ブルーヘル 4



「人が好きって気持ちは、全く理解できないなあ」

「そう? か弱くて、笑顔が可愛い。話も面白い」

「殺して食う方が美味い」

「はは! 一緒に飯を食う方が美味いぞ」

「そうかあ?」

「そうだよ」


 ――じゃあ、好きにしてみなよ。協力してやるからさ。

 



 ◇ ◇ ◇




「レンカ! レンカ!」


 図書室の窓際に設けられた自習スペースで、天は蓮花を発見した。

 床に直接座り両足を投げ出し、本棚に背を預けてぼんやりと窓を見上げている。その瞳に光も力もないが、恍惚とした表情に見える。

 天は近くの床に片膝を突き、蓮花の肩を叩きながら声を掛けてみるが、反応はない。代わりに、だらりと投げ出された手のひらから、じわじわと白い煙のような何かが立ち上って、うっすら宙に消えていっている。


「あーくそ、こいつもしゅかぃ」


 蓮花の左の手のひらの親指の付け根には、青い蓮の花の痣があるはずだが――それが消えている。退魔能力が封じられている証拠だ。

 

 この空間に漂っている芳醇ほうじゅんな香りは、羽奈が必死に封じようとしていたあの『涅槃香ねはんこう』によく似ていた。

 天は蓮花の様子を見ながら周囲を丹念に観察する。窓の外には異様に暗い空と、ひまわり畑、その脇の濁った池と古い用具倉庫が見える。

 今のところ人影も人の気配も感じられない。


「どうなってやがる……」


 いくら鬼の力が強いとはいえ、これだけの隔離領域を展開するための、源泉があるはずだ。

 それを見つけて破壊するのが、定石じょうせき。だが天は、ここにある強烈な違和感をぬぐえなかった。


「なぜ、苦しまない?」


 蓮花の顔は、見た目だけで言えば、なのだ。

 普通ならできる限りぎりぎりまで苦しめて魂を取り出し、その苦悩ごとむさぼるのが鬼のたのしみ方だ。だが、どうやらそうではない。うっとりと上気した頬は、高揚感と幸福感に満たされているのではと思えてならないのだ。おまけに蓮花には、天の呼びかけにも応じる様子がない。ここから出ようとする意志がまったく見えないのだ。


「レンカ……おまえ、もういいのかよ?」


 天は、静かに語りかけてみる。


「レンゲのために、生きてきたんだろう?」


 消えた青い痣を探すように、天は蓮花の手を握って持ち上げ、手のひらに目を落とす。痣には『蓮華れんげ』と呼ばれている、退魔の日本刀が眠っているのだ。

 蓮花は、その蓮華でもって、数々のあやかしを斬ってきた――その指先が、『蓮華』の名前でようやくぴくりと反応する。ぐ、と痣のあたりを握る。力をこめて、さとす。

 

り残してること、いっぱいあるだろ」


 ぴく、ぴく。

 

「お前が帰らねぇと、みんな悲しむぞ……特に二神な。あいつ、レンカと一緒に焼肉行くの、めちゃくちゃ楽しみにしてんだぞ」


 光晴のお疲れ様会は、二神の出張で延期になっている。僕抜きでどうぞ、と殊勝しゅしょうなことを言ったエリートサラリーマンに、「出張お疲れ様会も兼ねよう」と提案したのは、なんと蓮花自身だ。


「二神が泣いたら、めんどくせえぞ~。俺、あんなの慰めんの、ぜってえ嫌だかんな?」


 びくり、と蓮花の頬が動いたのを見て、天は大きくすーっと息を吸ったかと思うと――


「レンカさん! なんで帰って来ないんですか!? 僕、焼肉行くのとても楽しみにしてるんですよ! お願いしますから、帰って来てくださいっ」

 

 渾身の『二神』を披露した。

 すると、はあ~と蓮花の唇が開き――


「……バカ」


 と一言漏れた後、目が開いた。

 何度かまばたきを繰り返してから、天を見上げる。

 目が合い、こくん、と頷く彼女の瞳には、光が戻っている。

 

