第31話
結局、位坂はそのままバスの中でも何かを考え続けて黙っていた。その思考の過程を聞かせてくれても良かったが、位坂は結論のみ報告したいのかもしれない。黙って揺られる端正な横顔は予想外に深刻そうで、声を掛けるのもためらわれた。
「友達というのは、難しいな」
位坂がようやく口を開いたのはバスから降りて、私を再び傘に入れたあとだった。
「親友までいかない状態では、どこまで相手の人生に介入しても許されるものなのだろうか」
「ケースバイケースだとは思うけど、相手の性格によるんじゃない? たとえ親友でも口出しされたくない人もいるし、友達でも気にしない人もいる。伝える内容はともかく、親友でも怒る言い方はあるだろうし」
隣を見上げて答えた私に、位坂は興味深そうに頷く。私と希絵の間では改めて語り合うことのなかったことだが、あれは一緒に過ごした時間の長さによるものだろう。「友達」はどこからどこまでか、どこを過ぎれば「親友」になるのか。私だって分かっているわけではない。
「私は、事実でも言い方がきついと落ち込むかなあ。あと、追い詰めるような話し方も逃げ道を塞がれるようでちょっとつらいかも。でも『私のためを思って』嘘をつかれたり隠されたりするよりは、事実を伝えられる方がいいよ。位坂くんは、どう?」
「俺も、嘘より事実が知りたい点は同じだな。言われ方で落ち込むことはないが、あまりにこちらを軽んじる態度なら腹が立つだろう。何を伝えるか以上に、どう伝えるかは大切なのだな。親しき仲にも礼儀ありで、関係に甘んじてはならない、か」
新たな学びを得たらしい表情に笑む。位坂が羽目を外して礼を失すとは思えないが、周囲と関わっていく上では知っていて損のないことだ。まだ気軽なやり取りまではいかないようだが、クラスにも馴染みつつある。欠けたものを埋めるのに、遅いことはない。今からだって十分にやり直せるはずだ。
「私に対してなら、とりあえず言ってみて。いやだったり、変えて欲しいところがあったりしたら言うから」
返しながら最後の角を曲がったところで、足を止める。うちのアパート前でビニール傘をもたげて二階の辺りを眺めているのは、黒いパーカー姿の男性だ。まさか、そちらから来るとは。
私達に遅れて、向こうも気づく。位坂はすぐ、私を隠すように前へ立った。
「位坂くん」
「家を知られてる以上は、ここで逃げても無駄だろう。話をするしかないが、いざとなったら逃げて警察を呼べ」
背中越しに伝えられた指示に、顔が強張るのが分かる。
「私だけ逃げるなんてできないよ」
「俺は鍛えていて頑丈だから、大丈夫だ」
そうは言っても、もし刃物を持っていたらどうするのだ。いくら鍛えていようと、刃物に勝てるほどではないだろう。
位坂、と向こうから呼ぶ声がして、びくりとする。声なんて覚えていないが、状況的に考えられる相手は一人だけだ。
剣道部らしい挨拶をした位坂に、荒れる息を落ち着けながら向こうを覗く。黒いフードを下ろした顔は、確かに墨木だった。
「翡川と話がしたいから、お前は外せ」
「いえ、それはできません」
墨木の要求を拒否した位坂に、視線を上げる。既に引退したとはいえ、相手は三年だ。剣道部は上下関係が特に厳しいらしいが、そんなことをして大丈夫なのか。
「いい度胸だな、位坂」
「位坂くん」
不安でシャツを引くと、位坂は肩越しに私を一瞥して向き直った。
「俺が離れたところで、状況は変わりません。俺は既に、先輩が昨日現場にいたことを知っていますから」
私がするはずだった役目を引き受けて、墨木と対峙する。もっとも、墨木がここにいるのが何よりの証拠だ。今更カマを掛ける必要はない。
「先輩は、なぜ現場にいたんですか」
位坂の陰から顔を出して尋ねた私に、墨木は肩で大きく息をして見せた。
「翡川こそ、どうしてあそこにいた?」
「私は、四年前に殺された子の親友だったんです。その妹が拐われたと知って、いてもたってもいられなくて」
「妹? あの子の?」
驚いた様子で予想外の返答をした墨木に、位坂と視線を交わす。そういえば、ニュースでは「中学生が拐われた」とは伝えられているが、それが美璃だとは公表されていない。近くによく知る相手がいなければ、知らない情報だった。ということは。
「先輩は、蓮士に頼まれて現場を確かめに来ていたのでは?」
意を決して尋ねた私に、墨木ははっきりと眉を顰めた。
「そんなわけないだろう。誰があんな奴に協力するか、やめてくれ」
吐き捨てるような答えは多分、嘘ではない。ただ侮蔑を含んだ物言いには、なんとなく胸の辺りがざわついた。私も憎んでいるから同じようなものなのに、来夏と会ったせいだろうか。憎み方に、正しいも間違いもない。
「ではなぜ現場に? 見に来ていただけなら、こうして翡川の家まで探り当てて来る必要はありません」
位坂の冷静な返しに、小さく頷く。そういえば、私の住所はどうやって調べたのだろう。聞きたかったが、話の腰を折りそうでひとまず控える。
「話す必要はない。ただ『俺を見た』と学校や警察に言わないで欲しいと言いに来ただけだ」
「どうして私の家が分かったんですか? 転校したのに」
