ブルーヘル 5


 ※血が苦手な方は、ご注意ください。



 

 ◇ ◇ ◇



 

「な!」

「なにしにきやがったっ」


 動揺する蓮花と天に、奏斗が

「助けに」

 端的に言う。

 

「……ばっかやろうが」

 天が唸るように返すと、

「な~に言ってんの、大ピンチじゃんか~」

 苦笑しながら言うシオンの手の中には、何枚かのお札がある。

 素早く指で印を切り、

「封」

 と言いながらそれらを飛ばすと、愛莉の腕に貼り付いた。涙でぐしゃぐしゃの顔で動揺していた愛莉は、不思議そうにそれを見た後で、がくりと気を失う。

 咄嗟に蓮花が刀から手を離し、崩れた愛莉の上半身を受け止めて支えた。床に落ちた蓮華は奏斗が拾い、心配そうに愛莉の様子を蓮花の頭上から覗き込む。


「さ、君も。もう大丈夫だから、元の場所へおかえり」


 シオンの琥珀の目が、柚月を真っ直ぐに見据えて言う。

 

「え」

「……体と魂を繋ぐ糸が、切れかけてる。時間がないよ」

「でも」

「優しいね。君の心はとても綺麗。見てごらん」


 柚月からすると、シオンは突然現れた、同い年ぐらいの見知らぬ男の子である。

 そんな彼が、目の前に差し出す両の手のひらから、きらきらと光る不思議な紫の蝶々が生まれ――ひらひらと飛ぶ。


「道案内してくれるから。追いかけてね」

「わかった」

 

 夢見心地で頷く柚月の形が――薄らいで、やがて消えた。


「こちらも落ち着いている。さすがだな」

 蓮花が、愛莉の体を丁寧に床へ横たえながら言うと、シオンがドヤ顔をする。

「へへ。あるじ特製のお札だからね」

 一方で

「助けはありがたいけどよぉ」

 んあああ! と肩から力を抜いて、体の前にだらりと両腕を垂らす天に、奏斗は

「ったく。二日も留守にしといて、バカ呼ばわりとか」

 と呆れた声を掛けた。

「二日ぁ!? そんなに時が経ってたのか……!」

 

 唖然とする天に向かって、奏斗はやれやれと肩をすくませながら、無造作に片手で持てるぐらいの大きさのを掲げる。首の部分に赤い飾り紐が付いていて、ツヤツヤと光っている。


「そっすよ。はいこれ、持ってきた」

「まーじかー……すまねー、助かる」


 天は飾り紐に手を通し、その首を掴むやポンッと蓋を親指でと、慣れた手つきで腕にひょうたんを乗せ、ゴッゴッゴッゴ! と中身をあおった。


「ぷは~! きっくー!」


 やがて、天の首に浮かんでいた術の痕が消えていく。

 ふんっと肩に力を入れると、顔が赤くなり鼻が伸び――神通力が戻ったのを確かめた天は、雑に手の甲で口を拭き、ひょうたんを作業ズボンのベルトループに括りつけた。腰に巻いていた作業着は、愛莉の膝あたりに掛けてやる。

 

「まんまとハマっちゃってまあ。天狗酒ぐらい持って歩きなって。油断しすぎ」


 それを見ながら言う、呆れ顔のシオンの正論に、天は当然何も言い返せない。


「うぐう!」


 さすがに蓮花が後ろめたくなり

「すまない。私の封印を解くのに、天の力を使い切ったんだ」

 と言うも

「あ、レンカは悪くないからね」

「天さんのせいっす」

 ふたりは容赦なかった。

 

「おまえらなぁ……」

 

 軽口を叩きながら、さてこの後どうするかの相談を始めた矢先、一人の男性が、図書室の戸口からひょこりと顔を出した。

「おや? まだ残られていたんですね」

 眼鏡をかけている三十代ぐらいの男性教諭で、地味で冴えない風貌ふうぼうだ。

 

「ええと、カスミさん、でしたかね。そろそろ閉門の時間ですよ。こちらの方々はどちら様でしょうか」

「酒井先生、すみません」

 咄嗟に返事をする蓮花だが、天は眉をしかめ

「……うまいこと化けたなあ」

 とうめいた。

 

「はい?」

「詰めがんだよ。本物の教師なら、倒れてる生徒をまず心配すんだろが」


 天の言葉にハッとなり、一気に緊張感を高める蓮花、シオン、奏斗。

 酒井はさもおかしなものを見たかのように肩を揺らしてくつくつと笑い、

「さすが大天狗様だね」

 おもむろに眼鏡を取るや――その見た目がたちまち変化した。青く長い髪が生え、めきめきと体が分厚くなり、背も天と同じぐらいまでぐんぐん伸びていく。白いポロシャツのボタンがいくつかはじけ飛んで、襟の間から胸筋が見えた。

 凛々しい弓なりの眉に、涼し気な目元。通った鼻筋にやけに赤く薄い唇。そして――額の上方中央に堂々生える、太い一本角。

 先ほどまでの存在感の薄さはなんだったのだろうか、と思うほどの威圧が全身から放たれ、たちまち全員の動きが封じられた。


「酒呑童子……!」

 

 ぶわりと総毛立つシオンは、銀毛の耳と二本の尾を生やし、琥珀色の瞳孔を見開いてそう言った後、二の句が告げず絶句している。

 

「こ、これが!?」

 驚いて後ずさる奏斗の横で

「なんて禍々まがまがしい、鬼の気!」

 蓮花が愛莉をかばうように仁王立ちになった。


 この場にいる全員を順番にゆっくりと見る酒井――酒呑童子は、口角に笑みを浮かべ、奏斗の前で目を留めた。

 

「ウクックック。やあ、久しぶりだね。会いたかったよ、鬼童丸きどうまる

「き、どう?」


 奏斗はその名にピンと来ず、首を傾げる。

 

「おや、教えていなかったのかい、天」

「るせえ!」

「天さん……俺、鬼じゃないって」

「鬼じゃねえ!」

「でも、でも……え? な、んだ、こ、れ……」


 舌なめずりをする酒呑童子は、さもおかしそうに奏斗を見つめているだけだ。

 

「カナトッ!」

「ウクックック。騒ぐだろ。たぎるだろ」

 

 奏斗が、突然呻き声を上げる。苦し気に左手で胸のあたりの服を掴み、右手で額を押さえ始めた。

 ぐるるるる、と唸る口角からは、唾液が垂れる。


「喰いたいだろう――特に活きの良い若い女が好きだったよなぁ」

「なっ!」


 蓮花は蓮華が未だ奏斗の手中にあるのを見て、焦りつつも背後に注意を払う。愛莉が寝かされているからだ。

 人を喰えば、鬼に成る――天は、歯をぎりりと噛みしめた。

 

「くそ……シオン! なんでカナト連れてきた!」

「だって! 連れて行かないとひょうたんの場所教えないって言うんだもん!」

「なっ、んだそれ! 俺のせいじゃねえか!」

「ぐる、ぐるるる、んあああ!」

 

 奏斗が苦しみながら、左右に何度も頭を振る。よろめき、首を振り、よろよろと歩き回る格好になった。

 口角には、伸びた犬歯がその鋭さを見せ、額もぼこぼこと波打っている。

 ぶんぶん、と頭を振るたびに汗と血が飛び散る――唇を強く噛みしめて切れたのだろう。顎に血が流れている。

 

 そんな奏斗の姿を見て、恍惚とした表情で両腕を広げながら、酒呑童子が誘う。


「また、昔みたいにふたりで暴れようや。なあ鬼童丸」

「お……れは、カナト、だ」

「いやぁ、その顔、その身体、その匂い。間違いない、鬼童丸だよ」


 最凶最悪の鬼が放つ気に気圧けおされて、誰も動けない。

 

「覇気だけで天狗を縛るたぁ。やるじゃ、ねえか」


 が、たった一人、天だけがぎしぎしとその腕を無理やり動かす。

 

「さ~すが、大天狗。これでも動けるなんてすごいなぁ。でも、こうしたらどうかな?」


 ぶわり。

 芳醇ほうじゅんな香りが、酒呑童子から吹き出てきた。


「また、行っておいでよ。楽しかったでしょ、涅槃ねはんは」

「んなの、にせもんじゃねえか!」

「そうでもないよ。そこにいる者がここはそうだ、って思ったら、そうなるんだから」

「だめ! 真理! 聞くな、天!」


 シオンが身をよじりながらかろうじて声を発したことで、天は言霊ことだまを跳ねのけることができた。

 それを見た酒呑童子が、今度はシオンに目を移し、近づいていく。


「小生意気な猫又だねぇ。今日、あるじはどうしたんだい? 会いたかったんだけど」

「っ! だれが、あわせ、るかっ」

「ウクックック。まあ、そのうち、そのうち」


 瞳孔の開ききったその眼を楽しそうに覗きこみながら、見せつけるように掲げる手からは――黒い爪がめきめきと鋭く伸びる。その尖った先を、勿体ぶりながらシオンへと向けた。

 蓮花は愛莉を庇っているため動けず、奏斗は脂汗を垂らしながら悶え苦しんでいる。


 天が、鋭く叫ぶ。


「シオン!」


 

 ザン。



 ――宙を、赤黒い液体が舞った。



 

 ◇ ◇ ◇




 作物もまばらな茶色い土畑の中に、木で建てられた粗末な小屋がぽつんとある。その中から、おんおんと男の泣く声がする。

  

鬼童丸きどうまるは、見た目は赤くて恐ろしい顔をしているし、角も二本あるけれど、心優しくて良い奴だよ。安心して幸せにね』


 鬼童丸きどうまるはそう書かれたふみを握りしめて、いつまでも、いつまでも泣いていた。


「……んなの、全然嬉しくない……俺は、俺は……お前も、一緒に……」

 

 その横で、男の背を愛おしそうにさすり、寄り添う着物姿の女性の腹は、丸く大きい。


「……俺は……俺の子を育てるよ……お前が寂しくないように。きっと、いつか会える……」



 

 ◇ ◇ ◇


 


 むせかえるような鉄の匂いが漂う中、ギリギリと筋肉のきしむ音だけが、図書室に響いている。


「……みっちーさんには、ぜってぇ会わせてやらねっ」

 

 きらめく鋼を赤黒い液体が伝い落ち、カーペットの床にぽつぽつと絶え間なく赤い円模様を作っている。

 

 酒呑童子が握って止めたのは、蓮華――蓮花の持つ、対妖の退魔刀だ。それが今、赤い液体で濡れている。

 鬼の血と涅槃香が混ざった、えもいわれぬ甘い香りが奏斗を『鬼に成れ』と誘惑してくるが、負けじと叫ぶ。

 

「人は! 殺して喰うより、一緒に飯を食う方が美味いんだよ!」

「ウクックック。思い出したか! やあ、やあ! あな、うれし!」


 シオンを助けようと、奏斗ががむしゃらに振ったそれを、刃ごと掴んで止めた酒呑童子。

 奏斗は握る刀に込めた自身の力と、自分のしたことの恐ろしさに震えながら、問う。

 

「なんで! こんなこと、したんだよ!」

「この教師が、おれを起こしたからさ」

 

 ウクックック、と笑う声には、変わらず張りがある。

 手のひらが深く切れ、出血量が増しているにも関わらず――奏斗が蓮華を動かそうとしても、びくりともしない。


「せっかく首塚で気持ちよく寝てたんだけどね。ま、退屈だったし? 久しぶりに下界へ降りるのも良いかと思って。世の中色々変わってて驚いたけど、人間の心は変わらんね」

 

 悠然と話す鬼の言葉を聞き、シオンがひとりごとのように言う。

 

「それが本当だとしたら、こいつはなぜ、そんなことができたんだ……封印されていた鬼を起こすだなんて、ちょっとやそっとじゃ……!」

「うん、猫又の言う通りだね。こいつはこう見えて、なかなかの悪童でなあ。体中に若い女の匂いがたくさん染みついてたのさ。それこそ、おれが腹をかして起きるぐらいにね。中学教師ってのは、周りに活きの良いのがたくさんいるもんなあ」


 蓮花が、途端に吐きそうな顔をする。

 

「外道がっ!」

 

 この教師が何をしてきたのかは、火を見るよりも明らかだ。この場にいる全員に、瞬間で怒りと嫌悪感が湧いた。


「捕まりそうだから自棄やけになって逃げてきたって言うから、魂ごと喰らって楽にしてやったのさ。代わりに知識と体を手に入れられたよ。ウクックック」


 蓮花が、愛莉を庇う姿勢のままで

「なら、そいつを喰らうだけで良かっただろう! なんでこんな」

 と吼えると、酒呑童子はさも当然とばかりに

「そんなの、楽しいからだよ。酒に女、遊んで殺す。ひっかきまわして、むさぼり喰って。それが鬼の所業さ。何をいまさら」

 くつくつと笑い、ようやく刃から手を離した。

 

 ど、と切っ先が床に着くと、それを見計らった蓮花が、サッと奏斗の手から刀を取り戻す。

 脱力した奏斗は、波打つ額を押さえた姿勢で、肩で息をしながらかろうじて立っている。


 酒呑童子は、ふうと大きく息を吐くと、切なそうな表情で改めて奏斗を見やった。

 

「なあ鬼童丸。また仲良く……」

「俺は、カナトだ! 誰がおまえなんかと!」

「つれないねえ。ま、そんなこったろうと思ったけどね」


 肩をすくめ、ぼたぼたと血の垂れる手をべろりと舐めながら、愉しそうにその目を今度は天へと向ける。

 

「本当に、よくしつけてるなあ、天」

「あ? 躾ちゃいねえよ、それがカナトだ」

「鬼を飼う天狗なんて、最強じゃないか。何するつもり?」

「便利屋」


 あまりの即答に、きょとん、と酒呑童子がその舌と動きを止めた。


「べんりや?」

「おう。何でも便利にお助けするぜ、断らないのがモットーですってな」

「本気?」

「本気。あとカナトは鬼じゃねえし飼ってもねえ。人間の同居人だ」

「ウクックック。あーっはっはっはっは!」

 

 途端に一気に術が解け、全員楽に動けるようになった。


「おっかしいなあ。ほんと、面白い……ま、おれの目的は一応果たしたから。今回はこれで解放してあげるよ」

「目的?」

「鬼童丸を起こすことに、決まってるじゃないか」

「……それだけじゃねえだろ」

「ウクックック。あ、そこの可愛い子」


 ゆうらり、と血だらけの手で、酒呑童子は蓮花を指さした。顎から首にかけて自身の血で染まった青い鬼は、術が解けてもただそこに居るだけで畏怖を発する。

 蓮花はその気にあてられ、到底蓮華を構えることはできず、ただただ相対し震えていた。


童子切どうじぎり、とまではいかないけどね。それは、おれからの餞別せんべつ。鬼童丸を頼むよ」

「な!」


 蓮花の手の中には、最強の蓮華がある。


「君のかたきは、手ごわいからねえ」

「っ! どういうことだっ」

「クック、くわばら〜、くわばらっ」



 ――ふざけた声音のみを残して、圧倒的な存在感がすうっと消えていく。



「くっ」

「あーあ。逃げ足も、速ぇなあ。ふう。折伏しゃくぶく!」

 

 天が羽団扇を一閃するや、図書室を満たしていた甘い香りが、ごうっと音を立ててかき消えた。

 それを見てようやく「だはー」と天は床に片膝を突いた。体中汗まみれだ。

 

「さすが、見事だね……あー僕ももう無理にゃー」


 シオンがボンと猫に戻り、天の肩の上にととっと駆け上がるや、だらりと力を抜いた。

 蓮花が振り返り、愛莉の様子を窺う。


 奏斗は、消えた酒呑童子が立っていた場所を見つめて、

「……外道げどう丸」

 呆然と、佇んでいた。

 



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 お読み頂き、ありがとうございました。

『泣いた赤鬼』のお話、ご存じでしょうか。

 私はこのお話が切なくて、切なくて。いつも、泣いてしまいます。


 このお話の酒呑童子は青い鬼。

 奏斗(鬼童丸)は赤い鬼です。

 お気づきでしたでしょうか。


 ――ブルーヘブンなのに、天狗も鬼も赤じゃん、て今更気づいた絶望感を、皆様にも共有させて頂きます。

 ま、『青井 天』なんて名前の天さんのせいなんですけどね。

 

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