ブルーヘル 3
「おぉ~? 特に変わったところは……ねえけどなあ」
白Tシャツに、作業ズボン。髪を後ろでしばり、頭にタオルを巻いた天が訪れた中学校は、蓮花が先に潜入している、その場所だ。
戻らなくなって三日が経っている。
後ろポケットに軍手、腰に作業服の上着を巻いている天は、暑くてたまらないので手にはいつものウチワ。
パタパタと扇ぎながら、校門横のインターホンをピンポンと鳴らし「今日から来た用務員です」とカメラに向かって名乗ると、脇の小さな鉄柵のカギが『ウィー、ガシャ』と開いた。そんなんで入れるのかよ、と苦笑しつつ、ズカズカと学校内に入っていく。
正面玄関から入り、キョロキョロと校長室を探す。初めて入った校舎は、迷路のようだ。役所と違って、道を示すものもない。
勘でもって歩を進めながら、周囲の様子を観察する。
夏休みといえど部活動や教師の出勤はあるのだろう、そこここに人の気配がしている。
「あ、どうも! 新しい用務員さんですよね!」
後ろからそう声をかけられ振り返ると、初老の男性が駆け寄ってきて、教頭と名乗った。
頭髪の薄い頭から垂れる汗を拭き拭き、ぺこぺこと頭を下げている。小柄なので、申し訳ないがその頭頂しか印象に残らなかった。
「すみません、校長先生は体調を崩されていましてね。ええと、こちらが仕事内容と校内図になりまして……といっても私もあまり把握してなくてですね、申し訳ない」
ホチキスで止めてあるプリントを渡された。
「どうも」
受け取ってぱらりとめくってみると二枚組になっていて、言われた通り『草むしり、校内の掃除、その他雑用』と書かれた紙と、もう一枚は簡単な地図だった。
「おかまいなくです。これ見ながら適当にやっときますんで」
「! 助かります、はい。あ、これ首から下げてくださいね。ではではこれで」
教頭は天に『入校許可証』と書かれた首から下げる紐がついたIDタグを渡すや、ああ暑い~と漏らしながらパタパタと去っていく。恐らくエアコンの効いている職員室に、一刻も早く戻りたいのだろう。
「はは。さすがに名前も身分証も確認しないのはどうよ」
天は独り言を漏らしながら、校内図を頭に入れる。
今の教頭の態度におかしなところはなかったし、
「……レンカ、どこだ」
神通力を使っても、今のところ何も見えない。
――そのことに、強烈な違和感を持つ。
「とりあえず、見ていくことにするかねぇ」
まずは、校内を見回ることにした。
◇ ◇ ◇
「こんにちは」
蓮花が図書室のカウンターの中から声をかけた相手は、二年生の女子だ。学年は、上靴のラインの色で分かる。苗字はネームプレートが『真島』だったので名簿を確認すると、幸い学年に一人だけだった。真島
にきびの目立つ顔に、目が隠れるくらいの長い前髪。肩より少し長い黒髪は、無造作に垂らしたまま。
猫背で、目を合わせようともしないので、今日は声を掛けてみたが――かろうじて会釈が返って来た。
そんな彼女からは
中学校長から「生徒たちが幽霊を見たと騒いでいる、調べて欲しい」という依頼を受けた、ねこしょカフェの『おたま』こと、
よくある『夏休み前に盛り上がる怪談の
その生徒たちは、皆一様に「なぜか、ずっと学校にいたいと思った」と話しているという。
以降、体調不良やおかしな言動はないものの、念のため家で様子を見ることになっているらしい。
蓮花は臨時雇いの学校事務としてこの中学校にやってきて、夏休みの受験生のために開放されている図書室の当番を、かって出た。
この、真島という生徒が気になったからだ。
