恋と沼 後



「いらっしゃい……?」


 優大を風呂場に案内した後で、開店時間に律儀にシャッターを開けた奏斗は、開店早々ドアベルを鳴らして入って来た女性を見て、思わずギョッとした。

 見た目は人間だが、あきらかに異質なナニカを感じたからだ。


「こんにちは」


 その女性は、水色ストライプのシャツワンピースに、ロングヘアを揺らしながら近づいてくる。

 普通に街を歩いていたら、誰もが振り返る美貌とスタイルだろう。だが奏斗の目には邪悪なものにしか映らない。


「便利屋さん?」

「そう、です」

「人を探しているの。手伝ってくださらない?」

「……それ、やめてください」

「え?」

「なにか……気持ち悪いことしてるでしょ」


 先ほどまでの清楚な笑みはどこへやら。

 ニタァ、と女は笑う。


「あらあら~? あ。もしかして、お仲間かしら」

「……ちげえ」


 ぎりりり、と鳴る奏斗の犬歯がみるみる伸びるのを、恵舞はおかしそうに見る。

 

「ふーん? ま、いいわ。優大ここにいるでしょう?」


 するとちょうど、店の奥から風呂上がりの優大が出てきた。

 奏斗に借りたTシャツもスエットのハーフパンツもだぼついている彼は、

「奏斗くん、お風呂ありが……恵舞えま! な、なんで」

 店番用のつっかけサンダルで、わたわたと店内に下りてきた。

 その後ろから長のれんを持ち上げる天が、険しい顔をしている。

 

「昨日、このあたりで飲むって言ってたでしょう? 連絡取れないから探しに来たの。便利屋さんに人探し頼もうと思ったら~ここに居ただなんて! 偶然ね!」

 恵舞は、天を目の端にいれながらも、そんな芝居がかったセリフを吐いた。

 

 ――んなのありえねえだろが!

 ――こ、こ、こええええええ!

 

 そんなことを思った天も奏斗も、とりあえずごくりと唾を飲み込んで、優大の反応を待ってみる。

 

 優大当人は、しばらく呆然としてから

「え? 言ってたっけ……そっか、心配かけたね」

 と言ってのけた。


 奏斗は額に手を当てて天井を仰ぎ、天は膝から力が抜け、慌ててねずみ色の事務机の天板に手を突いて、身体を支えた。


「ちょ、おま、ユーダイ!」

「はい」

「そんなんでいいのかよ!?」

「? いいとは?」


 さすがに『だめだこいつ』のセリフをぐっと吞み込んだ、天である。

 

「なんていうか、もんのすげえ鈍感すね」

「言ってやるな、カナト」

「あー、鈍感もよく言われる……」

「「言われんのかい」」


 

 ――うおっほん!


 

 大げさに咳払いした恵舞が、また取り繕った微笑みを浮かべて

「昨晩はこちらにお世話になっていたんですね。それはそれは、彼がご迷惑をおかけしました。じゃ、優大、帰ろう?」

 と促すものの、優大はなぜかそれには頷かない。

「優大?」

「恵舞……別れよう」


 びし、と三人の時が止まった。

 

「え」

「僕、結婚とか考えられないし」

「そ……んなの、待つわよ」

「いや、違う……違うんだ。僕、僕、……恋に、落ちたんだ!!」


 三人、一斉に叫んだ。


「「「はああああああああ!?」」」


 急に優大が、うっとりとして語りだす。


「僕、今まで知らなかったよ。本物の恋って、こんな気持ちなんだね!」


 絶句する三人の中で、いち早く我に返ったのは天だ。


「おい……あー……ユーダイ……」

「さっきからずーっと、あの人のことを考えちゃうんだ。胸が高鳴って……何しているのか気になって……すぐにでも会いたくなるんだ!」

「おまっ、まさか、そのまま歌い出すんじゃねえだろな!?」

「ぶっ!」

 盛大に吹き出す奏斗の前で、

「はあああああ!?」

 恵舞はまさに、鬼神のごとく目を吊り上げている。


「あーあー! ほんもののぉ~~~あいにぃ~~~~」

「調子乗んな」


 ゴン!