「おう。どうよ、似てただろ?」


 にやりと笑う天に、蓮花は

「はあ……すまん、天」

 ただ静かに、頭を下げた。

「いいや。俺はまた人間を好きになったよ」

 

 

 ――生きている人間への想いは、何よりも強い。尊いなあ。い、愛い。


 

 天は、残った力を惜しみなく蓮花の手のひらに流し込んだ。

「っ……」

 一瞬痛そうな顔をした蓮花だが――天の握った手を握り返し、また開くと、蓮の花の青痣が戻っている。

 

 それを見てニヤリと笑う天が、と立ち上がって伸びをした。

 


「さあて。分かってること、教えてくれ」

「……うむ。ここは恐らくあの生徒の術で生み出された……」


 

 

 ◇ ◇ ◇




 温かくて、心地よい湯にかっているようだ。

 おまけに、とても良い匂いがする。

 

 ここでは、誰も私を否定しない。

 誰にも気持ち悪いと言われない。

 ずっとここに居たい。

 ずっとずっと。


 

「……き」

 

 

 ――?



「ゆづき」



 ――あいり?



「うん。ごめんね」



 ――なんで?



「人は、どこまでも残酷になれるんだね。わたし、知らなかったよ、柚月が苦しんでるの。それで傷ついて居なくなったとしても、誰も気づかないなんて。自分のせいじゃないとか、馬鹿にして終わらせるとか。本当に罪だなって。――だから、わたしが頼んだんだ。、って」



 ――え……



「柚月のママ、ずっと病院で泣いているよ。そろそろ戻ってあげて」



 ――びょう、いん


 

「うん。柚月、。生き霊になって学校をウロウロしてたでしょ。みんな幽霊だ、呪われるって騒いでる。わたし、それが柚月だって分かってさ。だからあの時、帰りなよって言いたかったの」



 ――そっか、あの呼ばれた時……でも、いやだよ。辛いもん。


 

「大丈夫だよ。柚月のことね、大問題になってる」



 ――私のこと、嫌いになったでしょ。



「ううん。友達なのに、気づかなくてゴメンって思った」



 ――別に……



「みんなさぁ、毎日つまんないとか親がむかつくとか、ゲームさせてくんないしお小遣いも少ないとか? くだらない不満がすごくて。イラついて柚月にあたってたみたい。あと、マウントの快感とか、退屈しのぎね」



 ――そ、んなことで……?



「ね。呆れるよね。だから、そいつら閉じ込めて幸せにしてあげたらいい、って願った」

 


 柚月の形が、はっきりと図書室に現れたその時。

 愛莉もまた、図書室にいた。

 柚月は真正面から相対し、幼馴染に問う。



「幸せ、てどういうこと? 罰を与えるんじゃなくって?」

「満たされたら、他人のことなんてどうでも良くなるもん。実際みんな幸せそうだよ? 様子が変だからって、前より親に気にかけてもらえるようになったって。ばっかみたい!」

 


 冷えた目の愛莉を目の前にして、柚月は戦慄していた。

 大きく可愛いと思っていた目が恐ろしいと、初めて思った。


 

「あーあ。みんなさ、わたしが好きだよって伝えると、それで満足しておしまいなんだよね」

 

 愛莉は、話しながらゆっくりと柚月に近づいてくる。

 制服のスカートが、揺れる。存在に、思わずあとずさりしたくなるのを、かろうじて耐える。


「わたしが見つめたら、幸せそうな顔をする。けど、わたしは全然幸せじゃない。気持ち悪い。みんな、親ですら、わたしのことばかり欲しがって。ほんっと気持ちが悪い」

「愛莉」

「だから、柚月が羨ましかった。ひとり、誰にも相手にされずにいられる。自由で、自分の意思で死ぬことだってできる。わたしは……わたしはいつも、みんなの理想の中で、がんじがらめにしか生きられない」

「っ……」

 

 鼻先が触れ合う距離で、愛莉は立ち止まって、微笑んだ。


「ね。こちら側も、。でしょ?」

「ああああ」

 


 ぐあん、と空間が歪む。



「あーあ。絶望しちゃった? もう戻りなよ。あとはわたしのものだから」

「あいりっ!?」

「バイバイ、柚月」


 

 しゅおおおおお、と愛莉の振る手のひらの中へ、ぐるぐると円を描くように見慣れた図書室が吸い込まれて――



「……そうはさせねっ」

ざんっ!」


 

 柚月の目の前で、歪んだ本棚が真っ二つに斬られたかと思うと、赤い長髪の大男と、黒髪ポニーテールの女性が突如として視界に現れた。

 

 女性は、日本刀を振りぬいた姿勢だったのを、身を起こして剣先を返しつかを左手に持ち変え、抜身のまま納める。

 大男は、後頭部をぼりぼりかきながら、ニヤケ面で気安く話しかけてくる。

 

「ふぃ~、助かったぜえ。あいりちゃん、て言ったか。その子に未練が残ってたお陰で、なんとか出られたぞ」

「……」


 ぎりり、とにらみつける愛莉の一方で、柚月は驚いている。

 

「えっ、事務員さん? と、誰!?」

「真島さん。……あなた生き霊だったんですね。なるほど、だから妙な気配だったのか。ここまで具現化しているとなると――死の淵を彷徨さまよいましたか」

「蓮花は、霊とか魂は苦手だもんなあ。あ、俺は天。助けに来たぞ~よろしくな」

「私は、あやかし専門ですから」


 ぽかん顔の柚月は、訳が分からない。


「なん、なんで」

「ふうむ? 酒呑童子がそそのかしたのは、生き霊の子が先か。匂いが強い」

「ええ。命を懸けたその続きを引き受けたのが」

「うん。わたし」


 にこ、と愛莉が笑う。


「柚月ったら、ノート書き終わらないうちに死んじゃおうとするんだもん。残りはどうするのかと思ったら、生き霊になってまで書き続けてさ。ほんっといっつも中途半端なんだから。そんなんじゃ術は完成しないし、もったいないから」

「二段構えたぁやるなあ、酒呑の野郎」

「感心してる場合か」


 蓮花が、じっと愛莉を見据える。


「それであなた……どうする気だったの?」

「え?」

「鬼とえにしを結ぶだなんて、安易にすることじゃない」

「ふふ。説教?」

「あなたは、自分の傲慢ごうまんさに気づいていない」

「るっさいなぁ」


 ちゃき、と蓮花がつば音を鳴らす。


「……さっきまで良いことを言ってた風だけど、その実あなたは、友達の命を利用した」

「捨てようとしてたのを使って、何が悪いの?」

「悪くはない。ただ、あなたは人の心を――捨ててしまった」


 ひゅ、と息を止める愛莉の右腕が、指先から徐々に青黒く染まっていく。それを見た愛莉本人は、血相を変えた。


「な、なにこれ! なによこれっ!」

「鬼になるのは、あなたの方」


 いつの間にか、蓮花が両手で刀を持ち、脇構え――右こぶしを右腰に当てるようにして、刀身を背後に隠す――をしている。

 

「うそ、うそ、い、や……ちがう!」

「違わない。人を捨て、真島さんの魂を捧げたそれは、『鬼成りの術』だ」

「ちがう! ちがう!! わたしは! ただ!」


 愛莉が、自分の腕を見ながら泣き叫ぶ。

 いやいやと頭を振り、震える膝が身体を支えきれず、床に両膝を突いた。制服のスカートが、ぐしゃりとなる。

 額が痛むのか、両手でふさぐように覆いながら

「いやあああああああああ!!」

 と悲痛な絶叫を上げる。


「角が生え始めている……手遅れだな。天、鬼に成ったら、斬るぞ」

「……ぐ」

「え、なん、だめ、だめだよ」


 呆然としながら呟く柚月の発言は、無視された。


「……しゃあねえ」

「うそ、うそ」

「いやあああああ! ちがう! やめてえ、鬼になんかっ!」


 そこへ突如として響いたのは。

 

 

 ――ウクックック。ハァーッハッハッハ!

 


 男の笑い声だ。


「っ! 酒呑童子! どこにいやがる!」

 近くにいる、と確信した天が振り向いた視線の先には、図書室の無機質なスチールの引き戸。

 

 そこがガラリと開いたかと思うと。


「天さん!」

「天っ!」



  ――奏斗とシオンが飛び込んできた。


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