受験生のために、といっても利用者はほぼゼロだ。大体の生徒は、夏休みまで好き好んで学校に来たがらないだろうし、塾に通っている。バスで十分ほどの距離に大きな公立図書館があり、自転車で行ける距離に、フードコートのあるショッピングモールもある。皆がそちらに行っているのは、事前調査済だ。
にもかかわらず、真島は毎日この図書室に通っている。――異様な気をまとって。
今のところ蓮花の目に、
「帰ったら、天に相談してみるか……」
そう思い、いつも通り下校時刻を過ぎたところで正門を出ると、
「……なんだ……?」
――帰り道が、消えていた。
「!?」
ば、と急いで周囲を観察するが、
ただ、
「くそ、いつだ」
自分に術がかかった自覚はない。今まで、こんなことはなかった。今日変わったことと言えば――
「真島、柚月……!」
柚月に、
帰りたくないと駄々をこねた生徒たちもきっと、同じだったのではないか。頭の中から帰り道が消えている。親が引きずって、連れ帰ったら帰ることができた。
となると。
柚月がまだ残っていたら、何をしたのか問い
正門をくぐり、廊下を駆け抜け、図書室へ入ると――
一瞬耳を駆け抜けた耳鳴りに、顔をしかめる。
「ああ、まずい。やらかした」
校内なのは、変わらない。だが、何かが違う。窓の外に見える空は暗く、午後三時半を指していたはずの壁の時計の針は、消えて文字盤だけになっている。
蓮花は、神経を尖らせ警戒するが人の気配は感じられない。むしろ、温かく心地よい空間のように感じる。
「ここは、何だ」
自分に害があるわけでもない。
ゆったりとした空気が流れている気さえする。――私は今まで何に苦しんできたのだろうか、ここなら楽になれるのではないかと、蓮花の両手からほろほろと何かがこぼれ落ちて行く。
――
艶のある低い男の声が、聴こえた気がした。
◇ ◇ ◇
「あー、こりゃまんまとしてやられたなぁ」
校舎から体育館へ繋がっている渡り廊下の屋根の
が、時すでに遅し。首にちりちりと刻まれた『
「インターホンの音になにか仕掛けてたか。相変わらず幻惑がうめぇじゃねえか」
名前も身分証も確認しないはずだ。
ニセモノの教頭だったのだから。
人の気配はあるのに、人影がないことに気づいた天。
箱は中学校だが中身は違う、とようやく分かった。おそらく気配はホンモノ(だから騙された)で、同じ
「
――豊かな青い髪から生える、大きな一本角。その鬼、この世の者とも思えぬ美しき容姿と、心に入り込む甘言でもって人を
天は、こめかみに青筋を浮かせながら、屋根から飛び降りた。
「レンカ……こりゃ厄介だぞ」
校庭の真ん中まで進み、目を閉じ耳を澄ませる。
「……あっちか!」
走り出す天の肌が、ずっと粟立つような鳥肌を立てている。むせかえるような、芳醇な香りに顔をしかめつつ走り、走る。
「えげつねぇことしやがる。これなら地獄のがまだマシだ……レンカ! 手放すんじゃねえぞ!」
だが、天の叫びも虚しく蓮花の両手からは、ほろほろと『生への執着』がこぼれ落ちて行く――
「持ってろ! 持ち続けろ! お前には、
校庭のど真ん中から建物へ向かって走り、開いている窓から校舎内へ飛び込んだ。
羽団扇を取り出し「
「くっそ!」
呪を解くのは、得意ではない。
「これも織り込み済たあ……そうか、さてはあの中に居たな?」
麻耶の依頼で行ったバーベキュー。男は三人。
「たかが授けたぐらいで、『
ダン、と立ち止まり見上げた扉の上に『図書室』の文字。
「そこまでして、
ふぅ、と大きく息をつき、扉の取っ手に手を掛ける。
「いざいざ、参らん」
――鼻は伸びない。羽団扇は沈黙している。それでも。
「いい加減、その執着に決着つけようや、酒呑童子」
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