 ――天の拳骨が優大の頭頂に降った。たった一晩で打ち解けすぎだろぉ? と呆れている大天狗である。


「いった! えへへへ……ごめんね恵舞。君って本当に美人だからさ。僕、なんていうか、ずっと引け目を感じてたんだよね」

「え」

「周りからはさ、もったいないとか、飲み会に連れてこいって言われ続けててさ。かわすのにも疲れちゃった」

「……そう。そんなことすらも、話してもらえなかったのね」

「だって、恵舞って社長とかCEOとか? すごい人とばっかり付き合ってきたでしょ。情けなくて言えないよ。はは」

 

 ぽりぽりとこめかみをかく優大は、晴れやかな顔をしている。

 ようやく言いたいことが言えた、と言わんばかりだ。

 

「僕ね、こんな美人なんだからって、自分の気持ちに嘘ついてたことに気づいた」

「っ」

「だから。ごめん」

 


 ――飛縁魔ひのえんまの魅了を、ただの人間が弾き飛ばすかい。



 天は、にやっと笑った。


「おい。ここは便利屋だ。依頼があれば何でもやるぜえ。『別れさせ屋』でもなんでもよぉ」


 それを聞いた奏斗は、ビクッと肩を揺らす。

 大天狗といえど、女夜叉に喧嘩を売っていいものかどうか分からなかったからだ。

 ところが恵舞は、予想に反してスッキリした顔をしている。

 

「るっさいわね! あなたに喧嘩売るほど馬鹿じゃないわよ。……言ってくれてありがと、優大」

「うん。ごめん。ごめんね」


 はあ、と大きく息を吐いた恵舞は、優大に向って手のひらを差し出す。

 

「じゃ。スマホ出して」

「え? っと、あっちの部屋に」

「そ。じゃあいいわ。見覚えないアプリあったら、消しといて」

「へ? うん」


 へにゃへにゃと力が抜けた天、またしてもねずみ色の事務机の天板に手を突いて、身体を支える。


「ありがと、恵舞。僕、次の恋に生きるよ!」

「……で。誰よ?」

「え?」

「優大を夢中にさせた相手。見たいじゃない! 教えなさいよ」

「ええとね……えへへ」

 

 天と奏斗は、すかさずアイコンタクトする。

 

 

 ――何か始まりやがったぞ。

 ――やべー予感しかしねっす。

 

 

「近所のカフェで働いてる人なんだ。笑顔がとっても可愛くて……んふふふ」

「へえ? てことはそこ行けばすぐ会えるってことね」

「おいおい、おまえら……」

「ダメっす」


 奏斗が憮然ぶぜんと言葉を放つ。


「お引き取りください。てか、今すぐ帰れ。もう一生来んな」

「えぇ!?」

「ふう~ん?」


 ニヤニヤしながら、恵舞は奏斗に近づいていく。


「あなた、名前は?」

「え。カナトっすけど……なんすか?」

「見てたでしょ。振られちゃったの。慰めて?」

「はあああ!?」


 言ったかと思うと、奏斗の首根っこにぶら下がる恵舞。

 それを苦笑いで見る天と――号泣している優大。


「みっちー帰らせて正解だったなぁ。あんだよこれ」

「一生来んなって、一生会うなってこと!? やだあああうああああん!!」

「だーもう! はなせって!」

「いやん! かわいい! すきっ」

「うっぜえええええ!」


 天は、がっくりと肩を落とす。

 

「俺ぁこういうの、苦手なんだよ……」



 ――ちりりん。



「こんにちは~! 差し入れ持って……おやあ」


 麻耶が、ケーキ屋の紙袋を持って入ってきて――唖然とした。


「おー、マヤじゃねーか」

 店の奥から力なく手を振る天に、首に美女をぶら下げた奏斗、そしてなぜか号泣している男性。

「天さん、なにこれ?」

「シュラバ」

「やっば! すっごいおもしろそうなんだけど?」

「……ワクワクすんなよぉ」

 

 


 ◇ ◇ ◇



 

「とりあえず、ねこしょカフェで話聞こうじゃないの」

 という麻耶の提案で、便利屋に『外出中』の札をかけ、渋々やってきた天と奏斗(首根っこに恵舞)。

 そして号泣から一転、キラキラ笑顔になった優大。

「俺もぉ?」

「うん。天さんはカウンターでいいから」


 なぜか仕切る麻耶は、歩きながら大体の状況を把握した。

 たった一晩で急展開、ドラマみたい! と目を輝かせ、私がまとめて面倒みましょう、と張り切っている。

 

 一方、迎えた光晴は、戸惑うばかりだ。

 土曜のねこしょカフェは混んでいたため、シオンが「ここ使いなよ」と特等席を譲ってくれた。

 そして好奇心の塊のような顔をして、カウンターで肘を突く天の隣に腰かけながら

「女夜叉なんて、よりにもよって天敵じゃん」

 とからかう。

「んああ。百年ぶりぐらいじゃねえかな、飛縁魔ひのえんまなんか見たの」

「避け続けてたもんね~」

「……今回は俺じゃねえけどな」

 

 テーブルに着く優大と恵舞、その向かいに奏斗と麻耶。

 その全員に、いつも通り水を提供しながら戸惑っている光晴。

 

 はたから見ると、二組のカップルがお茶をしているように見えるが――全員の目が光晴に向いている。

 その圧にのけぞりそうになりながらも、光晴はいつも通り穏やかな対応を心掛ける。


「え、と。あの……ご注文は……?」

「はあぁ~可愛い……僕、アイスコーヒーで」

「え、この子のことなの!? あ、私はアイスレモンティー」

「なるほどね。カナミツ推しとしては断固阻止。私はホット」

「? かしこまりました。カナトくんはオレンジで良い?」

「……っす」


 カウンターに飲み物を作りに戻って来た光晴の戸惑いっぷりは、天に罪悪感を抱かせるに十分だ。

 

「あの、天さん? あれって……」

「わりぃ、みっちー。俺じゃあどうにもならんかった」

 眉尻を下げる天にシオンは、

「天はこういうの苦手だからねー」

 とけらけら笑う。

「おう。マヤにまかせるわ」

 神通力が不要なら俺の出番はないとばかりに、天はしかめっ面でホットコーヒーをずずっとすすった。


 

 その麻耶は、真剣な顔で腕組みをしている。

 

 

「……大体把握したけど、優大さんのそれってさあ、疲れてるところに癒し系パズルがポコンてハマっただけ、なんじゃないの」

「それだけなら、こんなにドキドキしないよ!」

「二日酔いの動悸でしょ」

「ちがうよぉ」

「それに恵舞さんも。別れてすぐ奏斗くんにいくのってどうなのよ?」

「だって見た目こんななのに、中身純情。大好物~」

「げえ! 肉食系じゃん! こわっ!」

「なんとでも言って……ちなみに奏斗くん、私のことどう思う?」

 腕を組んで憮然としている奏斗は、

「なんとも思わないっす」

 と、つれない。

「えー、ひどいー」

「うんうん。そうよね。そうこなくっちゃ」

「ええっとすみません、お飲み物をお持ちしました……」


 全員の強い目線を受けて、びくつきながら飲み物を置く光晴は、まるで獲物に睨まれた小動物のようだ。

 そんな光晴を気遣うのはやはり奏斗である。


「あざっす。……おいあんた。さっきから視線がうぜえ。見んなって」

「ええ! 奏斗くんひどいよ! みっちーさん、だめ? 僕、だめですか!?」

「え、と」

「んだから、困らせんなっつってんの!」

「ひーどーいー!」

「あーとその。失礼しますね……(ありがと、カナトくん)」

「(うっす)」

 

 奏斗と光晴の、そんな無言の目でのやりとりを、麻耶はキラキラした顔で見ている。

 

「恵舞さん」

「え?」

「ね。この尊さ。わかる?」

「……ちょっとわかる」

「でしょ!」


 キタコレ! とばかりに麻耶は立ち上がり、向かいの恵舞に握手を求める。

 

 戸惑いつつも応じる恵舞に、

「いい? これは、関わるものじゃないの。そっとでるものなのよ!」

 麻耶は熱弁した。

 

「愛でる……?」

「そう! 邪魔したらダメなの。尊いものなのよっ。いけない、そうと分かれば……ちょっと待ってて! すぐ戻るから!」


 だだだ、と勢いよく店を出て行く麻耶に、全員ポカンである。


「ええ~」

 戸惑いながらも優大は、今のうちにお手洗いに、と席を立った。

 すると恵舞が

「愛でる……かあ。そっかぁ……なんか、なんとなく分かってきた」

 と奏斗を見て頷く。

 

「あんだよ」

「ふふ。純情って、いいわよね~」

「あ?」

「でも気を付けなよ。そういう心を操るのが得意だからね、酒呑しゅてんの野郎は」

「酒呑?」

「聞いてないの? ……大天狗の考えることだもんね。余計なことは言わないわ」

「どういうことだよ」

「いーの」

 

 ふう、と恵舞が大きな息を吐く。


「長いこと、色々やってきてさ。あたしも疲れちゃってたのかも」


 それから、自身の手の爪を眺めて、ぼんやりと言葉を続ける。


「結局、なあんにも、手に入らないんだもん」

「……」


 奏斗は、それになんと言葉を掛ければ良いのか分からない。

 しばらく、沈黙が続いたところで――

 

「ぜーはー、お、ま、たせええええ」


 汗みどろの麻耶が、戻って来た――なぜか重そうな紙袋をふたつも持って。


「なんすかそれ」

「奏斗くんは、見ちゃだめ。恵舞さん。何も言わずにこれ、読んで。厳選してきたから!」

「え? 漫画? かしら」

教本です!」

「? とりあえず、お借りするわね」

「はい! 感想教えて!」


 ふたりはそれからIDを交換し、麻耶はお手洗いから戻って来た優大にも

「あなたは、こっち。わりとソフトなの持ってきたから。読みなさい」

 と薄い紙袋を手渡し、受け取りを強制している。

「ええ?」

「いいから黙って帰ったら読む! わかった?」

「はあ……」

「それからふたりとも。しばらく静かにしてて」

「「はい」」


 なぜか、麻耶の独壇場である。

 

「奏斗くん」

「なんすか」

「みっちーさんに、この場で言って欲しいことがあるんだけど」

「はあ?」


 隣の席から耳打ちされ、奏斗は目を瞬かせた。


「いやそらそうだけど、わざわざ」

「いいから。ちゃんと伝えるの。大事」

「わかりましたよ……」

 

 それから、麻耶は笑顔で手を振って光晴を呼ぶ。


「なんでしょうか」


 そして奏斗に高速で肘鉄を食らわせるので、奏斗はもう、開き直ることにした。

 

「みっちーさん……騒いでごめん」

「え? うん」

「優大は、俺が諦めさせるから。安心して?」

「っ」


 ばぼん! と噴火したかと思うぐらいに、光晴の顔が真っ赤になった。


「え、ちょ、だいじょぶすか!?」

 慌てて立ち上がって寄り添おうとする奏斗に

「だいじょばない!!」

 光晴はまたそう叫んで、バックヤードに小走りで行ってしまった。

「えぇ……俺またなんか、やらかした……?」


 呆然と立っている奏斗の視線の向こうで、天とシオンが笑いを噛み殺している。


「っくう~~! 真っ赤になっても可愛いっ」

「これよ、これ。尊い!」

「……胸にズドンと来たわ」

「でしょでしょ! おいこら優大、空気読みなさいよ!」

「あ、無理よこの人。ほんと鈍感で空気読めなくて」

「恵舞、ひどいよー」

「ほんとのことでしょ!」



 ――後日。

 麻耶に借りたものを返しに来た優大と恵舞は、なぜか麻耶を教祖様と拝み、ねこしょカフェをよく訪れるようになった。お互いに何かの本を持ち寄って、貸し借りしているようだ。けれど、何の本なのかは絶対に教えてくれない。特に奏斗には。

 

 

 その様子を見た天は、いつものダイキチの散歩後ブランチで

「妙な常連客、増やしちまってすまんな、みっちー」

 と肩をすくませる。

「いえいえ。今のところ平和ですから」

 そこへ、お手洗いに行っていた奏斗が戻って来た。


「麻耶さん、いったい何したんすかね? なんか二人とも『沼にハマった』って言ってたんすけど。怖いっすよ」

 光晴は、頬をぽっと染めて

「えーと、なんかそういう本があるみたいだね?」

 小首をかしげてみせる。

「ふうん。みっちーさんは、知ってるんすか?」

 奏斗は、自分だけが知らないことが不満である。

「え! いやほら、ここ、古書カフェでもあるしね……」

「読んだことあるんすか?」

「! し、しらないっ」


 と、また光晴がバックヤードへ駆け込もうとしたので

「にがさねー」

 奏斗はすかさず、いたずらっぽい顔でばっと両手を広げて、それを阻止する。

 すると当然、光晴が奏斗の胸に飛び込む格好になった。


 途端に方々から悲鳴のような声が上がり、

「おっと! ごめ……ってかキャーて」

 奏斗が周囲の反応に戸惑った瞬間、するりと光晴は腕の中から逃げていく。

 

 逃げられたか、とその背中を見送る奏斗の目に入るのは――向こうのテーブルから、麻耶、恵舞、優大がそろってこちらを拝んでいる姿だ。


「……なんなんすか、あれ。キモイんすけど」

「推しの沼ってやつだよ~」


 シオンが光晴と入れ替わりとばかりに、ふらりとやってきて言う。


「恋と同じぐらい、ハマって抜け出せないんだ」

「?」

「俺にもよくわからんが……そのままでいろよ、カナト」

 


 ――人間はやっぱすげえな~女夜叉の執着を、平和なもんに変えちまうんだから。

 

 

「はあ」


 腑に落ちないまま、奏斗はハムレタスサンドを頬張る――相変わらず、美味しかった。



 

 ◇ ◇ ◇




 一方その頃、蓮花はとある中学校の校門から出てきたところで、ぼう然としている。

 


「……なんだ……?」



 ――帰り道が、消えていた。


 

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