ブルーヘル 1



 鬼に、なりたいのです。

 

 

 ――そう簡単には、なれないよ。


 

 それでも、なりたいのです。



 ――ウクックック。なら……

 

 


 ◇ ◇ ◇


 


「レンカが、帰らねぇ?」

「そうなんだよ」

 

 平日の午前中。まだ閑散としているねこしょカフェの、シオンの特等席。

 神妙な顔のシオンの向かい側に座る天は、思わず裏声になった。


「え、連絡もないんですか?」


 大学が夏休みに入っている奏斗が、オレンジジュースをストローですすりながら聞く。


「うん。こんなのはじめてで……」


 俯くシオンの言を受けて、光晴がいつものサンドイッチセットをテーブルに置き、シオンの隣に腰かけた。

 太ももの上に銀の丸盆を立てて、その上に両手を乗せている格好だ。

 普段はしない仕草に、相当動揺しているな、と天は見てとった。

 

「一昨日から、メッセージ送っても未読だし、電話するとすぐ留守電になっちゃうんだ」

「むう……中学校、だったか」

 天の問いにシオンが俯いたまま

「そう。夏休みの部活動で登校してる生徒たちが、幽霊騒ぎを起こしてるって依頼があって」

 と、普段なら決して口にしない依頼内容を、話す。

 

「幽霊?」

「て、どんなやつすか」

 

 奏斗が卵サンドを頬張りながら言い、左の頬にマヨネーズを付けている。

 

「色々だよ。すすり泣く女の声とか、何かを引きずる音がするとか」

「ん~? それだけならなんとも言えねえな」

「夏休みの怪談、的なやつじゃないんすか?」


 シオンはもちろん、と頷いた。

 

「ボクもそう思ったんだけどね……なんか、生徒数人が学校から帰りたくないって言ってるらしくて。実際、親が深夜に学校まで迎えに行って、無理やり引きずりながら帰宅させたとかで、校長が焦っちゃったってわけ」

「ちょいまて。?」

「……学校から出たくないってことすか」

「そうなんだよ。変だよね」

「だから、おたまさんが一応依頼受けようって、れんちゃんに調査を依頼したんです」


 光晴がそうして大きな溜息をつき、天が腕を組み眉根を寄せる。


「行って見てみねぇと、なんとも言えねぇなあ」

「うん……ほんとならこんなの、天に頼むのは間違ってるんだけど」


 シオンが、俯いたまま吐き出す。


「レンカに何かあったかも……もしそうなら、助けたい」

「わーってるよ」


 あやかしと人とのバランスを崩すようなことを、してはいけない。

 それが、たまきが決めた不文律であるし、一番腐心しているところだ。

 

 大天狗が完全に人間の味方についたと思われた瞬間――何が起こるか分からない。

 あくまでも、『便利屋の仕事』程度に収めなければならないのだ。

 

 光晴も同様で、仮にかつての力を調伏ちょうぶくを行ったとして――彼の存在が明らかになれば、囲い込んで利用しようとするやからや、命を狙ってくる勢力があるだろう。

 

 そうなった途端に、逃亡生活が始まってしまう。

 シオンはそれを、恐れている。安息の地である『ねこしょカフェ』を失いたくはない。


「んまあ、夏休みの学校てやつぁ、草ボーボーじゃねえか? プールの掃除も必要だなあ」

「天……!」


 途端に輝く琥珀色の瞳を、大天狗はニヤケ面で見返す。


「臨時用務員、給料いくらだ? 可愛いカナトにパソコン、買ってやりてぇ」

「え、天さん!?」

 

 その言葉に驚くのは、奏斗だ。

 

「お前よぉ。レポートやるのにいちいち漫喫行ってんだろ。天さんお見通しよ?」

「……」

「そんぐらいのワガママ、言えっつうの。水くせぇ。な?」

「……なら、俺も行きます」

「だあめぇ」

「なん!」


 ガシャン!


 動いた奏斗の肘がテーブルに当たり、食器が音を立てた。――慌てて食器が割れてないか確かめながら、

「……役立たずだからってことすか」

 と悔しそうに吐き出す奏斗に対し

「ちげーよ、ばーーか」

 天は横からクシャクシャとその頭を撫でる。

 

「ダイキチの散歩。頼むぜえ」

「……」

「しーんぱいすんなってー。俺、こう見えて大天狗よぉ?」

「……絶対、帰ってきてください。レンカさんと一緒に」

「わーってんよ。お前はいつも通り、勉強。たまに店とバイト、頑張れ。シオンとみっちーは、カナトの世話頼むぜ」

「それ。遺言ゆいごんみたいでイヤっす」

 

 憮然とする奏斗に、天は肩を揺すって笑った。

 

「ぶはははは! おまえなあ。俺たぶん千年以上生きてんだぜ?」

「ほんっと天って適当だなあ。千三百年だよ。殺しても死なないよ~。大丈夫だよ、カナト」

「カナト君。僕も行きたいけど、一緒に我慢しよう?」

 

 はああ~と大きな息を吐き出して、頭を撫でている天の手首を雑に拳で払った奏斗は

「ルーターとプリンターもっすね」

 と言い放った。

 

「あー、シオン?」

「おっけー。天が無事帰って来られたらさ。いくらでも好きなの、コウセイと選びに行きなよ」

「え、僕!?」

 途端にポッと赤くなる光晴にシオンが

「荷物もち。ね?」

 と、にやりと笑った。


「お~し。んじゃあふたりに夏休みのデートをさせるために、天さん、がんばってくんぜえ?」


 天が、拳を握って気合いを入れる。

 

「デ……!」

 バッと銀の丸盆で一瞬顔を隠す光晴だったが

「んなの、デートじゃねえし」

 と奏斗がぶっきらぼうに言い放ったので、心なしかシュンとしてしまった。

「あーあ。カナトってほんと……ま、そこも良いんだけどね」

 呆れ顔のシオン。

 

「がはははは!」

 

 

 そうしてその次の日の朝、とっとと終わらして来るわな、と笑顔で別れた。


 ――だがそれから二日経っても、天は戻らなかった。



 

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