もし小学校時代の情報を知っていたとしても、その家にはもう住んでいない。
「女友達に『告白しに行きたいけど家の場所が分からない』って言ったら、一日かからず情報が来た。出処は知らない」
明かされたのはとんでもない方法だが、確実ではある。恋に協力したい女子達が伝手を頼り、おそらくは年賀状のやり取りをしていた子にでも辿り着いたのだろう。本人は適当に「フラれた」と笑えば済むが、残りの高校生活を「墨木先輩をフッた人」として過ごす私のことを考えて欲しい。地獄ではないだろうか。
「メッセージや電話ではなく住所だったのは、証拠が残るのを恐れたからですね。週明けを待たなかったのは、緊急性が高かったから。そこまでする理由はなんですか」
「答える必要はない」
位坂の推理は当たっているようだが、核心に迫る問いには相変わらず答えない。ただ、信用するには情報が足りなさすぎる。
「私はまだ、先輩が蓮士に協力していないと信じていません。むしろ怪しく思っているくらいです。今回担当している刑事さんは知り合いなので、聞かれたら話すかもしれません」
「そんなことをしたら、どうなるか分かってんだろうな」
少し強く出た私に、墨木は睨みつけて凄む。初めて見る暗い表情にびくりとして、思わず身を引いた。
「先輩」
位坂は私へ傘を渡し、雨の中を墨木に一歩近づく。
「翡川に危害を加えたら、俺は自分に許された全てのものを利用して先輩を叩き潰します」
「ふざけんなよ、てめえは!」
荒れた声に最悪の予感がよぎったが、振り上げられた墨木の手は届く前に位坂に掴まれたようだった。
「上下関係を理由に、俺が全ての理不尽を受け入れるとは思わないでください。威嚇や脅しを受け入れるほど俺は弱くありませんし、友達を脅されて黙っているほど馬鹿でもありません」
四月を思い出す冷ややかで硬い声に、位坂の怒りを知る。ああ、そうか。怒っているのか。
「何が友達だ。お前みたいな変人と誰が好んで付き合うんだよ、調子乗ってんじゃねえぞ嫌われもんが!」
「そんなことありません!」
「おい、何やってんだお前ら!」
耐えきれず割り込もうとした背後から、聞き覚えのある声がした。ああ、しまった。おそるおそる振り向いた先に駆けつけたのは、予想どおり芳岡だった。
「墨木?」
私達を見回した芳岡はすぐに墨木に気づく。墨木も芳岡に気づき、位坂の手を振り払う。私達を睨みつけたあと、無言のまま足早に走り去った。
「家から出るなって言っただろ。何してんだ」
「ごめんなさい。分かってたんですけど、ちょっと、その……先輩に告白を、されてしまってて」
現場に行ったなんて口が裂けても言えない以上、利用させてもらうしかない。どうせ向こうだってそのつもりなのだ。これで痛み分けにしてやろうじゃないか。
「一人では断れないかもと心配だったから、友達に来てもらってたの。こちら、十組の位坂くん。位坂くん、こちら芳岡先生。小学校の時からお世話になってるの」
「はじめまして、位坂です」
折り目正しく挨拶をする位坂を傘に入れ、芳岡の反応を窺う。芳岡が嫌うタイプではないだろうが、分からない。
「うろついたりしてないだろうな」
「してないよ、家の前で待ち合わせしただけで」
「それならいい。君も早く帰りなさい、なるべく人通りの多いところを選んで」
溜め息交じりに指示を出す芳岡に、久しぶりに自分の傘を開いて脱す。芳岡を中に入れて、見送る側に移った。
「はい、失礼します。じゃあ」
「うん、ありがとう。すごく助かったよ」
挨拶を終えて踵を返した位坂を見送り、芳岡と部屋へ向かう。
「墨木と仲が良かったのか?」
「うーん、あんまり。学食でたまに会うくらいだったから、びっくりして。それで友達に頼ったの。まあもういいじゃない、断ったんだし。あと、お母さんには内緒ね」
致し方なかったとはいえ、嘘は嘘だ。これ以上広げるのは好ましくない。後期に入ってからのことを考えると気が重いが、墨木はこちらのことまで気遣ってくれなかったのだろう。それくらい、余裕がない。自分があそこにいたことが知られるのは困るのだ。
墨木にはああ言ったが、さっきの反応から見て蓮士の共犯者ではないだろう。あれが芝居なら上手いが、そんな器用なら最初から現場に姿を現すような浅はかな真似はしない。来夏が言っていた蓮士のいじめは多分事実で、相手は墨木。墨木は蓮士の痕跡を辿って本人に会おうとしていたのかもしれない。でも、たかが口止めのために殺人犯に? ちょっと普通では考えられない行動だが、それほどまでに焦る理由が何かあるのかもしれない。
「大丈夫か、いやなことでも言われたか」
「ああ、いや、大丈夫。告白なんて初めてだったから、ちょっとぼんやりしちゃっただけ」
心苦しい嘘を重ねながら外階段を上り終え、傘を畳む。
「ちょっと心配だから、今日は泊まってけ」
「分かった、そうする。じゃあ準備するね」
今は大人しく言うことを聞いておく方がいいだろう。罪悪感もあるし、ケンカをしたくはない。一息ついて、鍵を開けた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます