ブルーヘル 6



 天、奏斗、シオンは、蓮花(とたまき)に後始末を任せ、先に帰宅することになった。


『図書室で女子生徒に暴行しようとした教師を、臨時事務員が発見して止めた』というシナリオでもって蓮花が救急車を呼び、愛莉を搬送してもらい、警察の事情聴取を受け――ようやく解放されたのは翌早朝だったらしい。

 

 愛莉には天狗の神通力『人心掌握』でもって、蓮花の証言との辻褄合わせを行ってあり、くたびれた蓮花からは『任務完了、問題なし』とだけ連絡が来た。



 そうして、いつもの朝をようやく迎えたわけだが、便利屋ブルーヘブンにやってきたダイキチに「久しぶり」と挨拶をした天が、戸惑っている。


「おいぃ、ダイキチ〜」

 

 一緒に散歩行こうぜ、とリードを引いたものの、なぜか両足をこれでもかと踏ん張って、テコでも動かんぞ! の意思表示をしているからだ。抵抗しすぎて、ずれた首輪が頬肉をぎゅうと押しつぶし、変顔になっている。犬じゃなくて狐かな? と天は苦笑するしかない。


「あんだよー、ちょっと留守にしてただけじゃんかよぉ」

 

 ぶつくさ言ってみるが、ダイキチはプルプルと頭を振って、お前じゃない、と言う。

 そこへ、奏斗が二階から降りて来て、長のれんの向こうからひょこりと顔を出した。


「あれ? まだ散歩行ってなかったんすか」

「だってよぉ、見ろよこのダイキチを」


 ダイキチは奏斗を見るや、ふんす! と鼻を鳴らし、胸を張った。


「え?」

「あー、カナトがいいってか? うは~浮気ものめ~!」

「わん! ハッハッハッハ」

「しばらく俺がやってましたからね」


 奏斗が眉尻を下げながら、店番用のサンダルで店に降りる。ダイキチの手前の床に片膝を突いて、その頭をくしくしと撫でると、くぅ~んとダイキチが鳴いた。

 

「はは。じゃ、俺が散歩行きますよ」

「おう。任せた」


 天がリードと、いつものトートバックを手渡すと、奏斗は「ちょっと待っててな」とダイキチに話しかけながら、スニーカーに履き替えた。

 

 天は珍しく店先に出て、出かける二人の背中を見送る。


「……頼むぜ、ダイキチ」

 

 きっと彼は、奏斗が落ち込んでいるのが分かったのだろう。

 小さい体で、任せて! と言うかのように尻尾をぶんぶん振りながら、歩いていった。

 



 ◇ ◇ ◇


 


「結局、失踪した国語教師・酒井が起こした事件、になったかあ」


 平日の、ねこしょカフェ。

 いつもの特等席に集まった天と奏斗、シオンと蓮花は、事件から数日経って、ようやく改めて話をしていた。

 

 いじめによる柚月の自殺未遂と、中学教師による愛莉への暴行未遂(これは、たまきの隠ぺい工作も働いた)が同じ学校で起こったということで、固有名詞や個人名は伏せられているものの――どうせ近隣にはバレバレだ――各マスコミがセンセーショナルに書き立てていた。

 

「うん。おたまさんがめちゃくちゃ怒っててさあ。教育委員会が情報出し渋ったからって。自殺未遂も、怪しい教師の存在も」


 シオンがぶるりと震える自身の肩を、自分でさする。怒るたまきが、よほど怖かったのだろう。

 

「まあ、なかなか出しづらいだろぉ」

 天がそうフォローしてみるものの

「隠ぺい体質が治らない限り、学校内は密室のままだ。こんなの、氷山の一角だろう」

 蓮花はやはり、ぶった斬る。

 

「んまーなぁ……奴の家宅捜索したらボロボロ証拠出てきた、ってえげつねえよな」


 天が今日の朝刊の一面を見ながら、吐きそうな顔をした。


「あんなやつ……斬りたかった……」


 ぎりぎりと拳を握る蓮花を

「あー……あんなあレンカ、『鬼斬り』の異名まで持っちまったら、まともに暮らしていけなくなるぞ?」

 と天はガサガサと新聞を折り畳みつつなだめるも、真正面から強い抗議の目を向けられる。

「なぜだ」

「なぜっておめえ……その」

 

 言い淀む天の代わりに、ずず、とリンゴジュースを飲むシオンが蓮花の隣で

「鬼っていうのはね。言うなればあやかしのトップオブトップなんだよ。実力第一位のチャンピオンてやつね。だから、『鬼斬り』を倒したら俺が次のトップだっつって、二十四時間狙われちゃうわけ」

 しれっと言ってのけた。

 

「あーもう! シオン! お前もうちょっとこう、ぼかすとかさあ」

「ぼかしてどうすんのさ? 大体、前例ありまくりだし、ちょっと調べたら分かることだし」

「ぐうの音も出ねぇ」


 言葉に詰まる天の横で、奏斗が自分の手を見つめている。表と裏。ひっくり返して、戻して。まるで自分が自分であることを確かめるかのように。

 

「妖の、トップ……」


 奏斗はあれ以来、鬼に成る兆候は見られないものの、すっかり萎縮してしまっている。

 

 天は密かに、大学が夏休みで良かった、と息を吐く。ゆっくりと今の自分に慣れていけばいい、と見守っているわけだが――どうやらはるか昔の記憶を夢に見ることがあるらしく、うなされて安眠できていないのだけが心配である。今も、目の下に濃い隈ができている。


「しっかし、恐ろしかったよなあ、あの涅槃ねはんってやつは」


 話題の転換を試みた天のそんな言葉に、皆、余計に黙りこくった。

 

 ――本当に、恐ろしい術だったからだ。

 

 あの領域に捕らわれると、生への執着を失い、この世に帰りたいと思わないまま――切り離された空間で、あっという間に時が経っていた。本人が気づかぬうちに数十年過ごしていた、なんてことも十分ありえただろう。

 

「……それなんだけどね。酒呑童子が、そんな知恵持ってたかなあ?」


 買い物に出ていた光晴がせわしなく動きながら、天の背後にあるカウンターの中から会話に混じる。

 いつの間にか、戻ってきていたようだ。


「みっちー、帰ってたのか」

「ええ、ただいま、天さん。外、あっついですよ~」


 光晴はカウンターの上に荷物を置き、額の汗を拭きながら、がさごそとエコバッグから食料や洗剤を取り出している。

 奏斗が、そんな彼を軽く振り返る姿勢で見つめながら、ボソリと言う。


「天さん。もしかしてみっちーさんに名前と違うあだ名付けたのって」

「あー。えっとだな……そのー」


 またも言い淀む天の代わりに

「うん、そうだよカナト君」

 光晴がカウンターから出て、テーブルに歩み寄ってくる。

「名前はしゅの一種になりえるからね。天さんは、僕に気を遣ってくれたんだ」

「そ……か」

「今さらって思うかもしれないけど。ちゃんと、話すつもりだったんだよ」

「え」

「カナト君のことも、僕のことも」


 光晴はにこっと笑って、座っている奏斗の真横の床に片膝を突き、見上げた。

 薄茶色で少し濡れたようなその瞳が、奏斗の三白眼を捉えて離さないので――奏斗は椅子を後ろに出して体ごと、きちんとそれに向き直った。光晴はその様を見て、奏斗の膝にそっと手を乗せる。


「シオンの札、効いたの見たでしょ?」

「え、……はい」


 鬼に成っていく愛莉を止めた札は、後から光晴が作ったものだと聞いた。

 

「カナト君は、人間だよ。でも、もしも。もしも将来、なってしまうことがあったら」

 

 光晴はそう言うと、意を決した様子で立ち上がり――奏斗の首に、ぎゅうっと抱き着いた。

 

「っ!? みっちーさ……」

「僕が、止める! 絶対、止めるって約束する! だから君は、ずーっと、カナト君のままだよ!」


 奏斗の耳元で、光晴の本心が、叫んでいた。

 

「だから、信じて? 大丈夫だよ!」


 途端に、奏斗の両眼から、涙が溢れる。

 

 不安と恐れ。また否定されるのではないか。いらないと言われるのではないか。

 どうなるか分からない。自分の力が怖い。――それでも、ここに居たい。愛したいし、愛されたい。


 光晴にとっては、そう脅える奏斗が、愛しくてたまらない。

 

 力を誇示して弱者を蹂躙じゅうりんし、欲望のおもむくまま生きていくこともできる力を、持っているというのに。

 繊細で臆病で心優しい彼を、心の底から大切にしたい――そんな気持ちがとめどもなく溢れて、光晴は体を離すと奏斗の頬に手を添え、額に額をくっつけた。そこにつのなんかないよ、の意味を込めて。


「大好きだよ、カナト君。だーいすき! ずっとずっと、僕の側にいて」


 奏斗は、光晴の手に自身の手を重ねて、それに応える。

 

「っ、はい、はい……おれも、っ大好きです! ずっと、側にいます!」

 

 額を付けたまま見つめ合う――そんなふたりから目を逸らして、蓮花とシオンは微笑み合った。

 

 一方、奏斗の背後でテーブルに肘を突いて見守っていた天は

「あーこりゃ、次は結婚か? バージンロード、俺、歩いちゃう!?」

 といつものニヤケ顔でからかった。

 

「け、っこ、……!?」

 途端に動揺して真っ赤になる光晴の手を

「天さん……俺が嫁、ってのになんでかこだわりますよね」

 奏斗は今度こそ逃げられないように、しっかり握ったままだ。

 

「嫁だし」

「違うし」

 

 案の定光晴は、この隙に逃げようと慌てて立ち上がってみたものの――ワタワタした挙句、奏斗の膝の上に倒れ込んだ。

 

「っ……ごめっ!」

 

 奏斗は無言で、そのまま持ち上げた光晴を膝の上に座らせ、後ろからその細い腰に両腕を巻き付けた。

 

「逃がさねーし」

「はうっ」

 

 光晴が、恥ずかしさのあまり真っ赤になって両手で顔を覆うのを、シオンがニヤニヤしながら眺めている。

 

「んまあでも、結婚てある意味地獄だっていうしなあ」

 そんな奏斗を見て、ニヒヒと笑う天にはシオンが

「それを言うなら、人生の墓場でしょ。ほんっとバカなんだから」

 心底呆れて物を言う。

「ああ!?」

「大体、天が悪いよね。はじめからちゃんとカナトに話しといたらよかったじゃん」

 シオンのその言葉には

「それはそうだな」

 蓮花が同意し

「こればっかりは、そうだね……」

 光晴が頷き

「無駄に過保護なんすよね」

 奏斗がとどめを刺す。

 

「ふご! なにこれ! 言葉責め地獄!?」

 

 ぐああああ、と頭を抱える天を見て、皆でゲラゲラ笑う。


 はあ、と大きく息を吐いて安心した様子の奏斗が、光晴の背中に鼻を埋めながら「みんな、大好きだ……」と呟く。

 

 光晴は、腰に回された奏斗の拳を上から握りしめ、天は横から頭をぐしゃぐしゃ撫でた。

 猫になったシオンが光晴の肩の上から奏斗の頬をぺろぺろ舐め、蓮花が「それはそうと、焼肉いつにしようか。疲れたし肉、食べたいぞ」と笑う。


「おう、二神も呼ばねえとだな……あ、花嫁は蓮花のが先かぁ?」

「っ、ふざけるな天」

「いやーでもイイ感じ……」

「おい。酒呑童子を斬れば『童子切』、天狗を斬れば、何になるんだ?」

「げっ」

「あー、天狗斬り、すかねぇ?」

「天さん、今のうちに謝った方が……」

「げげげ! レンカごめん、今のはなかったことに」

「鬼斬りだと都合悪いが、天狗斬りは箔が付くかもな」

「ぎえぇ! 地獄行きはご勘弁!」


 ガタン、と椅子から立ち上がった天が、だだだと走って逃げていく。


「こういう時に『縮地しゅくち』使わないのが、天らしいよね」


 シオンが言って、皆でまた笑った。



 

 ◇ ◇ ◇

 

 


 病院で目を覚ました柚月の目に真っ先に映ったのは、何十歳も老け込んだかのような、母親の顔だった。

 

 起きてくれてありがとう、ごめんね、と強く抱きしめられ、泣かれ。そうしてようやく、自分が母親に愛されていることを柚月は実感した。


 『名指し』でノートに書かれていた生徒たちは、結局『未来ある若者だから』と、口頭で厳重注意を受けるに留まった。

 殊勝に謝るふりをしたり、不貞腐れたり、何もやってないのにと逆ギレしたり。

 何人かは転校していき、先生たちは柚月を腫物はれもの扱いするだろうが、あと一年だしな、と割り切ることにした。

 

 一方愛莉は、腕に蒙古斑のような大きな青痣が残り、本人いわく、以前のように美少女だなんだと持ち上げられることがなくなったそうだ。

 

「みんな、勝手だよね。でも楽になった~! ナンパされても、これ見せたら及び腰になるんだもん。病気じゃないっての。ダッサ!」

 

 強く笑って見せてはいるが、内心深く傷ついているのは、柚月も分かっている。


 ふたりは以前のように仲良くなり、迎えた夏休み最後の登校日。

 退院し、「無理しないでいいのよ」という母親を安心させるために登校することを決め、いつもの通学路を歩きながら、柚月は思う。

 

 

 ――『未来ある若者』って言うけど、ここで更生できなかったら、また別の人間を傷つけるじゃん。

 未来を奪うのは、どっち? 罰すること? 罰さないこと? どちらにせよ、私の傷は絶対に癒えない。私の未来はどうでも良いのかな。

 

 

 ――ほうらね。現実は、地獄だろう。

 

 

 くつくつと、どこかで美しい鬼が笑っている。

 

 

 ――おれが鬼だって言うけどね。皆が皆、心を鬼にしながら、生きているのさ。



 ――うん。あのノートを使うことで私が失ったのは、『希望』なんだね。

 


「柚月ー?」


 どこまでも青い空が、頭上からこちらを見ている。

 柚月にとってそれは、まるで逃げ場のない、青い蓋のように思われた。

 

 なるほどこの世は、逃げようのない青い地獄。皆が皆、その中で小さく生きているだけだ。

 ならもう気負わず、行けるまで好きに生きればいいかと思い至り、


「ごめん愛莉。今、いくー」


 柚月は一歩、踏み出す。

 


 美しい鬼に、心の中で『ありがとう』と告げながら。


 


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 お読み頂き、ありがとうございました。

 アオハル、青い地獄、そして青天。

 ラストエピソード『ブルーヘル』いかがでしたでしょうか。

 

 エピローグ+あとがき(ネタバレ)に続きます。

 

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